2017-10-02 (Mon)

川中島の戦い
日本の戦国時代(せんごくじだい)は、日本の歴史(にほんのれきし)において、15世紀末から16世紀末にかけて戦乱が頻発した時代区分である。
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 【2017年は、ロシア革命から100周年】ということになります。

しかし、もはや【共産主義が「敗者のイデオロギー」となって久しい】ものがあります。今日むしろそれは【“パクス・アメリカーナ(アメリカによる平和と繁栄)”が世界にデビューしてちょうど100年を迎えた年】として、よりいっそう重要な意義が見出だされるべきでしょう。

ウッドロー・ウィルソン
【1917年】4月、【アメリカのウィルソン大統領】は「民主主義にとって安全な世界を作るため」と称して、【大々的に第一次世界大戦への参戦を宣言】しました。
【以後の100年間】、【世界の秩序】はその高邁な理想を掲げ続けた【アメリカの手によって担われてきた】と言えましょう。

しかし、それは続けられるのか。…
思い起こせば、ベルリンの壁が崩壊した直後の1990年から、アメリカが世界から少し身を引き、他国により対等な発言権を認めて、アメリカはむしろ関係国の中でのワン・オブ・ゼム(one of them)の立場に身を引いて、他国との協調を第一にして国際社会にもっと自己抑制的に関わっていたら、冷戦後の世界は、今のような対抗を基調としたものではなく、今よりもずっと共存と協調を基調とした多極世界が成立していた可能性があったのです。
しかし、冷戦後に【世界最強の軍事力】を持ち、【ドルという基軸通貨】を握っていた【アメリカでは、逆にネオコン(タカ派の新保守主義)が強力になってきました】。…

湾岸戦争とソ連崩壊が重なった1991年以降、【アメリカは圧倒的なパワーを有する唯一の超大国】になりましたが、同時に【その本質は大変無力な存在】になってしまいました。じつは、【「極めて強力だが、本質的に無力な存在」】、それが唯一の超大国アメリカなのです。

アメリカは冷戦後の25年間に、一国覇権主義の立場を守るため、【各地の紛争に介入】しては、【失敗ばかり】繰り返してきました。
それは冷戦後、アメリカが世界の秩序を守る行動を取ろうとすると、アメリカ国内の世論が、「もはや【ソ連の脅威がなくなった】のに、どうして【アメリカが世界に介入し続ける必要があるのか】」と反対し、その結果、アメリカは【中途半端な介入】しかできなくなって、結局、【泥沼化させてしまう】ことになったからです。』

いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、現代アメリカを考える上で、非常に参考になる良書で、もちろん著者のお考えである、少し長期的な視点に立った、「アメリカ帝国の衰亡」の始まり、という予見に沿った展開でお話が進められるのですが、それ以上に参考になるのが、現代アメリカの「表面的な部分」ではなく、「深層に隠された部分」に関して、つまり、一般的には「タブー」とされて、あまり報道されないような部分について、詳しく解説がなされており、御一読頂きますと、現代アメリカに対する見方が、また違った形になるのではないか、と思います。

さて、ここからは一昨日の続きになります。
現代ヨーロッパ人、いわゆる「西洋文明」と呼ばれる人たちの祖先が、その現代ヨーロッパとされる地域にやって来たのが、4世紀以降になります。


『ローマに迫るフン族』ウルピアノ・チェカ
こちらもご参照❤
↓
☆(問題) 縄文時代から現代までをマラソンに例えると、「室町時代」はゴールまであと何キロ?

そして、この他の地域から、現代の西洋と呼ばれる地域にやって来た人たちが、全く異なる文化・文明である「古代」ギリシャ・ローマを受け継いでいると錯覚し、キリスト教化されく、1000年以上の歳月を経て、独自のキリスト教文化を繁栄させました。それが、西洋でいうところの「中世」という時代になります。
この時代の区切りの一つが、1453年の、オスマン帝国による、東ローマ帝国(ビザンチン帝国)の滅亡でした。異教徒の国によって、キリスト教国家が消滅させられたんです。

私たちの日本で言えば、室町時代の頃、ルネサンスと呼ばれる時代(14世紀から16世紀)は、まさにキリスト教化のピークとも言える時代です。

で、キリスト教化のピークであるルネサンスの時代、まさにこの頃から、キリスト教の西洋世界が、ぐらつき始めます。
と、ここまでが一昨日のお話でした。
それでは、どうしてキリスト教の西洋世界がぐらつき始めたのでしょうか?

このルネサンスの時代に、キリスト教化がピークを迎えるわけですが、古代ギリシャ・ローマの古典への回帰が盛んになるようになります。
元々、他所の地域からやってきた人々の末裔である当時のヨーロッパの人々が、それ以前の、文化・文明の中心であった古代ローマ・ギリシャの研究を始め、古代ローマ・ギリシャの古典と、自分たちの創りだした当時の文化を融合させようという流れが起こるんです。
それが、ラテン語で「フマニタス(humanitas)」、英語では「ヒューマニズム(humanism)」、日本語でいうところの「人文主義」になります。

何故か現代では、パヨクな連中が、「戦争反対」「弱者救済」といった人道主義的・博愛主義的な主張を「ヒューマニズム」なんて表現したりしていますが、勘違いも甚だしいですね❤
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 ルネサンス期における「ヒューマニズム(人文主義)」とは、主として古典研究、フマニタス研究を指すが、20世紀にはいると、この古典研究の意味から離れて合理主義的解釈が施され、以下のような極端なとらえ方がなされる場合がある。善や真理の根拠を、神でなく理性的な人間の中にみいだそうとした、と。その延長上として「人間中心主義」と訳出する場合があるが、この「人間」とは、西欧近代的な価値観に基づく「理性的」な人間であり、理性中心主義・西欧中心主義に通じる概念である、と。この解釈は、啓蒙主義以後の観点であり、ルネサンス人文主義とは明確に区別されるべきであろう。
「フマニタス(羅: humanitas)」という概念は、既に古代ローマ時代にあっては、ローマ市民が学ぶべき教養として理解されていた。これが中世においては、大学で教授される自由七科(教養学科)へと受け継がれた。こうした古典の研究は、特に14世紀後半以降フマニタス研究 (Studia humanitatis) と呼ばれ、その研究者は人文主義者(ユマニスト、ヒューマニスト)と呼ばれ始めた。

フランチェスコ・ペトラルカ
14世紀イタリアのペトラルカ以降、古典古代(ギリシア・ローマ)への関心が高まるルネサンス期になると、スコラ学的なアリストテレス哲学に基づく論理体系に対して、キリスト教以前の古代のギリシア・ローマの詩歌、歴史、修辞学の中に倫理の源泉を見いだそうとする動きが生じた。この点で、神中心のカトリックに対する人間中心主義とも言われるが、論理体系・視座において新たな姿勢を打ち出しただけで、キリスト教そのものを否定したわけではないし、必ずしもカトリックとの対立を伴ったわけではなかった。古典研究に根ざした、教養ある人士の生き方、生活様式が人文主義者(ユマニスト)の身上とされた。」
「 人文主義者(じんぶんしゅぎしゃ)とは、ルネサンス期において、ギリシア・ローマの古典文芸や聖書原典の研究を元に、神や人間の本質を考察した知識人のこと。特に、15世紀-16世紀に活動したフランス人の影響が大きいため、日本ではフランス語のまま「ユマニスト」(仏: humaniste)と表現されたりもする。英語では「ヒューマニスト」(英: humanist)、イタリア語で「ウマニスタ」(伊: Umanista)など、各言語の相当語彙でも共有・表現される概念だが、人道主義・博愛主義などの意味で用いられる場合と区別するために、「ルネサンス・ヒューマニスト」(Renaissance humanist)などと表現されたりもする。人文学者(じんぶんがくしゃ)とも。
人文主義者は古代ギリシア・ローマの古典を学ぶことによって人格形成を目指した。古典の人文学研究(Studia humanitatis)はペトラルカに始まる。人文主義者の父と呼ばれるペトラルカは、人間を学問の中心にすえて、本来相容れない古典文化とキリスト教を折衷した。
中世のスコラ学が神学的な概念中心の学問であり、神学や法学等の諸学問における研究・議論が枝葉末節に陥り、その本質から逸脱することが見られたのに対し、人文主義者は古典研究を通して、神や人間の本質・本道の理解と実践に立ち返ることを求め、より自由な思考ができた点に特色がある。」
で、このヒューマニズムの原則である「源泉へ」という思想が、やがて、「宗教改革」の動きへと繋がっていくようになります。

以下は、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 人文主義者の思想には、後の宗教改革に結びつく要素も見られ、既成の権威に反抗して弾圧を受けた人物も見られる。ただし人文主義者の多くは穏健な思想を持ち、ほとんどの場合カトリックの信仰を保っていた。学識によって宮廷に仕え、権力者のブレーンとして活動した人物も多かった。従って、カトリック側と宗教改革運動側の対立が激しくなると、人文主義者は渦中から身を引く場合が多かった。

『1523年のエラスムス』ハンス・ホルバイン作
「エラスムスが生んだ卵をルターがかえした」と言われるように、宗教改革の初期、エラスムスはルターを支持していたが、まもなく両者は決別した。こうした点で人文主義者の限界が指摘されることもある。しかし、神や人間の本質・本道への理解と実践へ立ち返ることを求めた人文主義者が、ユグノー戦争に例を見るような、神の本質の理解と相容れがたい狂信的な宗教対立を忌むことは当然の帰着であり、むしろ人文主義者のそうした声が宗教改革において無視されたともいえる。
そうした中で書かれたモンテーニュの『エセー』は、宗教改革期に人文主義者が「本道」を説いた作品といえる。ユグノー戦争の最中、モンテーニュは「寛容」を説き、ヨーロッパ人と人食い人種のどちらが野蛮かを問うた。その思想は今日でも有効性を失っておらず、人文主義者の一つの達成といえる。」
いかがでしょうか?
ここまでの流れを簡潔に表現してみますと、もともと異教徒で異邦人の末裔である当時のヨーロッパの人々が、キリスト教化を極めていった先に、古代ローマ・ギリシャの文化・文明を引き継ぐために、それを受け入れようと古典の研究をしたところ、当時の教会勢力(つまりキリスト教カトリック)に対する批判の動きが生じていった、ということになります。
そして、悲惨な「キリスト教徒同士の殺し合い」へと発展していきます。
私たちの日本では、「戦国時代」という時期になります。

続きは次回に♥
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