2018-02-03 (Sat)

カロリーナ・オテロ (Carolina Otero, 1868年11月4日 - 1965年4月12日)は、ラ・ベル・オテロ (La Belle Otero)の名で活躍したスペイン生まれのダンサー・俳優、公妾。
ガリシア州のポンテベドラで、アグスティナ・オテロ・イグレシアス(Agustina Otero Iglesias)の名前で生まれた。生家は貧困にあえぎ、不安定な生活をしていた。子供のうちに、彼女はサンティアゴ・デ・コンポステーラへ使用人として奉公に出された。10歳で、彼女は性的暴行を受けて子供の産めない体となった。そして14歳になると、交際していた男と出奔し、リスボンで歌手兼ダンサーとして働きだした。
1888年、バルセロナでスポンサーを見つけたカロリーナは、フランスで彼女をダンサーとして売り出そうとする彼に連れられてマルセイユへやってきた。彼女はすぐにスポンサーと手を切り、ラ・ベル・オテロというアンダルシア生まれのジプシーというふれこみで売り出した。彼女はパリで、フォリー・ベルジェール(ミュージック・ホール)のスターに躍り出た。
数年もしないうちに、カロリーナはヨーロッパ全土で引っ張りだこの女性となった。彼女は賢明にも、財力があり権力がある男性ばかりを注意深く選んで自分の恋人にした。彼女と関係を持ったのは、モナコ大公アルベール1世、イギリス王エドワード7世、セルビア王ミラン、スペイン王アルフォンソ13世、ロシア帝国のピョートル大公とニコライ大公の兄弟、そしてウェストミンスター公爵と作家ガブリエーレ・ダンヌンツィオであった。彼女の情事は彼女の名声を悪名高いものにし、他の多くの女性たちから嫉妬された。

戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 【この日記と同時期を過ごした元慰安婦の証言】として、前出の【文玉珠(ぶんぎょくしゅ)氏の証言】がある。

文玉珠
その証言をいち早く出版した方が、金文淑氏である。私が彼女に会ったのは、2014年4月30日のこと。

韓国のソウルで産経新聞の記者、【黒田勝弘氏】と朝食をとる時、偶然にも慰安婦シンポで発表した金文淑氏が隣の席で食事中であり、私から話しかけてみたのである。話が盛り上がり、すぐ3人は、友人のような雰囲気で記念写真をとった。
このシンポジウムの時の【金氏らの報告】は【韓国の新聞】で大きく報じられ、「日本に法的責任を問うべきだ」とする、【これまでの立場とは一線を画し】て、日韓が本当に歩み寄れる方法を模索する、【異例のシンポジウム】であった。

この、慰安婦問題の研究家である金文淑氏は、1992年に明石書店から出版された『朝鮮人軍隊慰安婦』の著者である。金氏は、【元慰安婦の文玉珠氏へのインタビュー記事】を、その本に載せている。…
この、金文淑氏の著書によって、文玉珠氏の情報が初めて日本語で紹介された。彼女は、「【宋という性の男】がいて言うには、食堂で働けばお金をたくさんもらえるとのことでした」「ラングーンに着いて初めて、自分たちが慰安婦として【軍隊に配属】されると分かったのです」という。

【友人】の「【金がもうかる】食堂がある」という【誘い】に乗って「ダメにされた体だから」と思い、【金を稼ごう】と釜山へ行く。

慰安婦帳場人の日記を書いた朴氏と同じ、1942年7月10日に、当時18歳だった彼女は、【朝鮮人経営者の松本(=宋)氏に連れられて】、船でビルマへ、さらにトラックでマンダレーの【慰安所へ行き、慰安婦をした】。

彼女は【「文原ヨシコ」と名乗った】。【金を稼ぐためにきた】のだから仕方がないと思いつつ、本当にたくさんの軍人がきてくれて、自分を人気者だと思ったこともあったという。…

この【朴氏の日記】を、【文玉珠氏の証言】と合わせて読んだのは、新しい試みではないかと思う。そうすることで、さらに【重要な内容を補える】部分が多かった。

【帳場人日記を書いた朴氏が生きた時代】には、【親日と反日という、二項対立的な言説は存在しなかった】。特にこの日記は、交戦地域を含めた戦地において書かれたものであり、彼には【「植民地」という意識もなかった】ようである。

彼は占領地の稼業地で働いただけであり、植民や植民地を意識せず、あるいはそれを超えた、人間そのもののような自然な人であった。本当に誰かを慰安する心を持っていた。死傷者への対応、怪我人への介護など、配慮深い人柄の人であった。』

いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、戦地の「慰安所」で「帳場人」として勤めた、ひとりの朝鮮人が書き残した単なる「日記」を読み進めながら、著者による非常に客観的な分析、あるいは偏りのない解説が随所になされ、当時の様子が、具体的にイメージでき、「慰安婦」の実態がとてもよく理解ができる良書となります。

さて、本文中にも書かれていましたように、本書で紹介されている「朴氏の日記」は、私たちの日本で日本語で初めて紹介された「売春婦」の文玉珠(ぶんぎょくしゅ)氏の売春時期とまさにぴったり重なっているんです。だからこそ、非常に客観的に、その時代、東南アジアで「売春業」がどのように行われていたのかが、ハッキリとイメージできるんです。
では、ここで、北朝鮮との繋がりがある「韓国挺身隊問題対策協議会(かんこくていしんたいもんだいたいさくきょうぎかい)」の調査による文玉珠(ぶんぎょくしゅ)氏の略歴を確認してみましょう。
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「1924年:大邱生まれ。
1933年(9歳):①独立運動をしていた父が死亡、家計が大変なので寺子屋や夜間学校で勉強。
1937年(13歳):面倒を見るという日本に住んでいる親戚の家に行くがこき使われたので6ヶ月で帰り、スリッパ工場で時折働く。
1940年(満16歳):②友人の家に行った帰りに軍服を着た日本人に腕をつかまれ憲兵隊らしきところへ連れて行かれる。③翌日民間人の男に引き渡され汽車に2日乗って中国東北部の逃安城で降り、トラックで④慰安所に運ばれた。⑤文原ナミコと名前をつける。主計将校に料理を作るなど気に入られようと努力する。
1941年9月(1年後):主計将校が外で所帯を持とうと言ったのを利用して証明書を貰い朝鮮へ帰る。」
まず、①の父親が独立運動のテロリストであったため、②で憲兵のところに、今風に言えば「任意同行」を求められたということになります。憲兵とは、「軍事警察」兼「行政警察」兼「司法警察」といった立ち位置になります。1930年代後半から朝鮮半島内では、抗日活動家(主に共産主義者と民族主義者)に占める「民族主義者」の比率が増加の一途を辿っていました。その独立運動を唱える「民族主義者」らによる、独立資金と称した一般良民から金品を強盗をする事件も多数発生している状況で、朝鮮半島を管理する日本は警戒を強化していた時期でもありました。

そして、何事もなく聴取を終えて、③民間人に預けられ、④慰安所に運ばれ、⑤文原ナミコと名乗ったという流れになっています。
おや? ④慰安所に運ばれて、そこでは何をしていたのでしょうか?

「1942年7月(18歳):⑥友人の金がもうかる食堂があるという誘いに乗って「ダメにされた体だから」と思い⑦金を稼ごうと釜山へ行く。⑧朝鮮人経営者に連れられ船でビルマへ。トラックでマンダレーの⑧慰安所へ。金を稼ぐために来たから仕方がないが本当にたくさん軍人が来た。物品管理をしている男と親しくなる。文原ヨシコを名乗る。」
そして朝鮮に戻った彼女は、空白の1年間の間に⑥朝鮮人と思われる友人に騙されて「ダメにされた体」になってしまっていました。

で、そんな「ダメにされた体」の彼女は、⑦金を稼ごうと釜山へ、そこで⑧朝鮮人経営者に連れられ、マンダレーの⑧慰安所へ着き・・・と続いていきます。
「(7、8箇月後)アキヤブへ移動。船でプロムに移動、経営者がいなくなり軍人が直接管理。
(4、5箇月後)更にラングーンへ、荒れた軍人が多く殺されそうになる。「一度は酒に酔った軍人が出てきて刀を抜いて殺そうとしました。『⑨あんた達を慰安しようと来た私たちに対してそんな事できるの?』となだめましたが、彼は殺気をみなぎらせて私を殺そうとしました。そこで私は死ぬか生きるかの瀬戸際で彼に飛びかかりました。その瞬間びっくりした彼が刀を手放すと私はその刀を取り上げてとっさに胸を刺してしまいました。その軍人は血を流しながら車に載せられて行きは憲兵隊に呼び出されて軍事裁判を受けました。1週間後に釈放されましたがまた軍人達の相手をさせられました」 」
⑨で、明確に自分たちの職業人意識が見られますが、その後の殺傷事件や軍事裁判云々の件につきましては、本書をご覧頂ければ、つまり「朴氏の日記」を読めば、事の深層が明確になるかと思いますが、ここでは伏せさせて頂きます。

と、このように、本書に書かれている日記の内容と併せ読むことで、とても忠実に当時の様子が浮かんでくるのですが、文玉珠(ぶんぎょくしゅ)氏の証言の一部を都合よく、「反日プロパガンダ」に利用しているのが、例えば、コイツになります。


☆福島瑞穂「第2次安倍内閣以降、諸外国の援助が54兆円はあまりに膨大!」→ 安倍総理「極めて誤解を招く。54兆ではなく…」
そして、その所属政党の党首が、これ。


☆社民党新党首に又市征治が無投票で決まる~ネットの反応「議員宿舎にデリヘル嬢連れ込んでた又市ね」「地元の高校の生徒会長が誰になったか、よりもニュースの価値が低い」
ということで、本日はここまでとさせて頂きますが、いよいよ国会が始まりましたので、、私たちの日本にとって不要な売国奴を一掃するため、頑張ってまいりましょう(笑)


☆【文春砲】社民党・福島瑞穂が「脅迫・傷害」で捜査中の“武闘派労組”を支援していたことが判明…


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うるわしのオテロ * by すすむA
イサク.ディーネセンの著作、アフリカの日々に書かれている、同じ名前をみつけました。[うるわしのオテロ]について興味があります。私にとって不思議なサイトですが、カロリーナ.オテロがその人でしょうか。元ネタを教えてください。
Re: うるわしのオテロ * by みっちゃん
すすむAさん、こんばんは^^
ご訪問&コメント有難うございます💛
ところで、「イサク.ディーネセン」って女性であるにもかかわらず、男性の名前(ペンネーム)を使って作品を発表したデンマークの小説家だと思うのですが、その作り話である『アフリカの日々』は映画『愛と哀しみの果て』として公開されてもいますが、そこに登場する“同じ名前”の人物について、「カロリーナ.オテロがその人でしょうか。元ネタを教えてください。」と仰られているのでしょうか?
つまり、実在した人物と、単なる小説の登場人物と、同じなのかどうかということをご質問なされていらっしゃるのだと解釈いたしますが、イサク.ディーネセンには興味が湧かないものですから、ご自身でお調べいただく他ございません、という回答になります。ゴメンナサイ💛
ということで、これからも何卒宜しくお願い致しま~す☆彡
ご訪問&コメント有難うございます💛
ところで、「イサク.ディーネセン」って女性であるにもかかわらず、男性の名前(ペンネーム)を使って作品を発表したデンマークの小説家だと思うのですが、その作り話である『アフリカの日々』は映画『愛と哀しみの果て』として公開されてもいますが、そこに登場する“同じ名前”の人物について、「カロリーナ.オテロがその人でしょうか。元ネタを教えてください。」と仰られているのでしょうか?
つまり、実在した人物と、単なる小説の登場人物と、同じなのかどうかということをご質問なされていらっしゃるのだと解釈いたしますが、イサク.ディーネセンには興味が湧かないものですから、ご自身でお調べいただく他ございません、という回答になります。ゴメンナサイ💛
ということで、これからも何卒宜しくお願い致しま~す☆彡