2017-10-03 (Tue)

近代時世粧ノ内 「ほろ酔ひ」小早川清 1930年
モボ・モガとは、それぞれ『モダン・ボーイ』『モダン・ガール』を略していった語。1920年代(大正末期から昭和初期頃)に、西洋文化の影響を受けて新しい風俗や流行現象に現れた、当時は先端的な若い男女のことを、主に外見的な特徴を指してこう呼んだ。戦前の日本の若者文化では、最も有名な例である。
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 【日本とアメリカとの関わり】で、【最初にして最大】とも言えるのが、日本史の大転換点だった【幕末の開国、そして明治維新への関わり】でしょう。

「大政奉還図」 邨田丹陵 筆
長崎の出島という狭い窓口のみで、【西洋との関係】を保ってきた鎖国の国・日本に、風穴を開けたのがアメリカでした。…

日本の版画に描かれたペリー 嘉永7年(1854年)頃
しかし、幕末の動乱を経て発足した【維新政府が国政の模範としたのは、アメリカではなくもっぱらヨーロッパ】でした。…

憲法に限らず、【大正末期までの日本】では、下手にアメリカをほめると、単に拘束を嫌うだけの「自由主義者」と揶揄されたり、軽薄な人間というレッテルを貼られたりしました。当時の日本の知識人にとって、【「西洋」とは、もっぱらヨーロッパ、ドイツ、フランス、イギリスを指していた】のです。

とはいえ、アメリカが手をこまねいて見ていたわけではありません。とくに【経済戦争】では、【米英が互いにしのぎを削りあった勢力争いの最前線は日本】でした。財閥の銀行の金融資本の系列を、どちらの国の銀行が組み込むかという争いです。

争いの当事者は、【アメリカのロックフェラー】と【イギリスのロスチャイルド】でした。この両者がせめぎあっていたために、明治、大正前半までの日本は、結果的にどちらからも自由だったのです。

ところが、大正の終わりからアメリカの力が全般的に強くなって、イギリスが大きく衰退します。そうすると、目ざとくそれを見てとった日本の各界のリーダーたちはいち早く【アメリカの模倣】へと視線を切り替え、【日米関係が濃密なものに】なっていきました。…日本は急激に【アメリカナイズされた国】になります。

モガの例(1928年 銀座)
そのために、【アメリカの教会団体の支援】を受けた【プロテスタント】のミッションスクールや大学が一流の地位を得るようになりました。東京山の手の一角は、戦前から「気分はすっかりワシントン・ハイツ」という感じになり、最先端の若者はニューヨークの最新ファッションを身につけて銀座へ繰り出したのです。

榎本健一
人々は彼らを「モボ」「モガ」と呼んでもてはやしました。「モボ」とは「モダンボーイ」、「モガ」は「モダンガール」の略です。…

筑波雪子
というわけで、日本は明治以来、ヨーロッパの文化を西洋文化と捉えて模範にしていたのに、【第一次世界大戦が終わるころ】には、【急激にアメリカ文化に迎合する】ようになりました。』

いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、現代アメリカを考える上で、非常に参考になる良書で、もちろん著者のお考えである、少し長期的な視点に立った、「アメリカ帝国の衰亡」の始まり、という予見に沿った展開でお話が進められるのですが、それ以上に参考になるのが、現代アメリカの「表面的な部分」ではなく、「深層に隠された部分」に関して、つまり、一般的には「タブー」とされて、あまり報道されないような部分について、詳しく解説がなされており、御一読頂きますと、現代アメリカに対する見方が、また違った形になるのではないか、と思います。

さて、本文中で著者は、「争いの当事者は、アメリカのロックフェラーとイギリスのロスチャイルド」だったと明確に書かれています。
少し確認してみましょう。
司馬遼太郎の本などを読んで、間違ったイメージで多くの人々が捉えてしまっている典型的な歴史上の人物の一人が、あの坂本龍馬です。

坂本龍馬
「 日本の歴史教育のなかでは、ユダヤのことについてはほとんど教えられていません。…
多くの日本人は、自分たちはユダヤとは縁がないと思っています。しかし日本の近代史を振り返ってみますと、その節目の重要なところではユダヤ系の資金がかかわっています。
たとえば、幕末の日本で活躍した貿易商人・グラバーは、香港のジャーディン・マセソンという有名な財閥の代理店でした。ジャーディン・マセソンはユダヤ財閥のロスチャイルド系であり、グラバー商会はユダヤ勢力のフロント組織でした。そのフロント組織が坂本龍馬を支援し、薩長に武器などを販売していました。明治新政府設立には、グラバーの支援が大きくかかわっています。…」
詳しくはこちらをご参照❤
↓

続きまして、さきほど登場した、この(↓)人物も見ておきましょう。

日本の版画に描かれたペリー 嘉永7年(1854年)頃
「 ペリー提督の娘キャロラインは美貌で知られ、ニューヨークの富豪オーガスト・ベルモントに嫁(か)していた。

ペリーの娘 キャロライン

オーガスト・ベルモント
ベルモントはイギリス・ロスチャイルド家のエージェントであった。ロスチャイルド家にはベルモントの他にもう一人のエージェントがいた。それが法律家アーロン・パーマーだった。このパーマーこそが「日本開国計画」を立案し、時の政権に建言した人物だった。」
詳しくはこちらをご参照❤
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☆キリスト教徒にとって理想的な社会 ~ アメリカ

いかがでしょうか?
幕末から明治に、イギリスのロスチャイルド家が関わっているということが、御理解いただけますでしょうか?
さて、ここからは昨日の続きになります。
現代ヨーロッパ人、いわゆる「西洋文明」と呼ばれる人たちの祖先が、その現代ヨーロッパとされる地域にやって来たのが、4世紀以降になります。


『ローマに迫るフン族』ウルピアノ・チェカ
こちらもご参照❤
↓
☆(問題) 縄文時代から現代までをマラソンに例えると、「室町時代」はゴールまであと何キロ?

連日、繰り返し書かせて頂いていることですが、ここで強調しておきたいのは、私たち日本人は、とんでもなく長い時間に渡って、この日本列島に居住し続けているということ、そして、その文化は途切れることなく、ずっと連続しているということです。
ところが、他の国々は、そうではないんです。

異民族・異教徒であった人たちが、現在のヨーロッパとされる地域に流れ込み、キリスト教化され、1000年以上の歳月を経て、独自のキリスト教文化を繁栄させる時代、それが、西洋でいうところの「中世」という時代で、私たちの日本で言えば、室町時代の頃、ルネサンスと呼ばれる時代(14世紀から16世紀)は、まさにキリスト教化のピークとも言える時代です。

と同時に、キリスト教化のピークであるルネサンスの時代、まさにこの頃から、キリスト教の西洋世界が、ぐらつき始めます。
その理由の一つとして、昨日のところでは、古代ギリシャ・ローマの古典への回帰が盛んになり、「ヒューマニズム(humanism)」、「人文主義」の流れが起こっていったことについて書かせて頂きました。
この時、古代ギリシャ・ローマという異文化が融合していきます。
また、このルネサンスの時代に、多大な影響を与えたのが「ヘルメス主義」という一種の神秘主義で、占星術や、錬金術、自然哲学が研究されるようになります。
詳しくはこちらをご参照❤
↓
☆在日・姜尚中、「ルネサンス」を語る

それまでの学問の技法や思考の過程といった「学問のスタイル」は、「スコラ学」と呼ばれる形態でした。「スコラ」とは英語の「School(学校)」と同源語で、その特徴は、信仰や理性に関して、ある問題から理性的に、理づめの答えを導き出し、その矛盾を解決しようと試みるといったもので、あくまでも、キリスト教の教義に則った学問のスタイルでした。
ところが、ルネサンスの時代に入り、「ヒューマニズム」が盛んになってくると、スコラ学は「ガチガチで形式主義的で古臭く、哲学において不適切な方法」とみなされるようになり、人文主義者らから、目の敵にされ、忘れ去られたかのようになっていくようになります。
ここまでの流れを簡潔に表現してみますと、もともと異教徒で異邦人の末裔である当時のヨーロッパの人々が、キリスト教化を極めていった先に、古代ローマ・ギリシャの文化・文明を引き継ぐために、それを受け入れようと古典の研究をしたところ、当時の教会勢力(つまりキリスト教カトリック)に対する批判の動きが生じていった、ということになります。
そして、悲惨な「キリスト教徒同士の殺し合い」へと発展していきます。
私たちの日本では、「戦国時代」という時期になります。

まず、「宗教改革」の先駆者とされる人物を確認しておきましょう。
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 ジョン・ウィクリフ(John Wycliffe, 1320年頃 - 1384年12月31日)は、イングランドのヨークシャーに生まれた、宗教改革の先駆者とされる人物である。
オックスフォード大学の教授であり、聖職者であったウィクリフは、ローマ・カトリックの教義は聖書から離れている、ミサに於いてパンとワインがキリストの本物の肉と血に変じるという説(化体説)は誤りである等、当時イングランドにおいて絶対的権力を持っていたローマ・カトリックを真っ向から批判した。
1384年12月28日の幼児虐殺の日の礼拝に出ている時、脳卒中が再発し、年の終わりに死去した。その後、ヨーロッパでフス派が広まった。
ウィクリフは死後30年ほど後、1414年のコンスタンツ公会議で異端と宣告され、遺体は掘り起こされ、著書と共に焼かれることが宣言された。これは、12年後にローマ教皇マルティヌス5世の命により実行された。ウィクリフの墓は暴かれ、遺体は燃やされて川に投じられた。
1401年の反ウィクリフ派法は、ウィクリフの名誉を汚し、ウィクリフに共鳴する者を迫害することを定めた。1408年には、ウィクリフの著書および聖書を英訳して読むことは死に値する異端の罪であるとした。」

ジョン・ウィクリフ
そのジョン・ウィクリフの後に続くのが、ヤン・フスです。

ヤン・フス
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 ヤン・フス(Jan Hus, 1369年頃 - 1415年7月6日)は、ボヘミア出身の宗教思想家、宗教改革者。ジョン・ウィクリフの考えをもとに宗教運動に着手し、ボヘミア王の支持のもとで反教権的な言説を説き、贖有状を批判し、聖書だけを信仰の根拠とし、プロテスタント運動の先駆者となった。カトリック教会はフスを1411年に破門し、コンスタンツ公会議によって有罪とされた。その後、世俗の勢力に引き渡され、杭にかけられて火刑に処された。」

杭にかけられて焼かれるフス
そして、ジロラモ・サヴォナローラ。

ジロラモ・サヴォナローラ 1524年
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 ジローラモ・サヴォナローラ (Girolamo Savonarola, 1452年9月21日 - 1498年5月23日) は、フェラーラ生まれのドミニコ会修道士。フィレンツェで神権政治を行った。宗教改革の先駆と評価されることもある。
説教壇から激烈な言葉でフィレンツェの腐敗ぶりやメディチ家による実質的な独裁体制を批判し、信仰に立ち返るよう訴え、市民を感激させた。信奉者は次第に増え、メディチ家当主のロレンツォ・デ・メディチも、死の間際(1492年)にサヴォナローラを招いて罪を告白したと言われている(捏造ともいわれる)。1494年、フランス軍が侵攻してくると、それを予言していたということで信望が高まる。メディチ家はフランスへの対応を誤ったことからフィレンツェを追放され、サヴォナローラが共和国の政治顧問となって政治への影響力を強める。これ以降、神権政治が行われることになった。
次第に教皇国をも批判し、1497年には教皇アレクサンデル6世(ロドリーゴ・ボルジア)から破門される。贅沢品として工芸品や美術品をシニョリーア広場に集め焼却するという「虚栄の焼却」も行われ、市民生活は殺伐としたものになった。
サヴォナローラの厳格な姿勢に対しては反対派の不満も高まっていった。1498年、対立するフランチェスコ会修道士から預言者なら火の中を歩いても焼けないはずだとして「火の試練」の挑戦を受けた。これは4月7日の当日、フランチェスコ会側が怖気づいたために実施されなかったが]、4月8日サン・マルコ修道院に暴徒と化した市民が押し寄せ、ついに共和国もサヴォナローラを拘束する。彼は激しい拷問を受けた。教皇の意による裁判の結果、絞首刑ののち火刑に処され殉教した。

遺骨はアルノ川に捨てられた。

のちに、フィレンツェでは共和制のシンボルとしてミケランジェロの代表作、ダビデ像が造られる(1504年)が、1512年にはハプスブルク家の軍事的支援を受けたメディチ家がフィレンツェに復帰することになる。こうした社会の混乱でフィレンツェ社会の活力は失われ、ルネサンスは終息に向かっていった。」

ミケランジェロ作『ダビデ像』
で、このあと、あのマルティン・ルターへと繋がって行きます。

マルティン・ルター
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