2018-01-18 (Thu)

遊牧民(ゆうぼくみん)あるいは遊牧民族(ゆうぼくみんぞく)は、人類の生活類型の二大区分である移動型と定住型のうちの移動型の牧畜(遊牧)を生業とする人々や民族を指す。
遊牧民の存在は人類の歴史に大きく影響を与えてきた。特にユーラシア大陸の歴史においては、西アジアで牧畜の場を定住集落から離れて拡大する集団、すなわち遊牧民が誕生したことと、中央ユーラシアで遊牧民が騎馬技術を獲得したことの2つは、歴史の流れを大きく変えたと言える。
農耕民に比べて人口がはるかに少ないにも関わらず、生まれながらの騎兵である遊牧民は古代から中世にかけて強大な軍事力を誇った。特にモンゴル帝国は太祖チンギス・カンが没した時点でユーラシア大陸の大半を版図におさめるという、空前絶後の大帝国であった。
世界史上、もっとも大きな影響を及ぼした遊牧民は、北アジアのモンゴル高原から中央アジア、イラン高原、アゼルバイジャン、カフカス、キプチャク草原、アナトリアを経て東ヨーロッパのバルカン半島まで至るY字の帯状に広がるステップ地帯にあった騎馬遊牧民たちである。彼らは、匈奴、サカ、スキタイの時代から、パルティア、鮮卑、突厥、ウイグル、セルジューク朝、モンゴル帝国などを経て近代に至るまでユーラシア大陸全域の歴史に関わり、遊牧生活によって涵養された馬の育成技術と騎射の技術と卓越した移動力と騎兵戦術に裏打ちされた軍事力で歴史を動かしてきた。中世以降は軽装騎兵が騎射で敵軍を混乱させ、重装騎兵が接近戦で敵軍を打ち破る戦法が用いられた。

戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 2017年11月14日、大相撲九州場所が開催されたばかりのタイミングで、スポーツ紙のスクープにより、横綱日馬富士が、同じモンゴル人力士、平幕の貴ノ岩に飲み会の席で暴行を働いた事件が発覚した。日馬富士はその当日の三日目から休場、【マスコミ】は例によって【「横綱の品格」を問題にし、「暴力は許せない」の大合唱】になった。

初めは現役続行に意欲を見せていた日馬富士だったが、結局…不祥事の責任を取る形で引退を表明…日本国籍を取得して親方として相撲協会に残る夢を断念したのだ。…
暴行があったという席には、日馬富士のほかに白鵬、鶴竜のモンゴル人三横綱がそろっていたため、その後の【週刊誌報道】では、【モンゴル力士に対する批判が過熱する一方だった】。…これまでとは【手のひらを返したような悪口雑言が噴出】したのには驚いた。日本の国技である相撲をモンゴル人にのっとられたのがけしからん、というように聞こえる。

少し古い話になるが、【野球賭博が発覚】して相撲協会が大ゆれにゆれた2010年、7月の名古屋場所直前の【謝罪記者会見】では、【横綱白鵬が力士の代表として…頭を下げた】。

これを見たとき私は、【何も悪くないモンゴル人に全責任を押しつけて、日本人の代表としてみんなの前で謝らせて、なさけないなあと、あきれた】ものだ。【それがいまでは、日本の大相撲の横綱として品格が問われると書かれる】。白鵬がわが物顔に振る舞っているとしたなら、すべてそうなってしまった原因は彼のほうではなく、【日本の相撲協会のほうにある】のではないか、と私は門外漢ながら思うのである。

貴ノ岩の師匠である貴乃花親方と相撲協会執行部との確執が、今回の事件の背景にあるという報道もある。貴乃花親方が「モンゴル互助会」が大嫌いなのだそうだ。

このあと【モンゴルの文化】について本書で詳しく述べるが、【モンゴルにはもともと、仲間をつくってつるむというような習慣はない】。【モンゴル人】は日本人にくらべたら【はるかに個人主義であり、実力主義である】。貴乃花の好きな【「ガチンコ」は、本来モンゴル人の特質】だったのではないかと思う。

それなのに、日本の相撲界でモンゴル力士の互助会が存在するとしたら、それは、日本社会が彼らモンゴル人の文化をそのままフランクに受け入れないから、閉鎖的な日本社会に対抗するため、やむを得ずまとまる必要があったからではないかと私には思える。…
だから、モンゴル人力士が日本の伝統を守らないと腹を立てている人も含めて、この機会に、日本人に【モンゴルの環境や文化や歴史】について、さらに【日本との関係】についても知ってもらいたいと思うのだ。そういうわけで、本書の構成は次のようにした。

第一章では、【モンゴル相撲と日本相撲の違い】や、【草原の遊牧文化と日本の農耕文化の違い】を説明する。【モンゴル】は【長幼の序がないだけでなく、末子相続という伝統を持つ】。
第二章では、朝青龍と白鵬の【母親が国立大学卒】なのに、【父親はレスラーや運転手】であるのはなぜかという理由を述べる。かつて【遊牧民の女は結婚の際に親から家をもらったので、家は女のもの】だった。…
第三章では、チンギス・ハーンの【モンゴル帝国】が、その後【どのような歴史をたどっていまのモンゴル国になったのか】をわかりやすく解説する。…
第四章では、日本人が「モンゴル」と聞いて思い浮かべる「チンギス・ハーンは源義経」伝説の誕生の経緯や、【「モンゴロイド」と「蒙古斑」】のことなどを説明し、モンゴルの外交の巧みさや、日本とモンゴルの今後の関係について述べる。』

いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、私たち日本人が知っているようで、実はまったく知らない「モンゴル」について、非常に幅広く、日本とモンゴルとの文化の違いや、モンゴルの歴史について、とても分かりやすい文章で解説がなされている良書です。このモンゴルについての認識を正しく持つことができれば、満州人、朝鮮人、支那人、チベット人、ウイグル人などについても知ることができて、現在の中国共産党が唱える「中国人」なるものが「虚構」であるということが明白になります。

さて、先日のところで、受験用の「お勉強」で丸暗記させられる類の歴史教育から抜け出して、本当に実社会で役に立つ「歴史観」を掴んで頂くために、とても役に立つ年代ごとの変遷が辿れる簡易世界地図(⇒☆ワールド・ヒストリカル・アトラス(古代から現在までの国の移り変わりを表現した歴史地図))を使って、もっとも遡れる世界地図である6000年ほど前の、紀元前4000年ごろのものから確認し、紀元前500年頃、もっとも大きかった国が「アケメネス朝ペルシア」であったことや、

紀元前500年頃の世界地図
イエス生誕の頃の世界地図では、それまでとは様相が一変していることを確認してきました。

紀元1年頃の世界地図
詳しくはこちらをご参照❤
↓
☆ドイツ語」と「フランス語」が混じってできたのが「英語」なんです

そして、そのときに、受験用の「お勉強」で丸暗記させられる類の歴史教育では、ユーラシア大陸にある東の「ローマ」と西の「漢(前漢)」だけを中心として、それを「世界史」として覚えてしまいがちですが、大陸の両端にあった国よりも中央や北方にあった国々の方が学ばなければならないことが、実は多く、何故ならば、東西文化の交流の担い手だったから、ということを書かせて頂きました。
ここで、もう一度、下の世界地図をご覧ください。

紀元1年頃の世界地図
東の「ローマ」と西の「漢(前漢)」との間に、たくさんの国がありますが、それらの国々を経由して交易が行われていたからこそ、東西文化が交流していったわけです。
そして、重要なのが、支那の「漢(前漢)」よりも上方に位置している遊牧民の存在です。支那よりも強国であったのが、以後も数多く登場してくる北方の遊牧民で、たびたび支那を支配したのも北方の遊牧民でした。

それを確かめるために、紀元50年ごろの様子を見てみますと、こんな感じになります。

紀元50年頃の世界地図
遊牧民の匈奴が西に追いやられ、別の遊牧民である鮮卑が支那の上方を支配しています。
さらに時代を進めて、支那の「漢(後漢)」が滅亡し、やがてお馴染の「三国志」の時代に突入していくようになるのですが、紀元200年頃を示してみますと、こんな感じになります。

紀元200年頃の世界地図
そして、このあと、いわゆる五胡十六国時代(ごこじゅうろっこくじだい)へと向かいます。
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 五胡十六国時代(ごこじゅうろっこくじだい)は、304年の漢(前趙)の興起から、439年の北魏による華北統一までを指す。
五胡とは匈奴・鮮卑・羯・氐・羌の五つのことである。
匈奴(遊牧民族)は前趙、夏、北涼を、
鮮卑(遊牧騎馬民族)は前燕、後燕、南燕、南涼、西秦を、
羯(けつ/匈奴の別部族?)は後趙を、
氐(てい/チベット系説が有力。遊牧民)は成漢、前秦、後涼を、
羌(きょう/現在のチャン族。農耕牧畜民)は後秦を、
漢族が前涼、冉魏、西涼、北燕をそれぞれ建てた。」

『 中国史では漢末から隋の再統一に至るまでの約四〇〇年間は、天下大乱の時代といわれる…その魏晋南北朝の時代は…北の夷狄(いてき)である胡人にとっても南の漢人・越人にとっても、もっともダイナミックな大移民、大植民の時代であった。
漢末からの流れを追って説明しよう。漢末に天下が崩壊した要因として知られるのが「黄巾の乱」(一八四年)である…漢帝国は四〇〇年かかって北は長城、南は長江までしか実質的には漢化(支那人による植民地化)できなかった。それも中華文明の限界だった。
漢帝国が崩壊してから漢の原郷すなわち「中国」が五胡の植民地となり、漢の遺民が江南に追われて新しい植民地を開拓した。そこからまた約四〇〇年かかって、隋の煬帝が開削した大運河が南方植民地の食糧を北へ運び、唐以後の北方中国の生存土台を支えたのである。
北方移民(僑民)を入植させるために、はじめ仮寓の地という意味で僑州、僑郡、僑県を設置し、さらにこれを定住させたのを「土断(どだん)」という。当時南朝の政治、軍事、文化各方面は主に北方移民に独占され、百越の民を支配していた。
六朝時代約四〇〇年の間、中華世界の民族大移動とは、北方夷狄による「中国」の植民地化と「中国」からの亡命政権による百越の地の植民地化である。この大移動の原動力は夷狄の遊牧民と中原の流民であった。』
詳しくはこちらをご参照❤
↓

ちなみに、現代の支那人が自分たちの祖先と考えている「漢人」「漢民族」と呼ばれるものは、「漢字」という文字をコミュニケーション手段として用いた多民族の集合体を指す言葉であって、人種的には「単なる雑種」にしか過ぎません。それが、北方の夷狄(いてき)に、本来の居住地である「中原」から追いやられて、南方へと移住していくというのが、この当時の正しい歴史になります。


紀元400年頃の世界地図
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