2017-05-14 (Sun)

モリガン(Mórrígan)は三位一体の戦いの女神である。ヴァハ(Macha)、バズヴ(Badb)(ネヴァン(Nemhain)とも呼ばれる)と行動を共にする。これらの3柱はそれぞれ戦闘の違う側面を体現している。彼女は『クーリーの牛争い』(Train Bo Cualinge)に登場することで知られている。この中で彼女は主人公クー・フーリンを助けたり、邪魔したりする。そして、『マグ・トゥイレドの戦い』の中では、詩人にして魔法使い、さらに権力者という複数の役割を演じ、ダーナ神族に勝利をもたらす。彼女(達)はほぼ毎回カラスもしくはオオガラスとして描かれるが、ウシ、オオカミ、ウナギなど、他の多くの生き物にも変化できる。
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 本書のアイデアが浮かんだのは、Black Tuesday(暗黒の火曜日)という歴史小説を書いていたときだった。…


この小説には、ブラック・サーズデーにおこなわれた、当時のもっとも有力な銀行家たちの実際の会合にもとづく場面がある。

市場が大混乱に陥っていたとき、【ジャック・モルガン】のイギリス滞在中、

ジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア
【モルガン銀行】 [訳注/J・P・モルガン&カンパニー、すなわちモルガン商会のこと。正式な社名には「銀行」という言葉は含まれていなかったが、その事業内容からモルガン銀行と呼ばれていた]

J・P・モルガンカンパニー(1914)
の【代表代行を務めていたトーマス・ラモント】が、【他の5つの大手銀行のリーダーを召集】した。

トーマス・W・ラモント(1929年)
これらの銀行のほとんどが、社交関係やビジネス上のつながりによってモルガンと複雑に結びついていた。【「ビッグ・シックス」】と総称されていた6行のリーダーたちは、彼ら自身の無謀さや詐欺的行為が招いた惨事から【市場と自分自身を救うために、それぞれの銀行の資金をプールする】ことを30分足らずで決定した。

早送りで時代を下って【2008年の金融危機】を眺めてみると、グローバルな崩壊の前兆は似通っていた。…登場人物と彼らが金融を破壊した手段が、時代の複雑さとテクノロジーに応じて細かい点でいくつか違っていただけだった。

だが、2008年の危機では、これら最上層の銀行家たちを巨額の資金で救済したのは【連邦政府と連邦準備制度】だった。このときも【6人の主要銀行家が救済プロセスの舵をとった】。彼らのほとんどが、【1929年10月の会合の参加者たちが指揮していた組織の流れを汲む銀行の代表者だった】。…

だが、アメリカに対するビッグ・シックスの影響は、さらに前の時代から始まっていた。
彼らは1880年代末から活躍していた銀行家たち、とりわけ、その時期に自身の富を拡大した【J・P・モルガン】ともつながりを持っていたのである。これらの銀行家たちは、【1907年恐慌に関与】した。

1907年10月の金融危機でウォール街に集まった群衆。
彼らもしくはその代理人は、【未来の恐慌で彼らを支えることになる連邦準備制度を創設】するために、【ジキル島で会議】を開いた。

ジキル島
さらに、【第一次世界大戦の戦費を融資し、それによって巨額の利益を得た】。』

いかがでしょうか?
今回ご紹介させて頂く書物は、そのタイトルから一見すると陰謀論の類のように思えてしまうかもしれませんが、中身は全然違っていて、極めてまともな書物です。上巻と下巻からなっていて、今回はその上巻、連邦準備制度が誕生する1910年台から、第二次世界大戦が終わった直後の1940年台までについて、アメリカの大統領、ホワイトハウス、ウォール街の銀行家らの実際の関わりについて、空想ではなく事実関係だけが詳細に描かれています。

20歳のマイルズ・モーガン(ミィルズ・モルガン)が、2人の弟とともに、迫害されたプロテスタント移民としてアメリカへと渡ったのが1636年のことで、私たち日本では平和で穏やかな江戸時代を迎えていた頃になります。。
こちらもご参照♥
↓
☆キリスト教徒にとって理想的な社会 ~ アメリカ
そのマイルズ・モーガン(ミィルズ・モルガン)は、イギリスにおける下級地主層の「ジェントリ(gentry)」と呼ばれる貴族に含まれない上流階級のもとで働かされていた農奴「ヨーマン(Yeoman)」でした。
こちらもご参照♥
↓
☆反対だガー!!! ~ アメリカの「リベラル」 VS ヨーロッパの「リベラル」
マイルズ・モーガン(ミィルズ・モルガン)は一部の移民たちとともに、新しく開拓するためにマサチューセッツ州スプリングフィールドへと移住します。

マサチューセッツ州スプリングフィールド
スプリングフィールドはバスケットボールの発祥地として有名なところですが、もう一つ有名なお話があります。

それが、1675年に起こった「フィリップ王戦争」です。
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 フィリップ王戦争(King Philip's War)とは、1675年6月から翌年8月まで、ニューイングランドで白人入植者とインディアン諸部族との間で起きたインディアン戦争(民族浄化)。フィリップ王とはワンパノアグ族の酋長メタコメット(メタコム)の事で、白人入植者は彼をそう呼んでいた。

メタコメット
イギリス白人がニューイングランドと名付けた入植地で、彼らはワンパノアグ族から手厚い保護を受け、食料を贈られ厳しい冬の飢餓と寒さを越えることが出来た。しかし白人たちの入植地の拡大はエスカレートし、やがてはインディアンたちの領土をよこせ、と要求し始めた。

インディアンにとって土地は共有財産であり、だれのものでもなかった。しかし白人の要求は、インディアンすべてを立ち退かせる排他的なものだった。当然インディアンたちは激怒した。また白人はこの取り決めを「公平」に「条約」で行おうとし、その署名者として彼らの酋長を選んだ。」

アメリカの先住民たちが「土地」を「共有財産」としてきたことに対して、白人キリスト教徒の移民たちは、「土地」を「私有財産」として要求し始めたわけです。「個人の自由」を尊重し、「おおやけ(公)」を蔑(ないがし)ろにするという現代左翼リベラルに通じる思考です。

私たち日本人の古くからの言葉である「和語(やまとことば)」の「おほやけ(公)」は、「おほ」が「大」を示し、「大きい」とか「第一である」という意味を持ち、「やけ」は「やか(宅)」で建物のことです。ここから、国家や社会を意味するようになっていきます。
私たちの日本が江戸時代の頃、「村」という「社会システム」が有効に機能していましたが、そこでも、耕地は、個々の百姓のものであると同時に、村全体の共有物・共有財産でもありました。
詳しくはこちらもご参照♥
↓
☆電車で化粧・・・ができちゃう理由 ~ 日本の素晴らしい「村社会」
それでは、続きを見てみましょう。
「 しかしインディアンの社会は、白人の独任制と違い、合議制である。部族を代表する首長や君主は存在しない。酋長はあくまで調停者であって、部族を代表するものではないのだが、白人にはこれが理解できなかった。入植者は酋長と盟約すればワンパノアグ族は納得するものと思い込んだが、これは全くの思い違いである。
元々ワンパノアグ族は白人入植者達に対して友好関係を築いており、1620年酋長のマサソイトは慣れない環境による寒さや病気、飢えで苦しむ白人入植者を助け、平和と友情による条約を結んでいる。1621年の秋、感謝祭の際にもマサイットは多くの食料を持参して列席している。
しかし急激に増加した白人の入植者は、彼らインディアンの土地を売るように要求したり、強引なキリスト教への改宗強制や、インディアンに不利な裁判を行い、インディアンの白人に対する反感を買い始めた。インディアンに「土地を売る」という概念はそもそもなかったし、個人の選択として宗教を受け入れることはあったが、部族全体を従わせようとする白人の思考はインディアン共同体には理解不可能だった。
さらに白人と友好を築いていたマサソイト酋長が死ぬとさらに状況は悪化する。マサソイト死後、ワンパノアグ族の新酋長は息子のワムスッタ(アレキサンダー)になるが、白人側は彼らが住む土地にまで入植地を拡大して行った。そのためワムスッタは「調停者」たるインディアンの酋長の役目として、白人が父マサソイトに要求して結んだ入植の土地の譲渡と和平条約に異議申し立てをプリマス入植地で行い、侵略行為を止めるよう説得した。が、プリマス入植地から村に帰る途中、ワムスッタはなぜか病気(毒殺されたとも言われる)による謎の死を遂げてしまう。

メタコメット
そして新たに24歳のワムスッタの弟メタコメットが新酋長になると、白人との関係はさらに悪化して行った。メタコメットも兄ワムスッタと同様に、調停者として最大の努力を払い、白人との友好関係を続けていくことに苦心していた。
しかし誇り高いワンパノアグ族とメタコメット酋長は、合議の結果、部族の土地を侵す白人に対して、ついに宣戦布告の準備を始めた。
ニューイングランドのインディアン部族はこれ以上白人の横暴を許せなかった。メタコメット酋長らのワンパノアグ族は、ニアンティック族、ペナクック族、ノーセット族らワンパノアグ族と同盟を結んでいた部族と共同して、プリマス入植地を攻撃した。攻撃された入植地の白人側も武装して、ワンパノアグ族と敵対するモヒカン族やモホーク族などの部族を味方に付け全面戦争が勃発。インディアン側はニプマック族やナラガンセット族も参戦。プリマス入植地総督のウィンスローはナラガンセット族の婦女子を大虐殺し、怨みを買っていた。

エドワード・ウィンスロー
戦争はマサチューセッツ植民地とコネチカット植民地を引き込んでのニューイングランド全域に及んだ。インディアン側は52のタウンを襲撃し、12のタウンを壊滅させた。

1676年に入ると、ニューイングランド植民地連合軍は、植民地で採用された民兵、ミニットマンを活用し反撃した。ナラガンセット族のカノンチェット酋長(白人は指導者と見ていた)が1676年4月3日に逮捕及び処刑され、白人に対して反旗を翻し戦いを挑んだワンパノアグ族ではメタコメット酋長が3ヵ月後の8月12日に戦死し、侵略者側が勝利する形で戦争は終結する。

レキシントン (マサチューセッツ州)のミニットマン像
戦いで600人の白人入植者と4000人以上のインディアンが犠牲となり死んだ。戦死したメタコメット酋長の遺体は白人達により八つ裂きにされ、首は槍の先に突き刺され、白人達の村に24年間飾られた。そして捕虜となったメタコメット酋長の家族を始めとするインディアン達は奴隷として西インド諸島などに売り飛ばされて行った。
インディアンに「司令官」はいないという、彼らの文化は白人には理解できなかった。侵略者はただメタコメットを「戦争を始めた首謀者」と一方的に見なし、理不尽な辱めをこれに与えて勝利を祝ったのである。」

いかがでしょうか?
侵略者である白人キリスト教徒が、如何に一方的で野蛮であったかが、御理解頂けたかと思います。
この、あまりにも一方的で強引な思考パターン、つまり自分たちを善、抵抗するものを悪とする考え方は、キリスト教の「旧約聖書」=ユダヤ教の「聖書」に基づくものです。
詳しくはこちらもご参照♥
↓
☆諸悪の根源 ~ 奴隷出身のモーセの妄想
そして、その思考パターンを、さらにどんどん先鋭化させていったとき、現代左翼リベラルへと繋がっていくんです♥

そして、この1675年に起こった「フィリップ王戦争」での白人側のリーダーの一人がマイルズ・モーガン(ミィルズ・モルガン)で、のちに広大な原野の払い下げを受け牧草地とします。そして、成功し、地主として徐々に資産を蓄えていきました。やがて、その子孫から現在のJ・P・モルガン&カンパニーへと繋がる人物が登場してくるのですが、このお話はまた別の機会に書かせて頂きます。

マイルズ・モーガン(ミィルズ・モルガン)
ところで、この「モーガン(モルガン)家」のルーツは、イギリスのウェールズにあります。

ウェールズ
ウェールズは、もともとケルト系民族が住んでいたところで、のちにイングランド王国が侵略をした地域です。
詳しくはこちらもご参照♥
↓
☆ブリトン人と800年の歴史を誇るビスケット
ケルト神話の一つ、アイルランド神話の中に、冒頭でご紹介させて頂いた「モリガン」という女神がいらっしゃいますが、関係があるのではないかとされています。
さて、どうなんでしょう?

続きは次回に♥
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