2017-10-16 (Mon)

『人間の堕落』 ヤーコブ・ヨルダーンス
カルヴァン主義(カルヴァンしゅぎ、Calvinism)とは、すべての上にある神の主権を強調する神学体系、およびクリスチャン生活の実践である。
宗教改革の思想家ジャン・カルヴァンにちなんでカルヴァン主義と名づけられている。このプロテスタントのキリスト教は、改革派の伝統、改革派信仰、改革派神学と呼ばれる。
今日、この語はカルヴァンが初期の指導者であった改革派教会の教理と実践を意味する。またこの神学体系は予定説と全的堕落の教理により、最もよく知られている。
日本語では「カルビン主義」表記で知られる。
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 今でこそ、【龍馬と双璧を成す英雄の信長】ですが、【そうなったのは意外に最近の話】です。過去の日本では相撲で言うと【「関脇」くらいの番付】で、【決して横綱とか大関ではありません】でした。…

織田信長
信長のイメージというのは大きく分けて、【江戸】、【明治から昭和戦前】、そして【昭和20年以降】の3つに分かれます。

まず【江戸時代】ですが、【当時の最大のヒーロー】は誰かというと、【別格で徳川家康】です。…ですが、【庶民の知名度は意外と低く、ほぼゼロに近い】のではないかという話もあります。例えば【浮世絵で家康が扱われた実績はゼロ】です。神様なので扱えないからです。…

徳川家康像(狩野探幽画、大阪城天守閣蔵)
江戸時代の家康は別格だとして、【戦国武将では秀吉がダントツ】です。理由は、【日本で一番出世した男】だからです。

豊臣秀吉像(狩野光信筆 高台寺蔵 重文)
家康が別格、秀吉が横綱、続いて【大関の武田信玄と上杉謙信】で、【信長はその下ぐらい】でした。よくて関脇ぐらいですが、【下手をすれば明智光秀より下】です。信長が光秀に負けていて、光秀は秀吉に負けているので、【秀吉が一番偉い】のです…

【明治時代】に移りまして、【人気ナンバーワンは、やはり秀吉】です。…
【戦前まで】話を進めて来ましたが、【まだ信長は“関脇”のまま】です。つまり【信長は戦後になって急に「英雄」になります】。それが何の因果か、部下の秀吉と入れ替わる形でした。

【戦前最大のヒーローは豊臣秀吉】でしたが、【戦後日本においてのタブー】を犯しています。それが【朝鮮出兵】です。

『朝鮮征伐大評定ノ図』(月岡芳年作)新撰太閤記の一場面
大日本帝国は朝鮮半島に攻め込もうとしていた時期なので、【本当に攻め込んだ秀吉は偉い!】だったのですが、【戦後】は外国人を殺しまくったということで、【ヒーロー扱いできなくなります】。』

いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、学校の授業や大河ドラマや映画、はたまた小説や漫画やゲームなどなど、色々な場面で登場する、あの「織田信長」について、恐らくは、大多数の日本人が間違ったイメージを刷り込まれたままになっていて、そのことについて「驚き」を持って気付かされる、非常にお勧めの良書になります。

織田信長がヒーローとして扱われるのが「戦後」だったということが、御理解頂けましたでしょうか?
司馬遼太郎や井沢元彦、堺屋太一なんかの本を読むと、おかしな織田信長を刷り込まれてしまうことになりますので、読まなくても構わないと思います。当ブログでも、この3名は取り上げる予定が全くありませんので。
,
さて、ここからは昨日の続きになります。
ユダヤ教やキリスト教、そしてイスラム教は、その根っこが同じ宗教です。

彼らの考え方では、全知全能の唯一の神さまが、この世界を造ったということになっています。
このことが、如何にバカバカしい考え方なのかと申しますと、世界屈指、最長不倒、そして悠久の歴史を持つ私たち日本の歴史と比較してみると一目瞭然となります。

私たち日本の国史、それをマラソンに例えてみますと、縄文時代の始まりとされる紀元前14,000年、そこをスタート地点として、私たちが生きている現代をゴールとしたとき、神さまが世界を創世したとされるのは、私たち日本人がすでに3分の2ぐらいまで走った時代に当たります。

ちなみに、縄文時代の始まりをスタートにして、この結果になるのですが、実は、それよりももっと古くから、私たち日本人は日本列島に住んでいたことがわかっています。しかも、かなり高度な技術力を持って。このことは、また、別の機会に書かせて頂きます。
こちらもご参照❤
↓
☆(問題) 世界で最初に焼き肉を食べていたのは、どの民族でしょう?

お話を戻しますと、要するに、ユダヤ教もキリスト教も、そしてイスラム教も、その初期設定からして、すでに間違っているんです。
信じるのは勝手ですが、そんな出鱈目な宗教の考え方の違いで、ドンパチやって他人に迷惑をかけないで頂きたいものですね❤

で、私たち日本の国史で「江戸時代」というのは、あと残り、たったの1キロ程度という時代になります。

この頃、西洋社会は、「中世」という時代から、「近代」(あるいは「近世そして近代」)へと移りゆく時代になります。
「中世」から「近世・近代」へと移り変わる、この頃の大きな特徴は、キリスト教という信仰のうえで、人間に対する「絶対的な神の存在」が揺らぐ、つまり、何でもかんでも「神さまの言うとおり」(=教会の言うとおり)ではなく、「自分たちで考えたって良いんじゃないの?」みたいな、「人間を主体」として考える流れが生じていくことです。
すなわち、「科学革命」、「近代哲学」、「啓蒙主義」、これらが勃興していく時代へと突入していくんです。
平和を長く享受した、江戸時代の私たち日本と違って、西洋世界では、同じ宗教なのに殺し合いをする、地球中を侵略していく、そんなトンデモな時代でした。

また、キリスト教徒によって、追放されたり虐殺されたりされるユダヤ人がいる一方で、奴隷貿易やアヘン貿易で富を築くユダヤ人も居ました。
そんなユダヤ人が関係した、イギリスにおける「ピューリタン革命」において、王さまのチャールズ1世が処刑されたのが、1649年のことになります。

チャールズ1世の処刑
さらに、そこから45年後に中央銀行であるイングランド銀行が設立されました。

イングランド銀行憲章の調印(1694年)
このイングランド銀行の設立にも、実はユダヤ人が関係しています。
西洋社会において、「中世」という時代から、「近代」(あるいは「近世そして近代」)へと移りゆく時代であるこの頃、西洋の王さまたちは、借金手形を乱発するようになります。ところが、身勝手な西洋の王さまたちは、しばしば借金を踏み倒したりしていました。約束なんて、知ったことか、という態度です。これですと、おカネを貸す方が一方的に不利になってしまいます。そこで、王さま個人への貸付ではなく、キチンとした契約に基づいた国家に対する貸付へと変わって行くようになります。それが、現代でいうところの「国債」へと整えられていくわけです。
そして、その始まりは、オランダにありました。

私たちの日本が「鎖国」している時代に、「オランダ」は貿易を許されていたわけですが、このことは学校でも習うことで、誰でも知っていると思います。
では、その「オランダ」は、いつ頃に出来た国でしょう?ということを考えるために、昨日までのところで、ネーデルランド周辺を巡る歴史の流れを中世中心に、ざっと確認してきました。
江戸時代の手前、その頃のヨーロッパでは「宗教改革」の嵐が吹き荒れていました。そしてカトリックに対抗する宗派が勃興していきます。

イギリスで「イギリス国教会」(聖公会)が成立するのも、この時代です。
『 「ブラッディーマリー(Bloody Mary)」いわずと知れたカクテルの名前である。…「ブラディーメアリー」とも「ブラッディーマリー」とも呼ばれるが、本来の発音に近いのは「ブラディーメアリー」だろう。…
1553年、エドワード6世のあとを継いでイングランド国王に即位したメアリー1世は熱心なカトリック教徒であった。彼女の父ヘンリー8世以来、イングランドでは独自に宗教改革が進んでいて、ドイツ、オランダなどに広まったプロテスタントとは別に、イギリス国教会が信仰されていた。
イングランドは、もともとバチカンの法王庁とは良好な関係を保っていた。それが、ヘンリー8世の時代、離婚問題でこじれたのがもとで袂を分かつことになる。王は妻との離婚を法王庁に認めるように頼んだのだが、教皇クレメンス7世がこれを却下したのだ(※カトリックでは離婚や避妊、中絶、自殺は禁止されている)。
そのため、ヘンリー8世はそれまでの態度を変え、教皇が公私を問わず生活面においても首位を保っているのはおかしいと主張、国内の聖職者に対しても、自身が首長であり保護者であると公言…聖職者たちも…それを認めた。
それに従ったカンタベリー司教がヘンリー8世の離婚と別の女性との再婚を認めたため、教皇はヘンリー8世を破門する。
だがヘンリー8世は1534年、首長令を公布しイギリス国教会のトップに君臨することになった。…
(その流れを)ひっくり返したのが後継のメアリー1世だった。メアリー1世はカトリックへの復帰を宣言し、国内に増えつつあったプロテスタントを迫害、女性や子どもを含む約300人を処刑したため、「ブラディーメアリー」と呼ばれたのだ。処刑された者のなかには、カンタベリー司教…もいた。ただ、メアリー1世が亡くなると、カトリックへの復帰運動は立ち消えになる。』
詳しくはこちらをご参照❤
↓

この「イギリス国教会」(聖公会)のトップには、現在もイギリス女王が君臨しています。
そして、現代アメリカ社会に存在する、キリスト教の社会階層化の最上位に位置しているのが、この「イギリス国教会」(聖公会)です。
そして、その次の階層に当たるのが、トランプ大統領の属しているプレスビテリアン(長老派)で、その大本にあたるのが、昨日のところで見てきた「カルヴァン主義」でした。

ジャン・カルヴァン
詳しくはこちらをご参照❤
↓
☆現代アメリカの「タブー」

「カルヴァン主義」の考え方の特徴は、『予定説』と『全的堕落』によって捉える事ができます。
『予定説』というのは、「神の救済にあずかる者と滅びに至る者が予め決められている」という考え方で、『全的堕落』というのは、「すべての人間が罪によって全的に堕落している」という考え方です。
スイス・ジュネーヴの「カルヴァン主義」が飛び火して、スコットランドのカルヴァン主義者がプレスビテリアン(長老派)と呼ばれ、オランダでは「フーゼン(ドイツ語でゴイセン、ゴイゼン)」、フランスでは「ユグノー」と呼ばれるようになります。特に、イングランドの「ピューリタン」は有名ですね❤

以下は、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 ゴイセンまたはゴイゼン(独: Geusen)、フーゼン(蘭: Geuzen)、グー(仏: Geux、Gueux)は、スペインによる迫害に抗して1566年に結成されたネーデルラントの貴族の同盟である。
由来は「乞食」を意味し、日本語訳して「乞食党」ともいう。のちに、同地におけるカルヴァン派を指すようになった。
1477年にハプスブルク家の所領となったネーデルラント17州は、神聖ローマ皇帝カール5世(スペイン王としてはカルロス1世)の死後、息子フェリペ2世の統治下にあった。熱烈なカトリック教徒であったフェリペ2世は、カトリックの教義を再確認したトリエント公会議の決定事項を実行すべく、ネーデルラントで異端審問を行い、プロテスタントを弾圧した。また都市の自治権を剥奪し、市民には重税を課すなどした。これに対し、ナッサウ伯ルートヴィヒ(ローデウェイク、オラニエ公ウィレム1世の弟)やブレーデローデ伯ヘンドリックが中心となって同盟を結成、カトリック・プロテスタント双方から、下級貴族約400名が集結した。

フェリペ2世
1566年4月5日、彼らはブリュッセルの宮廷に赴き、総督パルマ公妃マルゲリータに対し、トリエント公会議の決定事項の強制を取りやめるよう求める請願書を提出した。この時、慌てたマルゲリータに対し廷臣ベルレーモンが、「ゴイセン(乞食)の群れに過ぎません」と語ったことから「ゴイセン」と呼ばれるようになり、また彼らもこのように自称した。以後「ゴイセン」はネーデルラントの愛国者を指す名称となった。抗議行動は新教徒、殊にカルヴァン派を中心として展開されたため、カルヴァン派の異称ともなった。
ゴイセンは各地で野外説法を行ってスペインの暴政を非難し、また一部の過激派は教会を襲撃して聖像を破壊した。」
当然、これらの活動に対して、厳しい弾圧が行われるのですが。。。
「 この弾圧で、10万人ともいわれるネーデルラント人が国外へ亡命した。彼らはカルヴァン派貴族を中心にして「海の乞食団」(蘭: Watergeuzen:ワーターフーゼン、独: Wassergeusen:ヴァッサーゴイゼン)と呼ばれる軍事集団を組織。 オラニエ公ウィレム1世の特許状やイングランドの支援を後ろ盾に、スペイン船の拿捕や海岸近くのカトリック教会の襲撃を行った。」
ちなみに、フェリペ2世がスペイン王として即位する前に結婚したのが、さきほど登場したイギリスのメアリー1世でした。

メアリー1世
また、このフェリペ2世の時代に侵略され、国名までも変えられたのが「フィリピン」(1565年)です。
続きは次回に♥
ランキング参加中で~す^^ ポチっとお願いします♥
↓↓↓↓↓↓↓

にほんブログ村

人気ブログランキングへ

- 関連記事
-
- ペリーの黒船来航(1853年)の13年前の、とある出来事 (2017/12/14)
- 絶対に「切腹できない」のが左翼リベラル ~ 責任を取らない人々 (2017/12/13)
- 「寄せ鍋」は、16000年前からの日本の伝統です (2017/11/12)
- すでに2万年前に、津軽海峡を行き来していた日本人 (2017/11/11)
- 5000年前の日本人が、北海道と青森県の間を船で輸送していたモノ (2017/11/10)
- 習近平も金正恩も、スペイン語の「マラーノ(marrano)」です (2017/10/22)
- 日本の癌である「リベラリズム」も「共産主義」も、その根っこは「ユダヤ教」なんです (2017/10/21)
- カルヴァン主義と、オランダの「乞食」 (2017/10/16)
- 【問題】 次の中で、「天才」は誰? ①織田信長 ②豊臣秀吉 ③徳川家康 (2017/10/15)
- 日本の鎖国中、貿易を許されていた「オランダ」って、いつ頃に出来た国でしょう? (2017/10/14)
- 「織田信長」を知らない、私たち日本人 (2017/10/13)
- 昔から、私たち日本の女性は、「逞(たくま)しい」 ~ 女性優位の日本 (2017/10/09)
- 日本人が、本当の江戸時代を知らない理由 ~ 「遊郭」の例 (2017/10/08)
- 8000年前から、「オシャレ」だった日本人 (2017/08/18)
- 日本国を滅ぼしたい人たちの望みをかなえるためには、何をすればいい? (2017/07/19)