2017-11-11 (Sat)

竜飛崎。海の向こうに北海道がはっきり見える。
津軽海峡(つがるかいきょう)は、北海道南端(道南)と本州北端(青森県)との間にあって、日本海と太平洋とを結ぶ海峡。東西は約130km、最大水深は約450m。
本来は日本の領海に編入することができるが、中央部は公海(但し日本の排他的経済水域。また、下を通る青函隧道は日本の領土)のまま残されており、外国船舶の通航に利用される(所謂)国際海峡である。これについて、日本政府は「重要海峡での自由通航促進のため」と説明しているが、複数の元外務事務次官が、非核三原則の「持ち込ませず」の原則を堅持しつつ、核兵器を積んだ米軍の軍艦を通すためだったと証言している。

戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 日本国内で発見された【最古の船は丸木舟】で、千葉県で発掘された7500年前のものである。

発掘された丸木舟。舟底の部分が残り、側面の立ち上がりは欠損している(県教育振興財団提供)
☆市川、国内最古の丸木舟 7500年前、魚介類など運搬 雷下遺跡

☆市川市 雷下遺跡 - 千葉県教育振興財団
丸木舟は1本の太い木をくり貫いて造る。縄文期のこうした丸木舟は、福井県三方五湖(みかたごこ)【鳥浜貝塚】など、【日本海側で多数発見】されている。丸木舟の長さは5mから7m、幅は0・6mほど。

この種の丸木舟は、太古より、漁労のみならず、【列島の交通と運搬に利用】されていた。黒曜石器が作成されだした【3万年前】にも、【丸木舟が造られていたはず】である。ただし、その時代の沿岸は、【100m下の海底に沈んでいる】ので発見が困難である。

しかも、【2万年以前に丸木舟があったことを間接的に示す事実】が、北海道南部沿岸の町【知内(しりうち)】で昭和58(1983)年に見つかった。

対岸は青森県の【竜飛岬(たっぴみさき)】で、青函トンネルの北海道側の出口に近い場所に【湯の里4遺跡】がある。

北海道湯の里4遺跡土壙出土品
☆文化遺産オンライン 北海道湯の里4遺跡土壙出土品
そこに【旧石器時代の日本最古の墓、土墳(どふん)】があった。そこから【コハクや石製の小玉(こだま)・垂飾(たれかざり)・石刃(せきじん)・石刃核(せきじんかく)・細石刃(さいせきじん)】など14点が出土した。これは青森県竜飛岬付近からの【海路が旧石器時代に既に存在していた証拠】である。

東京都【伊豆諸島】にも【縄文遺跡】がある。【大島、三宅島、八丈島】での調査結果が【7000年前から8000年前の居住跡や土器を確認】した。東京から直線で300km離れた八丈島でも、【島伝いの海路で進めば、丸木舟でも行き来できた】のだ。

伊豆諸島には8000年前の縄文早期の【下高洞遺跡(しもたかぼらいせき)】がある。元町地引浜奥の海食崖(かいしょくがい)にある。【土器(平坂式土器、山形押型文土器)、神津島産黒曜石の石鏃(せきぞく/矢じり)、イノシンの頭骨などが多数出土】し、【竪穴住居も確認】された。当然、【丸木舟の利用があった】に違いない。

沖縄県北谷町(ちゃたんちょう)の【平安山原B遺跡】から、【青森県津軽の縄文晩期亀ヶ岡式土器片が出土】したことが平成29(2017)年に確認された。

これは、【その時代に、丸木舟で自在に人々が移動していたことの証拠】である。その時代には、【九州南端の鹿児島から南西諸島を島伝いの海路があった証拠】である。

☆作者は北陸由来の縄文人? 沖縄出土の東北系土器
北方は【樺太南部、北海道、択捉島・国後島・歯舞諸島からも縄文土器】が見つかっている。特に【北海道南部の縄文遺跡周辺には津軽海峡の対岸としての関係深い種々の遺物、地名がある】。』

いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、第一級の日本の科学者である著者が、科学的な見地で、日本の古代史の考察から、現代に至るまで連綿と続く、私たちの日本文明について、諸外国には決して見られない、その独特な民族性について、国史を辿りながら解説をなされている良書になります。

さて、私たち日本の国史、それをマラソンに例えてみますと、縄文時代の始まりとされる紀元前14,000年、そこをスタート地点として、私たちが生きている現代をゴールとしたとき、本文中にございました千葉県で発掘された日本最古の丸木舟が利用されていたのは、私たち日本人がすでに3分の2ぐらいまで走った時代に当たります。

ちなみに、縄文時代の始まりをスタートにして、この結果になるのですが、実は、それよりももっと古くから、私たち日本人は日本列島に住んでいたことがわかっています。しかも、かなり高度な技術力を持って。
本文中に、北海道の知内町の「湯の里4遺跡」では、およそ20,000年前のものとされる旧石器時代の日本最古の墓が確認されていると書かれています通り、「縄文時代」よりも古い時代のものになります。
20,000年前のものですから、当然、さきほどの年表には表記できません。現在分かっている範囲で、年表にしてみますと、こんな感じになります。

今から、30,000年前の槍先形尖頭器は、偉人・相澤忠洋によって発掘された「黒曜石」で作られたものです。

☆相澤忠洋記念館HP
なぜ、相澤忠洋が偉人であるかと言いますと、以前にも書かせて頂いておりますが、そもそも私たちの日本には、「旧石器時代は無かった」とされていたんですが、戦後になって、「岩宿遺跡」の発見によって、見事にそれを覆したからです。

ところが、1970年代に、狂気の左翼集団である日本教職員組合(略称:日教組)は、「ゆとりある学校」を提起、その後「ゆとり教育」が始まるわけですが、なんと、「旧石器時代」が学習指導要綱から消されていました。

現在、安倍政権の下で、新しく学習指導要綱の改訂が行われており、2018年から順次移行していくのですが、ぜひ、世界最古の歴史を持つ私たち日本文明について、子どもたちに学校で教えていけるようにして頂きたいですね❤
その新学習指導要綱では、古事記や日本書紀に描かれている神話の世界についても教えるようになるようですので、どちらかというと、大人の方々の方が神話を知らない、という状況になって行くのではないでしょうか?
あと、もう一点。古事記や日本書紀などの神話を知ることも大切ですが、左翼リベラル的、つまりマルクス主義的な歴史観からの脱却も非常に重要なことで、「縄文時代」とか「弥生時代」という時代の区切り方が、日本独特のものであって、それが左翼リベラルが猛威を振るっていた50年ほど前から一般的になったという事実を認識しておかなければなりません。
「縄文時代」というのは、単に土器の文様、つまり「デザイン」から名付けられたものですが、「弥生時代」の「弥生」はただの「地名」です。なぜ、まったく異なった基準、関連性のないところで名付けられた時代区分を使って、子どもたちに教え込んでいるのでしょうか?
「 現在における日本の歴史の中では、最も大きく時間幅をとった場合、大体1万6500年ほど前から2400年ほど前の、主に狩猟・採集・漁撈をなりわいとしていた時期を、縄文時代という概念で捉えている。読者の方々も小中学校、高校の社会・歴史の授業で、あるいは発掘調査の報道で縄文時代や縄文文化という言葉を聞いたことがあるだろう。中には、博物館などで縄文時代の生活などといった展示を見た人もいるだろうし、ひょっとしたら「私は専門家だ」という人もいるかもしれない。いずれにせよ、学校で習ったことがないという人は、ほとんどいないだろう。
しかしながら、多くの人々が習ったはずのこの縄文時代という概念は、あくまでも第二次世界大戦後に「新しい日本の歴史」を語る上で用意された、いわば政治的なものであり、国外では内容的にこれに該当するような時代・文化は存在しない、日本独自の極めてユニークなものなのだと言ったら、読者の方々はどう思われるだろうか。
あるいは、その縄文時代の定義や内容をめぐって、現在の考古学界では侃々諤々(かんかんがくがく)の様々な議論が行われており、未だに決着を見ていない、と言ったら、いかがであろうか。
たとえば、縄文時代や弥生時代といった言葉が学界において認知されるのは1960年代の初めであるし、一般的に使用されるようになるのは、それからさらに10年ほど経ってからのことである。また、「縄文時代はいつ始まったのか」という問いに対して、明確かつ唯一のしっかりとした答えは、今のところ確定していないと言ってよいし、同様に、縄文時代から弥生時代へいつ移行したのか、「縄文時代はいつ終わったのか」という問いについても、考古学者の間では様々な意見が存在する。つまり、縄文時代の時間的範囲については、研究者によって様々な説が唱えられており、厳密な意味で万人一致した見解は存在しないのである。・・・
このように、教科書にも掲載されて、多くの方々が一度は学校で学んできた縄文時代・文化とは、突き詰めて考えると実は非常に曖昧なものであり、考古学者たちが「大体こんな感じかなぁ」と想うところで成り立っている、いわば「共同幻想」とでも言えるものなのである。…
本書には、『つくられた縄文時代』という過激なタイトルが付けられている。これを見てもわかるように、本書は縄文時代・文化について最新の研究成果を駆使しながら、読者の方々を過去の世界へと誘うような一般向けの「入門書」ではない。…縄文時代がどのように理解されてきたのかを、考古学の黎明期である明治の頃から検討し、それが第二次世界大戦後、「新しい日本の歴史」を創る上で、弥生時代とともに必要とされた時代区分であり、縄文時代という歴史的枠組みそのものが、実は非常にあやふやな側面をもったものであるということをお話ししたいと思う。」
詳しくはこちらをご参照❤
↓
☆ダーウィンの番犬 トマス・ヘンリー・ハクスリー ~ 日本の石器時代

つまり、政治的な意図を持って「作られた」のが「縄文時代」であり「弥生時代」というわけなんです。
そんなことを、一生懸命、覚えさせられているのが、可哀想な子どもたちなんです。
なぜ、そんな必要があるのでしょうか?
それが、左翼リベラル的、マルクス主義的な歴史観の刷り込みにあるんです。
詳しくはこちらをご参照❤
↓
☆縄文時代を劣位、弥生時代を優位と考えるような「危険思想」

続きは次回に♥
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