2018-01-14 (Sun)

『漁夫とセイレーン』 フレデリック・レイトン 1856-1858年
セイレーンは、ギリシア神話に登場する海の怪物である。上半身が人間の女性で、下半身は鳥の姿とされるが後世には魚の姿をしているとされた。海の航路上の岩礁から美しい歌声で航行中の人を惑わし、遭難や難破に遭わせる。歌声に魅惑されて挙げ句セイレーンに喰い殺された船人たちの骨は、島に山をなしたという。
その名の語源は「紐で縛る」、「干上がる」という意味の Seirazein ではないかという説が有力である。

『オデュッセウスとセイレーンたち』 ハーバード・ジェイムズ・ドレイパー 1909年

『セイレーン』 シャルル・ランデル 1879年
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 【文明国の通義】とは、【大英帝国】が世界に広めて押し付けた【グローバルスタンダード】です。

今のグローバルスタンダードが、アメリカが世界に押し付けようとしている【自分たちの基準にすぎない】ように、いつの時代でもグローバルスタンダードとは、【一番強い国がほかの国に価値観を押し付けること】です。

歴史上、【地球規模に1つの価値観を広めたのは2回しかありません】。

1つが今のアメリカ。これは世界中から反発を食らっています。もう1つが英国を中心とするヨーロッパ。18世紀から19世紀にかけてヨーロッパが世界の大国の座を占めるようになって以降、彼らは【「文明」を地球規模で押し付けてきました】。彼らが説く【「文明」の基準を満たさなければ、容赦なく征服され、植民地になりました】。

世界の植民地化の流れ
【大英帝国】の場合、【植民地の種類には2つ】あります。

1つはインドのような【公式の植民地】です。これは誰の眼にもわかります。もう1つが、【属国】です。

たとえば、【ポルトガル】は形式的には主権国家で植民地まで持っていましたが、【メシュエン条約】以降は【英国に搾取されていました】。

条約の調印に大きな役割を果たしたジョン・メシュエンの肖像画
また、【タイ】は日本とともに独立を守ったアジアの国と言われていますが、実際には領土の切り売りで主権国家の体裁を守っていただけで、【中身は大英帝国の属国】です。

そのころの実情を描いた、タイの国王と英国人女性家庭教師の交流を描いたコメディ映画【『王様と私』】は、【タイでは不敬罪として上映禁止】です。

これら【ポルトガルやタイなどのケースを「非公式帝国」と呼びます】。

【英国は日本を非公式帝国に組み込もうとしました】。彼らの意識には、【チャイニーズやコリアンを支配する中間管理職として日本を選んだ】ということでしょうが、
【日本はイギリス人がなめてかかったような甘い相手ではなかった】ということです。

【西太平洋から東アジア】にかけて、日露戦争に勝った【日本に単独でモノを言える国など存在しなくなった】のです。

大日本帝国 最大行政統治・軍事勢力圏
日本がこのグローバル化の波にどう立ち向かったのかは、…一言でまとめると、【「日本は、ヨーロッパ人がつくったルールを、ヨーロッパ人以上に守り、使いこなした」】となります。

前著『嘘だらけの日露近現代史』で、「【アメリカや中国、ダブルコリア】は文明や国際法を【理解できない国】だ。それに対して【ロシア】は文明や国際法を【理解して破る国、破るために熟知している国】だ」と指摘しました。では、ブリテン様はどうか。
詳しくはこちらをご参照❤
↓
☆倉山 満 嘘だらけの日露近現代史

【英国】は国際法を【破り】、それを【正当化】したあげくに、【世界中に認めさせる国】です。…

【「緊急避難」の例が典型】です。

ナポレオン戦争で【デンマークはフランスに降伏】しました。そこで【ロイヤルネイビー】は「デンマーク艦隊がフランス海軍に編入されれば、我が国の脅威になる」という理由で、【コペンハーゲンに乱入、散々荒らしまくったあげく焼き討ちにし、生き残った艦隊を拿捕接収しました】。

『コペンハーゲンの海戦』(ニコラス・ポコック画)
そのときの言い分が、「ギリシャ神話に、海で遭難したときの話がある。海に板切れが1枚、1人分を支える分だけが浮かんでいた。自分が助かるためにほかの1人を突き飛ばし死なせたとして罪になるだろうか」というのです。

これを【「緊急避難」】と名づけ、【この法理は今でも国際法に定着し、我が国の刑法でも導入】されています。

ついでに言うと、第二次大戦で【ウィンストン・チャーチル】は【同じ理由で、ドイツ軍に降伏したフランス艦隊を沈めています】。

イギリス艦隊からの砲火を浴びる戦艦「ブルターニュ」
フランスはもちろん、他国も英国の暴虐を認めてなどいませんが、それなりに説得力を持たせるから、ブリテン様が【「世界一性格が悪い民族」】と呼ばれる所以なのです。その点において誰からも呆れられている今のアメリカとの違いといっていいでしょう。』

いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、同じ著者による人気シリーズの1つで、すでにいくつかをご紹介させて頂いておりますが、受験用の「お勉強」で丸暗記させられる類の歴史教育では、決して教えられることが無いことが書かれていたり、数多くの通説といったものが間違っているということが理解できたり、いかに学校教育、それも戦前には無かった「社会科」という授業によって「極端に偏った教育」を受けていたのか気付かされること間違いなしの良書で、中でも、本書は著者の気合いが入っていますので、ぜひご覧くださいませ。

さて、本日はまず、本文の補足からさせて頂きます。
イギリスの植民地の種類は2つあって、ポルトガルは「イギリスの属国」であったと書かれていましたが、その大本となったのが、1703年に締結された「メシュエン条約」です。
簡単に説明させて頂きますと、この条約はわずか3条からなるヨーロッパ外交史上、最も短い条約となりますが、①ポルトガルはイギリス製織物の輸入を解禁する、②イギリスはポルトガルのワインを輸入する、③2ヶ月以内に批准する、といった内容でした。
当初は、この条約によってメリットを得たのはポルトガルで、やがて「ポートワイン」をはじめとするワインの生産量が急増します。

ところが、その後、南米大陸のブラジルを植民地化していたポルトガルに、ブラジルから大量の「金(GOLD)」が流入、ポルトガル本国にイギリス製織物が独占的に流入したことでポルトガル本国でのマニュファクチュア(工場制手工業)が壊滅、かつポルトガル本国を通してポルトガル植民地に販路が拡大していたため、イギリスへ大量の「金(GOLD)」が流出していくこととなります。

これと同じ構図だったのが、かつては清と言う国が存在していた支那でした。清からは絹(シルク)や茶を輸出していたのですが、アヘンを輸入する代わりに大量の「銀(SILVER)」が流出していくこととなります。

ですので、清はイギリスの代表的な非公式帝国の1つとされています。つまり、「属国」です❤

続いて、「緊急避難」ですが、これを英語では「Necessity」と言います。要するに、「止むを得ず」ということになります。
私たち日本も、北朝鮮の脅威に対して、この「Necessity」の考え方で対処すればよいと思います。
もちろん、すでに予定されていると考えられる、アメリカの北朝鮮攻撃も、この「Necessity」の考え方による処置ですから、何ら問題が無いんです❤

また、ギリシャ神話云々のイギリス言い分とも書かれていましたが、これは古代ギリシャの哲学者カルネアデス(紀元前214年~紀元前129年)による「カルネアデスの板」という問題のことになります。
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 カルネアデスの板(カルネアデスのいた、Plank of Carneades)は、古代ギリシアの哲学者、カルネアデスが出したといわれる問題。カルネアデスの舟板(カルネアデスのふないた)ともいう。
舞台は紀元前2世紀のギリシア。一隻の船が難破し、乗組員は全員海に投げ出された。一人の男が命からがら、壊れた船の板切れにすがりついた。するとそこへもう一人、同じ板につかまろうとする者が現れた。しかし、二人がつかまれば板そのものが沈んでしまうと考えた男は、後から来た者を突き飛ばして水死させてしまった。その後、救助された男は殺人の罪で裁判にかけられたが、罪に問われなかった。」

カルネアデス
さて、昨日御紹介させて頂きました本文のところで、「史上最強最大の帝国だった大英帝国」に対して、「敢然と立ち向かい、渡り合い、そして刺し違えた国」、それが「大日本帝国」だったと書かれていました。
幕末の開国から明治維新にかけての時代に、当時の鎖国体制にあった日本に、ある意味で「風穴を開けたのがアメリカ」でしたが、新政府が「お手本」としたのは、「アメリカではなくもっぱらヨーロッパ」でした。

『 憲法に限らず、大正末期までの日本では、下手にアメリカをほめると、単に拘束を嫌うだけの「自由主義者」と揶揄されたり、軽薄な人間というレッテルを貼られたりしました。当時の日本の知識人にとって、「西洋」とは、もっぱらヨーロッパ、ドイツ、フランス、イギリスを指していたのです。
とはいえ、アメリカが手をこまねいて見ていたわけではありません。とくに経済戦争では、米英が互いにしのぎを削りあった勢力争いの最前線は日本でした。財閥の銀行の金融資本の系列を、どちらの国の銀行が組み込むかという争いです。
争いの当事者は、アメリカのロックフェラーとイギリスのロスチャイルドでした。この両者がせめぎあっていたために、明治、大正前半までの日本は、結果的にどちらからも自由だったのです。
ところが、大正の終わりからアメリカの力が全般的に強くなって、イギリスが大きく衰退します。そうすると、目ざとくそれを見てとった日本の各界のリーダーたちはいち早くアメリカの模倣へと視線を切り替え、日米関係が濃密なものになっていきました。…日本は急激にアメリカナイズされた国になります。』
『 というわけで、日本は明治以来、ヨーロッパの文化を西洋文化と捉えて模範にしていたのに、第一次世界大戦が終わるころには、急激にアメリカ文化に迎合するようになりました。』
詳しくはこちらをご参照❤
↓
☆モボ・モガは、アメリカの単なる模倣です

御覧のように、「大正の終わり」、厳密に言えば「第一次世界大戦が終わるころ」に大きな変化があった、そして「大正の終わり」には誰の目から見ても明らかに変化していたわけです。

大正時代は、1912年から1926年です。
その時代の大きな出来事が、第一次世界大戦(1914年~1918年)とユダヤ人革命=ロシア革命(1917年)です。
この時代の出来事を、正しく理解せずに、現代を理解することはできない、ということを、まず大前提とし考えて頂く必要があります。歴史は、繋がっているわけですから、一連の流れとして捉えることが必要になってきます。
それでは、何故、イギリス(を中心とするヨーロッパ)からアメリカへと、私たちの日本は「お手本」を変更する必要があったのでしょうか?
あるいは、何がそうさせたのでしょうか?

これは、本日の宿題になります❤
続きは次回に♥
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