2017-06-16 (Fri)

新聞(しんぶん)は、事件、事故や政治や経済や芸能やスポーツや国際情勢などの動向などのニュースを報じるためのメディアで、記事文章や写真、図面などが紙(新聞紙)に印刷され綴じていないものである。
「新聞」という言葉は古来の日本語にはない。この語の初出は、北宋時代に編纂された唐王朝の歴史書『新唐書』だとされている。
清朝末期に欧米人が中国で「newspaper」を発刊し、現地の中国人たちもこれを真似て新聞を発刊した際、古来の「新聞」という言葉を当てて「新聞紙」と呼んだ。中国語では、21世紀現在も「新聞」を news の意味で使い、テレビのニュース番組などのタイトルにも使用される。なお、中国語における newspaper は「報紙」である。一方、朝鮮語では「新聞」のハングル表記である「신문」が「newspaper」を意味する。
日本語には明治時代に英語の「news」に相当する訳語として、この中国語が取り入れられ、「news」を「新聞」、「newspaper」を「新聞紙」と呼ぶようになった。
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 基本的かつ簡単に言うと、【アメリカという国】は1ドル紙幣の裏側にある頭の欠けたピラミッドと、

その代わりに描かれている目玉に象徴されるように、

【伝統ある政治システムがまったくない人工国家】であって、要するに【トップに立つべきルーラー(支配者、統治者)というか、王候貴族がいないまま今日に至っている国】です。

従って一番初めにどうやって国を支配するかというときに、共和制だとか民主制という手段よりも、【いち早くメディアというものに目をつけた】んですね。

1776年のアメリカ独立宣言を、あらゆる新聞があの広大な国土にばら撒いて、いっせいに伝えたということから、独立宣言が浸透したと見られています。しかし、【実際に新聞のそうした役割を最初に認識し、新聞に目をつけたのは誰か】といえば、独立宣言の起草者として知られ、のちに第3代合衆国大統領となった【トーマス・ジェファーソン】ではないかと私は思っています。

トーマス・ジェファーソン
彼が大統領になったときに、
「政治があって新聞がない世界と、新聞があって政府がない世界とどちらがいいか」
という問いかけに対して、当然のように【「新聞がある世界」と答えた】というような逸話を、朝日新聞は彼にまつわる有名な話として、かつて「天声人語」で紹介したことがありますが、実は、【朝日新聞はその意味をよく理解していません】でした。

トーマス・ジェファーソンは、まだ大統領になる前に彼のもとを訪れた学生から
「僕は将来、新聞記者になりたいのですが」
と問われて、
「【新聞というものはどんな真実を書いても、それを二目と見られない醜いものに仕立てて排出する装置】だ。あんなものになるんじゃない」
と言ったといいます。

しかし、この言葉とは裏腹に【トーマス・ジェファーソンは新聞記者の抱え込みを行って、彼らを使って自分の政策を盛んに宣伝した】わけですから、トーマス・ジェファーソンこそ最初に【新聞の毒とその効用】を知悉(ちしつ)して上手く利用して大統領になった人物と言えます。

それが7代目合衆国大統領の【アンドリュー・ジャクソン】のときになると、【新聞支配が完成】する。

アンドリュー・ジャクソン
彼がやったことは2つあって、1つは【論功があったものに政府の重要ポストを与えるスポイルズシステム(猟官制度)】です。これで高位高官のポストを与えられた新聞記者が結構いた。

もう1つは【新聞記者を自分のアドバイザーとして入れて、各紙を利用しながら政治を主導】しました。彼らは【ホワイトハウスの台所の勝手口を利用】するので、文字どおり【「キッチンキャビネット」】と呼ばれています。…

【アンドリュー・ジャクソンはキッチンキャビネットを巧みに利用】しました。
たとえば、彼は1830年に【「インディアン移住法」を制定】して、1838年にチェロキー族をジョージア州からミシシッピー川の向こう、のちにオクラホマ州となる地域に【強制的に追放】しました。
この【強制移住法に最高裁が違憲審判】を下しましたが、【新聞はいっさい無視】。その後【公然と憲法違反を続けました】。そうしたニュースを【新聞はまったく報道しなかった】のです。

要するに【国益のためになれば憲法がどうであろうとまったく構わないわけ】で、【現在のアメリカの政治とメディアの姿勢にも通じています】。いわば【新聞とホワイトハウスの共存関係】がこの頃に生まれ、その後の【アメリカの政治パターンになった】のだと思います。』

いかがでしょうか?
今回ご紹介させて頂く書物は、楽しい対談の中で、世界的な左翼の末期的症状について解説をされているもので、その「根っこには何があるのか」を明らかにされている良書です。
本文中にも書かれていました通り、新聞とホワイトハウスの共存関係があるのがアメリカの政治パターンだったのですが、それを破壊しようとしているのが、紛れもなくトランプ大統領です。

さて、そんな新聞支配を完成をさせた、アンドリュー・ジャクソンについて確認しておきますと。。。

アンドリュー・ジャクソン
「 「なぜアメリカ大統領官邸はホワイトハウスと呼ばれるのですか」…
1812年、大英帝国はナポレオン戦争でフランスと国家の命運をかけて戦っていました。英国は仇敵、フランスは友邦です。アメリカ連邦はこの隙をついて国境を接する北の英領カナダを自分のものにしようと侵略戦争をしかけたのです。ところがアメリカ連邦は、イギリスに返り討ちに遭い、1814年には大統領官邸まで攻め込まれて焼き討ちにされてしまいます。食事中の大統領は命からがら逃げだす有様でした。ちなみに食事の残りはイギリス軍の大尉が残らず平らげてしまったそうです。
それはさておき、焼けただれた官邸があまりにもみじめだったのでペンキで白く塗りたくってごまかしたので、いつしか「ホワイトハウス」と呼ばれるようになったのです。

なお、みっともない連戦連敗続きで打ちひしがれていたアメリカ人でしたが、最後の最後にアンドリュー・ジャクソン将軍が勝利したとの報を聞いて自信を取り戻したのです。
ちなみに、それは講和条約が結ばれた後の話でした。
しばしば
「真珠湾の日本は宣戦布告前に攻撃をしかけたから卑怯だ、だまし討ちだ」
などと言われますが、なぜ誰も
「講和条約締結の後に攻撃をしかけたアンドリュー・ジャクソンの国に言われたくない」
と言い返さないのかが不思議でなりません。」
こちらもご参照♥
↓
☆アメリカ合衆国初代大統領ジョージ・ワシントンは、架空の人物です
・・・と、まあ、こんな感じなのですが、実はトランプ大統領は、このアンドリュー・ジャクソンの味方です。
20ドル紙幣に描かれるアンドリュー・ジャクソンが、他に変わってしまうことに反対をしているからです。

ここは、重要なポイントですので覚えておいてください。
詳しくは以前にも書かせて頂いておりますので、こちらをご覧ください。
↓
☆もしトラ。。。もしも、トランプが「ドラえもん」に登場すると、誰になる?

さて、ここからは昨日の続きとなります。

200年ぶりに「上皇」が復活する皇室のお話と、「妻問婚(つまどいこん)」の習わしから生じた、平安時代の藤原氏による摂関政治の問題点のお話、そして、「私たちの日本という国の形」、つまり「くにがら(国柄)」であり、「國体」である「憲法」のお話、これらは、すべて一つのお話として、まとめて考えることが出来ます。

それを考える上で、昨日までに、第3代「安寧天皇(あんねいてんのう)」のところまでを確認してきました。

安寧天皇
第3代「安寧天皇(あんねいてんのう)」の皇后となられるのが、第2代「綏靖天皇(すいぜいてんのう)」の皇后「河俣毘売(かわまたびめ)」(つまり母親)の兄(つまり伯父)であった師木県主(しきのあがたぬし)の波延(はえ)の娘(つまり従兄妹)の「阿久斗比売(あくとひめ)」でした。
師木県主(しきのあがたぬし)であった波延(はえ)の一族は、「大物主命(おおものぬしのみこと)」(=大年命(おおとしのみこと)、饒速日命(にぎはやひのみこと))を祖とする物部(もののべ)氏に近い血筋になります。
「安寧天皇(あんねいてんのう)」と「阿久斗比売(あくとひめ)」との間には3人の御子がいました。
第一子であり長男の「息石耳命(おきそみみのみこと)」、第二子であり次男の「大倭日子鉏友命(おおやまとひこすきとものみこと)」、第三子であり三男の「師木津日子命(しきつひこのみこと)」です。
「安寧天皇(あんねいてんのう)」のあとを継ぐのが、次男である「大倭日子鉏友命(おおやまとひこすきとものみこと)」こと第4代「懿徳天皇(いとくてんのう)」です。

懿徳天皇
「懿徳天皇(いとくてんのう)の時代の祭祀の王が兄にあたる「息石耳命(おきそみみのみこと)」です。

安寧天皇 畝傍山西南御陰井上陵(奈良県橿原市)
ここで、念のための確認ですが、ここまでのいずれの天皇も、「神武天皇」のY染色体を受け継いでいます。

こちらもご参照♥
↓
☆磯野家を継ぐのは、誰が良いの?
さて、「安寧天皇(あんねいてんのう)」の三男である「師木津日子命(しきつひこのみこと)」に2人の息子がいたのですが、その1人に「和知都美命(わちつのみこと)」がいました。その娘に、「蝿伊呂泥(はえいろね)」と「蝿伊呂杼(はえいろど)」の姉妹がいました。
姉の「蝿伊呂泥(はえいろね)」の別名が、「意富夜麻登久邇阿札比売(おほやまのくにあれひめのみこと)」で、「阿札比売(あれひめ)」は歴史を司る世襲名となります。
そう、『古事記』の編纂者の一人、「稗田阿礼 (ひえだのあれ」へと繋がります。

お話を戻しまして、第4代「懿徳天皇(いとくてんのう)」の皇后は、師木県主(しきのあがたぬし)の祖に繋がる「賦登麻和訶比売命(ふとまわかひめのみこと)」、別名で「飯日比売命(いひひひめのみこと)」でした。
初代天皇である「神武天皇」の皇后の「比売多多良伊須気余理比売(ひめたたらいすけよりひめ)」が、建速須佐之男命(タケハヤスサノオノミコト)の息子、のちの物部(もののべ)氏の祖となる「大物主命(おおものぬしのみこと)」(=大年命(おおとしのみこと)、饒速日命(にぎはやひのみこと))の娘で、
第2代である「綏靖天皇(すいぜいてんのう)」の皇后が、物部(もののべ)氏に近い血筋である「河俣毘売(かわまたびめ)」で、
第3代である「安寧天皇(あんねいてんのう)」の皇后も、物部(もののべ)氏に近い血筋である母方の従兄妹である「阿久斗比売(あくとひめ)」で、
第4代である「懿徳天皇(いとくてんのう)」の皇后も、、物部(もののべ)氏に近い血筋である師木県主(しきのあがたぬし)の祖に繋がる「賦登麻和訶比売命(ふとまわかひめのみこと)」ということになります。
いかがでしょうか?
立て続けに、血縁関係を強化していることが御理解いただけると思います。

続きは次回に♥
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