2017-11-12 (Sun)

寄せ鍋(よせなべ)は、鍋料理の一つである。
汁を入れた鍋に野菜や魚介類などの様々な材料を入れて煮込むものであり、地方毎に出汁や具材が異なり、多様な種類が存在する。
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 日本列島の最新の考古学研究の成果を加えると、【日本文明が最古の文明】でしかも【途切れることなく継続し進化を続けている】ことになる。

すなわち、【縄文文明(前14000年~前1000年)】、黄河文明(前5000年~前2000年)、エジプト文明(前3000年~前500年)、メソポタミア文明(前9000年~前1500年)、インダス文明(前2300年~前1800年)、マヤ文明(前3000年~後1100年)。

年代で比べると、【圧倒的に過去に発生したのが日本列島における縄文文明】である。しかも【13000年間も継続】した。人々が暮らした痕跡となった貝塚や竪穴式住居跡から出土した多数の土器に、【縄を表面に転がしてついたと思える文様が共通】している。

これが【縄文土器】である。しかも【日本列島全土から出土】している。この時代に、【漆塗りの技術が誕生】した。9000年前の漆塗り糸で編まれた布が、【函館市南茅部から出土】している。

こちらもご参照❤
↓
☆「Japan」と「japan」の違い

【縄のしるし】は、【神道では特別な意味を持つ】。

しめ縄のように【神聖や清さを意味】する。土器の中に食べ物を入れて煮炊きするので、そうした願いを込めたと十分考えられる。特に医学が発展していなかった【太古において、食中毒は致命的】であった。だから、【縄文土器で安全な食事が確保され大幅に病死が減った】と想像できる。海辺で採れる【魚貝は腐敗が早い】。しかし一度煮炊きすることで消費期限を延長できた。【土器は命を守る画期的な発明】であった。

出雲大社の注連縄
こちらもご参照❤
↓
☆横綱の「綱」ってなに? ~ お相撲の起源

この時代に【日本人の食文化の源流】がある。山海の幸を土器に入れて火をつける【寄せ鍋】は【16000年前の縄文期に始まった】。

この時代に始まった食事が日本人のDNAに刷り込まれ、21世紀の今も家族団らんの夕食になっている。【縄文鍋料理は和食の源流】である。』

いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、第一級の日本の科学者である著者が、科学的な見地で、日本の古代史の考察から、現代に至るまで連綿と続く、私たちの日本文明について、諸外国には決して見られない、その独特な民族性について、国史を辿りながら解説をなされている良書になります。

さて、私たち日本人が、何故か学校では教えられない、とても重要なことが本文中に書かれていました。
すなわち、縄文時代を最初と考えたとしても、すでに圧倒的に過去に発生したのが日本列島における、私たち日本文明である、ということです。


そして、その日本文明は、現代に至るまで連綿と続いているということです。

私たち日本の国史、それをマラソンに例えてみますと、縄文時代の始まりとされる紀元前14,000年、そこをスタート地点として、私たちが生きている現代をゴールとしたとき、メソポタミア文明が起こったのは、私たち日本人がすでに3分の1ぐらいまで走った時代に当たります。
ちなみに、黄河文明以下は、すべて、私たち日本人が「折り返し地点」を通過してから生じた文明であり、周回遅れどころのお話ではない、比較にもならない文明である点を御理解しておいてください。

そのメソポタミアに、最初にやってきたのが「シュメール人」です。
「 メソポタミア文明…それはチグリス川とユーフラテス川によって育まれた文明であり、シュメール、バビロン、アッシリアなどの古代国家を生んできた。いずれも今のイラク、イラン、クウェートあたりにあった国家として知っておきたいが、これら国家はいずれも、河川の洪水を止める努力と、そこで行われる灌漑によって文明を発達させた。

灌漑によって発達した農業により余剰の生産物が生まれ、そここら集団での生産体制、さらには国家の原型ができた。まず生まれたのは「シュメール」だった。シュメールとは南部メソポタミアの古代名であり、今のイラク、クウェートあたりにあった都市文明をいう。いつの時点で文明を形成した移住者たちがこの地域に到達したかは定かではないが、紀元前3000年ごろには、先住民と様々な地域から多様な言語を持つ移住者たちによってシュメール人が構成されたといわれている。」

詳しくはこちらをご参照❤
↓
☆ハンムラビ法典 「目には目を…」の正しい意味 ~ 旧約聖書に書かれていること

そのシュメール人は、自らを「ウンサンギガ」と呼んでいましたが、これは「混ぜ合わされた者、黒頭の民」という意味です。また、その地を「キエンギ」と呼んでいて、「君主たちの地」という意味になります。
では、一体どこからやってきたのでしょうか?
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 シュメールの言語、文化、また、おそらくは外見も周囲のセム系の民族とは異なっていた。しかしシュメールの男子像を見る限り、大きく彫りの深い目、高い鼻、巻き毛で髭が多いなどセム系と変わりないような容貌をした像もあり、民族系統は未だ謎である。アッカド王朝以前の遺跡に見られるシュメール人の容貌は剃髪した彫りの浅い髭のない傾向が多く見られ、アッカド人とは書き分けられているようである。創世記では洪水後シナル(シュメール地方)に住み着いたのは「東からやってきた人々」とされており、言語的容貌的観点からモンゴロイドである可能性もある。シュメール人は広範に征服民か移住民であると信じられている。しかしそのような移住がいつ行われたのか、またシュメール人の地理的な起源がどこなのかを正確に決定することは難しい。」
どこかからやってきた、すでに高度な技術を持っていたわけですから、私たちの日本文明のような人たち以外には考えにくいですね❤
こちらもご参照❤
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☆『太陽神の子』 ~ シュメール人と日本人

まあ、そんな馬鹿なはずがない、という声が聞こえてきそうですが、極東のちっぽけな島国なんだ、という思い込み、先入観を打破して頂くために、本日の最後に、もう少しお話を書かせて頂きます。
昨日のところで、2万年以前に丸木舟があったことを間接的に示す事実として、北海道南部沿岸の町知内(しりうち)の湯の里4遺跡で発見されたの日本最古の墓のお話を書かせて頂きました。

北海道湯の里4遺跡土壙出土品
☆文化遺産オンライン 北海道湯の里4遺跡土壙出土品
そこに埋葬されていた副葬品の玉類の原材である「ダナイト」、

ダンかんらん岩(ダナイト
その原産地がどこなのかと申しますと、「バイカル湖」になります。

どうやって運んできたのでしょうか?

ぜひ、想像力を働かせて、考えてみてください。
続きは次回に♥
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