2017-10-21 (Sat)

宗教(しゅうきょう、英: religion)とは、一般に、人間の力や自然の力を超えた存在を中心とする観念であり、また、その観念体系にもとづく教義、儀礼、施設、組織などをそなえた社会集団のことである。
日本語の「宗教」という語は、仏教学者の中村元によると、仏教に由来する。仏教において、「宗の教え」、つまり、究極の原理や真理を意味する「宗」に関する「教え」を意味しており、仏教の下位概念として宗教が存在していた。幕末期にReligionの訳語が必要となって、今でいう「宗教」一般をさす語として採用され、明治初期に広まったとされている。宗教は、キリスト教をイメージする用語として受容され、日本人の宗教のイメージに大きな影響を及ぼした。
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 あれは一体、何だったのだろうか。
今年(2017年)2月、【文科省】が学習指導要領で【聖徳太子の表記を「厩戸王(うまやどのおう)」に変更すると公表】した。当然のごとく【反対論が殺到し、1か月で撤回】するに至った。

☆次期指導要領で「聖徳太子」復活へ 文科省改定案、「厩戸王」表記で生徒が混乱 「鎖国」も復活
【文科省】と言えば、旧文部省以来【「公務員試験にギリギリでしか受からなかった落ちこぼれの吹き溜まり」】

☆前川喜平「この衆院選は加計森友隠しの安倍政権に審判下すチャンス」
【「自分たちを二流官庁と思いあがっている五流官庁」】

☆文科省貧困問題調査員(※但し女子専門) 前川喜平「この衆院選は加計森友隠しの安倍政権に審判下すチャンス」~ネットの反応「そういや、このエロ親父すっかり過去の人になったな」
【「次から次へと予想もつかない愚かなことをしでかすキワモノ集団」】等々、

☆【新事実】前川喜平を「ラブオンザビーチ」で最初に発見したのは、同じバーへ遊びに行っていた現役NHK記者→NHK記者が官邸に報告して発覚~ネットの反応「まだ秘密が有ったのかよ😨」
【揶揄(やゆ)と嘲笑(ちょうしょう)の限りを尽くされてきた】が、【今度もまた“やらかしてくれた”】との念を抱いた。

一昔前、【学界を「聖徳太子不在論」が席巻】した。これに対しては、さすがに【良識的な学者が反論】し、その【根拠の薄弱さを指摘し尽くして終了】した。ところが、【文科省は既に終わった話を蒸し返そうとした】のだ。

ちなみに【文科省の言い分】は、【「鎖国」の表記も変更しようとした】ことも合わせ、以下の通りである。

社会科では、江戸時代に幕府が外国との交流を制限していたことについて、「鎖国」という言葉を使わず、「幕府の対外政策」と説明されます。中学校の歴史では、「聖徳太子」が「厩戸王」という書き方に変わります。「鎖国」は江戸幕府で使われておらず、「聖徳太子」も亡くなった後、100年以上たって付けられた名前だからです。
(『読売KODOMO新聞』平成29年3月8日)

☆学習指導要領見直し
なるほど、その時代において使われている言葉を使うべきだ。当時、使われていなかった言葉だから、使わない、ということか。【これで公平中立客観を気取っているのだから、この人たちの頭脳硬化が度し難い】。

ならば、【武田信玄と上杉謙信は川中島で戦っていないことになる】。

「 5回ある戦いのうち、【武田晴信が信玄と称するのは第三次合戦の後】で、【上杉輝虎が謙信を名乗るのは第五次合戦の後】だからだ」
などとしたり顔で講釈を垂れるのが歴史学だろうか。

武田信玄(左)・上杉謙信(右)一騎討像 長野市八幡原史跡公園
また、【上杉氏は北条氏と抗争】したが、【お互い相手のことを「長尾」「伊勢」と旧姓で呼び続けた】。

上杉としては、伊勢氏が鎌倉幕府で執権を務めた北条を名乗ることは政治的正当性を認めることになる。逆に北条氏としては、長尾氏が室町幕府の関東管領の地位を継ぐ上杉を名乗ることは、同じ理由で認めがたい。【「当時に使われた言葉を尊重する」のは結構だが、誰が使った言葉なのか】。人が言葉を使う時、自己の利益や立場から逃れられるはずがない。

あるいは単純に、【「北条早雲不在説」】でも唱えてみようか。

【戦国の後北条氏が「北条」を名乗るのは二代目の氏綱から】であり、【「その時代に使われていた言葉」を基準にするなら創業者の名前は「伊勢長氏」とすべき】であろう。

北条早雲画像(小田原城所蔵)
さらに言おう。

【「江戸幕府」とは、極めて政治的な用語】である。【江戸時代のほとんどの人】は、【徳川将軍家による政府を、「御公儀」と呼んだ】。もちろん、「御」「公」には「日本国の政権を司る最高の存在」の意味合いがある。それに対して、【幕府の意味は「朝廷より派遣された軍事指揮官の本営(テント)」である】。幕府とは、尊皇論者が「お前は最高の存在ではない」との意味合いを込めた言葉なのだ。

こちらもご参照❤
↓
☆「幕府」って、どうやったら作れるの?

ついでに言うと、【「将軍」は同時代人には「上様」と呼ばれた】。これでもかと立場性が現れている。
以上のような話は、【歴史の常識】なのだが、【最近はこの程度の基礎的な訓練を受けていないのに、社会に向かってモノを言う御仁が増えているので困ったもの】だ。


【文科省のお役人様の誤謬(ごびゅう)】は、【歴史において完全な「客観性」などありえないということを理解していないこと】である。そもそも、人間のやることに完全などありえるのか。【文科省の方々】が「我こそは公平中立客観である」と言い切ることは、【自分は完全無欠の間違いなどしない人間であるという傲慢さの裏返し】にほかならない。

完全であろうと努力することと、自分が完全であると思い込むことは、似てもいないし非なるものである。』

いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、以前に御紹介させて頂いております、同じ著者による室町時代に関する書物の続編になります。

詳しくはこちらをご参照❤
↓
☆倉山満 倉山満が読み解く 太平記の時代―最強の日本人論・逞しい室町の人々
世界屈指、最長不倒、そして悠久の歴史を持つ私たち日本の歴史、それをマラソンに例えてみますと、縄文時代の始まりとされる紀元前14,000年、そこをスタート地点として、私たちが生きている現代をゴールとしたとき、「室町時代」というのは、ゴールまであと2キロほどの時代になります。

実は、現代の日本人の文化に見られる多くのものが、この時代に形成されています。そして、この時代の日本人が、とんでもないのですが、それは本書をご覧頂くと理解できると思います。

さて、昨日のところまでで、「リベラル」や「リベラリズム」とか、「共産主義」や「マルクス主義」が、同じ範疇に入り、歴史的に一連の流れで生じてきたものだ、ということを書かせて頂きました。

そして、その国の伝統ある文化を破壊し、革命をもたらし、国家そのものを転覆しようとしている、それが隠れマルクス主義者である「リベラル」が考えていること、彼らの思想そのもの、もっと正確に申し上げますと、彼らの「信仰」「宗教」だということも書かせて頂きました。

そして、その大本となっているのが「ユダヤ教」で、昨日のところでは、ポーランドについて見てきました。

私たち日本で、「室町時代」、「戦国時代」を迎えていた頃、中世のヨーロッパで、最大のユダヤ人の人口を誇っていたのがポーランドで、ユダヤ人の財力もあって、のちにヨーロッパ有数の大国へと発展していくのですが、「宗教改革」を経て、キリスト教が分裂することになる、まさに、その先駆けの動きが、このユダヤ人を大量に抱えるポーランド周辺で起きたことは、決して無視することができない事実です。
ポーランドの位置は、地政学的にも重要ですので、普段とは違った向きで地図を確認して頂けると、良く理解できると思います。



そのポーランド王国の東側には、リトアニア大公国があり、広大な領土を擁していました。

1387年頃のリトアニア大公国の領土
このリトアニア大公国は、国家の支配層の民族構成においてリトアニア人は少数派で、特にルーシ人と呼ばれる東スラヴ人が多かった多民族国家でした。また、もともと非キリスト教国家だったリトアニア大公国が、人口が多いルーシの正教徒が住む地域を領土化していく過程で正教徒の信仰を認め、1387年にローマ・カトリックを正式な国教とはしたものの寛容でした。

13〜15世紀におけるリトアニア大公国の領域
1430年以降、このリトアニア大公国とポーランド王国は、実質的に同君連合を形成、支配階層のポーランド文化への同質化が進みます。
そして、1569年には、ポーランド王国とリトアニア大公国の制度的国家合同(ルブリン合同)によって、ポーランド・リトアニア共和国が誕生します。

ルブリン合同によって成立したポーランド・リトアニア共和国
○ポーランド王国(濃いピンク)、○リトアニア(薄紫)、○プロシア公領(肌色)、○リヴォニア(グレー)、○エストニア(黄緑)、○オリーブ色の活字および境界線は現在の国名および国境線
ここでポーランド・リトアニア共和国の、16世紀半ばと17世紀初頭の人口構成を確認しておきます。
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 1569年
【総合人口 約700万人】
○ポーランド人 - 450万人
○リトアニア人(リーヴ人) - 75万人
○ユダヤ人 - 70万人
○ルーシー人 - 20万人
1618年
【総合人口 約1200万人】
○ポーランド人 - 450万人
○ウクライナ人(ルーシー人) - 350万人
○ベラルーシ人(ルーシー人) - 150万人
○リトアニア人 - 75万人
○プルーセン人 - 50万人
○ユダヤ人 - 50万人
○リーヴ人(リトアニア人) - 50万人
○タタール人( リプカ・タタール人) - 10万人
○ロシア人 - 10万人 」
同時代の私たち日本の人口の推定値は、諸説ありますが、こんな感じになっています。

で、先程の人口構成の中で、ユダヤ人の人口が減少していることにお気付きだと思います。
実は、この頃に、第二のユダヤ都市が勃興してくるんです。それが、オランダのアムステルダムになりますが、このお話は次回以降にさせて頂きます。
それでは、本日の最後になりますが、多くのユダヤ人を擁する、宗教に寛容な大国、ポーランド・リトアニア共和国の位置を、もう一度確認しておきましょう。

ポーランド・リトアニア共和国



バルト海から黒海周辺に至る、東部ヨーロッパの平坦地をほぼ手中にしていることが理解できると思います。
商人・高利貸しのユダヤ人からすれば、東部ヨーロッパを押さえている訳ですから、次に狙ってくるのは、どこでしょうか?
南部にある現在でいうところのオーストリア、西隣のドイツは、ともにハプスブルク家が治めている強国の支配地です。

1600年のヨーロッパ
そのヒントですが、下の神聖ローマ帝国の領土の変遷をご覧頂き、途中から領土の縮小が始まるところがあります。そのキーとなっているのが、まさしくオランダなんです。

現在の国の輪郭と神聖ローマ帝国の領域の変遷

続きは次回に♥
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