2017-05-05 (Fri)

ベンジャミン・ウエストが描いた、使節団の絵画。この絵は自国の敗北を恥じたイギリス使節団がポーズを拒否したため、未完成となっている。
パリ条約(パリじょうやく、英: Treaty of Paris 仏: Traité de Paris は、1783年にアメリカ独立戦争を終結させた条約の1つ。
アメリカ合衆国とイギリスの間で結ばれた。イギリスがアメリカの独立を承認し、ミシシッピ川より東をアメリカ領とした。なお、アメリカに与したスペインおよびフランスとの間にはヴェルサイユ条約が結ばれた。
この戦争によってイギリスのヘゲモニーは制限されたが、イギリスの世界戦略に影響を及ぼすことも無く、勢力は維持された。逆にフランスは、北米植民地戦争の借りを返すことに成功したが、国家財政は底を突き、困窮を極めた。一方アメリカ大陸では、アメリカ独立戦争、フランス革命の連鎖により、中米、南米でも独立の機運が高まって行く。

ミシシッピ川流域図
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 1852年夏、ニューヨークで発刊されたこの書は、【アメリカの日本開国プロジェクトを意識したもの】だった。当時のアメリカは、英国やフランスなどのヨーロッパの大国に比べれば、【まだ弱々しい新興国】であった。その【アメリカが海軍力の4分の1を使って進める国家事業が日本開国プロジェクト】だった。…

本書『日本 1852』は、アメリカの世紀のプロジェクトとも言える日本開国計画に強い関心を寄せるアメリカ国民に向けて書かれた。当時の日本は極東の閉ざされた未知なる島国であり、国民の日本に対する興味が高まっていた。それだけに時宜にかなった出版であった。…
当初、日本開国プロジェクトを委ねられたのは【ペリー提督】ではなく、1851年に東インド艦隊司令官に就任していた【ジョン・オーリック提督】であった。しかし、オーリックはその任に相応しくないとして解任され、【ペリーにその大役が任された】。…

日本の版画に描かれたペリー 嘉永7年(1854年)頃
【ペリー提督の娘キャロライン】は美貌で知られ、【ニューヨークの富豪オーガスト・ベルモントに嫁(か)していた】。

ペリーの娘 キャロライン
【ベルモントはイギリス・ロスチャイルド家のエージェント】であった。

オーガスト・ベルモント
ロスチャイルド家にはベルモントの他に【もう一人のエージェント】がいた。それが【法律家アーロン・パーマー】だった。この【パーマーこそが「日本開国計画」を立案し、時の政権に建言した人物】だった。』

いかがでしょうか?
今回ご紹介させて頂く書物は、タイトルにも書かれているとおり、19世紀中頃、イギリス人の著者によってアメリカ国民に向けて、165年前に書かれた書物です。著者自身が日本を訪れたわけではなく、すべて伝聞による情報をまとめたものですが、結構細かいところまで書かれています。私たち日本人や日本のことを、正しく理解しているとは言えませんが、どんな風に理解していたのかが非常によく分かるお勧めの書です。

冒頭から、イギリス・ロスチャイルド家のエージェントだったオーガスト・ベルモント、つまりペリーの義理の息子が登場していますが、彼はもともとユダヤ人でしたが、のちに聖公会(イングランド国教会の系統)に改宗し、クリスチャンになっています。
この書物よりも少し後の時代、70年後の1922年、史上初の社会主義国家のソビエト政府が誕生したときに出版された書物があります。
ロスチャイルドやユダヤが出てくると、すぐに「陰謀論」に結び付けたがる方々がいらっしゃいますが、決してそうではなくて、問題となるのはユダヤ教的なイデオロギーで、それこそが「パヨクの素」となるもので、アカデミックな世界に今でも蔓延していて、それを学んだ「自称エリート」らが、メディアや金融界に蔓延っていることを、私たち日本人は理解しておかなければならないんです♥
ですから、「陰謀論」とは距離を置いた、客観的な分析をしている、今から100年ほど前に書かれたこの書物(↓)も、ぜひ併せて御覧になって見てください。

詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆ヒレア・ベロック ユダヤ人 なぜ、摩擦が生まれるのか
さて、今回ご紹介の書物とまったく同じ165年前に書かれた書物が、ストウ夫人の『アンクル・トムの小屋』です。

初老の黒人奴隷トムの数奇で不幸な半生を描いている架空のお話で、単なるプロパガンダ作品です♥

「 さて、いよいよ「アメリカ建国神話」のクライマックスです。人類史上の英雄とまでいわれている、第16代大統領アブラハム・リンカーンのお話です。…
ストウ夫人の『アンクル・トムの小屋』を読んだことがあると思います。南北戦争のアメリカ南部で、優しいトムおじさんが黒人だというだけで奴隷にされ、いろんな悲しい目に遭い続けた挙げ句に非業の最後を遂げるという小説です。南北戦争のイメージは、ストウ夫人が作りました。
世の中、ここまで善と悪を極めている話というものは眉に唾をつけて聞かなければいけないものです。偽善のにおいがプンプンします。こんな話を世界中に広めたアメリカ人というのは、プロパガンダの名人なのではないかと思ってしまいます。もう少し踏み込みますと、リンカーンは偽善者ですらなく、ただの極悪人です。…」
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆黒人が黒人を奴隷にした国 ~ リンカーンの正体
「奴隷解放宣言」で著名とされるアメリカ大統領ですが、事実は全く異なっています。
ちなみに、「奴隷解放宣言」は、この書物が出版されてから10年後の1862年9月、南北戦争(1861年~1865年)の真っ最中に発布された法律です。
ここまでのアメリカの歴史をざっと見てみましょう♥

メイフラワー号
私たちの日本が江戸時代に入って間もなくの1620年、イングランドのリンカンシャーにある港町「ボストン」から、イングランド国教会から弾圧を受けていた清教徒を含む102人がメイフラワー号に乗ってアメリカへと向かいました。キリスト教徒にとって理想的な社会を建設することを目指して。。。

リンカンシャー
現金も、衣類や家具も持たず、命辛々逃げ出して行ったのが、この最初にアメリカに渡ったイギリスのピューリタン(清教徒)、いわゆるピルグリム・ファーザーズ(Pilgrim Fathers)です。
「 アメリカに渡ったピルグリム・ファーザーズたちは、だいたいが犯罪者です。「刑務所から出してやるから、アメリカに行って開拓でもしろ」と言われて追い出されてきたような人たち。
彼らは、知らない土地に追い出されたから、「神の恩寵(おんちょう)がある」とでも思っていなければ生きていけなかった。それで、彼らは「信仰の自由」という格好いいことを言い出した。それが、いまにまでつながっている。
ピルグリム・ファーザーズに続いた人たちも、実は契約移民が多い。アメリカに行くと言っても、船賃を払えない貧乏な人たちだから、アメリカに着いたら船賃分だけ働いて、働き終わったら自由民になる。英語では indentured servitude (年季奉公)って言うけど、そういう人たちがアメリカという国をつくった。いまのアメリカ人のうち、白人の多くは契約移民の子孫。
祖先は、元犯罪者や貧しい人なんですけど、それを言われるのが嫌だから、「先祖はイギリス貴族の一番下っ端だった」と言い張っている。」
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆化けの皮が剥がれてきました ~ リメンバー・サンドクリークw
余談になりますが、その後も、2代目メイフラワー号が、1629年、1630年、1633年、1634年、1639年と大西洋を往復し、次々と移民を送り込んでいます。

メイフラワー2世号(プリマス)
「 イギリスの「落ちこぼれ」がアメリカ大陸へ流されたのがメイフラワー号です。
何がどう落ちこぼれかを説明しましょう。当時のヨーロッパは三十年戦争の最中です。
三十年戦争とは、ヨーロッパのすべての国がカトリックとプロテスタントの陣営に分かれ、殺し合いが行われた宗教戦争です。その中心であったドイツ地方では国土の三分の二が荒廃し、人口の四分の一が消滅したといわれます。この戦争を境にヨーロッパ人は「宗教はほどほどにしようね」というふうになっていくのです。具体的には、「火あぶり」「魔女狩り」「錬金術」「魔法」といった迷信の世界と最終的に決別し、大人の社会に成熟していくのです。これを「近代化」と言います。
1620年にメイフラワー号に乗ってヨーロッパを離れた連中は、「近代化なんて嫌だ」という宗教原理主義者の皆さんです。実態はメイフラワー“サティアン”とでも言ったところでしょうか。
彼らメイフラワー“サティアン”の連中は苦難の末にアメリカ大陸に漂流し、餓死しそうになります。そこでかわいそうに思った現地人(一時期は「インディアン」の呼称は差別的とかで「ネイティブ・アメリカン」と呼びました)が食べ物をくれたのでメイフラワー“サティアン”の皆さんは助かったというわけです。

さて、問題です。ここで“サティアン”の皆さんは誰に感謝したでしょうか。」
詳しくはこちらをご参照♥
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☆学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて・・・みたいなアメリカの話
そして、本国であるグレートブリテン王国(イギリス)に対して、その領土でしかなかったアメリカ東部沿岸の13植民地が反乱を起こし(1775年)、独立を宣言(1776年)、8年間の戦争の末にパリ条約(1783年)で独立を果たします。

13植民地(赤色部)図
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
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「 アフリカ系アメリカ人は解放奴隷も奴隷のままの者も米英両軍ともに従軍した。イギリス軍は積極的に愛国者を主人に持つ奴隷を徴募した。大陸軍側においても、1776年1月、人員不足解消のためジョージ・ワシントンは奴隷徴募の禁止令を撤廃した。ロードアイランドとマサチューセッツでは小さいながらも全て黒人の部隊が作られた。またフランス軍と共にハイチから全て黒人の部隊が参戦した。少なくとも5,000名の黒人が革命軍側で、2万人以上がイギリス軍に従軍した。
ミシシッピー川から東にいた先住民族の大半が戦争に巻き込まれた。多くの部族社会は戦争へのかかわり方を巡って分裂することになったが、それまでアメリカの開拓者からの侵略に曝されていたために、先住民の多くはアメリカと敵対する道を選択した。およそ13,000名の戦士がイギリス側で戦ったと推定されており、その中ではイロコイ連邦の約1,500名が最大であった。」
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆アメリカ合衆国初代大統領ジョージ・ワシントンは、架空の人物です

ジョージ・ワシントン
ここまで、つまりアメリカ13植民地が独立を果たした1783年までで、最初の入植から163年を経ています。その植民地時代が終わり、69年後に今回ご紹介の書物が発刊されています。
東部の13植民地が独立して、たったの70年ほどで、西部へと領土を拡げたアメリカが国家事業として日本開国プロジェクトを計画していたということになります。

続きは次回に♥
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