2017-12-15 (Fri)

サムター要塞の戦いが南北戦争の端緒になった。
奴隷解放宣言(どれいかいほうせんげん、英: Emancipation Proclamation)は、 アメリカ合衆国大統領であったエイブラハム・リンカーンが、南北戦争中である1862年9月、連邦軍の戦っていた南部連合が支配する地域の奴隷たちの解放を命じた宣言をいう。
連邦側から脱退していなかった境界線辺りの奴隷州と、すでに連邦軍に制圧されていた地域はこの宣言の対象外とされた。
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 【黒船の来航】がその後の大動乱の導火線となったことは、誰でも知っている。…
ペリーは日本に来る前に日本に関しての書籍を読みこなし、該博な知識があった。
日本の武士団が強靭で、かつ名誉と礼節を重んじること。シナやジャワや越南(ベトナム)のように、簡単に武力で政体を転覆できないこと、つまり【植民地にすることは至難であることをすでにペリーは知っていた】のだ。…

嘉永7年(1854年)横浜への黒船来航
渡辺惣樹『日本開国』は、…【従来の歴史解釈を大きく塗り替えた】。【ペリー艦隊の本当の理由は別にあった】というのだ。

ペリーは日本にやって来る前、【先に中国に寄港】し、下田で黒船四隻の示威行動のあと、「1年後に来る」と言い残して浦賀を去った。何処へ行ったのか。【上海】へ行ったのである。なぜ上海に向かったのか。…

日米修好通商条約が結ばれるのはペリー来航から数えると4年後だった。アメリカは開国こそ急いだが、【そのあとは異様にのんびり】している。

アメリカの目的は鯨油にあったのではなく、【日本を開国させること自体にあった】のではないか。もしそうなら、日本の開国を戦略目標としてそれを立案し、【アメリカの政治を背後から動かした人々がいた】に違いない。
その【キーパーソン】はいったい誰なのか。日本では聞いたことのない【ふたりのロビイスト】が、【アメリカ政界の舞台裏で暗躍】していた。

ひとりは、…【アーロン・パーマー】である。【パーマーはロスチャイルド家の代理人】だった。【パナマ運河開墾工作にも従事】した。ロスチャイルドの野望であったニューヨーク~上海ルートの開拓と、アメリカ外交の目的とが一致したときに、猛然とワシントン政界を動かし、裏のフィクサーとして【ペリー艦隊の日本派遣を実現】させた。
もうひとりは、【オーガスト・ベルモント】だ。同じく、【ロスチャイルド家の代理人】。フリーメーソンの会員でもあり、ロスチャイルドというアメリカ政治を裏で動かす人々の利益を代弁した。…

オーガスト・ベルモント
ニューヨーク~上海が25日間で結ばれると、アメリカが裨益するのは明らかだった。悪名高き【イギリスのジャーディン・マセソン商会】の影に隠れてはいるが、【アメリカのラッセル商会】は【阿片を密売】し、膨大な収益を上げ、【上海】に洋館を建てていた。

上海のラッセル&カンパニービル

上海と外国船の風景。1864年
またアメリカの目的には、【中国からの労働力輸入の円滑化】があった。

苦力(クーリー)は、アメリカの西部開拓に欠かせない労働力となっていた。

1900年頃の中国人の苦力(江蘇省)
大事なことは、列強によるアメリカ西海岸、ハワイ、日本、中国(上海)ルートの開拓競争がその本質であり、【アメリカはイギリスと競い、日本開国を先になし遂げたという動かせない歴史的事実】である。

ハワイはタッチの差で、イギリスより先にアメリカが権益を抑えた。次はフィリピンだった。
【中国はアメリカへ安価な労働力を提供する巨大策源地】であり、【阿片では世界最大のバイヤー】であった。

年間の中国のアヘン輸入の増加を示すグラフ(1650-1880年)
ちなみに【その闇の商いは後年、フランクリン・ルーズベルト大統領夫人に繋がる富豪との闇の繋がりがあった】という。』

いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、もちろん英雄・西郷隆盛について書かれた書物ですが、思想家・西郷隆盛、詩人・西郷隆盛といった、精神的な側面や内なる魅力を浮かび上がらせるべく、著者ご自身が西郷隆盛の足跡を辿り、ゆかりの場所を紹介しつつ、読者に対して、問いを投げかけている良書です。

さて、アーロン・パーマーやオーガスト・ベルモントについては、昨日も書かせて頂いておりますので省略させて頂きますが、ペリーの娘と結婚したオーガスト・ベルモントは、キリスト教に改宗した「ユダヤ人」でした。
で、イギリスのジャーディン・マセソン商会も、「ユダヤ財閥のロスチャイルド系」で、あの坂本龍馬に繋がって行きます。今どき、坂本龍馬に憧れるという方はいらっしゃらないと思いますが、ホラ吹きで有名だった司馬遼太郎なんかの作り話を読んで、勝手なイメージを描く方が、わりと年齢の高い世代に多く存在しているようです。

『 日本の歴史教育のなかでは、ユダヤのことについてはほとんど教えられていません。…
多くの日本人は、自分たちはユダヤとは縁がないと思っています。しかし日本の近代史を振り返ってみますと、その節目の重要なところではユダヤ系の資金がかかわっています。
たとえば、幕末の日本で活躍した貿易商人・グラバーは、香港のジャーディン・マセソンという有名な財閥の代理店でした。ジャーディン・マセソンはユダヤ財閥のロスチャイルド系であり、グラバー商会はユダヤ勢力のフロント組織でした。そのフロント組織が坂本龍馬を支援し、薩長に武器などを販売していました。明治新政府設立には、グラバーの支援が大きくかかわっています。…
もう一つ例をあげれば、日露戦争が挙げられます。日露戦争開戦に当たって、国際銀行クーン・ローブ商会の共同経営者であるヤコブ・シフが、日本の国債を購入して戦費を用立ててくれたことはよく知られています。
日露戦争に勝利できたのは、シフのおかげだと我々は教えられてきました。シフにほ明治天皇から勲一等旭日大綬章が贈られています。このヤコブ・シフはユダヤ人で、彼が集めてくれた資金はユダヤ人の資金です。…
明治維新にも日露戦争にも、ユダヤ財閥がかかわっているのです。』
詳しくはこちらをご参照❤
↓

このジャーディン・マセソンは、現在でも存続している世界最大級の国際コングロマリット(複合企業)です。マンダリン・オリエンタルホテルグループも、その関連企業です。
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 ジャーディン・マセソン(Jardine Matheson Holdings Limited, 怡和控股有限公司)は、香港にヘッドオフィス(登記上の本社はバミューダ諸島・ハミルトン)を置くイギリス系企業グループの持株会社。米誌フォーチュン誌の世界企業番付上位500社のランキング「フォーチュン・グローバル500」(2009年度版)では世界411位。創設から170年たった今日でも、アジアを基盤に世界最大級の国際コングロマリット(複合企業)として影響力を持っている。
前身は東インド会社で、元は貿易商社。1832年、スコットランド出身のイギリス東インド会社元船医で貿易商人のウィリアム・ジャーディンとジェームス・マセソンにより、中国の広州(沙面島)に設立された。中国語名は「怡和洋行」。当時、広州は広東システム体制下、ヨーロッパ商人に唯一開かれた貿易港であった。
設立当初の主な業務は、アヘンの密輸と茶のイギリスへの輸出。香港上海銀行(HSBC)は、ジャーディン・マセソンなどが香港で稼いだ資金をイギリス本国に送金するために設立された銀行である。
清とイギリスとの間で1840年から2年間にわたって行われたアヘン戦争に深く関わっている。アヘンの輸入を規制しようとする清朝政府とイギリスの争いが起こった際に、当時のアヘン商人の一つであるジャーディン・マセソン商会のロビー活動により、イギリス本国の国会は9票という僅差で軍の派遣を決定した。」

イギリス海軍軍艦に吹き飛ばされる清軍のジャンク船を描いた絵
さて、昨日も書かせて頂いたことですが、重要なポイントですので、念のために書かせて頂きますが、アーロン・パーマーやオーガスト・ベルモントは、「イギリス・ロスチャイルド家」の手下であって、あくまでも、ボスはイギリスだったということ、また、「大正末期までの日本」の知識人の間では、「西洋」と言えば、ヨーロッパ、ドイツ、フランス、イギリスのことを意味していて、そこにアメリカはなく、当時の世界の5大国は、大英帝国、ロシア帝国、フランス帝国、ハプスブルク帝国(オーストリア)、プロシア帝国であって、その中でも突出していたのがイギリス(大英帝国)だということ、そして、そのイギリスと覇権を争っていたのがロシアだったということ、これらを押さえておきましょう。

で、「アヘン戦争」(1840~1842年)があって、ペリーの黒船来航(1853年)がって、さらに8年後に、アメリカで起こった出来事、それが「南北戦争」(1861~1865年)です。
そして昨日の最後のところで、2017年2月に編集局ワシントン支局長となった黒瀬悦成による産経新聞の記事をご紹介させて頂いた上で、その記事が、まったくお話にならない、お勉強が足りていない内容の記事となっている、と指摘させて頂きました。こんな人物がワシントン支局長というのも、非常に驚きですが。。。


☆トランプ氏が南北戦争でも妄言 奴隷制めぐり戦ったはずが…歴史知識の欠如露呈
産経新聞に限らず、他にも、こんな風にニュースが流されています。


☆どうして銅像でもめるのか 南北戦争の像の何が問題なのか

☆トランプ米政権幹部、南北戦争は「妥協不足が原因」
いったい、「南北戦争」のどこが、奴隷制の是非を巡る戦いだったというのでしょうか?

アブラハム・リンカーン
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 リンカーンは奴隷解放宣言によって黒人(混血のものも含む)の奴隷を解放したことで賞賛される。しかしながら、リンカーンは本来奴隷解放論者ではなく、実際には連邦軍によって制圧された南部連合支配地域の奴隷が解放されただけであって、奴隷制が認められていた北部領域では奴隷の解放は行われなかった。北軍側には5つの奴隷州があり、国際社会を欺いたに等しいこの宣言は、英仏が南部連合を支援するような融資や取引をやりにくくして、戦費や兵器を調達しにくくするために、および南部州における奴隷の反乱・逃亡・ボイコットの効果を狙い、実施されたものであった。事実、南部有利の戦況はやがて揺らいでいった。」
しかも、黒人を大量に徴兵したりなんかしています。

以下は、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 奴隷解放宣言後、元の奴隷を軍隊で用いることは政府の公式方針となった。当初リンカーンはこの計画を全面的に行うことを躊躇したが、1863年春までに「黒人部隊の大量徴兵」を始めさせることになった。テネシー州の軍政府長官アンドリュー・ジョンソンに宛てた手紙で、黒人部隊を立ち上げることを奨励して、「5万人の武装し訓練された黒人兵がミシシッピ川の岸を進むさまを見れば即座に反乱を終わらせられるだろう」と記していた。」
こちらもご参照❤
↓
☆黒人が黒人を奴隷にした国 ~ リンカーンの正体

「南北戦争」(1861~1865年)の本質は、イギリスによるアメリカ国内の分断でした。イギリスが支援したのが南部州です。それに対して、北部州を支援したのが、イギリスと覇権争いをしていたロシアです。
ときのロシア皇帝がアレクサンドル2世で、彼は1861年に農奴解放令を発布し、農奴制の解体に着手します。リンカーンの奴隷解放宣言より1年前の事です。ロシアの支持があったからこそ、アメリカは分裂せずに残っているんです。

アレクサンドル2世
恐らく、トランプ大統領は、この本質を理解していると思います。
私たちの日本でも、1868年~1869年の「戊辰戦争」も同じ構図でした。フランスやプロイセンが支持する旧幕府側と、イギリスが支持する薩摩藩など新政府側による内戦です。

トランプ大統領は、本質を理解した上で、第7代のアンドリュー・ジャクソン大統領を「タフ」だと評価しています。
それでは、一体、何に対して「タフ」だったのでしょうか?

彼の有名なセリフをヒントとして挙げておきますね。
「The bank is trying to kill me, but I will kill it.」
アンドリュー・ジャクソン大統領については、こちらをご参照❤
☆ジョニー・デップの理想

☆政治があって新聞がない世界

☆もしトラ。。。もしも、トランプが「ドラえもん」に登場すると、誰になる?

続きは次回に♥
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