2017-12-30 (Sat)

秦の始皇帝は中国史初の皇帝であったが、その強大な力を利用し大きな陵墓を建てた。これが秦始皇帝陵である。
また兵馬俑坑は、この陵を取り巻くように配置されており、3つの俑坑には戦車が100余台、陶馬が600体、武士俑は成人男性の等身大で8000体ちかくあり、みな東を向いている。
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 では、【黄河文明をになった漢人は、どこから来たのか】、という話をしましょう。

【シナ】でもっとも古い歴史書である、紀元前1世紀に書かれた司馬遷(しばせん)著『史記』では、【洛陽盆地を中心とする「中華」】をとりまいて、【「東夷」(とうい)、「西戎」(せいじゅう)、「南蛮」(なんばん)、「北狄」(ほくてき)】、略して【「四夷」】がいたと伝えています。

こちらもご参照❤
↓
☆黄河文明を滅ぼしたのは。。。

「夷狄」(いてき)や「蛮夷」(ばんい)も同じ意味で、【野蛮人】ということです。どの字も弓を持つ人、とか、戈(ほこ)を持つ人、とか、けもの偏とか、虫などの字を使っていることがおわかりでしょう。…【漢字を使う自分たちは文明人で、漢字を使わない人を野蛮人と見下した】ので、わざと悪い意味の漢字を使ったのです。

【「夷」は「低・底」と同音で、低地人の意味】であり、【洛陽盆地から東方の、黄河・淮河(わいが)の下流域のデルタ地帯に住み、農耕と漁撈(ぎょろう)を生業とした人々】を指しました。
【「戎」】は兵器や兵士の意味もありますが、【羊毛で作られる「絨」(じゅう)と同じ発音で、洛陽盆地から西方の、陜西省・甘粛省南部の草原の遊牧民のこと】です。
【「狄」は、貿易・交易の「易」、穀物購入の「糴」(てき)と同音で、行商人の意味】ですが、【洛陽盆地の北方、当時はまだ森林におおわれていた山西高原の狩猟民のこと】でした。
【「蛮」は、彼らのことばで人の意味で、洛陽盆地から南方の、河南西部・陜西南部・四川東部山地の焼畑農耕民のこと】です。
これらの【異なった生活形態をもつ人々が接触したのが、洛陽盆地の近辺】でした。

【表意文字である漢字】は、【違う言語を話していた人々の、交易のための共通語として発展】したのです。

【漢文の古典】には、【文法上の名詞や動詞の区別はありません】。同じ漢字を、あるときには名詞として、あるときには動詞として使います。接頭辞や接尾辞もなく、時称もありません。【どんな順番で並べても意味はあまり違いません】。【発音は二の次で、目で見て理解する通信手段】です。これは、【商売のためのマーケット・ランゲージの特徴】です。

漢字を使えば、交易のネットワークに参加することができ、遠隔地とも通信ができます。そういうわけで、【出身に関係なく、漢字を使う集団】が、洛陽盆地のあちらこちらに生まれました。

【漢字の字体や読み方】は、初めは各集団によって違っていましたが、紀元前221年の秦の始皇帝の統一以後、【漢字一字の読み方は一つだけに決められ、それも一音節が原則】となりました。
そうはいっても、【出身によって発音のくせは残ります】し、【一音節の発音を耳で聞いても意味はあまりわかりません】。…

1918年にルビが生まれるまで2100年以上もずっと、【漢字は書いて読むコミュニケーション手段】でした。【20世紀まで、話しことばとしての共通語が生まれなかったのは、このため】です。

【漢字のこの特徴が、シナ文明の本質の1つ】となりました。

つまり、【日常の話しことばがどんなにかけ離れていても、漢字を学べば漢人】なのです。

【漢人とは文化上の観念】であって、【人種としては蛮・夷・戎・狄の子孫】です。』

いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、著者自身が「これが書きたかった」、「偏見やイデオロギーに囚われず、中国近現代史を直視する--、そのような本を書いて見たいと思っていました」と言われるほど、教科書で覚えさせられている受験用の「支那の歴史」ではなく、実社会で、特に対支那でビジネスをされる方々が知っておかなければならない「支那の正しい歴史」について、非常にわかりやすく解説されている良書となります。

教科書で覚えさせられている受験用の「支那の歴史」と、実社会で役に立つ「支那の正しい歴史」とが、どこに違いがあるのかと申し上げますと、ハッキリ言って、その内容や意味合いが「悉(ことごと)く違っている、全く別のモノ」ということになります。

さて、まずは基本的なことですが、洛陽盆地を中心とする「中原」と呼ばれる地域を、架空の世界中心地として見立てて、そこを「中華」と称し、その周辺の東西南北に「漢字も読めない野蛮人」が住んでいた、という一種の宗教が、現在でも支那人の中に根強く残っている「単なる妄想」でしかない「中華思想」「華夷思想」で、それを真に受けて朝鮮のように属国となる体制を「中華秩序」「華夷秩序」と言います。
重要なポイントですが、本文中にありましたように、世界各国の指導者の中でも、飛び抜けて無能な国家主席として著名な習近平は、何とか支那をまとめようと、やたらと「漢民族」と表現しちゃってますが、「漢民族」や「漢人」というのは、あくまでも「文化上の観念」でしかなく、人種としては、そんな「漢民族」や「漢人」が小馬鹿にしていた「蛮・夷・戎・狄の子孫」に過ぎないということです。
つまり、「雑種」です❤

そもそも、「中原」をようやく統一できた「秦」の始皇帝からして、その父親が「碧眼」だったわけですから、説明するまでもありませんね❤

詳しくはこちらをご参照❤
↓
☆(問) 中国人の祖先の目の色は?

洛陽盆地を中心とする「中原」と呼ばれる地域を確認するために、支那の地形を国土地理院の地図で見てみますと・・・

黄河の流域と「中原」(黄色い円のところ)も見ておきましょう。

上図の西安(昔の長安)のすぐ西隣に、秦の首都・咸陽が位置します。

つまり、2つの山脈に挟まれた格好になっている部分が「中原」(黄色い円のところ)で、この交易上の要衝を巡って、数々の戦争が行われたわけです。秦の統一過程でも、まず「中原」を抑え、その後に東の平地を制覇しています。

秦の統一過程
ただし、東の平地部分は、黄河の氾濫によって、しばしば水害に見舞われるような地域であって、渡河も容易ではなく、やはり中心は「中原」となります。また、秦の統一といっても、日本列島と比較して見ても分かりますが、それほど面積が大きいわけではありません。

日本列島と秦の大きさを比較すると・・・
☆THE TRUE SIZE OF …
ちなみに、その秦の始皇帝の「お墓」よりも大きく、またエジプトのクフ王のピラミッドよりも遥かに大きいのが第十六代天皇の「仁徳天皇陵」で、世界最大の「お墓」になります。


詳しくはこちらをご参照❤
↓
☆エジプトのクフ王や秦の始皇帝よりもスゴイ! 「仁徳天皇」

そして忘れてはならない点が、その秦の周辺、特に北方には、もっと強大な遊牧民族たちが数多くいたという点です。

その遊牧民族たちが怖くて築き始めたのが、いわゆる「万里の長城」(上図の赤線部分)で、以降の支那の歴史は、北の異民族に支配される南に住む雑種の「漢人」「漢民族」というのが基本形になります。


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Re: 仮名文字の発明 * by みっちゃん
ソクセテさん、こんばんは^^ ご訪問&コメントありがとうございます!
「日本では,中国よりも早く表音文字が発明されました.すばらしいことです.」⇒ まったく、仰る通りですね❤
「表音文字」を造り出すというのは、「音」や「音楽」を記号で表記することと似ているように思います。
例えば、楽譜に示される「♪」といった「記号」が「表音文字」で、一定のルールが理解できていなければ、「どういう音なのか」がさっぱり分からない、という風に当ブログでは理解しております。
これからも宜しくお願い致しま~す☆彡
「日本では,中国よりも早く表音文字が発明されました.すばらしいことです.」⇒ まったく、仰る通りですね❤
「表音文字」を造り出すというのは、「音」や「音楽」を記号で表記することと似ているように思います。
例えば、楽譜に示される「♪」といった「記号」が「表音文字」で、一定のルールが理解できていなければ、「どういう音なのか」がさっぱり分からない、という風に当ブログでは理解しております。
これからも宜しくお願い致しま~す☆彡
日本では,中国よりも早く表音文字が発明されました.すばらしいことです.今年で注音字母は100周年,漢語拼音は60周年になりました.