2018-01-05 (Fri)

ウラジーミル・イリイチ・レーニン(ロシア語: Влади́мир Ильи́ч Ле́нин、1870年4月22日 – 1924年1月21日)は、ロシアの革命家、政治家。本名はウラジーミル・イリイチ・ウリヤノフ(Влади́мир Ильи́ч Улья́нов)
1870年、ヴォルガ河畔のシンビルスクにて、アストラハン出身の物理学者イリヤ・ニコラエヴィチ・ウリヤノフとドイツ・スウェーデン系ユダヤ人のマリア・アレクサンドロヴナ・ブランクの間に生まれる。
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 しばしば【明治維新】は【世界史の奇跡】と言われますが、本当にこの人がいなければ維新はなしえなかったと思われるのは【二人】です。

一人は、【高杉晋作】。まさに正義派が俗論派の政権により弾圧された時、功山寺決起により長州の藩論を一変させました。あの時、【3000人の敵に一人で立ち向かって勝てると思った人はいません】でした。しかし、この奇跡が無ければ長州など歴史の闇に消えていたでしょう。

高杉晋作
もう一人は、【大久保利通】。長州が第二次長州征伐を撃退したことで【薩長同盟】が実体化しました。しかし、それだけでは、300年続いた徳川は倒せません。【大久保は徹底的に徳川慶喜を排除するまで戦い抜きました】。その戦いは、【苦戦の連続】で、鳥羽伏見に【錦の御旗】が翻るまで徳川慶喜が排除されるなど、誰も想像できませんでした。

志士時代の大久保利通(明治元年頃)
【この二人の一連の行動に関与】したのが、【西郷隆盛】なのは強調しておきましょう。

上は松平春嶽や山内容堂のような政界実力者から、下は坂本龍馬のような政治浪人まで、徳川慶喜を中心に旧い徳川幕府を新しい政府に再編していくのが現実的だと考えていました。確かに、現実的でしょう。しかし、その現実の先には何があるのでしょうか。文久の改革以後の慶喜中心の政局で何が進んだか。強い政府を作り、全国から税金を一斉に中央政府に集め、その金で国家の軍隊を創る。そして外国と張り合っていく。【慶喜がいては無理】です。そうした【未来が、大久保利通には見えていました】。』

いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、「世界史の奇跡と言われる明治維新」と言われる、私たち日本人の偉大な歴史的出来事について、単なる受験用の「お勉強」の知識ではなく、現在を生きる私たち日本人一人ひとりに対する範を示した良き先例として学びなおす必要があることを、あまり語られてこなかった西郷隆盛の逸話も含めて、当時の主人公たちの生き様を浮かび上がらせている良書になります。

さて、ここからは、昨日の続きとなります。
繰り返し取り上げておりますが、昨年末の、こちらのニュース。


☆【文春砲】社民党・福島瑞穂が「脅迫・傷害」で捜査中の“武闘派労組”を支援していたことが判明…

日本のメディアは、ちゃんと報道するのでしょうか?

そういえば、ある国会議員も、こんな風に仰っていましたがw

☆質問「なぜ辻元氏の関西生コン疑惑を追求している議員が足立さん以外誰もいないのでしょうか?」→ 足立議員の答えに反響…
で、社民党の福島瑞穂と密接に結びついているテロリスト、や、

立憲民主党の辻元清美との関係が深い連帯ユニオン関西地区生コン支部など、

それらは、いわゆる「新左翼」と呼ばれるテロリスト連中で、当ブログでは「珍パヨク」とも表現させて頂いておりますが、その「新左翼」「珍パヨク」らが、1960年代の学生運動のさなかに、筆跡で身元が割れないようにと使用していたのが「トロツキストの字」の意である「トロ字」、いわゆる「ゲバ字」と呼ばれるものでした。

詳しくはこちらをご参照❤
↓
☆ゲバ字、知っていますか? ~ 漢字も書けない「パヨク」

ところが、ほとんどの方々にとって、「新左翼」とか「珍パヨク」っていうのが、いったい何なのかを理解し難いわけなんですが、それは受験用の「お勉強」でしか歴史を勉強してこなかったためで、それを分かって頂くために、そのことを一番理解できる、たった一つの質問を書かせて頂きました。
それが、「大東亜戦争、第二次世界大戦で、本当の意味で勝ったのは、どこの国でしょうか?」です。
そして、その答えが、これです。
「戦争で、本当の意味で勝ったのは、ソ連です」

受験用の「お勉強」で丸暗記させられる類の歴史では、何故か、「アメリカ」が戦争に勝ったということになっているんですが(笑)

いまから100年ほど前、1917年に、当時の知識人の間で「ユダヤ人革命」と呼ばれた、最も重要な歴史的な出来事が起こりました。
それが、「共産主義」の実践を通じて、理想とする「社会主義」の国家を目指す、として、「マルクス主義」に気触(かぶ)れた左翼ユダヤ人らが中心となって、ロマノフ王家のロシア帝国を滅ぼし、史上初の「社会主義国家」である「ソ連」を成立させた「ロシア革命」です。
詳しくはこちらをご参照❤
↓
☆100年前の「ハイ・ファイナンス」と現代グローバリズム

当初の革命の中心人物は、もちろんウラジーミル・レーニンこと、本名・ウラジーミル・イリイチ・ウリヤノフという「マルクス主義者」です。

ウラジーミル・イリイチ・ウリヤノフ
しかし、もう一人、ロシア革命の指導者の一人でもあったアレクサンドル・ケレンスキーという人物がいて、ロシア革命の「二月革命」(1917年3月8日)では、改革派議員の有力者と目されていました。

アレクサンドル・フョードロヴィチ・ケレンスキー
このとき、まだ第一次世界大戦の最中であり、ケレンスキーは戦争継続を主張し、ドイツ帝国に対する攻勢を命令していました。
ところが、このロシア革命の「二月革命」(1917年3月8日)を受けて、1900年以降スイスに亡命していた反体制派のレーニンたちを、敵対するロシアに送り込み、内部崩壊をドイツが目論みます。いわゆる「封印列車」です。

封印列車
ロシアへと送り込まれたレーニンは、「ボリシェヴィキ」という極左集団を率いて、ドイツの願いどおりに、「パン・土地・平和」をスローガンとして掲げ、厭戦プロパガンダを始めます。
そして、この「ボリシェヴィキ」に財政援助していた組織が、1915年にニューヨークに設立された「American International Corporation」でした。
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 ボリシェヴィキはAmerican International Corporationから財政支援を受けていた。当社は1915年、Frank A. Vanderlipを会長としてニューヨークに設立された。出資者はジョン・モルガン、ロックフェラー、ジェームズ・スティルマン。1917年の役員はPierre S. du Pont、Percy Avery Rockefeller、Albert H. Wiggin、Beekman Winthrop、そしてEmpire Trust CompanyのMatthew C. Brushであった。」

フランク・アーサー・バンダーリップ
と、ここまでは昨日までのお話になります。
1917年7月16日、ロシア帝国の首都ペトログラードで、ボリシェヴィキによる扇動の成果もあって、兵士や工場労働者たちがロシア臨時政府に対して蜂起、武装デモのち交戦という一大事件が発生します。これが、いわゆる「七月蜂起」です。

七月蜂起におけるネフスキー大通りでのデモ
結論から先に申し上げますと、この事件で、アレクサンドル・ケレンスキーが首相に就任しますが、ボリシェヴィキは勢力を増大させます。
そして、1917年9月15日、ケレンスキーは国号を「ロシア共和国」に変更、共和制を宣言します。
もし、このまま「ロシア共和国」が存続していれば、また違った歴史になったのかもしれませんが、実際は悲惨な結果を生む方向へとまっしぐらに進んでいくことになります。

1917年7月16日、「七月蜂起」が起こったその時、ウラジーミル・レーニンは、病気療養のためと称してフィンランドに居ました(笑)
武装デモ発生の知らせを受けて、慌てて列車に乗ったのが翌17日のことでした。

で、この時、アレクサンドル・ケレンスキーらロシア臨時政府は、「レーニンはドイツのスパイである」とする発表を行いました。
慌てたウラジーミル・レーニンは、またもや逃亡します。

ケレンスキーは、ボルシェヴィキに徹底した弾圧を行なわず、七月蜂起で逮捕したボリシェヴィキの党員を釈放しました。

執務中のケレンスキー
つまり、不平不満を抱く大衆に対して、「武装蜂起」を扇動したボリシェヴィキを考え方の違いから、拒絶することはしなかった、それがアレクサンドル・ケレンスキーでした。
その結果、ボリシェヴィキは党勢を急速に回復させていくことになります。
その一方で、「七月蜂起」に失敗したあとのレーニンは、平和的な手段によって権力を奪取するのではなく、「武装蜂起」、つまり「暴力革命」によって臨時政府から政権を奪取することを志向するようになります。

さて、「平和的」なのは、どっちでしょうか?

続きは次回に♥
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