2017-06-21 (Wed)

嘘(うそ)は、事実ではないこと。人をだますために言う、事実とはことなる言葉。いつわり、とも。

戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 【「平和主義」はリベラルの特徴ではありません】。

ならば、日本がどう防衛し、何が戦争の抑止力になるかを現実に照らし合わせて話し合えば良いわけですが、【日本の「左派」や「リベラル派」のほとんどは、そうはなりません】。

彼らは、あくまで憲法九条を「一言一句変えてはいけない」という【歪な絶対平和主義者たち】です。

こうした【戦後リベラルの現状に異論を唱えた】のが、…【東大教授の井上達夫氏(法哲学)】です。井上氏は【「憲法九条削除論」を唱えて、左派だけでなくリベラル陣営内部で激しい議論になった】ようです。

彼の論理によれば、「九条解釈としては、文理の制約上、【絶対平和主義を唱えているとしか言いようがない】」と主張します。つまり、憲法解釈による集団的自衛権行使を認めない【「修正主義的護憲派」】や、絶対に解釈までも変えないという【「原理主義的護憲派」】は【論理性がなく、「嘘や欺瞞」を抱え込まざるをえない】――というのが、その主旨でした。

わかりやすく言うと、リベラル派のうち【「修正主義的護憲派」】が憲法改正を認めなければ、日米安保を認める日本の安保法制は【「立憲主義を認めない」という立場】となります。そして、憲法九条を絶対守れという【「原理主義的護憲派」】は、自衛隊をこのまま違憲状態にしておいて、仮に日本が侵略された場合の【安全保障を考えていない】ということになると主張しているのです。

そのため、井上氏のいう【「リベラル派の欺瞞」】とは、リベラル派が安倍政権を批判しながら、【自分たちはいまいる状態に安住しているため、「安倍政権を批判する資格はない」】ということになる、ということなのです。

つまり、実に【現在の日本のリベラル派が論理的矛盾を抱え込んでいる】かがよくわかる証言です。…
戦後、【日本のリベラル陣営内部からこれほど強い批判と矛盾が追及されたのは、おそらく初めてのこと】でしょう。…

今後【日本のリベラル】は、【もともとの英語の語源通り、「社会の諸制度に制約されないいわゆる自由主義」に立ち戻っていくべき】です。もちろん、そこには【一定の国家・社会的責任と義務を負ってから、モノを言うべき】だと私は思います。
自分の言っていることと実際にやっていることが違う場合、【「嘘をついて生きている人」と社会が見るのは当然】です。』

いかがでしょうか?
今回ご紹介させて頂く書物は、世界的な左翼の末期的症状について解説をされているもので、その「根っこには何があるのか」を明らかにされている良書です。

本文中にもありましたように、「日本が侵略された場合の安全保障を考えていない」のが、頭が相当悪いことが判明している日本の「パヨク」連中なんですが、活字が苦手なら、是非とも「良質な漫画」で、少しぐらい想像力を鍛えて頂きたいものですね♥


☆『空母いぶき』第1話 試し読み

☆新鋭ステルス戦闘機「F-35B」の配備と軽空母時代の幕開け かわぐちかいじ氏の人気漫画『空母いぶき』のリアリティー 元海将補・岩崎洋一
ところで、私たち人間とほかの動物との大きな違いは、まず、「直立二足歩行」ですが、これは頭が相当に悪いとされる「パヨク」連中も可能なようです。まあ、ペンギンでもできますし。。。

ですが、困ったことに、もう一つの大きな違いとなると疑わしくなります。、私たち人間とほかの動物とのもう1つの大きな違い、それは「頭がよい」ということです。

頭の中に何かを思い浮かべてイメージすることができる、つまり「考える」ということが可能なのが、私たち人間の大きな特徴です。

ですが、「パヨク」には、それができないみたいなんです(笑)

頭の中で考えることができない「パヨク」は、たとえば、こんな記事を読んでも、想像力を働かせ、その意味を理解することができません。

☆海自護衛艦「いずも」「さざなみ」が米空母「R・レーガン」と共同訓練 中国を牽制

☆海上自衛隊HP 特集「いずも」・「さざなみ」
ましてや、こんなニュースを見ても、無批判にスルーしています。

☆「息子は残酷な扱いを」父親が北朝鮮を非難

☆北朝鮮から解放の米国人ワームビア氏、脳を著しく損傷 医師団が記者会見 ボツリヌス菌の痕跡「見当たらず」
「一体、パヨク連中は何を考えているのか?」と言いたくなるところだと思いますが、それに対する答えは、彼らは「考えることができないので、考えていません」となります。まあ、脳ミソが「壊死」してるのではないでしょうか(笑)

それでは、ここからは昨日の続きとなります。

200年ぶりに「上皇」が復活する皇室のお話と、「妻問婚(つまどいこん)」の習わしから生じた、平安時代の藤原氏による摂関政治の問題点のお話、そして、「私たちの日本という国の形」、つまり「くにがら(国柄)」であり、「國体」である「憲法」のお話、これらは、すべて一つのお話として、まとめて考えることが出来ます。

それを考える上で、昨日までに、第8代「孝元天皇(こうげんてんのう)」のところまでを確認してきました。

孝元天皇
「孝元天皇(こうげんてんのう)」の皇后、「内色許売命(うつしこめのみこと)」との間に生まれた第一子で長男の「大毘古命(おおひこのみこと)」という御子が、「四道将軍(よつのみちのいくさのきみ)」の1人で、北陸に派遣された人物で、阿倍臣(阿倍氏)を始めとする諸氏族の祖となる人物で、安倍総理の祖先になる人物というところまでのお話でした。

続く第二子で次男の「少名日子建猪心命(すくなひこたけいごころのみこと)」、第三子で三男の「若倭根子日子大毘毘命(わかやまとねこひこおほびびのみこと)」の3人の息子がいました。
次男の「少名日子建猪心命(すくなひこたけいごころのみこと)」が、のちの第9代「開化天皇(かいかてんのう)」となられます。

開化天皇
また、皇后の他に2人の妃を迎えていますが、「伊迦賀色許売命(いかがしこめのみこと)」との間に「比古布都押之信命(ひこふつおしのまことのみこと)」、「波邇夜須毘賣(はにやすびめ)」との間に「建波邇夜須毘古命(たけはにやすひこのみこと)」の2人の息子がいました。
「伊迦賀色許売命(いかがしこめのみこと)」は、「大物主命(おおものぬしのみこと)」(=大年命(おおとしのみこと)、饒速日命(にぎはやひのみこと))を祖とする物部(もののべ)氏の血筋に繋がっている人物で、「比古布都押之信命(ひこふつおしのまことのみこと)」の別名が「布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)」になります。

孝元天皇 劔池嶋上陵(奈良県橿原市)
それでは、ここで一旦、朝鮮半島やユーラシア大陸との関係を見てみましょう。
今から4000年ほど前の時代に、南九州の宮崎県内に、西日本で最大規模の「東日本風集落」が出現します。
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆皇居があったことを端的にしめす地名 ~ 「宮崎」

紀元前の古朝鮮とその周辺
紀元前の朝鮮半島において、図上の「辰国」にあたる領域は、私たち日本人が住む領域でした。
紀元前57年に「新羅(しらぎ)」が建国されるとされていますが、それも私たち日本人が興した国です。
以下はWikipediaからの抜粋です。
↓
「 『新撰姓氏録』では、次の氏族が後裔として記載されている。
右京皇別 新良貴 - 彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊の男の稲飯命の後。続けて「是出於新良國。即為國主。稻飯命出於新羅國王者祖合」と記し、稲飯命は新羅王の祖であると伝える。」

詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆支那、朝鮮の歴史認識は、「あの大学」が元凶のひとつなんです
もちろん、日本へと渡って来る者もいました。渡来人である大己貴命(オオナムヂノミコト)は、勢力範囲を朝鮮半島まで広げていた建速須佐之男命(タケハヤスサノオノミコト)の末娘を娶り、大国主命(オオクニヌシノミコト)として出雲を支配します。
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆琉求とは、台湾のこと ~ 琉球神道と日本神道
その出雲に国を譲らせ、熊襲への対応を強化したうえで、次は「大和」の平定を目指します。
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆浦島太郎の竜宮城は、琉求のお城、台湾のお城!?
ただし、この時、統治の王は大和へと向かいますが、祭祀の王は宮崎県に留まっています。
[ 統治の王 ] 「五瀬命(いつせのみこと)」
[ 祭祀の王 ] 弟 「三毛野命(みけぬのみこと)」
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆支那、朝鮮の歴史認識は、「あの大学」が元凶のひとつなんです
さて、その大和にも、日本へと渡って来た者がいて、そこを支配していました。その者たちは、秦の始皇帝(在位:紀元前259年~紀元前210年)に命じられ、不老不死の薬を求めて日本に来た徐福(じょふく)の子孫でした。
そこへ、渡来人である大国主命(オオクニヌシノミコト)に国を取られた、建速須佐之男命(タケハヤスサノオノミコト)の息子の大年命(おおとしのみこと)こと饒速日命(にぎはやひのみこと)がやって来て、大和を支配してしまいます。これが、のちの物部(もののべ)氏の祖となるので、「大物主命(おおものぬしのみこと)」とも呼ばれます。
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆日本にあった?! 不老不死の薬
戦いの途中で亡くなった兄の五瀬命(いつせのみこと)の後を継ぎ、大和を平定し、初代「神武天皇」が即位されます。
[ 統治の王 ] 初代「神武天皇」
[ 祭祀の王 ] 皇后 「比売多多良伊須気余理比売(ひめたたらいすけよりひめ)」
ところで、口伝によりますと、この初代「神武天皇」の即位は、西暦57年と伝わっています。
この時、支那は、後漢の光武帝の時代であり、西暦57年(建武中元2年)の記録として、5世紀に編纂された「後漢書」に以下の記載があります。
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 『後漢書』「卷八五 列傳卷七五 東夷傳」
建武中元二年 倭奴國奉貢朝賀 使人自稱大夫 倭國之極南界也 光武賜以印綬
「建武中元二年、倭奴国、貢を奉じて朝賀す、使人自ら大夫と称す、倭国の極南の界なり、光武、印綬を以て賜う」 」
そして、このときの印が、こちら(↓)になります。

漢委奴国王印
「漢委奴国王印」は、「漢」の「委奴(いと)の国王」の「印」という意味です。
「倭」ではなく「委」と刻印されていますので、お間違えないように。

漢委奴國王印文
「委奴(いと)」というのは、「伊都国(いとこく)」のことです。
さきほどの「後漢書」よりも古い時代、3世紀末に書かれたとされる「魏志倭人伝」には、以下のような記載があります。
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 『魏志倭人伝』には、次のように記されている。
「東南陸行五百里 至伊都國。官曰爾支 副曰泄謨觚・柄渠觚。有千余戸 丗有王 皆統属女王國。郡使往来常所駐」(「三国志魏志、巻三十、東夷伝、倭人(略称、魏志倭人伝)」)
原文のおよその意味は、「(末廬國から)東南へ陸を500里行くと、伊都國に到る。そこの長官を爾支(にし、じき)といい、副官は泄謨觚(せつもこ、せつぼこ)・柄渠觚(ひょうごこ、へいきょこ)という。1000余戸の家がある。世々(丗)に王があるも、みな女王國に統べて属する。帯方郡(たいほうぐん)の使者が往来して、ここに常にとどまる場所である。」となる。
『魏志倭人伝』の中で『王』が居たと明記されている倭の国は伊都国と邪馬台国と狗奴国で、他の国々には長官、副官等の役人名しか記されていない。
『魏志倭人伝』には、次のように書かれている。
「自女王國以北 特置一大率 検察諸國 諸國畏揮之 常治伊都國 於國中有如刺史」
原文のおよその意味は、「女王国の北側には、特別に一大率(いちたいすい、いちだいそつ)を置き諸国を監察させており、諸國は畏(おそ)れている。一大率は常に伊都国で統率されており、中国(漢、魏)の刺史(しし、監察官)のようだ。」である。」
「伊都国(いとこく)」が特別な役割を果たしていたことが御理解いただけると思いますが、その場所が、現在の福岡県糸島市(いとしまし)付近と考えられています。

その福岡県糸島市にある細石神社(さざれいしじんじゃ)では、「漢委奴国王」の金印が宝物として伝わっていたが江戸時代に外部に流出した、と伝承されています。

続きは次回に♥
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