2017-07-08 (Sat)

鹿島神宮
神社(じんじゃ・かむやしろ)とは、日本固有の宗教である神道の信仰に基づく祭祀施設。産土神、天神地祇、皇室や氏族の祖神、偉人や義士などの霊などが神として祀られる。文部科学省の資料では、日本全国に約8万5千の神社がある。登録されていない数万の小神社を含めると、日本各地には10万社を超える神社が存在している。また、近畿各地には生国魂神社など創建が古い神社が多く存在する。
祭祀対象は神道の神であり、「八百万(やおよろず)」と言われるように非常に多彩である。神聖とされた山岳や河川・湖沼などから、日本古来の神に属さない民俗神、実在の人物・伝説上の人物や、陰陽道・道教の神、神仏分離を免れた一部の仏教の仏神などの外来の神も含まれる。また稲荷や猿、鯨など動物を祭神とする神社、子孫繁栄の象徴として男根の像を祀る神社もある。
古くは神聖な山、滝、岩、森、巨木などに「カミ」(=信仰対象、神)が宿るとして敬い、社殿がなくとも「神社」とした。現在の社殿を伴う「神社」は、これらの神々が祀られた祭殿が常設化したものとされる。神は目に見えないものであり、神の形は作られなかった。神社の社殿の内部のご神体は神が仮宿する足場とされた御幣や鏡であったり、あるいはまったくの空間であることもあり、さまざまである。
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 【縄文時代】には今のような【神社やお寺などはありません】。その代わりに【集落や周辺の人々が集まって祀りを行っていました】。

こちらもご参照♥
↓
☆日本にあった「バベルの塔」 ~ 三内丸山遺跡のスゴイところ
☆関東風の遺跡が九州に存在するナゾ ~ 西日本最大級・宮崎県の「本野原遺跡」
自然界の霊的存在を【感じ】、それらと【共に生きてきた】と思われる彼らは、特定の存在に祈るというよりは、【いろいろなものに対して祈りを捧げる】といった具合だったようです。
今でも「【お天道様】が見ているから悪い事は出来ない」と言ったりする事がありますが、これは、【縄文時代に培われた霊的存在に対する畏怖の念】が、今に続いているのかもしれません。

天岩戸神話の天照大神(春斎年昌画、明治20年(1887年))
また自然のリズムに対しても祈りを捧げていたのではないでしょうか。太陽の力が一番弱まる冬至、昼と夜が同じ長さになる春分、秋分。時には満月の夜や新月の夜にも祀りを行ったかもしれません。その時に登場するのが【土偶や石棒】なのです。それらの道具を使い、自分たちの願いを叶えようとしたのです。…

皆で祈ることで心に平安をもたらし、絆を強め、日々の暮らしを紡いでいく。そんな祈りが縄文時代にはあったのです。』

いかがでしょうか?
今回ご紹介させて頂く書物は、縄文時代の私たち日本について、豊富なイラストや写真を交えながら紹介している優れた書物です。絵本的な感覚で楽しめると思いますので、ぜひ、手に取ってみてください。

さて、著者が本文中に書かれていましたとおり、縄文時代には、もちろん神社やお寺などはありませんでした。
ですが、実はすでに、その縄文時代にこそ、「神社」の原型があったんです。

「 我々の祖先は、土器や漆器というような工芸品ばかりでなく、巨大な建造物についても、世界史に大きな足跡を残している。…
三内丸山(さんないまるやま)遺跡では、約百棟もの堀立柱(ほったてばしら)建物が整然と配置されているが、それらは直径2メートル、深さ2メートルの巨大な柱穴に、栗の巨木をたてたもので、柱の高さは10メートル以上と推定されている。最大の建物は長さが32メートル、床面積が百坪もある。
縄文時代の日本人は毛皮を着て洞窟に住み、狩りをして生活していたというイメージは、すでに過去のものとなっている。
その巨大建造技術がさらに蓄積されてつくられたのが、【出雲大社(いずもたいしゃ)】であろう。現在の出雲大社本殿は高さ24メートルで、延亨(えんきょう)元(1744)年に造営されたものだが、平安時代に建てられた本殿は高さ約48メートルであり、さらにそれ以前は約96メートルもあった、と宮司である千家(せんげ)家に代々伝わる『金輪御造営差図(かなわのごぞうえいさしず)』に記されている。」

「 神社は神話で語られる理想的な古代世界が再現された空間となっている。
つまり、神々が活躍していた頃の風景がイメージされているわけで、社殿もそれにふさわしい形が求められる。…

古代建築をベースとしているのはそのためで、具体的にいうと、掘っ立て柱・高床式・横板壁・外開きの扉・白木造・屋根を自然素材(檜皮(ひわだ)や茅(かや)、こけらなど)で葺(ふ)くこと・千木(ちぎ)や鰹木(かつおぎ)を棟に載せる、といった特徴がある。…
なかでも、千木・鰹木は社殿建築特有のもので、仏教建築ではけっして使われることがない。いずれも古代建築の部材を装飾品としたものだ。」

詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆日本の神社が伝えていること ~ 理想的な古代世界が再現された空間
☆伊勢神宮を探検してみましょう
三内丸山遺跡で再現されている、ひと際大きな、この建物。

そして、これが切妻造の現代建築の例(佐川美術館)になります。

似ているのがお分かりでしょうか?
「切妻造」というのは、私たち日本の社殿建築の基本となっています。

「 神社の本殿は参詣者の目が届きにくい場所にあるので気づかれないことが多いが、実はその建築様式には豊かなバリエーションがある。なぜそのように多くの種類があるのか明確にはわかっていないが、八幡宮は八幡造、東照宮は権現造といったように、祭神と関係があることは確かなようだ。…
社殿建築は切妻(きりづま)造を基本とする。切妻とは本を開いて伏せたような形の屋根の建物をいう。この形の建物の入口をどこにつけるかによって、平入(ひらい)りと妻入(つまい)りの二種類に分けられる。庇(ひさし)が出る面に入口をもつものを平入り、三角形の妻が見えるほうに入口をつけるものを妻入りという。
切妻造で平入りの代表的な社殿が伊勢神宮の正殿(しょうでん)なので、この形式を神明(しんめい)造という。

伊勢神宮 内宮正殿
切妻造妻入りは出雲大社の本殿が代表的な建築なので、大社造という。

出雲大社 本殿
神明造は穀倉に、大社造は宮殿に起源があると考えられている。…」

高床式倉庫(復元、吉野ヶ里遺跡)
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆配偶者の「つま」、お刺身の「つま」って何? ~ 社殿建築は切妻造が基本です
☆日本人の「むね」
いかがでしょうか?
神社をお参りされるときには、ぜひ、縄文時代からの繋がりを意識してみてください。これまでとは、違った感じ方をされると思いますよ♥
続きは次回に♥
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