2017-11-27 (Mon)

洛陽市内の洛河
洛陽市(らくようし、英語: Luoyang)は、中華人民共和国の河南省西部にある都市。しばしば関中の長安と並んで中国王朝の首都となった。
中国における西の長安と東の洛陽が並び立つ両都制になぞらえて平安京の西半分の右京を長安城、東半分の左京を洛陽城と雅称した事に由来し、やがて右京の荒廃と左京の繁栄に伴い平安京全体の別名となり、その一字「洛」をもって京都を表すに至って京洛・洛中・洛外・上洛などの言葉が生まれた。
洛陽の南には洛水が流れており、これが地名の由来となっている。「陽」は「日当たりのいい場所」の意で、河谷の北側斜面などの南中した太陽と向かい合う土地を指す。つまり、山岳や丘陵の斜面では河谷とは逆に「陽」は南側斜面にあたる。
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 【日本は「万世一系」の国】として、【神武天皇以来125代、2670年以上も皇室・皇統が続いてきた】とされる。…【現存する国家としては、世界でもっとも古い】。

こちらもご参照❤
↓
☆ギネス認定の世界最古の国家はどこ? ~ 子供たちに教えていないこと

【中国】は5000年の歴史を自慢しているが、易姓革命によって【幾度も王朝が代わり】、しかも【モンゴル人の大元】、【女真人の清】など、【異民族支配の時代】も【長く】、【歴史としても、民族としても、国家としても、継続性はまったくない】。

それは【朝鮮半島においても同様】なのだ。

【日本こそ】が、少なくとも1500年以上は歴史の継続性のある、【世界最古の国】である。

しかし、それだけ長い歴史を持つ日本だが、【伝統文化や日本人の気質は維持しつつ、つねに変わり続けてきた】。…

☆安倍首相が「保守」の持論を披露 「保守とはこの国に自信を持ち、今までの日本が紡いできた長い歴史を…」(※動画あり)
こちらもご参照❤
↓
☆神神の微笑 ~ 「モナ・リザ」と並んで、世界で最もよく知られている絵

日本は明治維新を成し遂げ、急速な近代化にも成功し、列強に伍すまでになった。

大日本帝国 最大行政統治・軍事勢力圏
一方で、【中国も朝鮮も、日本を真似て維新を起こそうとしたが、いずれも失敗】し、【内戦】と【争乱】に明け暮れた。…

日本社会がきわめて安定しているのに対し、【中国】では【年間数万件ともいわれる暴動が発生】し、
【朝鮮半島では南北対立が繰り返され】、韓国では大統領逮捕といった政変が起こり、【非常に不安定】である。
本書でも述べているが、【中国や朝鮮半島は、つねに内紛と戦乱】が絶えず、王朝の交替を繰り返し、【東アジアの不安定要素】となりつづけてきた。
【現在の中国も北朝鮮】も、【力による統制と言論弾圧】でなんとか国を保っている【独裁国家】であり、韓国は大統領が代わるたびに前大統領が逮捕されるので、【いまだ易姓革命が続いている】ともいわれる。…
この移り変わりの世を【いかにしてクリアしていくかという対応力は、日本人に突出している】。ことに黒船来航以降、開国維新とその後に見られた【日本の時代の変化への対応力は、いかなる外国とも異なっている】。』

いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、支那と朝鮮に関しての地政学に基づく歴史的な解説をベースに、それらとはまったく異なった存在である私たちの日本について、比較検討していくことで、常に劣位であり続ける支那や朝鮮、その反対に、常に優位であり続ける私たちの日本を、鮮やかに浮かび上がらせている良書となります。

さて、昨日のところで、「客家(ハッカ)」と「ユダヤ人」について、少し書かせて頂きましたが、この「客家語」を話し、独特の風習を持つ「客家」を理解していくことで、「支那人」とは何かが理解できるようになります。
私たち日本の国史、それをマラソンに例えてみますと、縄文時代の始まりとされる紀元前14,000年、そこをスタート地点として、私たちが生きている現代をゴールとしたとき、いわゆる支那の黄河文明が起こったとされている時期は、私たち日本人がすでに折り返し地点を通過した頃に当たります。

先日、習近平が自分たちの歴史を「3000年」と言っていましたので、この「黄河文明」が自分たちとは異なっているという「歴史的事実」については、どうやら理解しているようですね❤

☆習近平「中国は3000年の歴史」トランプ「エジプトは8000年…」習「」
ただし、「3000年」というのも、まったく根拠のない発言で、「中国」が出来たのも、「中国語」が出来たのも、20世紀になってからのお話であり、実際には「たった100年ほどの歴史」でしかないわけです。
こういった支那の正しい歴史を理解するためにも、「客家」を理解していくことが重要になります。

さきほどの年表でも明らかなように、圧倒的に古い時代から繁栄していたのが、私たちの日本文明であり、黄河文明の発祥時期には、すでに、長距離の海上ルートによって、ヒトやモノの行き来が存在していたことがわかっています。
詳しくはこちらをご参照❤
↓
☆8000年前から、「オシャレ」だった日本人

☆すでに2万年前に、津軽海峡を行き来していた日本人

さて、黄河文明は黄河の中・下流域に栄えた、裴李崗文化(はいりこうぶんか、紀元前7000年~紀元前5000年)、老官台文化(ろうかんだいぶんか、紀元前6000年頃~紀元前3000年)、北辛文化(ほくしんぶんか、紀元前5300年頃~紀元前4100年)、磁山文化(じさんぶんか、紀元前6000年頃から紀元前5500年)、仰韶文化(ぎょうしょうぶんか、紀元前5000年から紀元前3000年)など、いくつもの遺跡の総称としてひと括りにされたものを言います。

半坡遺跡(はんぱいせき)と仰韶文化の範囲を示した図
上の図で、黄色の線が「黄河」となりますが、私たちの日本列島の大きさを把握して頂くために、下の図もご覧ください。

黄河文明と呼ばれるのは黄河中下流域ですので、狭い範囲に限られていることが、御理解いただけると思います。
で、黄河流域を拡大してみますと、こんな感じです。

そして、少し補足を入れてみます。

西側にある高地を源流として、まるで「尺取り虫」のように東の海へと流れる黄河ですが、途中途中で山脈によってその流れが変えられていることが見て取れます。

鄭州市(ていしゅうし)が河南省の省都になりますが、

そのすぐ西に位置しているのが洛陽市で、この辺りに「洛陽盆地」があります。

洛陽からさらに西には、現在の西安、昔の長安が存在しています。

つまり、この「洛陽盆地」を中心とする地域が、交通の要衝であり、「中原」と呼ばれる地域の中心地であったわけです。

ちなみに、顔も体も支那人だった「ユダヤ人」がいたことで有名な「開封」も、この地域に存在しています。



詳しくはこちらをご参照❤
↓
☆中国人の体、顔をした「ユダヤ人」

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