2018-02-08 (Thu)

ヴィンチェンツォ・カムッチーニ 『アレクサンドリア図書館でのプトレマイオス2世』1813年
モーセ五書(モーセごしょ)、時にはトーラ(ヘブライ語: תורה)とも呼ばれることがあるが、旧約聖書の最初の5つの書である。モーゼの五書、律法(りっぽう)、ペンタチュークとも呼ばれる。これらはモーセが書いたという伝承があったのでモーセ五書と言われるが、近代以降の文書仮説では異なる時代の合成文書であるという仮説を立て、モーセが直接書いたという説を否定する。ただし保守的なキリスト教会と学者は今日もモーセ記者説を支持している。また正教会における註解書には、こうした学説の対立に触れず、「伝統的に」モーセが著者であるとされているという記述にとどめているものもある。
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 これまで【日本人】は、【「神道(しんとう)」というものをほとんど教育されて来ませんでした】。

とりわけ【もっとも酷い教育を受けたのが、団塊の世代という戦後世代】でした。
旧文部省の検定を通った【「日本史」の歴史教科書】から、古代ローマ・ギリシャに始まる欧米の宗教や哲学のことが書かれた【「倫理」(あるいは倫理道徳)の教科書】まで、【この世代のほとんどが「神道」という言葉すら教えられませんでした】。あるいは【教えられたとしても、ネガティブなものばなり】でした。

なぜなら、この【団塊の世代】は、GHQの出した「神道指令」などの数々の命令によって、日本人から【「神道」という考え方を徹底的に洗脳され、あるいは矯正されるよう遠ざけられて来たから】です。

この教育方針は、【昭和30年代から昭和40年代中盤生まれくらいまで】続き、実際に【この世代を親に持つ子供の世代もまた教わらない】--という【悪循環】を繰り返して来ました。

なぜいま、【神道をきちんと教えないとまずい】のでしょうか。

例えば、極端な例では、「神道のこころを伝える」という有志の会を主宰する小坂達也氏の会合では、ある九州の会員が
「自宅に神棚を祀った」
というと、父親から
「何でそんな新興宗教に走っているんだ」
と怒られたと明かしていました。

また、小坂氏によれば、【「天照大神(あまてらすおおみかみ)」】を【「テンテルダイジン」】と読む若い人が増えているそうです。

これは笑い話ではなく、【かなり深刻に危ない現象】です。
これに似た事例は、『神道と日本人』(新潮社)という本を上梓した私にも多くの体験談があり、【神道のことを「シンドウ」と呼ぶお年寄りたち】にたくさん会って来ました。

ほかにも、
「日本は神仏習合(しんぶつしゅうごう)だから、同じだろう」
などと、【神道と仏教との違いがまったくわかっていない】方や、【「神道」というだけで「国家主義者」、あるいは「アニミズムの遅れた考え方」、「単にローカルな一宗教に過ぎない」と批判してくる日本人も、現在もなお数多く存在】します。

ちなみに、【神道は、数万年前からある日本古来の教え】で、【日本人の歩むべき「道」】であることは間違いないのですが、【昔から濁らせずに「しんとう」と呼び】、これから述べていくように、【日本人は生まれてから亡くなるまでの生活習慣や文化、衣食住や「祭り」という行事や儀式のなかに、いまも深く関わり合いを持っています】。』

いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、私たちの日本に古くから存在している「神道」について、それが如何に私たち日本人にとって非常に関わりの深いものであるのかが、幅広く解説されている良書となります。本書をご覧頂ければ、「神道」がどういったものであるのか、その基本的なところが御理解いただけると思います。端的に申し上げますと、「神道」というのは、そこら辺にある「宗教」ではない、根本的に違っている、ということです。その違いがわからなくなっていると感じられるならば、ぜひ、本書をご一読されることをお勧めさせて頂きます。

さて、本文中で著者が、「神道と仏教との違いがまったくわかっていない」、「神道は、数万年前からある日本古来の教え」と書かれているわけですが、私たち日本人が「神道」の教育を受けてこなかったため、分からなくなってしまっているのと同時に、キリスト教などの「宗教」についても、キチンと理解ができていないため、「神道」をその他の「宗教」と一緒にごちゃ混ぜにして考えてしまいがちになってしまっているというのが多くの日本人の方々に言える現状なのではないでしょうか。

今から約2300年ほど前、広大な領域を支配したマケドニア王国(アンティゴノス朝)のアレクサンドロス大王(アレクサンダー大王)が、後継者を決めないまま亡くなったため、マケドニアのアンティゴノス朝、エジプトのプトレマイオス朝、シリアのセレウコス朝の3つに分裂してしまいます。

マケドニア王国(アレクサンドロス3世時代)の最大版図

☆ワールド・ヒストリカル・アトラス(古代から現在までの国の移り変わりを表現した歴史地図)
その1つである、アレクサンドリアに首都を置いたエジプトのプトレマイオス朝のプトレマイオス2世ピラデルポスの時代(在位:紀元前288年~紀元前246年)、

エジプトにおけるアレクサンドリアの位置
「ヘブライ人」の経典を、公用語であった「ギリシャ語」に翻訳をさせます。
「ヘブライ人」とは、もちろん「ユダヤ人」のことですが、念のため確認しておきましょう。
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 ユダヤ人(ヘブライ語: יהודים、英語: Jews、ラジノ語: Djudios、イディッシュ語: ייִדן)は、ユダヤ教の信者(宗教集団)、あるいはユダヤ人を親に持つ者(血統)によって構成される宗教的民族集団である。 ムスリムやクリスチャンと同じで、ユダヤ人という人種・血統的民族が有る訳では無い。ヨーロッパでは19世紀中頃まで主として前者の捉え方がなされていたが、近代的国民国家が成立してからは後者の捉え方が広まった。」
ここでポイントとなるのが、本来の「ユダヤ人」というのは「ユダヤ教徒」であるということであって、それが「血筋」の問題となってくるのが、ごく最近だということです。その代表例がヒトラーです。

「 ユダヤ人はディアスポラ以降、世界各地で共同体を形成し、固有の宗教や歴史を有する少数派のエスニック集団として定着した。しかし、それらを総体的に歴史と文化を共有する一つの民族として分類することはできない。言語の面をみても、イディッシュ語の話者もいればラディーノ語の話者もいる。歴史的にはユダヤ人とはユダヤ教徒のことであったが、現状では国籍、言語、人種の枠を超えた、一つの尺度だけでは定義しえない文化的集団としか言いようのないものとなっている。」

「ヘブライ人」の経典を、公用語であった「ギリシャ語」に翻訳させたもの、それが「モーセ五書」で、ユダヤ教において「トーラ(トーラー、「教え、指示」の意)」、キリスト教において「旧約聖書」と呼ばれるものとなります。

ケルンのグロッケンガッセ・シナゴーグのトーラー(羊皮紙に手書き)
で、その「モーセ五書」は、次の5つから成り立っています。
●創世記「בראשית」(ヘブライ語の原題は「初めに」の意味)
●出エジプト記「שמות」(ヘブライ語の原題は「名」の意味)
●レビ記「ויקרא」(ヘブライ語の原題は「神は呼ばれた」の意味)
●民数記「במדבר」(ヘブライ語の原題は「荒れ野に」の意味)
●申命記「דברים」(ヘブライ語の原題は「言葉」の意味)
それでは、その「創世記」の最初から、すこし見てみましょう。
・はじめに神は天と地とを創造された。
・地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。
・神は「光あれ」と言われた。すると光があった。
・神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。
・神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である。
・神はまた言われた、「水の間におおぞらがあって、水と水とを分けよ」。
・そのようになった。神はおおぞらを造って、おおぞらの下の水とおおぞらの上の水とを分けられた。
・神はそのおおぞらを天と名づけられた。夕となり、また朝となった。第二日である。
・神はまた言われた、「天の下の水は一つ所に集まり、かわいた地が現れよ」。そのようになった。
・神はそのかわいた地を陸と名づけ、水の集まった所を海と名づけられた。神は見て、良しとされた。
・神はまた言われた、「地は青草と、種をもつ草と、種類にしたがって種のある実を結ぶ果樹とを地の上にはえさせよ」。そのようになった。
・地は青草と、種類にしたがって種をもつ草と、種類にしたがって種のある実を結ぶ木とをはえさせた。神は見て、良しとされた。
・夕となり、また朝となった。第三日である。

・神はまた言われた、「天のおおぞらに光があって昼と夜とを分け、しるしのため、季節のため、日のため、年のためになり、
・天のおおぞらにあって地を照らす光となれ」。そのようになった。
・神は二つの大きな光を造り、大きい光に昼をつかさどらせ、小さい光に夜をつかさどらせ、また星を造られた。
・神はこれらを天のおおぞらに置いて地を照らさせ、
・昼と夜とをつかさどらせ、光とやみとを分けさせられた。神は見て、良しとされた。
・夕となり、また朝となった。第四日である。
・神はまた言われた、「水は生き物の群れで満ち、鳥は地の上、天のおおぞらを飛べ」。
・神は海の大いなる獣と、水に群がるすべての動く生き物とを、種類にしたがって創造し、また翼のあるすべての鳥を、種類にしたがって創造された。神は見て、良しとされた。
・神はこれらを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、海たる水に満ちよ、また鳥は地にふえよ」。
・夕となり、また朝となった。第五日である。
・神はまた言われた、「地は生き物を種類にしたがっていだせ。家畜と、這うものと、地の獣とを種類にしたがっていだせ」。そのようになった。
・神は地の獣を種類にしたがい、家畜を種類にしたがい、また地に這うすべての物を種類にしたがって造られた。神は見て、良しとされた。
・神はまた言われた、「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう」。
・神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。
・神は彼らを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」。
・神はまた言われた、「わたしは全地のおもてにある種をもつすべての草と、種のある実を結ぶすべての木とをあなたがたに与える。これはあなたがたの食物となるであろう。
・また地のすべての獣、空のすべての鳥、地を這うすべてのもの、すなわち命あるものには、食物としてすべての青草を与える」。そのようになった。
・神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった。夕となり、また朝となった。第六日である。

それでは、今度は、私たち日本の『古事記(こじき、ふることふみ)』の最初を、少し見てみましょう。
「 天地(あめつち)が初めて発(あらわ)れた時、高天原(たかまのはら)に成ったのは天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)でした。
間もなく高御産巣日神(たかみむすひのかみ)、続けて神産巣日神(かむむすひのかみ)が成りました。この三柱(みはしら)の神は、いずれも独神(ひとりがみ)で、・・・男女の区別がない神で、男神(おがみ)と女神(めがみ)の両方の性質をお備えになった神なのです。
この時、大地はまだ若く、水に浮く脂のようで、海月(くらげ)のように漂っていて、しっかりと固まっていませんでした。ところが、葦の芽のように伸びてきたものから、宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこじのかみ)が成り、続けて天之常立神(あめのとこたちのかみ)が成りました。この二柱の神も独神で、・・・これまでに成った五柱の神は、天地が発れて早い時期に成った特別の神なので、別天神(ことあまつかみ)と申し上げます。

天地開闢(古事記による)
その後、次々と神が成ります。まず、国之常立神(くにのとこたちのかみ)、そして・・・(※ここから九柱の神が続いたあと)・・・伊耶那岐神(いざなきのかみ)と伊耶那美神(いざなみのかみ)が成りました。最後に成った伊耶那岐神と伊耶那美神は、間もなく日本列島をお生みになる重要な神です。
宇比地邇神(うひじにのかみ)から伊耶那美神までの十柱の神は、男神と女神で対になっておいでで、二柱で一代(ひとよ)と数えます。国之常立神から伊耶那岐神と伊耶那美神までの七代(ななよ)の神を「神世七代(かみよのななよ)」と申し上げます。これで、国作りまでの神々がすべて揃いました。これが、『古事記』の壮大な物語の始まりです。」
詳しくはこちらをご参照❤
↓

さて、ここで、「創世記」と『古事記』の記述内容の中で、最も大きく異なっている点は、何だったでしょうか?

「 世界の多くの神話は、天地創造からはじまります。日本の神話も例外ではありません。宇宙のはじまりなど、現代科学でも仮説を立てるしか確かなことはわからないのですから、まさにイメージの世界です。
日本の神話は、まず三柱(みはしら)の神が高天原(たかまがはら)に現れます(神は柱で数えます。もともと神は樹木に宿ると考えられていたからでしょう)。そのとき、大地は水に浮いた油のようで、クラゲのように海面を漂っていたと書かれています。形のない、混沌とした様子が目に浮かびます。その形のない世界に「葦の芽」のような最初の生命が生まれます。
これはギリシャ神話と共通しています。しかし、ユダヤ人の『旧約聖書』とは異なっています。キリスト教では、まず神がいて、全能の神が自然と人間をつくるのです。その点では、日本の神話はギリシャ神話に近く、ユダヤ―キリスト教の神話と違うことを示しています。」
詳しくはこちらをご参照❤
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☆神さまは「全知全能」ではありません

このように、その根っこの部分から、すでに異なっているということが御理解いただけると思います。
そして、もう1つ、覚えておきたいのが、「創世記」の最初、それも、ほんのちょっぴりのところで、「神」が自らに似せて作り出した「人」に対して、「地を従わせよ」、「すべての生き物を治めよ」と「命令している」ところです。

以上、私たち日本人が念頭に置いておきたい2つの違いについて書かせて頂きましたが、次回以降で、もう少しお話を進めてまいりたいと思います。
続きは次回に♥
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