2017-05-04 (Thu)

サウジアラビアのマディーナ
イスラム教(イスラムきょう、イスラーム教とも、正式名はイスラーム)は、唯一絶対の神(アラビア語でアッラーフ)を信仰し、神が最後の預言者たるムハンマドを通じて人々に下したとされるクルアーン(コーラン)の教えを信じ、従う一神教である。
ユダヤ教やキリスト教の影響を受けた唯一神教で、偶像崇拝を徹底的に排除し、神への奉仕を重んじ、信徒同士の相互扶助関係や一体感を重んじる点に大きな特色があるとされる。アッラーフ(アッラー)を崇拝するが、アッラーとは、もともとアラビアの多神教の神々の中の一人であったが、ムハンマドがメッカを占領すると、他の多神教の神々の像は全て破壊され、その神(アッラーフ)だけを崇拝するようになった。

国ごとのイスラム教の分布。緑系はスンナ派、赤紫系はシーア派、青はイバード派
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 …ウマルの時代の後、カリフになったのが【第三代のウスマン】です。【ウスマンはのちにイスラム帝国を建てるウマイヤ家の出身】です。
ウスマンの時代に【コーランが成立】します。コーランはムハンマドの言動が記録されまとめられたもので、【イスラム教の教典】です。…【アラビア語で書かれたコーランだけが正式なコーラン】で、他の言語で書かれたものは参考程度としての扱いです。

ウスマンの時代はイスラム軍のなかにウマル時代からの不満に加え、新たな不満が溜まっていきました。

先代ウマルの時代とは違い、拡大していくための戦いもあまりなく、戦利品が入らないことも大きな原因の一つでした。…さらに【ウスマンの人事がウマイヤ家を偏重していると批判が集まります】。結局最後に【ウスマンが反乱軍によって殺害され】てしまいました。

【第四代で最後のカリフ、アリー】(在位656年~661年)はムハンマドのいとこであり、女婿(じょせい)でもありました。その【アリーも暗殺され】ます。正統カリフ時代のカリフは【初代のアブー=バクルを除いて、他三人はすべて暗殺されています】。…

正統カリフ時代の最大版図
アリーが暗殺されたあと、【主導権を握ったのがウマイヤ家のムアーウィヤ】という人です。
ムアーウィヤはシリアの総督を務めていました。そのときから、【第四代カリフ・アリーと対立し、自分でカリフを名乗っていた】のです。
唯一のカリフとなったムアーウィヤがイスラム教団を牛耳りました。【これ以降、カリフはイスラム教団のなかから選ばれるのではなく、世襲されていく】ことになります。

ここに、【アラブのイスラム国家で、世襲による王朝が初めて成立】しました。【ウマイヤ朝】(661年~750年)です。一四代にわたるカリフが全員ウマイヤ家出身だったので、そう呼ばれます。

イスラム帝国の版図拡大の流れ
【ウマイヤ朝の都はシリアのダマスカス】に置かれました。そこから、【西アジア、中央アジア、北アフリカ、さらにイベリア半島にまで版図を拡大】し、30年くらいのあいだに【絶頂期のローマ帝国を超える巨大帝国になってしまいます】。…

カリフが世襲されることになったことで、イスラム教団に争いが生じます。【カリフの地位をめぐる争い】です。【ウマイヤ朝のカリフを認める立場を取るのがスンニ派】です。それに対して、【正統カリフの第四代アリーの子孫だけしかカリフとして認めないという立場を取るのがシーア派】です。』

いかがでしょうか?
今回ご紹介させて頂く書物は、タイトルにも書かれているとおり、8世紀頃までの古代の世界史について概観されていて、とてもお勧めの良書です。

ウマイヤ朝(661年~750年)は、100年も持たなかったイスラム王朝ですが、預言者ムハンマドと父祖を同じくするクライシュ族の名門で、メッカの指導層であったウマイヤ家がカリフを世襲していました。
預言者ムハンマドがイスラム教を創始した当初、クライシュ族はムハンマドの布教活動を迫害し続けていました。つまり、イスラームの敵対者だったわけです。
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 ムハンマドが啓示を受けまず身内のクライシュ族に布教を始めたとき、信者に成るものもいたが大多数のものは信仰しなかった。クライシュ族の多くは自分たちの既得権益を脅かし、多神教から一神教のイスラム教に改宗するよう説得するムハンマドに最初圧力をかけるだけだった。がクライシュ族が提示した妥協案をムハンマドが蹴ったことで本格的な迫害が始まる。619年ムハンマドの保護者だったアブー・ターリブが死亡し、弟のアブー・ラルブがその跡を継いでいた。アブー・ラルブはムハンマドの保護を取りやめ、ムハンマドは仕方なく信者達をエチオピアのキリスト教の国アクスム王国やヤスリブに脱出させなければならなかった(ヒジュラ)。

マディーナ(メディナ、旧ヤスリブ)
ヤスリブで信徒を増やし力を蓄えたムハンマドは、624年3月クライシュ族の隊商を襲撃した。初めての戦いによるジハードである。クライシュ族はメッカから援軍を差し向け、両雄は紅海沿岸バドルの水場で戦った(バドルの戦い)。数で劣るムハンマドだったが、天使が味方したと言われるほどの圧倒的勝利を収める。
復讐を誓うクライシュ族は、指導者アブー・スフヤーンの元、625年3月ヤスリブに侵攻(ウフドの戦い)。最初ムハンマド側は有利に戦いを進めるが、途中から形勢は逆転。クライシュ族は辛くも勝利を収める。戦いの途中ムハンマド死亡の噂が流れ、ムスリム側が浮き足立ったことがクライシュ族に勝利を導いた。しかし実際はムハンマド殺害には至っていなかった。
627年クライシュ族はユダヤ教徒と手を組み3度目の戦いに挑むが、堅く守るムハンマド側を攻めきれず兵糧不足により撤退、ここに双方の立場は逆転する(ハンダクの戦い)。そして628年3月双方が「フダイビーヤの和議」に至るにあたって、クライシュ族からの改宗者は激増する。

メッカ
630年1月ムハンマドは軍を率いてマッカを急襲。既にほとんど抵抗はなくマッカは陥落した。ムハンマドはカーバ神殿にあった多くの偶像を全て破壊、マッカはついにムスリムの土地となった。この後クライシュ族はイスラム世界の指導者的存在としてその発展に大きく寄与する。正統カリフ時代、ウマイヤ朝、アッバース朝とクライシュの血を引く者による支配が続くが、その後アラブ人の優位性は失われ、クライシュ族も次第に影響力を失っていく。 しかしその後も預言者ムハンマドの一族としてイスラーム世界の尊敬を集めた。」
もちろん、クライシュ族の名門であったウマイヤ家も、預言者ムハンマドと激しく対立していましたが、最後には、メッカ市民に抵抗を止めさせ、ムスリム軍に降服、メッカの無血開城を導き、ムスリムとなってムハンマドに従うようになりました。
同族出身の第三代カリフのウスマンが殺害されたことによって、血族としての報復の権利を求めるウマイヤ家の当主ムアーウィヤが、第四代カリフのアリーと対立することになります。そして、そのアリーが殺害されて・・・という流れです。
ここで、第四代カリフのアリーは預言者ムハンマドの従兄弟で、かつムハンマドの娘婿なわけですから、その子孫はムハンマドの血族となります。これを支持する立場が「シーア派」です。

以下は、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 シーア派は、イスラム教の二大宗派のひとつで、2番目の勢力を持つ。
7世紀のカリフであったアリーとその子孫のみが、預言者の代理たる資格を持ち、「イスラム共同体(ウンマ))」の「指導者(イマーム)」の職務を後継する権利を持つと主張する。
シーアはアラビア語で「党派」を意味する普通名詞で、初期のシーア派の人々が、「アリー派」((شيعة علي、Shī‘ah ‘Alī)と呼ばれたことに由来している。のちには、シーアに単に定冠詞を付したアッ=シーア(ash-Shīʻa)という語で同派を意味するようになり、宗派の名称として定着した。」
他方、最大勢力であるのが「スンナ派(スンニ派)」で、初期カリフがクライシュ族内から互選で選ばれたことから、ムハンマドとの血縁の近さは必ずしも絶対的なものではないとし、クライシュ族であれば多少血縁が遠くても良いとする立場になります。

以下は、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 アラビア語では字義的には「スンナとジャマーアの民」(または単に「スンナの民」)というが、「預言者ムハンマドの時代から積み重ねられた『慣行』(al-Sunna スンナ)および正統なる『(イスラーム)共同体』(al-Jamā‘a ジャマーア)に従う・護持する人々」というほどの意味で、アラビア語ではさらにこれを略して「スンナに従う人」を意味する「スンニー( سني Sunnī)」の語からスンニ派とも呼ばれる。」
要するに、イスラーム共同体の団結と共同体におけるコンセンサス形成を重視する考え方になります。
100年も持たなかったウマイヤ朝は、アラブ民族であるクライシュ族のウマイヤ家による世襲王朝です。ムハンマドとの血縁を絶対視していませんから、「スンナ派(スンニ派)」の考え方になります。
そして、広大な領土を支配して、「アラブ人至上主義」の統治を行います。
すると、当然のことですが、非アラブ人のイスラム教徒たち、例えばペルシャ人(今のイラン人)のムスリムからは不満が生じるようになっていきます。

そして、革命へと発展していきます。
預言者ムハンマドは、アラブ民族のクライシュ族に属するハーシム家の出身です。
ハーシムの1人息子には、3人の息子(ハーシムの孫)がいました。
まず孫のアブドゥッラーフの子(ハーシムの曾孫)が預言者ムハンマドになります。そのムハンマドの娘のうち2人は、ウマイヤ家出身の第3代カリフのウスマンの妻となっています。第3代カリフのウスマンが暗殺されて、ウマイヤ家一族が興した王朝がウマイヤ朝だというのは先ほど見てきたとおりです。ここで、ムハンマドの2人の娘からの血筋が途切れます。

一方、預言者ムハンマドの末娘であるファーティマは、ハーシムの3人の孫の1人であるアブー=ターリブ、その息子である第4代カリフとなるアリーと結婚しています。
アブー=ターリブは預言者ムハンマドの伯父であり、育ての親でもありますが、生涯イスラームに入信することはなく、しかしハーシム家の当主としてムハンマドの有力な支援者であり続けたという人物です。そのアブー=ターリブの息子、つまり従兄弟にあたるアリーを預言者ムハンマドはのちに養子として迎え、末娘のファーティマと結婚させます。
この血統が、ハーシム家の一つとなるアブー=ターリブ家の血筋になります。

さらに、ハーシムの3人の孫の残りの1人に、アッバース・イブン・アブドゥルムッタリブがいます。その曾孫がアッバース朝開祖となるアブー・アル=アッバースです。この血統が、ハーシム家のもう一つの血筋となるアッバース家で、革命により、ウマイヤ朝を倒すことになります。

アッバース朝の版図(深緑はまもなく離反し、緑が850年以降の領土として留まる)
続きは次回に♥
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Re: 樋口えりかにハイテク兵器で攻撃されています * by みっちゃん
おや? まったくイミフなのですが・・・
ホスト検索してみますと、「ホスト:KD182250251007.au-net.ne.jp」が該当しています。
続いて、ググって見たところ、「関西大学 器械体操部」の公式掲示板(http://trust-c.co.jp/gym/keijiban1.html)がヒットしました。
「 3月30日(木)の練習について 投稿者:三回生主務 今西十力 投稿日:2017年 3月28日(火)15時06分45秒 KD182250251007.au-net.ne.jp
こんにちは、三回生主務の今西十力です!
3月30日(木)ですが、関大中央体育館ステージ上で練習としていましたが、体育館の都合上使用できなくなってしまいました。それに伴い、練習場所の確保ができなくなってしまいましたので、突然ですが3月30日(木)はOFFとさせていただきます。よろしくお願いします。」
関係があるのでしょうか(笑)
なお、Twitterアカは、「じゅうりき」さん(@jyurikishitan)で、プロフには
「清教→関西大学 化学生命工学部 生命生物工学科 大阪/羽曳野/器械体操/主務/柔道/榮華亭江坂店/なかちゃん関大前店」
とか書かれています。
御尊顔もネットで拝めましたし、他にも色々と分かったのですが、頂いたコメントの意味が分かりません(笑)
一体、何がしたいのでしょうか・・・
もし、何かして欲しいことがあったとしましても、当ブログとは無縁でございますので、こういった程度の低い行動は止めて頂きたいものです♥ 一応、「さらし首」ということで、ブログ記事の中にもアップさせて頂きます。お馬鹿な事例の一つとして、ですけれど♥
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3月30日(木)ですが、関大中央体育館ステージ上で練習としていましたが、体育館の都合上使用できなくなってしまいました。それに伴い、練習場所の確保ができなくなってしまいましたので、突然ですが3月30日(木)はOFFとさせていただきます。よろしくお願いします。」
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樋口えりかと同じ南塚口ハウスの2号棟の三階に住んでいた樋口敦の妻の家族も共犯者です
樋口あきらの高校からの友達と彼女が思考盗聴したUSBを持っているらしいです
樋口えりかは頭を締め付けられたり思考盗聴されないんでしょうか
樋口えりかは前にも議院を思考盗聴して自殺に追い込んだんやで創価からお金をもらってるんやでと音声送信してきます
樋口えりかはまた議院を思考盗聴するんやでと音声送信してきます
またひとが消されるんでしょうか
樋口えりかは頭を締め付けられたり思考盗聴されないんでしょうか
樋口敦の今の住んでいる場所や人間関係を調べて下さいその家や車から思考盗聴電波が出ているはずです