2018-01-19 (Fri)

『日本略史 素戔嗚尊』月岡芳年
スサノオ(スサノオノミコト、歴史的仮名遣:スサノヲ)は、日本神話に登場する神である。『日本書紀』では素戔男尊、素戔嗚尊等、『古事記』では建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと、たてはやすさのおのみこと)、須佐乃袁尊、『出雲国風土記』では神須佐能袁命(かむすさのおのみこと)、須佐能乎命などと表記する。
『古事記』の記述によれば、神産みにおいて伊弉諾尊(伊邪那岐命・いざなぎ)が黄泉の国から帰還し、日向の橘の小戸の阿波岐原で禊を行った際、鼻を濯いだ時に産まれたとする(阿波岐原は江田神社のある宮崎市阿波岐原町に比定される)。

江田神社
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 【遊牧騎馬民】の【モンゴル人】にとっては、もともと格闘技である【相撲】は、【軍事訓練の1つ】だった。

モンゴルとは違って、【日本では、相撲は神事の1つ】であったといわれるが、じつは日本でも、その【起源をさかのぼってみると相撲は武術の一種】であったことがわかる。

【日本の相撲の起源は非常に古く】、古墳時代の埴輪(はにわ)や須恵器や土偶にも相撲を取っているらしい描写があるという。【日本における相撲の始祖】として祭られている【野見宿禰(のみのすくね)】の物語は、【『日本書紀』】では、次のように語られている。

垂仁天皇
垂仁(すいにん)天皇七年の旧暦秋七月七日のことである。大和の国の當麻村(たぎまむら)に、當麻蹶速(たぎまのけはや)という者がいた。力が強く武器を使うことも上手で、自分の力を誇り、
「四方に我が力に並ぶ者はいない。何とかして力の強い者に出合い、力比べをしたいものだ」
といっていた。

奈良県葛城市役所當麻庁舎(旧・當麻町役場)
これを、天皇がお聞きになり、まわりの位の高い家来たちに仰せになった。
「朕は、當麻蹶速が、天下の力士(ちからびと)であると聞いたが、これに比べられる者はおらぬのか」
すると家臣の一人が進み出ていうのに、
「臣が聞きましたところでは、【出雲の国】に勇士がおり、【野見宿禰】という名前であるということです。試しにその者を召して、當麻蹶速と対戦させてみてはいかがでしょうか」
垂仁天皇は、その日のうちに、倭直(やまとのあたい)の祖(おや)長尾市(ながをち)を遣わして、野見宿禰を召し出した。こうして、野見宿禰は出雲からやってきた。

野見宿禰(菊池容斎『前賢故実』より)
『日本書紀』は、當麻蹶速と野見宿禰に【「捔力(すまひ)」】を取らせたと伝えている。そして、取り組みはこのように描写されている。
「二人相対して立ち、おのおの足を挙げて相蹶(ふ)む」

当麻蹴速と角力を取る野見宿禰(月岡芳年『芳年武者无類』より)
この戦いで、「野見宿禰は當麻蹶速の脇骨を蹶んで折り、またその腰も蹶んだ折って殺した」ということである。つまり、【宿禰が蹶速を、蹴り技によって、脇骨と腰を折って殺した】のであった。これからわかるように、【日本においても、モンゴルと同様、相撲の起源は、武術の一種であった】ことは明らかである。
『日本書紀』にはその他にも、相撲についての面白い物語がある。
雄略天皇十三年秋九月のことである。石を土台にして、斧で材木を加工する技に長けた韋那部眞根(いなべのまね)という工匠がいた。雄略天皇がそこにお出でになって、
「これまで誤って石に刃を当てて傷つけたことはないのか」
と下問された。

猪狩りをする雄略天皇(安達吟光画)
韋那部眞根はそれに答えて、「一度もありません」と返答した。ところが、その態度が傲慢だったので、雄略天皇は眞根をこらしめようとして、【二人の采女(うねめ)に命じて、衣を脱がせ、下帯だけを付けさせて、人の見ているところで相撲を取らせた】。

采女装束
眞根はつい顔をあげてこれを見ながら削ったために、うっかりして刃に傷をつけてしまった。天皇は、自分に失敗はないと大言した責任を問うて彼を殺そうとしたが、同僚の工匠がその才能を惜しんで歌を詠んだので、天皇も殺すのを止めて許した、ということである。これが、【記録に出てくる最古の女相撲】ということになろうか。』

いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、私たち日本人が知っているようで、実はまったく知らない「モンゴル」について、非常に幅広く、日本とモンゴルとの文化の違いや、モンゴルの歴史について、とても分かりやすい文章で解説がなされている良書です。このモンゴルについての認識を正しく持つことができれば、満州人、朝鮮人、支那人、チベット人、ウイグル人などについても知ることができて、現在の中国共産党が唱える「中国人」なるものが「虚構」であるということが明白になります。

さて、本文中に、日本の相撲の起源、相撲の始祖として祭られている野見宿禰(のみのすくね)のお話が書かれていましたが、もっと古くから語り継がれているのが、『古事記』に描かれている国譲り物語の建御雷神(タケミカヅチ)と建御名方神(タケミナカタ)が勝負したお話です。
詳しくはこちらをご参照❤
↓
☆横綱の「綱」ってなに? ~ お相撲の起源

『 『古事記』や『日本書紀』に描かれる神話の世界からも、関東は対象外の地域であったと思われてきたのではないでしょうか。
ところが、『古事記』『日本書紀』で大きなウェイトを占める出雲神話のなかでも、ことに重要な「国譲りの神話」に東国が関わっています。
大陸から入ってきた新しい弥生文化が西日本に発展してくると、従来の縄文文化が高度に発達していた東国とのあいだにせめぎ合いが起こったということが、国譲りの神話から読みとることができるのです。
神話で高天原(たかまがはら)系の天津神(あまつかみ)と葦原中津国(あしはらのなかつのくに)系国津神(くにつかみ)との対立として描かれているのは、そのまま大和系と出雲系との対立と置き換えられます。それは同時に、東国の縄文系と西国の弥生系との対立に置き換えられると提案したいと思います。
国譲りの神話は、高天原のアマテラスオオミカミ(天照大神)が葦原中津国(地上の国)を治めていたオオクニヌシノミコト(大国主命)に迫って、話し合いで葦原中津国の支配権を譲らせた顛末を語ったものです。
アマテラスが最初に高天原から出雲に遣わした二神は、オオクニヌシに従って帰ってこなくなってしまったので、改めてタケミカヅチノカミ(武甕槌神)とフツヌシノカミ(経津主神)という二神が送られます(『日本書紀』による。『古事記』では、タケミカヅチとともに派遣されるのは、フツヌシではなく乗り物のアメノトリフネノカミ=天鳥船神となっています)。
二神は出雲の伊耶佐(いざさ)の小浜(稲佐の浜)に降り立ち、タケミカヅチが十拳剣(とつかのつるぎ)を逆さに立てて国を譲るよう迫ると、「自分の一存では決められない」とオオクニヌシは息子のコトシロヌシノミコト(事代主命)に判断を委ねます。コトシロヌシが国譲りに同意すると、もう一人の息子タケミナカタノカミ(建御名方神)にも聞くようにとオオクニヌシは言います。
タケミナカタは、「力比べで決めよう」とタケミカヅチに勝負を挑みますが(これが相撲の起源とされています)、タケミカヅチの圧倒的な力に恐れをなして逃げ出し、信濃の諏訪湖まで追い詰められます。そこで、タケミナカタはその地から外へは出ないことを約束して国譲りに同意し、諏訪の神として祀られることになるのです。
二人の息子が国譲りに同意したのを知ったオオクニヌシは、ついに国譲りを受け入れます。代わりに天津国の御子が住む宮殿と同じくらい広大な住居を、地底の岩盤に柱を太く立て、高天原にも届くくらい立派に建てるよう望みます。高天原はオオクニヌシの願い通りに大きな神殿を建て、それがいまの出雲大社となっているのです。こうして出雲は天津神の治める地となり、国家統一の基盤ができあがったわけです。
ここではつまり、出雲系が大和系に国を譲ったということが物語られています。そして、このとき中心的な役割を果たしたタケミカヅチとフツヌシが、まさに鹿島神宮と香取神宮の祭神なのです。どちらも武神、剣の神として崇められています。』
詳しくはこちらをご参照❤
↓

このように、天照大神(あまてらすおおみかみ)の時代から、すでに「相撲」が存在していたわけです。

ところで、本書でもモンゴルの「相撲」のお話が出てきています。私たちの日本の「相撲」とは無関係なのでしょうか?

出雲の国譲りのお話は、大国主命(おおくにぬしのみこと)らが収める出雲という広大な強国を、天照大神(あまてらすおおみかみ)らの高天原(たかまがはら)系の天津神(あまつかみ)の支配下に収めるというお話です。

それでは、大国主命(おおくにぬしのみこと)とは、誰なのでしょうか?

大国主命(おおくにぬしのみこと)は、恐らく「外国人」と考えられており、もとの名前が大己貴命(オオナムヂノミコト)です。「因幡の白兎」のお話で有名ですね❤
その彼が、結婚をしたのが、建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)の末子である須勢理毘売命(スセリヒメノミコト)です。
昨日ご紹介させて頂きましたように、モンゴルには「末子相続という伝統」があります。そして、出雲も、実は、末子相続の国でした。
詳しくはこちらをご参照❤
↓
☆幕末・明治の日本を動かした長州と日本神話との関わり

恐らく、建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)は高天原を追放された後、大陸へと渡って行ったと考えられます。
「因幡の白兎」のお話の中には、「ワニ」が登場しています。
私たちの日本にも、オリジナルの「ワニ」、豊玉姫の名前を冠したToyotamaphimeia machikanensis (トヨタマヒメイア・マチカネンシス)が存在していたのですが、これが中華皇帝さまがシンボルとしている「竜」の起源となります。

大阪大学総合学術博物館に展示されているマチカネワニのレプリカ。
詳しくはこちらをご参照❤
↓
☆中国の皇帝のシンボルとされる「竜」は、日本に生息していた「ワニ」です

そして、その大陸から、大国主命(おおくにぬしのみこと)と須勢理毘売命(スセリヒメノミコト)は、日本列島にある出雲へと戻ってきたと考えられます。
ですので、相当古くから、狩猟採集民族であった縄文時代の日本人が、大陸へと渡り、繋がりがあったと考えるのが自然だと思います。
でなければ、2万年以前のものである北海道南部沿岸の湯の里4遺跡にある「日本最古の墓」の中にあった、「バイカル湖」原産の石を使った副葬品が存在していることの説明がつかないんです。
ちなみに、バイカル湖は、中華人民共和国からは遠く離れた、モンゴルのすぐ北に存在する湖です。

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