2017-09-27 (Wed)

択一クイズ(たくいつクイズ)とは、クイズの形式の一つで、複数の選択肢から正しい答えを選ぶもの(多肢選択法)。選択問題(せんたくもんだい)とも。○×クイズ(二択クイズ)も含まれるが、択一クイズと呼ばれるのは、三択以上を指すことが一般的である。
選択肢として正解が見えているため、ハズレの選択肢をどのように作るかが重要になる。
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 宮崎 : 【韓国】では、歴史については【学問的レベルが低すぎ】ます。なにしろ、自分に都合のいい【ファンタジーを信じています】から。

しかしそれ以外の分野なら、みんな知識量がすごいのではないですか。受験大国ですし。

室谷 : ところが、【韓国の大学の入試】はもちろん、【入学してからの試験】もほとんど【5者択一といった形式】なんです。だから、【文章を書く能力は非常に低い】ですよ。…

その端的な例は、【ノーベル賞】を金大中の平和賞以外に【誰一人として受賞していない】ということに尽きるかもしれません。

宮崎 : いつもノーベル賞の発表時期になると、【日本人がとるかどうかを異常に気にします】ものね。【自分たちがとれない】ものだから、【日本人が受賞するかどうかが気になってしかたがない】。ネットでは【そうした過剰意識を「ノーベル症」などとも揶揄されています】ね。

経済産業方面に転じて見てみると、【韓国独自の発明、つまり韓国がリードした新しい産業分野はない】ということになるのではないですか。…
室谷 : 【そのとおり】です。…たんに【安い労働力】で大量につくることで、【価格競争力で勝ってきただけ】ですから。

宮崎 : 【学問レベルが低い】というのは、やはり【韓国の教育のせい】ですか。【反日教育ばかり】していて、…【教養は身につかない】ですよね。
室谷 : 【そうです】ね。日本もそうかもしれませんが、やはり【韓国の教員というのはだいたい左翼がなります】から。…』

いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、先日もご紹介させて頂いた人気シリーズの対談本の一つになります。


詳しくはこちらをご参照❤
↓
☆宮崎 正弘、室谷 克実 日本に惨敗し ついに終わる中国と韓国
支那や朝鮮の「正しい情報」をお知りになりたい方には、必須の書物になります。既存メディアでは、ほとんど報じられない「事実」が「てんこ盛り」な良書で、非常にお勧めです❤

さて、朝鮮人が、どうしてもノーベル賞が取れない理由って何なのでしょうか?

本文中に唯一貰えたのが「ノーベル平和賞」だとありましたが、あれは政治的な意味合いだけのものであり、数に含める必要がないことは、あのオバマでも貰えることができたことからも明らかですね❤
「 オバマ大統領は核兵器の廃絶を唱えてノーベル平和賞を受賞したが、その「廃絶」のメッセージはイランだけに向けられていたという見方もあるぐらいで、核兵器の製造や開発もまた莫大な利益を軍需産業にもたらすのであり、オバマ大統領の「核兵器廃絶」の訴えも疑わしい…
オバマ政権は2010年から2020年の10年間、核兵器工場の近代化のために、800億ドルの予算をかける予定だ。財政年度2011年、オバマ政権は核弾頭生産のための予算増額を行ったが、その増額幅はアメリカ史上最大のものである。

ロスアラモス国立研究所の研究費は22%の増額がなされ、これも1944年以来最大である。これら核兵器開発のための予算増額も、イランの核開発がその正当性の理由となっている。」
こちらをご参照❤
↓
☆オバマ大統領がノーベル平和賞を受賞した理由

ちなみに、私たち日本人は、昔から非常に優秀で、数々のノーベル賞を受賞していますが、その一方で、手柄を横取りされてもらえなかった人たちがたくさんいます。
「 アメリカには何度か行った。…みんな親しみを込めた笑顔とよくわからないジョークで出迎えてくれた。親米派日本人を育成するフルブライトで行った人たちに聞いたら、みな同じ印象を語ってくれた。
「そう、彼らは快活でとてもいい人たちだった」
何度か客人で行った後、今度は特派員で行った。向こうに棲んで彼らの隣人になって生活を始めた途端、過去の旅では経験したことのない人種の壁にぶつかった。…
彼らの意識は「白人・キリスト教徒・文明」の三位一体でてきている。「文明」のところには「寛容」でも「慈悲」でも何でも代入できる。対して日本人などは「有色・異教・野蛮」の三位一体になる。
彼ら白人にとって何が腹立たしいかというと、日本人を観測していると「野蛮」のところに、ごく自然に「礼儀」とか「寛容」とかが入ってきてしまう。白人キリスト教徒がかなり苦労して演じてきたポーズを、日本人はなんのてらいもなく振る舞ってみせる。それがなんとも小面(こづら)憎く見える。

ペストによって死屍累々となった街を描いたヨーロッパの絵画
彼らがそれを最初に意識したのは1894年、香港でペスト(黒死病)が流行したときだと言われる。このとき日本から医療支援の一員として北里柴三郎が赴いた。そして、着いて二日後に世界で初めてペスト菌を見つけた。死んだ鼠からも同じ菌を見つけて香港政庁に鼠の駆除を提唱した。その助言で香港ペスト禍は3カ月で終息した。

北里柴三郎
欧米の医学界が何世紀も追ってきた黒死病の正体を日本人があっさり解明したことは、驚きと嫉妬で迎えられた。
しかし文明は白人のものだ。彼らは仏人医学者が同じころ発見したことにして、北里の栄誉をとった。1960年代、菌の学名に残っていた北里の名も消した。日本はそれを荒立てもせず寛容で受け入れた。
そのペスト騒ぎがあった年、日本は清と戦争を始め、清の独製大型戦艦を小さな海防艦で沈めた。・・・」
詳しくはこちらをご参照❤
↓
☆欧米医学界が何世紀も追ってきた「黒死病の正体」を、日本人はたったの2日で発見したんです

「 さて、日本の未来を担い、海外に出ていった日本人の中に、北里柴三郎がいます。日本が誇る世界的な医学者です。
彼は33歳のときに、内務省衛生局からドイツのベルリン大学へ留学。パスツールとともに、“近代細菌学の開祖”と称えられるコッホのもとで、研究に明け暮れました。
朝、目覚めたら、まっすぐ研究室へ。1日が終わったら、まっすぐ自分の部屋へ。柴三郎はベルリン到着から1年余りも、自分の部屋と研究室を結ぶ道しか知らなかった、と言われています。
柴三郎が毎日てくてく歩くのは、研究室へと向かう一本道。4年後、その一本道に、大輪の花が咲きました。
明治22(1889)年、柴三郎は、破傷風菌の純粋培養に成功。当時の細菌学の権威たちが挑戦して、ことごとく失敗に終わっていた破傷風菌の純粋培養に、極東の小さな島国、医学後進国の日本からやって来た青年が成功したのです。
続いて翌明治23(1890)年には、破傷風菌に対する免疫抗体を発見して、それを応用した血清療法を確立しました。血清療法というのは、菌体を少量ずつ動物に注射しながら、血清中に抗体を生み出す画期的な手法です。
この血清療法をジフテリアにも応用しようと、柴三郎は同僚のベーリングとともに研究を重ね、論文も発表します。その功績により、柴三郎は、第1回ノーベル生理学・医学賞の候補にノミネートされるという、栄誉を得ました。
残念ながら、ノーベル賞を受賞したのは、共同研究者のベーリングで、柴三郎の受賞は叶いませんでした。けれども、200年以上鎖国が続いた日本から、開国して40年足らずで第1回ノーベル賞候補が出るなんて、誰が予想できたでしょう。ノーベル賞は逃したとはいえ、柴三郎の功績は、なんら色あせることはありません。
留学先であるドイツの政府も、柴三郎にプロフェッソル(大博士)の称号を贈呈。この栄誉ある称号を外国人が受賞したのは、柴三郎が初めてでした。
“世界の北里”となった柴三郎。彼の功績はもちろん素晴らしいのですが、私は、それ以上に、彼の生き方にシビれています。
明治30(1897)年、弟子の志賀潔が、弱冠26歳で赤痢菌を発見し世界を驚かせたときのこと。志賀潔は、自著『ある細菌学者の回想』の中で、こう記しています。
「 私は大学を出たばかりの若僧だったから、(北里柴三郎)先生の共同研究者というよりも、むしろ研究助手というのが本当であった。しかるに研究が予期以上の成果をあげて論文を発表するに当たり、先生はただ前書きを書かれただけで、私一人の名前で書くように言われた。普通ならば当然連名で発表されるところである。発見の手柄を若僧の助手一人にゆずって恬然(てんぜん)としておられた先生を、私はまことに有り難きものと思うのである 」
実は、赤痢菌発見の快挙は北里柴三郎との共同研究であり、むしろ志賀潔は研究助手であったというのです。その手柄を、柴三郎は、すべて弟子のものにしたのです。
しかも、「恬然」とは、「平然」という意味です。つまり、そのことを恩に着せることなど一切なかった、ということでしょう。なんとも粋ですよね。
さらに明治32(1899)年、米国のフレキシナー博士が赤痢の調査研究のため来日した際、柴三郎は、通訳として野口英世を抜擢。この縁で、野口英世は24歳で渡米。野口英世の世界への道を切り開いたのも、柴三郎だったのです。
そして大正6(1917)年、柴三郎は慶応義塾大学に医学部を創設、初代医学部長として迎えられます。その後十年余りの間、慶応義塾で医学教育の発展に尽くしますが、その間、慶応義塾から何度報酬を受け取るように言われても、彼は頑として受け取らなかったといいます。
柴三郎は、なぜ、これほどまでに見事な生き方ができたのでしょうか。
ここで、明治24(1891)年に話はさかのぼります。まだ柴三郎がベルリンにいた頃です。」
詳しくはこちらをご参照❤
↓
☆北里柴三郎の生き方 ~ これが私たち日本人の生き方なんです

まだまだ、例を挙げるとキリがないんですが、こういった私たち日本人には見られる事例が、なぜか、あの朝鮮人らには存在しないんです❤
一体、どうして、そうなってしまうんでしょう?

それは、もの凄く簡単に申し上げますと、朝鮮人は「馬鹿が遺伝しているから」なんです(笑)

そのことは、こちらの書物を読めば分かることなんです。
↓
☆橘 玲 言ってはいけない 残酷すぎる真実

この遺伝のお話は、近々、別の書物の御紹介の際に書かせて頂きます。
続きは次回に♥
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Re: 初めまして * by みっちゃん
doaさん、はじめまして(*^_^*)
そして、コメントありがとうございます!
貴重な情報、ありがとうございました❤
これからも頑張って良書を御紹介させて頂きますので、どうぞ、宜しくお願い致しま~す☆彡
そして、コメントありがとうございます!
貴重な情報、ありがとうございました❤
これからも頑張って良書を御紹介させて頂きますので、どうぞ、宜しくお願い致しま~す☆彡
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