2017-05-10 (Wed)

中央ユーラシア草原(ロシア オレンブルク州)
中央ユーラシア(ちゅうおうユーラシア)とは、ユーラシア大陸の中央部分に広がるウラル・アルタイ系の諸言語を用いる諸民族が居住する地域を広く指す文化的な地域概念である。
これらの地域の特徴は歴史上、ツングース、モンゴル、テュルク、フィン・ウゴルなどのウラル・アルタイ系の諸言語を話す人々が歴史的に重要な役割を果たしてきたことである。古くは遊牧民、新しくは定住民としてウラル・アルタイ系の人々に様々な文化的影響を与えたイラン系の人々もこの地域の重要な構成員である。

中央ユーラシア草原地帯
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 【中央ユーラシア草原】といっても、ピンと来ない人が多いでしょう。

中央ユーラシア草原
それもまた、現在の世界史が、アメリカ史やロシア史と同様、私が専門にしている【モンゴル史をほとんど無視している結果です】。モンゴルは現代社会において強国でも主流でもなく、さらには【過去の世界史に大きな役割を果たした】そのときにも、自分たちを正当化するような歴史的な叙述を残しませんでした。

モンゴル帝国の最大領域
しかし現実に、【中央ユーラシア草原の遊牧民が成し遂げたことは、ただ凄まじいのひと言】です。

ここではほんの一例だけをあげておきましょう。

☆Central and Inner Asia Studies (UNIVERSITY OF TORONTO)
そもそも【インド・ヨーロッパ語を話す人々の現住地は中央ユーラシアのどこか】にあり、【紀元前3000年紀に西方および南方に向かって移動を開始】して、【今のヨーロッパ人やインド人、イラン人になった】のです。…

紀元前3500年ごろの銅器時代から青銅器時代にかけてのインド・ヨーロッパ語族の推定範囲。
歴史のある文明とは、西洋史のもとになった地中海文明と、東洋史のもとになったシナ文明ですが、それぞれの歴史をつくり出した【ヘーロドトスも、司馬遷も、定住地帯への侵入を繰り返した草原の遊牧民について多くのページを割きました】。…

インド・ヨーロッパ語族の分布
シナ文明も、【殷(いん)は北狄(ほくてき)と呼ばれた森林地帯の狩猟民出身】ですし、【中原を初めて統一した秦は、西戎(せいじゅう)と呼ばれた草原地帯の遊牧民出身】でした。

中華と四夷(東夷・西戎・南蛮・北狄)
秦の始皇帝がシナを統一して【万里の長城】を築いたため、【北方にいた遊牧民は小さい集団では農耕地帯に侵入することができなくなり、大同団結する必要】に迫られて【史上最初の遊牧帝国である匈奴ができました】。

秦と遊牧民族
こちらもご参照♥
↓
☆世界に飛び立つ古代日本人 ~ 「月氏」
騎馬で家畜を追う遊牧民にとって草原の道の移動は容易(たやす)いことでしたから、漢語で【匈奴と呼ばれた遊牧民の住地は中央ユーラシアにまで広がり、やがてその一派が黒海北岸にまで至ります】。

こちらもご参照♥
↓
☆北にやられっ放しの支那の歴史 ~ 高校生が習う「世界史」はニセモノなんです
この【フン族がゲルマン人をローマ領内に追い込んだために、西ローマ帝国が滅亡】して【西洋史の中世が始まる】のです。

フン族の西方への移動の推定図
そして【13世紀のモンゴル帝国は、東は日本海から西はロシア草原までを版図に入れました】。このとき…東西交渉と遠隔地貿易がさかんになりました。

モンゴル帝国
当時の【ユーラシア大陸の商業はイスラム教徒の手のなか】にありましたが、アジアの豊富な物産に触れた【ヨーロッパでは、イスラム教徒の手を経ずに直接、アジアと商売をしようとして海に出る】のです。大航海時代は、モンゴル帝国時代の東西交流の刺激を受けて起こったのです。

イスラム帝国の版図拡大の流れ
こちらもご参照♥
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☆イスラム教の分裂 ~ スンニ派とか、シーア派とかって何が違うの?
その後、ドイツやハンガリーにまで侵入した【モンゴル帝国は、やがて子孫のあいだで分裂して地方政権になります】。けれどもモンゴル帝国は、1世紀で消滅したわけではありません。【現在のモンゴル帝国】はもちろんのこと、【中央アジアのカザフ人やキルギス人やタタール人も、モンゴル帝国の末裔】です。

13世紀の東アジア諸国と北方諸民族。
こちらもご参照♥
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☆ユーロビジョン Jamalaの「1944」 ~ 1989..6.4 って何があったの?
【帝政ロシアのツァーリや清朝皇帝も、母方ではチンギス・ハーンの血統】でした。…【インドはモンゴル帝国の継承者であるムガール帝国が長いあいだ支配】しましたし、

ムガル帝国の最大版図(1700年)
【20世紀まで存在したトルコのオスマン帝国も、モンゴル帝国の一員だった中央ユーラシア草原の遊牧民が建てた国家】です。

オスマン帝国の最大領土(1683年)
それどころか、…【ヨーロッパに信用取引が伝わって最初の銀行ができたのもモンゴル帝国時代】で、【そこからルネサンスが始まります】。
こちらもご参照♥
↓
☆在日・姜尚中、「ルネサンス」を語る
☆キューピットとエロース ~ 姜尚中が知らない本当の「ルネサンス」
☆メランコリーさえ理解ができずに、ルネサンスを語る姜尚中の愚
オスマン帝国が東ローマ帝国を滅ぼした15世紀に、ようやくヨーロッパの中世が終わって、近代が始まったのです。』

いかがでしょうか?
今回ご紹介させて頂く書物、その「帯」には、世界史から「消された2つの帝国」と書かれています。

それが、「モンゴル帝国」と「大日本帝国」で、この世界の歴史を語る上で、絶対に外してはならない2つの帝国です。

戦後になって、20世紀に世界に猛威を振るった「左翼のマルクス主義的な唯物史観」に基づく学校教育が行われてきましたが、この書物を読めば、そこから抜け出して、まったく新しい世界史を知ることになります。

さて、ここからは昨日の続きになりますが、現代にまで語り継がれる「神話」や、私たちの体内に遺されている「DNA」は、私たち日本民族の真実の姿を示しています。
昨日少し触れていますが、「ちぎり(契)」の語源は、「たにぎる(手握る)」で、主として夫婦の約束のことをいい、また「ちかふ(誓う)」も「たかふ(手交ふ)」で、手でもつことを「たにぎり」と言ったという説があります。

私たち日本人の古くからの言葉、つまり「和語(やまとことば)」で、「て(手)」は最も盛んに使われてきた言葉の一つです。
その「て(手)」を、さらに古くには「た(手)」と言っていました。現在でも一部残っていて、「たづな(手綱)」とか「たまくら(手枕)」、

手枕(たまくら)
あるいは、手のひらのことを「たなごころ(掌)」と言ったりします。

また、和服の「そで(袖)」や「たもと(袂)」が邪魔にならないように「たくし上げる」ための紐や布地を、「たすき(襷、手繦)」と呼びますが、ここに出てきた、「たもと(袂)」も「たくし上げる」も「たすき(襷、手繦)」も、すべて「た(手)」から来ています。

たすき掛けの女性たち(1911年)

襷を掛けている巫女の人物埴輪(埴輪「腰掛ける巫女」重要文化財 東京国立博物館蔵)
少しお話が逸れてしまいますが、「襷(たすき)」という字は、私たち日本人が造った「国字(または和字)」で、外来の漢字ではありません。

頭の悪い支那人は、コロコロと文字を変えたり、簡略化してしまったりしてきたのですが、その一方で、現在でも新しい文字を作り続けるという無駄な作業をし続けています。私たち日本人が「ひらがな」「カタカナ」を1000年以上も前に造っている高度な文明であるのに対して、程度の低い支那人は、未だにそれが出来ないでいます♥

詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆中国語で「波音」ってな~んだ? 1日3つ、1年で1000の新語ができる国♥
「国字(和字)」は、他にもたくさんあって、例えば、「峠(とうげ)」、「辻(つじ)」、「笹(ささ)」、「畑(はたけ)」、「凪(なぎ)」、「枠(わく)」、「躾(しつけ)」、「働(はたら)く」などなど、挙げればキリがありません。
他にも日本人は、外来の漢字を活用して、新しい言葉を造り出してきました。それは、主に外来の言葉を日本語として翻訳し直したものですが、たとえば、以下の英語の場合ですが、
People's Republic of China
人民・共和国・支那と対応する言葉を日本人が造り出したり(人民、共和国)、従来からあった言葉を当てたり(支那)して、日本人が日本語で読み書きできるように、また理解できるようにしてきたんです。
ですから、さきほどの英語は、「支那人民共和国」と日本語で表記するのが正しく、どこにも「中国」に相当する単語なんて書かれてはいません。「China=支那」ですので、お間違いの無いようご注意くださいませ。

それでは、お話を戻しまして、その「た(手)」ですが、「タミル語」でも、肩や腕の意味があります。グーグル翻訳を使って、日本語の「肩」や「腕」を「タミル語」に翻訳してみてください。発音も聞けますよ。

インド・ヨーロッパ語族の分布
その「タミル語」を話すインド南部のタミル人は、インド・ヨーロッパ語族ではありません。

インド国内のタミル語話者の分布
こちらもご参照♥
↓
☆「たから」の「から」とタミル語と日本民族
そして、私たち日本人のDNAのルーツを辿っていくと、その線上に、このインド南部が存在しています。


本日はここまでとさせて頂きますが、もう少し見ていきましょう。
続きは次回に♥
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