2017-10-13 (Fri)

南蛮人(16-17世紀、狩野内膳画の南蛮屏風より)
16世紀、ポルトガルとスペインのイベリア半島諸国が、インドから東南アジア一帯の港湾都市や島嶼域の貿易拠点の一部に植民地を得て、交易圏を日本にまで伸ばしてきた。これらの諸国と日本との南蛮貿易が始まると、貿易によってもたらされた文物を「南蛮」、「南蛮渡来」と称するようになった。やがて、本来は人に対する蔑称であった「南蛮」が、侮蔑語というよりは、異国風で物珍しい文物を指す語(昭和初期までの「舶来」と同義)として使われるようになった。同時に、人に対する呼び名としては南蛮人(なんばんじん)という言葉が生まれた。
南蛮と同類の言葉に紅毛があり、南ヨーロッパ系の南蛮に対し、北ヨーロッパ系のイギリス人やオランダ人を意味した。
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 人の命は、たかだか五十年。
この世界の中で、夢幻のように儚(はかな)い、ちっぽけな存在。
だったら、己はどのように生きるべきか?

織田信長
最初に、なぜ近代史家の私が信長を語るのか、理由を説明しましょう。

幕末、【白虎隊(びゃっこたい)の子供たち】は、【毎日切腹の作法を訓練】していました。【自分たちは武士】だから、庶民と違って【責任を負わなければならない】と、【心から思って生きていた】からです。【本当のエリート意識】を背負って生きていました。

【明治までのエリート】には、【人の上に立つ者の覚悟】がありました。だから、【世界史の奇跡】と言われる【明治維新を成し遂げ、日清日露の両大戦を勝ち抜き】、世界の誰にも媚びないで生きていける【強い国、大日本帝国を築き上げました】。

大日本帝国 最大行政統治・軍事勢力圏
しかし【昭和】になり、【エリートが「試験で優秀な成績を取った人」というわけの分からない定義に変わって】しまい、

結果、陸軍も海軍も官僚たちも【“自称エリート”たちの庇(かば)い合いばかり】で、【誰も責任を負わない】まま、【敗戦という取り返しのつかない大失敗】をおかしてしまいました。

それでも戦前は、まだいい。少なからずの指導者たちが、自らの命を絶ちました。せめて、「死んでお詫びをしなければ」という責任かがありました。「アンタらが死んだくらいで、責任はとれないだろう!」と言いたくもなりますが、それでも【己の命よりも責任が重い】という意識はありました。

翻って【現代日本】、実に【グダグダな時代】です。戦争に負けて、負けっぱなし。殴り返す気力すら、失っている。アメリカの持ち物にされたばかりか、ロシアや中国までが「それを俺に寄越せ」と小突き回しに来る。あまつさえ、韓国や北朝鮮にまで舐められている。
元をたどれば、占領軍のダグラス・マッカーサーが日本人をそういうふうに去勢したのでしょうが、いつまで70年前の占領軍に責任を押し付けるのか。いいかげん、マッカーサーがいなくなって60年も経つのだから、【自分で強くなる、自分で賢くなる努力を始めるべき】ではないのでしょうか。
この【グダグダな現代を、どう生きるか】。私は【そのヒントを、本書で織田信長に求めたい】と思います。

信長が生きた【戦国時代】は、【大名】は戦に負けたら【自分だけ腹を切って】、家臣や領民のことを許してもらいました。【それだけの緊張感があった時代】でした。
では、信長は自分が生きた戦国時代を、どのように見ていたか。
グダグダな時代だと見ていました。

足利義昭像(古画類聚)
当時の日本の政治に責任を持つべき【足利将軍】に【実力がなく】、日本国は麻のように乱れていました。【多くの人が「それで何が悪いの?」と考えていました】。それは、そうでしょう。政治に責任を持つ立場の足利将軍ができないのに、他の誰が「グダグダ」を立て直すことができるのか。【権限もないのに、身の丈を超えることをする必要はない】。だったら【現状の中で最も自分の生活が安泰となる生き方をすればいい】。【日本中の人がそう考えていた時代】が、100年続いていました。
ところが、【信長は違いました】。

人の命は、たかだか五十年。この世界の中で、夢幻のように儚い、ちっぽけな存在。
だったら、己はどのように生きるべきか?
「だったら、【自分が】このグダグダを立て直してやろう」
「【自分が】やらなきゃ誰がやる?」
「誰もやらないなら【自分が】やる!」

天下布武の印
本気で実行に移します。【天下布武(てんかふぶ)】です。』

いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、学校の授業や大河ドラマや映画、はたまた小説や漫画やゲームなどなど、色々な場面で登場する、あの「織田信長」について、恐らくは、大多数の日本人が間違ったイメージを刷り込まれたままになっていて、そのことについて「驚き」を持って気付かされる、非常にお勧めの良書になります。

手始めに、さきほどの最後に出てきた「天下布武」について。
この「天下布武」という言葉を、軍事力を使って日本を統一する、なんて勘違いをなされている方々は、いまだに多く存在するのではないでしょうか?
本当はどういった意味で、どれほど勘違いをしているのか、確認してみましょう。
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 信長は美濃攻略後に井ノ口を岐阜と改名した頃から「天下布武」という印章を用いている。訓読で「天下に武を布(し)く」であることから、「武力を以て天下を取る」「武家の政権を以て天下を支配する」という意味に理解されることが多いが、その真意は、軍事力ではなく、中国の史書からの引用で七徳の武という為政者の徳を説く内容の「武」であったと解釈されている。
従来、「天下布武」とは天下統一、全国制覇と同意であると解釈され、信長は「天下布武」達成のために領土拡張戦争を行ったとされてきた。しかし2010年代の歴史学では、戦国時代の「天下」とは京都を中心とした五畿内(山城、大和、河内、和泉、摂津の5ヵ国。現在の京都府南部、奈良県、大阪府、兵庫県南東部)のことを意味し、「天下布武」とは五畿内に足利将軍家の治世を確立させることであり、それは足利義昭を擁して上洛後、畿内を平定し、義昭が将軍に就任した永禄11年9月から10月の段階で達成された事、とされている。」
少なくとも、この時点で驚かれている方は、ぜひ、本書をご覧になってみてください。本当の意味での、魅力ある「織田信長」が見えてきますよ❤

さて、この「織田信長」が生きた戦国時代が終わり、徳川家康による江戸時代の幕開けにより、私たち日本は平和な時代を迎えます。ただし、この当時、世界最強の軍事力を持っていたのも、私たちの日本でした。
私たちの日本が、「貿易を勝手にはさせない」「どの国と貿易するかは幕府が決める」と決定しても、あまりにも軍事力が強すぎるために、文句をつけて、無理やり軍事力を使って「貿易をさせろよ」って、どの外国も怖くて言えなかった、これが、いわゆる「鎖国」の実態です。

そもそも、「鎖国」という言葉の使用は、はるか後の時代で、特に明治時代に江戸幕府に対するレッテル貼りのように用いられた言葉です。
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 「鎖国」という語は、江戸時代の蘭学者である志筑忠雄(1760年〜1806年)が、1801年成立の『鎖国論』」(写本)において初めて使用した。
この「鎖国」という語はその際の新造語であるが、本は出版されず写本として一部に伝わっただけで、「鎖国」という語も広まらなかった。ただし、『鎖国論』を国学者である平田篤胤が入手して『古道大意』などの著作に引用されたこと、幕末に黒沢翁満が『鎖国論』を『異人恐怖伝』に改題して自らの攘夷論を示した『刻異人恐怖伝論』(1850)を加える形で刊行されるなど、『鎖国論』そのものの社会に対する影響は小さくなかったとする見方もある。
実際に「鎖国」という語が幕閣の間で初めて使われたのは1853年、本格的に定着していくのは1858年以降とされている。さらに一般に普及する時期は明治時代以降である。」
要するに、国家が行う「管理貿易」に、キリスト教の禁止や、入出国の禁止をともなったものといえる対外政策です。
なぜ、そんなことが必要だったのでしょうか?

答えはとっても簡単ですね!
「南蛮人」は、読んで字のごとく、非常に「野蛮な人種」だということを知っていたからです。

スペインとフランスに跨る「バスク地方」と呼ばれる地域、この地域には、「バスク語」を話す「バスク人」が、現在も存在していますが、「バスク人」は、捕鯨で有名な民族です。

余談になりますが、最近のニュースで独立云々と話題になっているのが、ちょうど「バスク地方」の反対側にある「カタルーニャ民族(カタラン人、カタロニア人)」が多く住む「カタルーニャ地方」です。

スペインにおけるカタルーニャ州(赤)
ただし、「バスク人」と違って、「カタルーニャ民族(カタラン人、カタロニア人)」なるものは、定義も明確ではなく、本当にそんな民族いるの???っていう程度で理解しておくのが良いのかもしれない、とういうのが当ブログの見解です。ですから、政治的な思惑や扇動している連中がいるのかも、と考えています。
で、お話を戻しまして、その「バスク人」のイグナチオ・デ・ロヨラが、1534年に「イエズス会」を設立、ここに世界の植民地化が本格的にスタートします(1533年には、すでに南米の「インカ帝国」が攻め滅ぼされています)。

イグナチオ・デ・ロヨラ

世界の植民地化の流れ
1543年には、種子島にポルトガル人が、1549年には、これまた「バスク人」のフランシスコ・ザビエルがやってきます。
1563年に、イエズス会宣教師のルイス・フロイスがやってきて、1569年、織田信長に謁見しています。
1570年に、「スルタン国マニラ王国」が、スペイン人によって征服されます。現在のフィリピンですね。
この辺りのことは、以前にも書かせて頂いておりますので、そちらもご参照ください。
↓
☆ラプ=ラプ と 安倍総理

いかがでしょうか?
「南蛮人」が、非常に「野蛮な人種」だということが理解できますね❤
こういったことを、当時、世界最強の軍事力を持っていた私たちの日本は、すでに知っていたわけです。
だからこその「鎖国」です。

私たちは、もう一度キチンと、私たち日本の「国史」を、正しく捉えなおしていく必要がありますね!
その手始めに、本書をご覧いただくのも、良いのではないかと思います。

続きは次回に♥
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