2017-10-24 (Tue)

麹町中学校内申書事件(こうじまちちゅうがっこうないしんしょじけん)は、日本において高等学校受験の際にいわゆる「内申書」に自己の思想に密接に関連する外部的行動が否定的に評価・記載されたことで学習権が侵害されたとする原告(保坂展人)が損害賠償を求めて起こした行政訴訟である。原告は思想・良心を教育の評価対象とすることが、日本国憲法における思想・良心の自由に反しないかと主張したが、最高裁は「思想、信条そのものを記載したものではないことは明らか」とし、上告を棄却した。
原告は、千代田区立麹町中学校在学中に学生運動に傾倒し、「麹町中全共闘」を名乗り、機関紙「砦」を発行するなどの活動を行っていた。担任教諭は内申書の「基本的な生活習慣」「公共心」「自省心」の欄にC評価(三段階の最下位)を付けるとともに、備考欄に「文化祭粉砕を叫んで他校生徒と共に校内に乱入し、ビラまきを行った。大学生ML派の集会に参加している」等の原告の学生運動に関する経歴を記述した。
高校受験に際し、原告は受験した全ての高等学校不合格になったが、それは内申書に不適切な記述をされたからだとして、国家賠償法に基づき、東京都及び千代田区に損害賠償を求めた。一審は慰謝料の支払いを認めたが、二審で原告が敗訴したため、原告が上告。最高裁判所は、内申書は「思想、信条そのものを記載したものではないことは明らかであり、また右の記載に関わる外部的行動によっては上告人の思想、信条を了知しうるものではない」として、上告を棄却した。
原告の保坂展人はその後、教育ジャーナリストから政界に転じ、衆議院議員、世田谷区長となる。また、この訴訟の原告側代理人の一人は、民主党所属の元衆議院議員である仙谷由人である。
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 杉田 : 私たちより上の世代の人たちは、【「あさま山荘」事件のような怖い事件】を知っている。阪神淡路大震災と同じ年には【オウム真理教の地下鉄サリン事件】もあった。もう20年以上経っているけど、それから比べると【SEALDs】なんて、決して怖い団体ではなかったけど、【そのバックにいるのはかつての過激派の生き残り】ですからね。


倉山 : これから大学に入る、社会人の一歩を踏み出すお子さんを持つ親が、そういう【左翼の過激派の存在を知らない世代にシフト】しつつありす。
こちらもご参照❤
↓
☆戦争を知らない子供たち ~ 本当に知らないことは何でしょう?

千葉 : でも、【そのフォローはまったくされていない】から、気づいた人が伝えていくしかないわけでしょう?

杉田 : 2015年に公職選挙法が改正されて、18歳で選挙権を持つようになりましたが、どういう考えで政治をとらえたらいいのか?という基本がしっかりしないうちに、高校生に【オルグ(勧誘活動)】が行われてしまうと、中には陶酔してしまう子も出ますよね。

倉山 : 【現世田谷区長】の【保坂展人(ほさかのぶと)】さんなんか、【中学生で全共闘を名乗って学生運動をやっていました】からね。

保坂展人
今聞くと、【中二病】で片づけられそうな話ですが、【「麹町(こうじまち)中学校内申書事件」といって最高裁判例になっている実話】です。

千葉 : びっくり! 知りませんでした。

保坂展人
倉山 : 【司法試験や資格試験を受験する勉強をしている人には必出の超有名な判例】なのですが、憲法の講義を受講したからといって、そんなに記憶に残っている人はいないかもしれませんよね。判例の解説に「保坂展人くん」なんて当事者の名前は出ませんから、個人的な興味で調べたマニアだけかな。知っているのは。
千葉 : だとすると、【中学や高校でそういう事件があったから気をつけてくださいなんて、わざわざ教えない】ですよね。

倉山 : 教えないでしょう。

ちなみに、【その事件で保坂さんについた弁護士の1人】が【仙石由人(せんごくよしと)】という人です。

千葉さん、覚えてます?

千葉 : 思い出した!【東日本大震災の時に民主党代表代行だった、パヨクの親玉!その前は官房長官!】』

いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、もうこれでもかって言うほど、私たちの日本にいるごく少数派の「左翼」「左翼リベラル」の実態について、ある時は実名で、またある時は誰にでもわかる伏せ字で、その悪行の数々を暴いている、非常にお勧めの書物となります。

さて、連日にわたって書かせて頂いておりますが、「リベラル」や「リベラリズム」とか、「共産主義」や「マルクス主義」は、同じ範疇に入り、歴史的に一連の流れで生じてきたものになります。

そして、それらは、宗教的な性格を帯びているものであり、日本共産党も、立憲民主党も、その流れの延長線上にある「カルト集団」です。


☆【パヨク画報】 安倍首相の秋葉原での街宣を妨害 ⇒ 立憲民主党のスタッフに~ネットの反応「へえーこれが「市民」の声ねえー」「さすがにこれはマスコミだんまりw」「何でこんなバレバレなことするの? 人変えるとか出来ないの? バカなの?」
「リベラル」や「リベラリズム」とか、「共産主義」や「マルクス主義」などは、キリスト教を根幹とする西洋社会で生じてきたものであって、私たち日本人とは、何の関係もないものです。
そして、その大本となっているのが「ユダヤ教」なんです。

中世から近代にかけてのユダヤ人の動きを追って行き、「リベラル」や「リベラリズム」とか、「共産主義」や「マルクス主義」がどのように生じてきたのかを理解することで、現代社会で生活する私たちが、ついつい見逃してしまいがちな大きな流れを把握することができるようになります。
もっとも重要な点を挙げておきますと、ユダヤ社会が分裂をしているということです。

北朝鮮(韓国も含めて)や、その後の支那を巡って、今後起こるであろう出来事を推測する上で、このユダヤ社会が分裂をしているということが非常に重要になってきます。
さて、私たちの日本で、足利義昭が織田信長軍の護衛により上洛、室町幕府15代将軍に就任した頃に、ネーデルラント諸州がスペインに対して反乱を起こした戦争、いわゆる「八十年戦争」(1568年~1648年)が勃発します。

16世紀中期から17世紀中期までのネーデルラント
このネーデルラントというのは、一つの国家ではなく、それぞれの諸州が政治的に統合されていた地域のことを指します。
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 ネーデルラント(オランダ語: Nederlanden、英語: Netherlands)は、「低地の国々」を意味し、現在のベルギー、オランダ、ルクセンブルクの3か国(ベネルクス)にあたる低地地域(オランダ語:ラーヘ・ランデン de Lage Landen 、英語:the Low Countries)内に存在した諸邦群を表す歴史学用語。日本語で原語に基づいて表現すると、「オランダ」は「ネーデルラント」と呼ぶのが正しい。」

人工衛星が撮影した低地諸国(ベネルクス)地方
そのネーデルラントの中に、八十年戦争で重要な役割を果たしたホラント州(現在は南北2州に分かれる)があり、北ネーデルラントの中枢であったことから、ポルトガル語でオランダの通称である「Holanda」の由来し、私たち日本人は「オランダ」と呼ぶようになります。

ホラント(北ホラント州と南ホラント州)
現在のドイツ西部にある「ナッサウ」、その地を拠点としてきた小貴族に「ナッサウ家」があります。

ナッサウ
そのナッサウ家に生まれたウィレム(1533年~1584年)は、相続により、ネーデルラントの所領と南フランスのオランジュ(オランダ語でオラニエ)公国を継承し、オラニエ公ウィレム1世となり、以後、ウィレム1世の子孫は代々オラニエ公を継承し、その家系はオラニエ=ナッサウ家と呼ばれることになります。

オラニエ公ウィレム1世
このウィレム1世は、ハプスブルク家絶頂期の支配者である神聖ローマ皇帝カール5世により、その将来を嘱望される人物で、のちにネーデルラント軍の副司令官にも任命されています。

ティツィアーノ・ヴェチェッリオ 『カール5世』1548年
ところが、カール5世から、スペイン・ネーデルラント関係の地位と領土を継承した息子のフェリペ2世の治世下のネーデルラント17州では、プロテスタントのカルヴァン派が広がっていたため、異端審問を実施、プロテスタントの弾圧を強化していきます。

フェリペ2世
1566年、フランドルで反カトリック暴動が発生し、その反乱はネーデルラント各地へと広まり、まだプロテスタントが浸透していない北部にまで暴動は拡大していきました。
これに対して、スペイン王・フェリペ2世は軍を派遣、これを鎮圧します。
スペイン王・フェリペ2世は、「太陽の沈まぬ帝国」と呼ばれるスペイン最盛期の王さまですが、

1598年のフェリペ2世の帝国
「異端者に君臨するくらいなら命を100度失うほうがよい」と述べているほど、熱狂的なカトリックでした。
そんなスペイン王・フェリペ2世ですから、ネーデルラントの有力貴族たちが、暴動の責任を問われ処刑されてしまいます。このとき、オラニエ公ウィレム1世はドイツへ逃れていたため助かっていますが、領地、財産の多くが没収されてしまいます。
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 1568年4月、ドイツに逃れていたウィレムは、軍を率いてオランダ北部と中部から一斉に進攻するが、5月23日ハイリハレーの戦いに勝利したものの、結局は失敗に終わった。
軍勢を整えて再起を図ったウィレムは、弟のローデウェイク(ルートヴィヒ)、アドルフらとともにスペイン軍に戦いを挑むが敗北し、今度はフランスに逃れ、ユグノーに合流した。そして「海乞食(ワーテルヘーゼン)」と呼ばれる海賊軍団(ゼーゴイセン)を組織し、低地地方の沿岸を無差別に略奪を繰り返しながら、徐々に勢力を回復した。
1572年4月1日海乞食はブリーレの占拠に偶然にも成功し、やがて港湾都市を少しずつ制圧していった。同年7月ホラント州は反乱側に転じ、ウィレムを州総督に迎えることとした。ホラント・ゼーラント2州に海乞食が足場を整えると、改革派が続々と流入し、徐々に主導権を握るようになった。
1572年にはホラント州、ゼーラント州の総督となり、反スペイン勢力の中心となる。これを受けて、スペインの迫害を受けていたプロテスタントの多くがこれらの州へ流入するようになった。
1573年2月にはホラント州でカトリックの礼拝が禁じられた。」
スイス・ジュネーヴの「カルヴァン主義」が飛び火して、スコットランドのカルヴァン主義者がプレスビテリアン(長老派)と呼ばれ、オランダでは「フーゼン(ドイツ語でゴイセン、ゴイゼン)」、フランスでは「ユグノー」と呼ばれるようになったということは、以前にも書かせて頂いております。同じ流れである、イングランドの「ピューリタン」は有名ですね。
詳しくはこちらをご参照❤
↓
☆カルヴァン主義と、オランダの「乞食」

こうして、ネーデルラント北部諸州とスペインとの戦争が始まり、途中の休戦期間(1609年から1621年までの12年間の休戦)を挟み80年間もの長期間にわたって争い続けることになります。
「キリスト教徒に偽装したユダヤ教徒」である「マラーノ(marrano)」たちの中に移り住む者たちがいて、大規模なユダヤ人コミュニティが形成され、「西のイェルサレム」とも呼ばれているアントワープですが、

アントワープ(アントウェルペン)
1576年11月4日、スペイン軍による略奪が行われます。ベルギー史上最大の虐殺とされる恐怖3日間、「アントワープ略奪」です。

アントワープ略奪
この略奪によって、ネーデルラントの文化、経済、金融の中心だったアントワープが衰退していくようになり、それに代わって勃興してくるのが「アムステルダム」です。ネーデルラントの中心地が、南部から北部へと移り変わることを意味しています。

ちなみに、スペイン軍が略奪をした理由は、軍隊の兵士に対する給料が払えなかったので、アントワープの金持ちたちから略奪してしまおう、ということでした。「太陽の沈まぬ帝国」と呼ばれたスペインに陰りが見え始めています。
続きは次回に♥
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