2017-05-07 (Sun)

『ムトゥ 踊るマハラジャ』(ムトゥおどるマハラジャ、Muthu, முத்து)は、1995年公開のインド映画(原版はタミル語)。
日本では1998年6月13日からザナドゥーの配給により渋谷区のシネマライズで単館上映され、日本公開のインド映画としてかつてない入場者数を記録した。ビデオソフト(VHS・DVD)も発売されている。
大地主のラージャに仕えるムトゥは、性格の明るさと腕っ節の強さで主人からの信頼と使用人仲間たちからの信望も厚い人気者。しかし主人とともに訪れた芝居小屋で看板女優のランガナーヤキ(ランガ)と出会い、ランガに一目惚れしたラージャと三角関係に陥ってしまう。さらにラージャの屋敷の乗っ取りを企む叔父アンバラの陰謀が絡み、ストーリーはムトゥの出生の驚くべき秘密にせまっていく。
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 日本人はどんな民族で、どこからやって来たのか。

こうした質問を日本人にぶつけると、彼らは【自分たちはもともとこの島にいて、神から生まれた子たちの子孫だ】と、たいそう誇らしげに答えるだろう。

【日本人のルーツは支那の人々だと言われると、ひどい侮辱だと感じる】。

多くの支那の慣習がこの国に行き渡っていることから、日本人のルーツは支那にあるとヨーロッパでは考えられてきた。しかし彼らのルーツはむしろ【モンゴル族】である。かつてアジア一帯に広がり、現在はロシア領内や中央アジアに居住する民族である。彼らの祖先の血はトルクメン族、カルムィク族(オイラト族のこと。中央アジアの民族。モンゴルの一部族)、トルコ族、ツングース族などに見ることができる。【この種族がかつて支那大陸を征服】し、日本にも渡ってきたのだろう。
民族学者はモンゴル族からの同化融合の中で日本人ができあがった、との見解で一致している。日本人は文章を書くにも本を印刷するにも漢字を使っているので漢人と祖先を同じくするように見えるが、【両者は全く異なる人種】である。

まず【言語の共通性が全くない】。支那の言葉を使うこともあるが、それは自国語に語彙が不足しているのではなく、むしろ【教養を示すため】だ。

【発音の違いも顕著】である。【発声そのものが全然違う】、とケンペルは観察している。一般的に【日本語の発音は明瞭ではっきりと聞き取れる】。一音節の中には2つか3つの母音があるだけだ。翻って【漢語は子音の洪水のようなもの】だ。歌を聞くような感じで、【慣れない耳にはひどく不快】である。

また漢語はHをHとしてはっきり区別して発音するが、日本人はHもFも同じである。逆に日本人の発音ではRとDは区別されるが、漢語ではどちらの発音もLに聞こえる。ヨーロッパ言語に流暢な漢人でもこれを分けて発音することができない。…
【日本人の祖先は支那からの民ではない】と考える理由に【宗教の違い】がある。仮に日本が支那の植民地だったことがあれば、本国からの信仰を持ち込んでくるはずだ。ところが【日本に昔からある信仰である神道はこの国独特のもの】である。【支那の古代信仰に似ているところは一つもない】。仏教はどちらの国にもあるのだが、それぞれ独自の発展を遂げている。…

【両者の違いは肉体的な特徴にも現れている】。日本人にはモンゴル族の特徴が多く見られる。それに加え、ヨーロッパ系の民族に似ているところがある。【眼は漢人のように頭蓋の奥にまで陥没していない】。ヨーロッパ人ほどの肉体的頑健さはないが、【しっかりとした強靭さがあり、力強い手足を持っている】。…総じて言えば、【日本人は漢人よりも強靭(stronger and hardier)で勇敢な民族(a braver race)】であると言うことができよう。…

生活習慣や文化的側面から観察しても、【多くの点で2つの民族には違いがある】。…【漢人は戦いを回避する傾向が強く(peaceable) 臆病】なところがある。【おとなしくさせるのは簡単】だが、【こずるく(cunning) 疑い深く(suspicious) 強欲で(greedy)、すぐに賄賂が横行し高利貸しなどに手を染める】。

一方【日本人といえば、身のこなしがすばやく敏捷(quick and volatile)で、行動も大胆(daring)である。活動的でいつも刺激を求めてフランクで自由闊達(liberal) 。ノルマン人の持つ美徳(virtues) の多くを持ち合わせている】。…』

いかがでしょうか?
今回ご紹介させて頂く書物は、タイトルにも書かれているとおり、19世紀中頃、イギリス人の著者によってアメリカ国民に向けて、165年前に書かれた書物です。著者自身が日本を訪れたわけではなく、すべて伝聞による情報をまとめたものですが、結構細かいところまで書かれています。私たち日本人や日本のことを、正しく理解しているとは言えませんが、どんな風に理解していたのかが非常によく分かるお勧めの書です。

さて、本文中に書かれていたように、日本人は「自分たちはもともとこの島にいて、神から生まれた子たちの子孫だと、誇らしげに答える」とありますが、まさに正しい認識で、「皇国史観」と呼ばれるものですが、20世紀に世界に猛威を振るった「左翼のマルクス主義的な唯物史観」、これを粉々に粉砕することが出来る「歴史観」です。
例えば、左翼的思想で書かれる傾向が強いWikipediaには、このように書かれています。
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 第二次世界大戦での終戦によって、日本国憲法が施行され、国民主権が明記された。そして、戦前・戦中に弾圧されていたマルクス主義の唯物史観が書籍の出版とともに広まった。これにより、歴史学の古代史や考古学の研究が大いに

御覧の通り、嘘が書かれていますね(笑) しかも、「左翼のマルクス主義的な唯物史観」にどっぷり浸ったヒトが書き込んでいるようです♥
「左翼のマルクス主義的な唯物史観」は、20世紀的な時代遅れな思考で、すでに完全に破綻をきたしています。これは、世界的に言えることです。
ただし、フランクフルト学派の流れをくむ、形を変えてその系譜が繋がっているものが存在していて、そのことを見抜いていかなければなりません。

まず、太平洋戦争の終結によって、当時の「左翼のマルクス主義的な唯物史観」に基づき作成されたのが仮の憲法でしかない「日本国憲法」です。
「 日本国憲法の作成者は戦勝国のアメリカ人である。だから、「Made in USA」の憲法と言われるのだが、それも不正解である。
最近の研究では、一部のスタッフはソ連のスパイであったことが『ヴェノナ文書』の公開で明らかになった。『ヴェノナ文書』によると、日本国憲法の英訳と日本語訳の突き合わせを行ったトーマス・アーサー・ビッソンなどは逐一モスクワと交信しながら作業をしていたという。どうやら「Made in USSR」の憲法と言った方がよさそうだ。
『ヴェノナ文書』はソ連崩壊により公開された米国の対ソ防諜記録であるが、まだまだ氷山の一角であり、今後も新事実がわかってくるだろう。」
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆日本国憲法をつくったのは誰? ~ アメリカの社会主義
また、「古代」「中世」「近世」「近代」「現代」といった名称も用いられるようになったと書かれていますが、これこそがすでに論理破綻している「左翼のマルクス主義的な唯物史観」による区切り方で、私たち日本の歴史にはまったく当てはまりません♥ 比較的新しい国であるアメリカにだって当てはまらない、そんな馬鹿げた「思想体系」なんです♥

「 マルクス主義は、資本主義社会の矛盾を指摘し、社会主義社会へと移行する必然性を説いた思想体系です。
世の中は、原始共産制→古代奴隷制→中世封建制→近世資本主義→未来共産制と移り変わっていくという「発展段階論」がマルクス主義の軸となっています。そうした経済活動のあり方と変化が歴史を前進させる原動力となるという考え方が「唯物史観」です。
こうしたイデオロギーは宗教にも似ているうえに、現在の「進歩史観」に大きな影響を与えています。
古代から現代へ向けて社会が良くなっていく過程として中世を位置づけたマルクスは、それぞれの時代を経済の仕組みと重ねて語っています。
その発展段階においても多くの疑問が持たれます。
「それならば日本の古代はどう考えればいいのか?」と、まず問いたいところです。
飛鳥時代に奴隷がいなかったわけではありませんが、マルクス主義者と呼ばれる人たちは皇帝がいるところには必ず奴隷がいるというような極端な見方をします。
そのため、天皇制がある日本を古代のままであるようにも解釈するのだから始末に負えません。天皇制がある限り、未来共産制が来ないので廃止しろ、といったことまでを言い出してしまうのがマルクス主義者です。

奴隷がいれば古代になるとするなら、「アメリカは南北戦争まで古代だったのか?」ということにもなります。南北戦争は1861年から1865年まで続いたので、日本でいえば、明治維新を目の前にしていた時期です。
封建制が中世の区切りになるなら、始皇帝が封建制の世を改めたシナでは、「秦の時代(秦による統一は紀元前221年)から現代だったのか?」ということにもなってきます。
カザフスタンやモンゴルは、ロシア革命のあと間もなく社会主義になっていますが、その過程に中世封建制があったかといえば、その点でも難しい問題が出てきます。マルクスのいう封建制つまりフューダリズムは、ドイツのエルベ河から西、フランスのロワール河から北のあいだにしかなかった現象で、騎士が自分の領地の一部を有力な君主に献上して、その見かえりに保護を受ける契約を結ぶことでした。」
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆マルクス主義は、キリスト教の鬼っ子
さらに、「周到な国家的スケールのもとに創出されたいわば国定の虚偽観念の体系」(岩波ブックレット、1983年)と批判された」と書かれていますが、その張本人が永原慶二(ながはらけいじ)という左翼学者で、歴史学研究の方法としてマルクス歴史学(マルクスの分析方法)を中世史の研究に適用するという愚を犯した「お馬鹿な東大教授」です。

永原慶二
その門下には、池享(いけすすむ)という、これまた「お馬鹿」な学者や、

☆「少女像は迫害の象徴物…どこに置くかは韓国人が判断すること」
西尾幹二さんから、
「日本人の癖に日本になんの恨みがあるのか。なんでも日本がやったことは馬鹿馬鹿しいと言わんばかりの・・・この人は日本人なんだろうか、戦後教育のプロパガンダだ。読むに値しない」
と「左翼認定」された書物を出版した森武麿(もりたけまろ)というこれまた「お馬鹿」な学者や、

森武麿
「九条科学者の会」呼びかけ人の西田美昭(にしだよしあき)という、説明不要な「お馬鹿」な学者など、左翼学者を次々と増殖させていきます。 いわゆる「戦後利得者」という卑怯者連中です♥

西田美昭
私たちの日本では、西洋文明などよりも遥か昔から、民主主義が存在し、天皇を中心に一つの民族として固い紐帯(ちゅうたい)が存在していたという歴史的事実があります。

「 天皇が国民統合の象徴であることを国民が信じているのは、神武天皇以来今日まで一二五代の天皇と国民の間には対立がなく、固い紐帯(ちゅうたい)が存在していたという歴史的事実があるからです。国民は大御宝(おおみたから)であると申された天皇は、神武天皇以来数多くおられます。いや、すべての天皇が国民を大御宝であると見てこられたといえましょう。だからこそ、天皇のお住まいである京都御所には堀も城壁も櫓もありません。国民に対してはまったくの無防備であったのです。
そもそも、国民が天皇を襲うということは、まったく想定されていなかったし、想定する必要もなかったのです。また、国民の側には、天皇は国民一人ひとりの幸せを祈ってくれる存在であり、天皇が国民を迫害、弾圧することはありえないと信じていたわけです。」
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆国民一人ひとりの幸せを祈ってくれる存在
ここで重要なキーワードが「大御宝(おおみたから)」です♥

これは、私たち日本人が古くから使っている「和語(やまとことば)」です。「漢字」は後から当てはめただけのものです。
こちらもご参照♥
↓
☆和語(やまとことば)と漢語(もろこしのことば)
「おほみ・たから」の「おほみ」は、「み(御)」の上にさらに尊敬の意を加えるために「おほ(大)」を付けた「やまとことば」です。
続いて「たから」ですが、これは「た・から」で区切られるもので、「首」とか「喉」も「から」です。敵の大将の「首」を取って来ると「てがら(手柄)」となりますね♥
弓矢の矢は、棒の部分である「箆(の)」の端の一方に鏃(矢尻=やじり)を付け、もう一方に矢羽(やばね)や筈(はず)を付けるのですが、この棒の部分である「箆(の)」も「から」と呼びます。

「今日からダイエットしよう」の「から」とか、「東京から大阪まで」の「から」といった「から」も、同じ「やまとことば」に由来しています。
「から」は起点を表しています。
そして、そもそもの「から」が持つ意味は、「漢字」で表現すると「族」であり「柄」です。
この文章(↑)を読んで、意味が理解できるのが日本人です。「族」や「柄」といった文字に含まれている意味を理解することが瞬時にできるからです。
同じような意味合いで「うぢ(氏)」がありますが、これはもっと後の時代に使われ出した言葉です。
「から」は、「うがら(親族)」であり、「からはら(同胞)」であり、「から(族)」、つまり「血族関係のある一族」の意味です。
これと同系の言葉として、満州語(kala)や蒙古語(xala)があり、またインド南部のタミル語(スリランカとシンガポールでは国の公用語の一つ)も結びつきが強いと考えられています。

インド国内のタミル語話者の分布
さて、どのように繋がって行くのでしょう?

こちらもご参照♥
↓
☆世界に飛び立つ古代日本人 ~ 「月氏」
で、「た・から」ですが、「た(田)」の「から(族)」、「田の族」、「田の耕作民」ということになります。それが「たから(財、宝)」なわけです。
その人の「ひとがら(人柄)」、その土地の「とちがら(土地柄)」、そしてその国の「くにがら(国柄)」と、同じ意味に通じている言葉がたくさんありますが、私たち日本の「くにがら(国柄)」を表したもの、それが本来の憲法でなければなりません。

続きは次回に♥
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No title * by ムゼツタ
タカラって手+~(から)で持ち物や作品のことじゃないですか?
稲作より古い言葉だと思うのですが
稲作より古い言葉だと思うのですが
Re: No title * by みっちゃん
ムゼツタさん、こんにちは^^
コメント有難うございます!
「タカラって手+~(から)で持ち物や作品のこと」⇒「から」の本来の意味が重要だと思います。「から」が、なぜ「~」っていう意味合いを持つようになったのか、という点がポイントだと思います。
「稲作より古い言葉」⇒ 「稲作」の前か後かが、どう関係しているのか不明なのですが、そもそも私たち日本人にとって、「稲作」が歴史区分上で、重要ではないと考えています。それ以前にも、すでに「農耕」が行われていましたし、海の幸、山の幸は豊富だったわけですから。「稲作」を、なぜか「時代の区切り」みたいにすることは、間違っていると思います。
例えば、「餃子」という食べ物がありますが、これは間違いなく支那からのものですが、支那北部の人々が主に食べる食べ物であって、支那南部では、そうではありません。文化や風習は全然違っています。そんな支那南部は、主食が「お米」になります。
「稲作」や「お米」を重視する考え方は、私たち日本人の立ち位置だけで考えれば、大事なんだと勘違いしてしまうのは分からなくもないですが、それでは、現在のフランスやイギリス、或いはアメリカで「稲作」が始まったのは一体いつ頃でしょう?
もっと言いますと、ロシアの「稲作」の始まりは?、スペインの「稲作」の始まりは?、イランやサウジアラビアの「稲作」の始まりは? いつ頃なんでしょうか?
「稲作」では、時代を区切れないということが、御理解いだたけましたでしょうか。そこに、何か意味があるということが、まったくのデタラメであることが御理解いただけましたでしょうか。
コメント有難うございます!
「タカラって手+~(から)で持ち物や作品のこと」⇒「から」の本来の意味が重要だと思います。「から」が、なぜ「~」っていう意味合いを持つようになったのか、という点がポイントだと思います。
「稲作より古い言葉」⇒ 「稲作」の前か後かが、どう関係しているのか不明なのですが、そもそも私たち日本人にとって、「稲作」が歴史区分上で、重要ではないと考えています。それ以前にも、すでに「農耕」が行われていましたし、海の幸、山の幸は豊富だったわけですから。「稲作」を、なぜか「時代の区切り」みたいにすることは、間違っていると思います。
例えば、「餃子」という食べ物がありますが、これは間違いなく支那からのものですが、支那北部の人々が主に食べる食べ物であって、支那南部では、そうではありません。文化や風習は全然違っています。そんな支那南部は、主食が「お米」になります。
「稲作」や「お米」を重視する考え方は、私たち日本人の立ち位置だけで考えれば、大事なんだと勘違いしてしまうのは分からなくもないですが、それでは、現在のフランスやイギリス、或いはアメリカで「稲作」が始まったのは一体いつ頃でしょう?
もっと言いますと、ロシアの「稲作」の始まりは?、スペインの「稲作」の始まりは?、イランやサウジアラビアの「稲作」の始まりは? いつ頃なんでしょうか?
「稲作」では、時代を区切れないということが、御理解いだたけましたでしょうか。そこに、何か意味があるということが、まったくのデタラメであることが御理解いただけましたでしょうか。
Re: No title * by みっちゃん
御参考までに、「た」は「耕作地」を意味する言葉で、「あわた(粟田)」なんかもそうですね。狭義の場合、水を引き稲を育てる耕作地を「た(田)」というのですが、水を引かなければ「はた、はたけ(畑・畠)」になります。
ついでに申し上げますと、「畑」も「畠」も、日本人が造った「国字」になります。
ついでに申し上げますと、「畑」も「畠」も、日本人が造った「国字」になります。
徳間書店が「TSUTAYA」に買収され、今後、オピニオン系書籍は、次々に廃刊になると思われます。
http://mizumajyoukou.blog57.fc2.com/blog-entry-2437.html
もうご存知かもしれませんが、まずはご一報まで。