2018-01-15 (Mon)

ラパッロ(イタリア語: Rapallo)は、イタリア共和国リグーリア州ジェノヴァ県にある、人口約3万人の基礎自治体(コムーネ)。
この街は、第一次世界大戦後に結ばれた2つのラパッロ条約(1920年と1922年)の調印地として国際的に有名である。
ラパッロ条約(ラパッロじょうやく、ドイツ語:Vertrag von Rapallo、露: Рапалльский договор)は、1922年4月16日イタリアのラパッロにおいてブレスト=リトフスク条約と第一次世界大戦にもとづく領土及び金銭に関する主張を互いに放棄した上でドイツ(ヴァイマル共和政)とソビエト・ロシアとの間で成立した条約である。両国政府は両国間の外交関係を正常化し、「相互親善の精神により両国の経済的必要を解決するため協力する」ことにも同意した。ラパロ条約とも表記される。
また、ソビエト領内でのドイツ軍の軍事訓練を認める秘密の付属条項が7月29日に調印されたが、これはヴェルサイユ条約の条項に違反することであった。
この条約は第一次世界大戦とロシア革命から続いていた両国の外交的孤立を終らせた。 両国ともヴェルサイユ条約のためにかなりの領域と政治的影響力を失ったことから、ラパロ条約は西側に対して反ヴェルサイユ連合を形成することを意図していた。西側には両国政府の国際的な立場を強化するものとして不安なことと受取られた。
この独ソ両国の連携は、1933年にドイツで反共産主義を掲げるアドルフ・ヒトラー政権が成立するまで続いた。
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 【ヴェルサイユ会議】は、英国からはどう見えるでしょうか。

英独両陣営とも、大戦は早期決着するだろうと甘く考えていました。こういうときは、意外に長引くものなのです。結果、4年にわたる長期戦となりました。【大戦当初、英国はいつもの通り債権国】でした。【フランスそのほかに戦費を貸し付けている立場】でした。
![1913年末の海外投資残高 (昭和59年度年次経済報告[経済白書]より)](https://blog-imgs-118.fc2.com/o/y/a/oyakochoco/201801121805502eb.gif)
1913年末の海外投資残高 (昭和59年度年次経済報告[経済白書]より)
ところが、戦費は拡大し自分も【アメリカから借金する立場】になります。【アメリカの参戦など実はあまり大した意味がなかった】のですが、【経済面での貢献が決定的】だったので、【戦後に発言権が上がる】のです。【米国は英仏に対する債権国になった】のです。

そして、英仏ともに民主国ですから、政治家は選挙に勝たねばなりません。前に【「戦争は民主主義を促進する」】と書きましたが、同時に【「民主主義は戦争を残虐にする」】のです。

第一次世界大戦は交戦した双方で「家族の誰かが死んだ戦争」と言われます。だから「あいつらを皆殺しにしろ」というスローガンが広がるのです。【和平や寛大な講和を唱えれば、落選間違いなし】です。…講和条約を指してジョン・メイナード・ケインズ博士は、「こんな過酷な条件では次の大戦が始まってしまう」と述べました。

ジョン・メイナード・ケインズ 1933年
1919年から1939年までを戦間期と呼びますが、ウィンストン・チャーチルの表現では「20年間の休戦期間」にすぎません。

ウィンストン・チャーチル
この時期、オスヴァルト・シュペングラー博士が『西洋の没落』を書いています。

題名の通りで、【英仏】は大国として残ったけれども、【傷ついている】。【ソ連は共産主義という危険極まりない思想を喧伝】しているし【アメリカはわけがわからない】。大戦後、なんともいえない暗い風潮が世界を覆いました。ヨーロッパ全体の沈痛を描いています。

実は、【圧倒的多数のアメリカ人にとって、ウッドロー・ウィルソンの理想主義などついていけない】のです。ウィルソンは国際連盟の創設を唱えましたが、アメリカ議会は否決しています。彼らは【アメリカ大陸に引きこもる道を選びました】。

1920年代、【ソ連は世界中にスパイを放ちます】。【日英も例外ではありません】。【日本】は【学界と論壇】があっというまに【共産主義にかぶれ、ソ連シンパが大量発生】します。

【インテリがかぶれるのは先進国に共通】で、【英国】すら【オックス・ブリッジにスパイが相当数入り込まれました】(現在わかっている史料は明らかに氷山の一角なので、今後の研究が必要です)。当時の英国は政界再編期で、アスキスとロイド・ジョージの対立で自由党が分裂していました。その結果、【労働党が台頭】し、【保守党とともに二大政党制の一角】に食い込みます。
対外政策では、広がりすぎた帝国の維持に、難渋します。

イギリス 植民地 イギリス帝国統治下の経験を有する国・地域。現在のイギリスの海外領土は赤い下線が引いてある。
【英国が警戒しなければならないのは、次の3つ】でした。

第一は、【ドイツの復活】です。ヴェルサイユ条約で軍事小国に叩き落としましたが、【彼らの復讐心と潜在能力は脅威】でした。【現にドイツは、ソ連と組んで再軍備を企んでいました】。

第二は、【ソ連】です。【共産主義】というのは、【「世界中の政府を暴力で転覆して、世界中の金持ちを皆殺しにすれば全人類は幸せになれる」】という、【幼稚極まりない思想】です。

難しい専門用語を使うけれども、要点だけまとめれば【この程度の主張を堂々と宣伝しながら、全世界にスパイを放っている】のです。


しかも、シレッと【ラパロ条約でドイツと同盟】を結んでいます。

独ソの間には、東欧の小国が存在しますから、東西の情勢を様子見している彼ら小国の意見を聞かないわけにはいきません。
第三は、あまり言われないのですが、【アメリカ】です。そもそも【アメリカは独立戦争以来、親仏反英の国】です。一族のなかにはアメリカに移住した者が多くいるとはいえ、【貴族社会ではヤンキーフォビア(ヤンキーのアメリカ人は嫌い)の伝統が健在】です。

何より、【大英帝国の覇権を現実に脅かす能力がある一番手はアメリカ】なのですから、警戒しないわけがありません。そうなると、【遠交近攻】。

【英国にとっては、日本との関係が重要になる】のですが…。』

いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、同じ著者による人気シリーズの1つで、すでにいくつかをご紹介させて頂いておりますが、受験用の「お勉強」で丸暗記させられる類の歴史教育では、決して教えられることが無いことが書かれていたり、数多くの通説といったものが間違っているということが理解できたり、いかに学校教育、それも戦前には無かった「社会科」という授業によって「極端に偏った教育」を受けていたのか気付かされること間違いなしの良書で、中でも、本書は著者の気合いが入っていますので、ぜひご覧くださいませ。

さて、先日のところで、「ロッカートの陰謀(Lockhart Plot)」について書かせて頂いたときに、もし仮に、それが本当であったとしたならば、「なぜ、イギリスは、そんなことをする必要があったのでしょうか?」という宿題を出させて頂きました。
詳しくはこちらをご参照❤
↓
☆男性の方が警戒しなければいけないのは、「マタハラ」ではなく「マタ・ハリ」なんです

「ロッカートの陰謀(Lockhart Plot)」とは、1917年に「マルクス主義」に気触(かぶ)れた左翼ユダヤ人らが中心となって引き起こした、「ユダヤ人革命」と呼ばれた「ロシア革命」の首謀者のひとりで、ボリシェヴィキを率いたテロリストのウラジーミル・レーニンを狙ったイギリスの工作のことになりますが、

ウラジーミル・イリイチ・ウリヤノフ
「ボリシェヴィキ」に財政援助していたのは、ユダヤ人を中心としたアメリカの金融資本で、そのボリシェヴィキを率いたテロリストのウラジーミル・レーニンをロシアに送り込んだのがドイツでした。
詳しくはこちらをご参照❤
↓
☆ウラジーミル・レーニンは、ドイツのスパイである

ここで、本文中に書かれていた、イギリスが警戒しなければならない3つのポイントを考えてみてください。
「ソ連」の指導者は、ボリシェヴィキを率いたテロリストのウラジーミル・レーニンになりました。
「ドイツ」は敗戦しましたが、テロリストのウラジーミル・レーニンをロシアに送り込んだ国です。
そして「アメリカ」ですが、「ボリシェヴィキ」に財政援助していたのは、ユダヤ人を中心としたアメリカの金融資本でした。
第一次世界大戦前に世界中にお金を貸し付けていた「純債権国」のイギリスは、戦後、その地位をアメリカに奪われてしまいます。
![アメリカの対外投資ポジションの推移(1790年~1983年) (昭和59年度年次経済報告[経済白書]より)](https://blog-imgs-118.fc2.com/o/y/a/oyakochoco/201801130555191b1.jpg)
アメリカの対外投資ポジションの推移(1790年~1983年) (昭和59年度年次経済報告[経済白書]より)
ご覧のように、アメリカは第一次世界大戦で「純債権国」となり、さらに第二次世界大戦から1980年頃にかけて急速に拡大させています。
で、その後、一転して減少に転じ、現在のアメリカは世界最大の「純債務国」となってしまっています。
そのアメリカに代わって、「純債権国」の王者として世界に君臨(26年連続)しているのが、私たちの日本になります。

☆16年末の対外純資産は2年ぶり増、349兆円で世界最大

さて、お話を元に戻しまして、当時イギリスの置かれていた状況を考えると、「ソ連」「ドイツ」「アメリカ」とすべて結びつく、テロリストのウラジーミル・レーニンの存在が邪魔であったことは想定できます。もっとも、実際にやったかどうかは別のお話ですが。。。
それでは、本日の最後に、第一次世界大戦当時のアメリカ大統領であったウッドロー・ウィルソンについて確認しておきましょう。

ウッドロー・ウィルソン
この頃の「ソ連」と「アメリカ」が、どのような関係にあったのかは、残念ながら学校の授業では教えられてはいません。だから、正しい歴史がわからなくなるわけなんですが。
ウッドロー・ウィルソンは、「ロシア革命」、そして「ソ連」をどのように見ていたのでしょうか?

『 ロシア革命を礼賛したアメリカ人の筆頭は、なんとあのウィルソン大統領でした。ウィルソンは、ロシア革命を称えて「素晴らしい民主主義国が誕生した」と慶賀しました。ウィルソンは1917年4月にドイツに宣戦布告したスピーチにおいて、ロシア革命(この段階ではアレクサンドル・ケレンスキーのメンシェヴィキ革命)に触れ、次のように称賛しました。
「過去数週間にわたってロシアで起こっている素晴らしくまた元気づけられる事件によって、未来の世界平和に対する我々の願いが保証されることになった。ここに、信義を重んずる同盟にふさわしい相手がある」
さらに、後に権力を奪取したレーニンのボルシェヴィキ体制を救うためにエリフ・ルート元国務長官をロシアに派遣して1億ドルの援助を行いました(ユースタス・マリンズ『民間が所有する中央銀行』秀麗社)。…
このように手放しでロシアを称賛するに当たって、理想主義の政治学者であったウィルソンが、血の粛清が行われていたロシアの現状を十分に把握していたかには疑問が残ります。
大統領ですから、世界情勢の様々な情報がもたらされることは間違いないでしょうが、問題は「誰が情報を整理してウィルソン大統領に伝えたか」です。当時、大統領へ上げる諸情報を管理していたのは、側近のエドワード・マンデル・ハウス大佐(1858~1938年)です。ハウス大佐がウィルソンにロシアの状況について説明していたということです。
ハウス大佐は誰もが認めるウィルソン大統領の側近ナンバーワンでした。ウィルソンは「ハウス大佐は私の分身である」とまで言い、ホワイトハウスの一室に執務室を与えるほどでした。
ところで、ハウス大佐とは何者なのでしょうか。彼を理解することが、ウィルソン大統領の対外政策を理解することになります。』

エドワード・マンデル・ハウス
詳しくはこちらをご参照❤
↓
☆アメリカの大統領選挙を「ドラえもん」で考えてみる!

『 ハウス大佐の来歴は不明な部分が少なくありません。ハウスの父親はイギリスからの移住者で、テキサス州で綿花栽培を行っていました。その後、ロンドンのロスチャイルド家の代理人として金融業にも携わるようになりました。かくして、息子のハウスもロスチャイルド家との関係ができたのです。
ハウス大佐はテキサス州のオースチンで、州や地方の選挙関連の仕事に従事していましたが、軍歴があったかどうかについては疑問視されています。ハウスはテキサス州知事の助言者として活動していました…
ハウス大佐は自ら表舞台に出るのではなく、有能な人物を通じて、あるいはその陰に隠れて何らかの政治工作をするのに長(た)けていた…
それと同時に、ウィルソン大統領のほうでも、“ハウス大佐を通じて”伝えられる自分を大統領に就かせてくれた勢力の意向に従って、具体的政策を行わなければならなかったのです。 このようなキングメーカーと大統領との関係が、フランクリン・ルーズベルト大統領の時代や、第二次世界大戦後においても基本的に継続していることに注意を払う必要があります。ハウス大佐は、キングメーカーと大統領との間の忠実な“橋渡し役”を演じていたのです。
もう一つ重要な点は、ハウス大佐は「社会主義者」であったということです。ハウス大佐は政治小説『統治者フィリップ・ドゥルー』を書きましたが、この小説は社会主義社会の姿を描いています。 ハウス大佐は小説が趣味で書いたのではありません。この小説の内容は将来のアメリカ政府がとるべき政策の詳細な計画であって、「累進所得税」「失業保険」「社会保障」「弾力的な通貨制度の導入」などが予言されていました。ハウス自信によれば、この計画は「カール・マルクスによって描かれた社会主義の実現を目指したもの」だったのです(ユースタス・マリンズ)。

この小説に書かれた内容が、ウィルソン政権とルーズベルト政権によってとられることになる政策の下敷きとなりました。この本にある弾力的な通貨制度は、後に「連邦準備制度」という民間銀行家が株主となる「アメリカ中央銀行」となって結実します。
ハウス大佐はこの小説の中で、「当時の資本主義社会が非効率であり、機会不平等の結果、富める少数者と貧しい多数者の間に広範な格差が存在している」と指摘するとともに、「傑出した独裁者が出現して急進的な社会主義社会を建設する」とのシナリオを書いているのです。これこそ、資本主義を否定し、独裁者による理想社会の現出を唱える「マルクス主義イデオロギー」そのものでしょう。そのようなハウス大佐はアメリカの金融勢力を代表する、「シフ家」「ウォーバーグ家」「カーン家」「ロックフェラー家」「モルガン家」の信頼を受けていました。やはり、ハウスはホワイトハウスと国際金融家たちとの仲介役だったのです。
社会主義者の一番の特徴は、「国際主義者」であるということです。国際主義とは「国家の上に彼らの言う“普遍的価値”を置くイデオロギー」です。したがって、国家を軽視、ないし無視する傾向が強くあります。私たちは誤解しがちですが、大資本家は社会主義者なのです。
なぜなら、大資本家(特に「国際金融資本家」)は国家意識というものがありません。国際金融の論理の必然として、大資本家は自らの国境を越えるというビジネスに対する国家の介入を極端に嫌うのです。連邦準備制度の下に作られた「連邦準備銀行」の株主は、欧米の国際金融資本家たちでした。

ポール・ウォーバーグ
連邦準備制度設立の立役者ポール・ウォーバーグ(1868~1932年)はドイツ系ユダヤ人の移民で、ハウス大佐と昵懇(じっこん)の間柄でした。ウォーバーグのワシントンの代理人がハウスだったのです。
当然、ウィルソン大統領はハウス大佐を通じてウォーバーグの助言を受けていました。連邦準備制度設立の関係者は、すべて国際主義者、すなわち社会主義者でした。ウィルソン大統領は社会主義者に囲まれていたのです。』
詳しくはこちらをご参照❤
↓
☆メディアがトランプ叩きをする理由 ~ ビルダーバーグ会議

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