2018-01-10 (Wed)

殉職した九軍神とされた将兵
真珠湾攻撃(しんじゅわんこうげき、英: Attack on Pearl Harbor、日本時間1941年(昭和16年)12月8日未明、ハワイ時間12月7日)は、アメリカ合衆国のハワイ準州オアフ島真珠湾にあったアメリカ海軍の太平洋艦隊と基地に対して、日本海軍が行った航空機および潜航艇による攻撃である。当時の日本側呼称はハワイ海戦(布哇海戦)。

炎上する真珠湾上空を飛行する九七式艦上攻撃機

魚雷攻撃を受けるアメリカ戦艦群、日本軍機から撮影

帰投する日本海軍機
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 2017年9月、久しぶりに私は、【ハワイのアリゾナ記念館】を訪問しました。

アリゾナ記念館ビジター・センターの展示の担当者から説明を聞きながら、歴史展示も見学したのですが、目を引いたのは、その入り口に飾られていた1枚の解説板でした。そこには、こう記されていたのです(筆者の私訳)。
『 「迫りくる危機」アジアで対立が起きつつある。旧世界の秩序が変わりつつある。アメリカ合衆国と日本という2つの新興大国が、世界を舞台に主導的役割を取ろうと台頭してくる。【両国とも国益を推進】しようとする。【両国ともに戦争を避けることを望んでいる】。両国が一連の行動をとり、それが真珠湾でぶつかることになる。』

真珠湾攻撃で撃沈されるアリゾナ
真珠湾攻撃は、日米両国がそれぞれの国益を追求した結果起こったものであるとして、【日本を「侵略国」であると決めつけた東京裁判史観を事実上、否定している】のです。

このビジター・センターを管理しているのは歴(れっき)とした【アメリカの政府機関】です。…担当者は「できるだけ【史実に沿って歴史的な事実を描こうとしている】」と説明してくれました。
【日本人が知らないだけ】で、アメリカではさまざまなレベルで、【「真珠湾攻撃=卑劣なだまし討ち」説や東京裁判史観が見直されている】のです。…

このようなアメリカにおける真珠湾攻撃と日米戦争に関する【歴史の見直し】は、【今後ますます進んでいくことになる】でしょう。
というのも、アメリカでは、【「真珠湾攻撃背後にソ連の工作があった」】とする【「新説」が唱えられている】からです。

アメリカで著名な作家である【M・スタントン・エヴァンズ】と安全保障の専門家の【ハーバート・ロマースタイン】が2012年、【『スターリンの秘密工作員』】(『Stalin's Secret Agents:The Subversion of Roosevelt's Government(スターリンの秘密工作員:ルーズヴェルト政権の破壊活動)』Threshold Editions,2012,未邦訳)を刊行し、こう述べたのです(引用者の私訳)。

メッドフォード・タントン・エヴァンズ

ハーバート・ロマースタイン
そのような【ソ連による政治工作】は、ソ連が我々の同盟国であり、反共防護措置が事実上存在しなかった【第二次世界大戦中に最も顕著】であった。これはぞっとするほどタイミングが良かった。【親ソ派】の陰謀が【アメリカの参戦に決定的役割を果たした】のだから、この意味で注目すべきなのは、真珠湾攻撃に先立って【共産主義者と親ソ派が行った複雑な作戦】である。この1941年12月7日の日本軍の奇襲攻撃により、2000人以上のアメリカ人が生命を失い、アメリカは悲惨な戦いを始めることになったのである。(『スターリンの秘密工作員』p.90)

アメリカにおけるこれまでの議論を整理しましょう。
最初は、①「日本軍による卑劣なだまし討ち」、つまり「日本が悪かった」説でした。
次に登場したのが、②「ルーズヴェルト民主党大統領が第二次世界大戦に参加するため、日本の機密暗号を傍受して日本軍の攻撃を知っていたのに、知らないふりをした」とする、「ルーズヴェルト大統領にも責任がある」説です。
その後、日米戦争に至る経緯に関する歴史研究が進み、先に紹介したような③「日米両国はともに国益を追求した結果、戦争になった」説が登場します。
ところが、【アメリカの最新研究】の世界では、④「【ソ連のスターリン】が秘密工作員を使って日米和平交渉を妨害し、日米両国の対立を煽り、【日米戦争へと誘導】した」とする、【「スターリン工作説」】が唱えられるようになってきているのです。…

「スターリンの工作」というのは、けっして、スパイ映画のようなフィクションの話ではありません。後述するように、【アメリカ政府の公文書や当時の関係者による記録や回顧録や書簡】など、【膨大な裏付け】があります。』

いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、「コミンテルン・キラー」と呼ばれる著者の力作です。戦後、私たち日本人が、戦前には無かった「社会科」という授業によって「極端に偏った教育」を受け、その偏った知識をより多く丸暗記した人を「成績優秀」としてしまう教育システムの中で育ってきたせいで、

☆【勝ち目はない】有本香「日本のトップの進学校がこぞって採用している歴史教科書は極めて自虐史観的。こう言う人達が…」
正しい歴史を理解できず、現在の国際情勢でさえキチンと把握できなくなってしまっているわけですが、本書に記載されているように、近年になって次々と判明する事実によって、日米戦争を含む近現代史の「見直し」が行われている状況にあります。ぜひ、御一読なされることをお勧めさせて頂きます。

さて、年初より、繰り返し書かせて頂いておりますように、当ブログの本年最初の標的となっております、


☆【文春砲】社民党・福島瑞穂が「脅迫・傷害」で捜査中の“武闘派労組”を支援していたことが判明…

社民党の福島瑞穂や、

立憲民主党の辻元清美との関係が深い非常にややこしい連中、

いわゆる「新左翼」と呼ばれるテロリスト連中ですが、

この良く分からない「新左翼」と呼ばれるテロリスト連中を、当ブログでは「珍パヨク」とも表現させて頂いておりますが、いったい何なの?ということで、受験用の「お勉強」では、絶対に出てこない「正しい歴史」をご確認いただくために、大東亜戦争、第二次世界大戦で、本当の意味で勝った、「ソ連」の歴史を紐解いているところです。
実は、この「ソ連」という国を正しく知っておくことで、「新左翼」「珍パヨク」と呼ばれるテロリスト連中のことが理解できるようになりますし、もっと言えば、いま世界で起こっていることの大きな流れが把握でき、そして予測をすることができるんです。
ちなみに、ヒントとして申し上げますと、「中華人民共和国」も「北朝鮮」も、「ソ連」という国が生みだした「傀儡(かいらい)国家」でした。


1917年に、当時の知識人の間で「ユダヤ人革命」と呼ばれた、「マルクス主義」に気触(かぶ)れた左翼ユダヤ人らが中心となって引き起こした「ロシア革命」。ボリシェヴィキを率いたテロリストのウラジーミル・レーニンこと、本名・ウラジーミル・イリイチ・ウリヤノフは、ロシア臨時政府を制圧し、ここにロシア革命(「十月革命」(1917年11月7日))が成功します。

ウラジーミル・イリイチ・ウリヤノフ
「ボリシェヴィキ」に財政援助していたのは、ユダヤ人を中心としたアメリカの金融資本で、そのボリシェヴィキを率いたテロリストのウラジーミル・レーニンをロシアに送り込んだのがドイツでした。
詳しくはこちらをご参照❤
↓
☆ウラジーミル・レーニンは、ドイツのスパイである

また、最終的にロシア臨時政府を制圧したのがボリシェヴィキの軍隊・赤衛隊(赤衛軍)ですが、それを組織したのが、メンシェヴィキに属していた、本名、レフ・ダヴィードヴィチ・ブロンシュテイン、よく知られている名前で、レフ・ダヴィードヴィチ・トロツキーと呼ばれる「左翼ユダヤ人」でした。

レフ・ダヴィードヴィチ・トロツキー
さて、その頃、ロシア帝国領であったウクライナでは、政治的中枢機関として設立されていたウクライナ中央ラーダ(またはウクライナ中央議会)は、ロシア臨時政府との協調路線をとることでより広範囲な自治権の保障を得ようと考えていたため、暴力によって臨時政府から権力を奪取したレーニンらのボリシェヴィキを非難し、十月革命を認めず、「ウクライナ人民共和国」の創設を宣言(1917年11月20日)します。初の国家元首が社会主義者のムィハーイロ・フルシェーウシクィイでした。

ムィハーイロ・フルシェーウシクィイ

ウクライナ人民共和国の領域(1922年)
それに対して、レーニンらのソヴィエト政府は、ウクライナ内での赤軍(ソヴィエト軍、ボリシェヴィキ軍)の行動の自由を認めることと引き換えにウクライナ人民共和国を承認するとした「最後通牒」を行います。当然、外国軍の国内での行動の自由は認められるわけがなく、ウクライナ人民共和国はこの要求を拒否、レーニンらのソヴィエト政府はウクライナに対して軍事的侵略を行うことを決定します。

一方、ウクライナ人民共和国に対して、他の国々はどのように対応したのかと言いますと・・・・
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 1917年11月20日、中央ラーダは「ウクライナはロシア共和国とともにロシア連邦を構成する自治共和国である」という「第3次ウニヴェルサール」」(第3次宣言;III Універсал)を発し、ここにウクライナ人民共和国の成立が宣言された。ロシア側に中央ラーダとの協力交渉に当たる政府が十月革命で存在しなくなっていたため、これは事実上の独立宣言というべきものとなった。また、イギリスとフランスは「第3次ウニヴェルサール」を受けてウクライナ人民共和国の独立を承認し、代表団をキエフに送った。この早急なる承認の裏には、ウクライナが単独で独墺と講和条約を結ぶことを危惧したという理由があった。日本をはじめ他の諸外国も、相次いでキエフへ代表団を送り込んだ。
1918年2月9日には、ウクライナ人民共和国とドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、ブルガリア王国、オスマン帝国との間に単独講和条約となるブレスト=リトフスク条約が締結された。なお、この条約により「第4次ウニヴェルサール」で謳われたウクライナ人民共和国の独立が初めて世界に認められたことになった。」
ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、ブルガリア王国、オスマン帝国を「中央同盟国」と呼び、この「中央同盟国」とウクライナ人民共和国との交渉を妨害していたのが「左翼ユダヤ人」のレフ・ダヴィードヴィチ・トロツキーでした。

レフ・ダヴィードヴィチ・トロツキー
1918年2月24日、ドイツ・ウクライナの同盟軍がウクライナ解放を開始、2月27日、オーストリア・ウクライナの同盟軍がウクライナ解放を開始、3月1日、ドイツ・オーストリア・ウクライナの同盟軍がキエフを解放するに至り、3月3日、レーニンらのソヴィエト政府も「中央同盟国」とブレスト=リトフスク条約を結び、この条約により、ロシア共和国が第一次世界大戦から離脱することとなります。
この条約によって、ロシア共和国側は、フィンランド、エストニア、ラトヴィア、リトアニア、ポーランド、ウクライナ及び、トルコとの国境付近のアルダハン、カルス、バトゥミに対するすべての権利を放棄させられ、トルコとの国境地域を除くそれらの地域の大部分は、事実上ドイツ帝国に割譲され、次々と独立国家が誕生していきます。

条約によってロシアがドイツに割譲した地域。ドイツの影響下におかれた地域にとってはこれが国家独立の保障となった。
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 ブレスト=リトフスク条約により旧ロシア帝国領が大きく割譲されたため、条約を受け入れたボリシェヴィキ政府には左右の立場を問わず国内のあらゆる層から非難が向けられ、ボリシェヴィキも分裂の危機にさらされた。
この条約を受諾した直後、レーニンは首都をペテログラードからモスクワに遷都した。トロツキーはこの条約をブルジョワジー、社会革命家、ツァーリの外交官、ケレンスキー、ツェレテリ、チェルノフのような官僚による条約であり、旧体制とプルジョワジーに対するつまらない妥協であると批判した。」
1918年4月29日、ウクライナ人民共和国で政変が起き、社会主義者のムィハーイロ・フルシェーウシクィイが引退に追いやられ、ロシア帝国の貴族であったパウロー・スコロパードシクィイ将軍がヘーチマン(ウクライナ国家の元首の称号)に選出され、中央ラーダは解散、国号もウクライナ国に改められます。

パウロー・スコロパーヅィクィイ
ここまでを見てまいりますと、テロリストのウラジーミル・レーニンをロシアに送り込んだドイツの思惑通りに展開しているということが御理解いただけると思います。

ウラジーミル・イリイチ・ウリヤノフ
そして、1918年8月30日に、「それ」は起こりました。

「レーニン暗殺未遂事件」です。
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
↓
『 1918年8月30日、レーニンが会合での演説を終え自動車に乗ろうとしたとき、3発の銃声と共にレーニンは倒れた。そのうちの2発が彼の肩と肺に命中した。レーニンは自分のアパートへ運ばれ、他の暗殺者の存在を恐れ病院への搬送を拒絶した。医者が呼び出されたが銃弾の摘出は危険すぎたので手術は行われなかった。レーニンの容態はどうにか回復したものの、その健康状態はこのときから傾き始めた模様で、この暗殺未遂による負傷が、死因となった脳梗塞に大きく影響したと考えられている。
なお、この時現場にいたエスエル党員ファーニャ・カプランが逮捕され、即決裁判の後9月4日に処刑されたが、彼女は既に失明同然だったことなどから、犯人は別人だった可能性がある。いずれにしても、この事件はミルバッハ暗殺と合わせて右翼エスエルを弾圧するきっかけになった。

ファーニャ・カプラン
また、「報復」と称して事件とは無関係の512人もの旧貴族や臨時政府の閣僚を含む政治家、軍人が、ただ帝政派であるという理由だけで逮捕、処刑された。』
ちなみに、ファーニャ・カプランも「ユダヤ人」でした。また、この事件の後、ロマノフ朝最後の皇帝であったニコライ2世一家も、レーニンの指示により、その全員が虐殺されています。
詳しくはこちらをご参照❤
↓
☆日本史の最大のタブーって何? ~ 100年前のソ連の人気ツアー 「イパチェフ館 地下2階」

続きは次回に♥
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