2017-12-18 (Mon)
わが子を殺そうとするメディア(ウジェーヌ・ドラクロワ画 、1862、リール市立美術館蔵)
○media(メディア)はmedium(メディウム)の複数形。medium は、中間にあるもの、間に取り入って媒介するもの。
○『メディア』(メーデイア、希: Μήδεια, Mēdeia)は、古代ギリシアの劇作家エウリピデス作のギリシア悲劇。日本においては『王女メディア』のタイトルでよばれることも多い。
ギリシア神話に登場するコルキス王女メディア(メーデイア)の晩年におこったとされるコリントスでの逸話、すなわち夫イアソン(イアーソーン)の不貞に怒り、復讐を果たして去っていく話を劇化したもの。
コルキスの王女メディアは夫イアソンと共に互いの故郷を捨てコリントスで暮らしていた。だが、コリントス王クレオンが自分の娘婿にイアソンを望み、権力と財産に惹かれたイアソンは妻と子どもたちを捨て、この縁組みを承諾する。
怒りと悲しみに暮れるメディアの元に、クレオンから国外追放の命令が出る。一日の猶予をもらったメディアはイアソンとクレオン父娘への復讐を決意する。
アテナイ王アイゲウスを口説き落として追放後の擁護を約束させたメディアは、猛毒を仕込んだ贈り物をクレオンの娘の元に届けさせ、王と王女を殺害する。更には苦悩と逡巡の果てに、自身の幼い息子二人をも手にかける。すべてを失って嘆き悲しむイアソンを尻目に、メディアは息子たちの死体を抱き、竜車に乗って去っていく。
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 就任式に集まったのは、【アメリカ政治の原点】を確かめに来た人たちです。…
大統領の治世が移るということは、ホワイトハウスでオバマとトランプがただ握手しただけでは移りません。あのような【伝統の儀式 】があって、【大統領が代わった】ということが、【初めてアメリカ国民の腑(ふ)に落ちる】わけです。
議事堂に集まった人もテレビで見た人も、大統領の交代ということを体で感じます。だから、【儀式は重要】なのです。この儀式がなければ、アメリカの政権交代はスムーズには行われません。
【民主党の議員】が60人あるいは70人【欠席】したとか言われますが、【そういう人には議員の資格はありません】。
気に入らない人が大統領になったからといって、【アメリカ政治の原点の儀式を欠席する】ということは、つまり、【自分自身はアメリカ政治の伝統を受け継いでいないということ】になります。
そういうことを【メディアは報じなければいけません】。
☆【東京新聞】麻生副総理「新聞読む人の気知れない」
しかし、【日本のメディアは優秀ですから報じません】。60人も欠席したということは、「いかにトランプがひどい大統領であるかということの証である」というトーンで報じていました。…
☆【東京新聞】麻生氏「新聞読む人の気知れない」~ネットの反応「まったくその通り」「新聞社に軽減税率適応とか絶対にするなよ!」
【日本のメディア】には【「統一ライン」】というものがあります。
☆【動画】「ニュース女子」をBPOが強く批判「重大な倫理違反」「民主主義社会で放送の占める位置を脅かすことにつながる」
【日本のメディア】は残念ながら【独立していません】。日本の政治に対していろいろコメントをするのはまだわかりますが、仮にも【アメリカの大統領を茶化していいの】でしょうか。
☆<BPO>東京MXテレビ ニュース女子を強く批判「重大な放送倫理違反」「民主主義社会で放送の占める位置を脅かすことにつながる」~ネットの反応「BPO基準では極左に都合の悪い報道はすべて倫理違反です」「BPOに断然抗議だな」
なぜこういうことが「恐れを知らずにできるのか」ということを、私たちは考えてみなければいけません。
☆<#テレビが絶対に報道しないニュース>【普天間CH53窓落下事故】米海兵隊のCH53ヘリの整備を担当しているのは大韓航空だった 2016年~2020年までの5年間の整備を約55億円で落札~ネットの反応「まじか…」「法則どころの話じゃないんじゃね?」
【習近平に対しては、このようなことはまったくやりません】。そういうことを【私たちは考える必要】があります。
☆国賓として中国を訪問中の文大統領、習主席に会えず晩餐会なし 朝食は一般食堂で豆乳とパン~ネットの反応「中国のこういう目下に対する大胆な対応は本当に見習わなけりゃならん。本当に犬以下の扱い…感心する…」「ガチの一般食堂www」「香港の執政官の方が待遇いいだろうね」
【統一した意思が働いているということ】です。』
いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、比較的新しい時事ニュースから、歴史的な事件まで、その背後に隠れている「左翼リベラル」を明らかにし、正しく解釈していくための物事の見方について、非常に分かりやすく解説をされている良書となります。
さて、昨日の続きになりますが、流れを簡単におさらい致しますと、まず、「なぜ南北戦争(1861~65年)は起きたのか。なぜ防止できなかったのか。誰も疑問を呈さない」というトランプ大統領の言葉があって、それを理解するために、歴史を振り返っているところなのですが、ヨーロッパにおいて、「外交革命」(1756年)によって、17世紀以来の対立関係・宿敵であったハプスブルク家とブルボン家が同盟を結ぶという画期的なことが起こります。
「外交革命」同盟の構造
この同盟関係を背景として、植民地アメリカが、本国イギリスに対して「謀反」、いわゆる「アメリカ独立戦争」(1775年~1783年)を起こし、そのアメリカを支援したのがフランス(ブルボン朝)でした。
イギリス領北アメリカ植民地旗
ところが、その直後、フランスで「フランス革命」(1789年)が始まり、新政府は、ユダヤ人の権利を全面的に認める一方で、キリスト教は徹底的に弾圧していました。ここで、一旦、王政が廃止され、1793年にはルイ16世が処刑されてしまいます。
フランスのその後で重要なのが、当時のヨーロッパを席巻した独裁者ナポレオン・ボナパルト(1769年~1821年)なのですが、ここでは敢えて、それを省略しますが、ポイントとなるのは、ナポレオン率いるフランスに対して、一貫して敵対関係にあったのが、イギリス、オーストリア、ロシア、プロイセンなどであり、「外交革命」による同盟関係とはかなり異なっています。
で、中世のヨーロッパで最大のユダヤ人の人口を誇っていたポーランドが、1772年、1793年、1795年と3度に渡って分割され、プロイセン・オーストリア・ロシアの3国によって、領土をすべて奪われ滅亡しますが、のちに、ナポレオンは、この地にワルシャワ公国を作ります(1807年)が、国教としてはカトリックであったものの、ユダヤ教も認められていた国です。
そして、「アヘン戦争」(1840~1842年)は、すでにインドを支配したイギリスが支那の侵略を始めたということを意味していて、また昨日までに見てきましたようにペリーの黒船来航(1853年)とは、アメリカというよりもユダヤ系ロスチャイルドが支那への貿易ルートの確保を狙ったもので、その後の「南北戦争」(1861~1865年)の本質は、「奴隷」云々というお話ではなくって、イギリスによるアメリカ国内の分断であり、イギリスと対峙するロシアの支持があったからこそ、現代のアメリカは分裂せずに残っている、といった流れになります。
と、ここまでが昨日のお話でした。
ここで「外交革命」の同盟関係を、もう一度確認してみましょう。
「外交革命」同盟の構造
イギリスと同盟関係にあるのがプロイセンとハノーヴァーですが、このハノーヴァーとイギリスは、どういった関係なのでしょう?
清教徒革命またはピューリタン革命(1641年~1649年)がイギリスにおいて勃発し、チャールズ1世が処刑(1649年)されます。
『 当時のヨーロッパはやがて啓蒙主義が出てきて、少しずつ政治と宗教を分けるようになりますが、1600年代には、まずイギリスで「ピューリタン革命」が起こります。クロムウェルという人物が出てきて、流血革命の中でチャールズ1世を処刑するというドラマが起こります。世界史においては、イギリスが真っ先に王様の首を切ったんですね。
チャールズ1世の処刑
この革命が起こった動因の一つが「千年王国論」でした。
「千年王国論」というのは、神が約束してくれた王国、至福と恍惚の王国――その王国が千年続いて、その後、神が再臨する。これはユダヤ教の考え方が非常に強いわけでありますが、そうして降臨した神が真の意味での至福を与えてくれる、という考え方です。
「千年王国」の思想は新約聖書の「ヨハネの黙示録」、あるいは旧約聖書の「ダニエル書」に記されています。終末は迫っている。神とサタンの最終戦争である「ハルマゲドン」が起こり、地上が破壊される。だが、その極限状態のところで神が再臨して、われわれは至福の天国に救われる…。
それに対してカトリックはどういう考え方をしていたかというと、神は再臨しない。この地上に神は訪れない。いまあるこの教会こそが「神の国」なのであると、非常に政治的で保守的です。したがって、「千年王国論」のごときは異端であるといって、カトリックとプロテスタントは激しくぶつかり合うわけです。
しかし、みなさん、この「ピューリタン革命」こそ、アメリカを生んだニューイングランドの思想そのものなのです。ニューイングランドというのは、イギリスから新大陸に渡って行った清教徒(せいきょうと、ピューリタン)たちがつくった国家でありますが、彼らはその地に「千年王国」をつくるといって出て行ったのです。
その後、ヨーロッパでは啓蒙思想が出てきたり、成熟したカトリックも消えたりしませんでしたから、保守的で穏健な思想も育っていきます。
ところが、アメリカは必ずしもそうじゃないんですね。アメリカは建国の基本において「千年王国」のような過激な思想でつくられた国家だったからです。ただ、アメリカは物質文明に恵まれていましたし、産業も発展した。経済も豊かになった。それで、だんだん革命的な気分は消えていきます。
これを見てもわかるように、歴史を動かしたのは宗教なのです。先ほど申し上げたピューリタン革命も、アメリカの独立戦争も南北戦争も、みんな宗教が動因になっています。もちろん、フランス革命もそうです。…
昭和の作家横光利一『旅愁』がテーマにしたキリスト教と「和魂」との対決が示したように、昭和の戦争の背景に宗教があることは気づく人は気づいていました。…』
詳しくはこちらをご参照❤
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☆平和な江戸の200年 VS キリスト教内乱の300年
処刑されたチャールズ1世の娘であるメアリー・ヘンリエッタ・ステュアートは、オラニエ公・オランダ総督ウィレム2世の妻でした。
メアリー・ヘンリエッタ・ステュアート(1652年)
以前にも書かせて頂いておりますが、現在のドイツ西部にある「ナッサウ」、その地を拠点としてきた小貴族に「ナッサウ家」があります。
ナッサウ
そのナッサウ家に生まれたウィレム(1533年~1584年)は、相続により、ネーデルラントの所領と南フランスのオランジュ(オランダ語でオラニエ)公国を継承し、オラニエ公ウィレム1世となり、以後、ウィレム1世の子孫は代々オラニエ公を継承し、その家系はオラニエ=ナッサウ家と呼ばれることになります。
のちにスペイン(ハプスブルク家)の統治下であるネーデルラント17州で、異端審問、プロテスタントの弾圧が行われ、それに対する反乱が起こった際に、ネーデルラントの有力貴族たちが、暴動の責任を問われ処刑され、オラニエ公ウィレム1世の領地、財産の多くが没収されてしまい、やがてネーデルラント北部諸州とスペインとの戦争である「八十年戦争」(1568年~1648年)へと繋がって行きます。
「キリスト教徒に偽装したユダヤ教徒」である「マラーノ(marrano)」(スペイン語で豚の意味)の中に移り住む者たちがいて、大規模なユダヤ人コミュニティが形成され、「西のイェルサレム」とも呼ばれるアントワープも、「アントワープ略奪」(1576年)と呼ばれる虐殺によって甚大な被害を受けます。
アントワープ略奪
これによって、ネーデルラントの文化、経済、金融の中心だったアントワープが衰退、代わって勃興してくるのが「アムステルダム」で、ネーデルラントの中心地が、南部から北部へと移り変わることを意味しています。
詳しくはこちらをご参照❤
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☆中学生や高校生が、知っておきたい有名事件 ~ 保坂展人って誰???
ここで整理しておきますと、チャールズ1世の処刑(1649年)にまで至った清教徒革命・ピューリタン革命(1641年~1649年)、そして、その息子チャールズ2世に資金支援をしたのも、ユダヤ人でした。
そもそも、清教徒革命・ピューリタン革命(1641年~1649年)は、ユダヤ人がイギリスに合法的に戻ってきた革命でもあったんですから。
『 言ってみれば、結局、世界史はなにかというとユダヤ史なんです。
1991~93年まで欧州復興開発銀行初代総裁を務めたジャック・アタリは経済学者と言われていますが、金融ユダヤ勢力の世界計画を代弁しているだけなのです。逆に言えば、彼の著述や発言を読めば、彼らがどう考えているかというヒントになる。彼は本の中で「国家の歴史は債務の歴史だ。国家は債務、つまり借金によって栄え、借金によってつぶれる。その繰り返しだ」と言っています。
事実そうなのですが、それはひっくり返してみれば、国家の歴史は、国家に金を貸す者の歴史ということになる。では、誰が金を貸しているのかというと、ほとんどはユダヤ金融勢力です。
ユダヤ金融勢力は国を持っていないから、国家に金を貸して、その国家を牛耳る。その走りは「イングランド銀行」(イギリスの中央銀行 1694年に設立)です。
今は別にユダヤ資本の専売特許ではないですが、彼らの金の貸し方は、敵味方の両方に金を貸すということです。
イギリスで言えば、ピューリタン革命があって、チャールズ1世が斬首され、息子(のちのチャールズ2世)はフランスに亡命した。
クロムウェルらを扇動して、チャールズ1世を処刑させたのは、オランダなどにいたユダヤ系の金貸し業者です。ところがそういう勢力がフランスに亡命したチャールズ2世に金を出してやり、のちにイギリスの国王に戻している。彼らは、そういうことを平気でやっている。
我々はクロムウェルのピューリタン革命は、「イギリスの民主主義の実現だ」などと教えられていますが、あれはユダヤ人がイギリスに合法的に戻ってきた革命だったということです。ヒレア・ベロックなど、イギリスでユダヤの歴史などを勉強している人がそう言っています。』
こちらもご参照❤
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☆ヒレア・ベロック ユダヤ人 なぜ、摩擦が生まれるのか
そして、チャールズ2世の後継者となるのが、弟のジェームズ2世でしたが、「名誉革命」(1688年~1689年)によってクーデターを起こされ、
ジェームズ2世
チャールズ1世の娘であるメアリー・ヘンリエッタ・ステュアートと、オラニエ公・オランダ総督ウィレム2世の息子であるウィリアム3世がイングランド王位に即位します。そして、彼の治世において、イギリスの中央銀行であるイングランド銀行の設立(1694年)を認めたわけです。国営機関ではなく、単なる民間企業が、「通貨」を発行することが可能となったわけです。
ウィリアム3世
『 日本人は、歴史教科書でイギリス史の重要なポイントとして習うのはピューリタン革命と名誉革命(1688~1689年)ですが、そんなことよりも重要なことは、1694年にイングランド銀行ができたことです。
これはユダヤ人の金融業者が当時のウィリアム3世に、フランスとの戦費を賄(まかな)うために、120ポンドの金を貸して、その代わりに120ポンドの通貨を発行する権限を得たのです。
王様はなにもわからないから、「どうぞ」と。これが世界の悲劇のはじまりです。
以後、金貸し連中が民間人支配の中央銀行をつくるというのが、世界の歴史になっていった。』
詳しくはこちらをご参照❤
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☆悲劇の始まり ~ イングランド銀行の設立
続きは次回に♥
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