2017-05-01 (Mon)
『レオ1世とアッティラの会見』 ラファエロ
フン族(フンぞく、Hun)は北アジアの遊牧騎馬民族。中央アジアのステップ地帯が出拠と考えられるが、民族自体の出自についてはかなり以前より「フン」=「匈奴」説などがあるものの、いまだ定説となっていない。言語学的にはテュルク語族に属すると考えられている。
『ローマに迫るフン族』 ウルピアノ・チェカ
4世紀中頃から西に移動を始め、これが当時の東ゴート族、西ゴート族を圧迫して、ゲルマン民族大移動を誘発、さらには西ローマ帝国崩壊の遠因ともなった。5世紀中頃のアッティラの時代に統一帝国を築いて最盛期を迎えた。
フン族による略奪。ジョルジュ・ロシュグロス画。1910年
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 この【パルティアがやがてローマと対立するようになります】。パルティアとローマとのあいだでちょうど【盾の役割をしていたセレウコス朝をローマが倒した】ので、パルティアがローマと直接接触することになったのです。
ローマがカルタゴを殲滅し、エジプトを征服し、パルティアと対立するようになったことを、これで何かローマが一方的に東方を征服していったかのように書いてあるものが多いのですが、【基本的に一進一退】です。
カエサルの胸像(ウィーン美術史美術館)
【ローマの英雄カエサルが生涯手に入れられなかったものの一つがパルティアに対する勝利】だったということや、カエサルと三頭政治を行った【クラッススはパルティアとの戦いで戦死】したことを思い出せば、納得できるでしょう。【ローマ帝国の絶頂期の五賢帝時代でさえ、一進一退】が続いていました。
クラッススの頭像(ニイ・カールスベルグ・グリプトテク美術館)
【パルティアとローマは約300年にもわたって、繰り返し戦ってきた】のです。その結果、ローマがパルティアを滅ぼしたのかというと、そうではありません。【パルティアを最終的に滅ぼしたのはササン朝ペルシャ】でした。
6世紀中頃
【パルティアが本当は大帝国】で、ローマ帝国と長きにわたり幾度も戦っているのに、【日本ではあまり研究されていない】ようです。また、パルティアそのものやパルティアとローマの戦いに関して一般に読めるものも限られています。そのあたりの事情も【日本人の世界史観を反映している】かのようです。
ギリシャ・ローマが世界最強、世界最先端でずっと人類の中心を占めてきたなどという歴史観は【まったく違います】。
【オリエントと呼ばれた東のほうの人間はそんな歴史観を全然認めていません】。
しかし【日本人はそうした歴史観を認めてしまっている】のです。【だから、中東の人と話がかみ合わないのです】。
たしかに欧米は現代、ここ200年ぐらいは力があり、進んでいました。でもそれは【人類の歴史3000年のなかの、せいぜい200年、300年のことではないかという歴史観をなぜもたないのか】。【日本人よ、もっと誇りをもてと言いたい】。どうしてギリシャ・ローマだのチャイナだの、【そんな野蛮な人たちを先進文明だと崇(あが)めるのか】。
近代史以前に、【世界の捉え方の時点で、日本人は自虐的】だなと思います。』
いかがでしょうか?
今回ご紹介させて頂く書物は、タイトルにも書かれているとおり、8世紀頃までの古代の世界史について概観されていて、とてもお勧めの良書です。
今回ご紹介させて頂いた本文中からも明らかなように、高校生が学校で教え込まれている「世界史」というのは、下図の色付け部分、つまりユーラシア大陸の両端の地域の歴史を教えているだけであって、それらの「オマケ」として、その周辺地域の歴史が教えられます。
でも、本当は、ユーラシア大陸の真ん中の地域こそが、世界史の主役の地域だったんです♥
支那は、実は北方を中心とする周辺の遊牧民族よりも、遥かに弱小国家だった歴史を隠したいために、さも自分たちが中心であったかのように歴史を捏造しています。
そもそも、支那の歴史において、漢民族はとっくに全滅していますし、そのほとんどは異民族が支配した歴史です♥
同じように、西洋人は、まったく無関係なはずのギリシャ・ローマの子孫であるかのように、歴史を捏造しています。そして、そのギリシャ・ローマよりも、遥かに先進的で強力な軍事力を持っていた東側に存在した数々の国々の歴史を矮小化しているんです♥
そのような、支那や西洋人の身勝手な歴史観を、高校生に教え込んでいるのが、いまの「世界史」の授業です♥
さて、昨日のところで、紀元前248年にアルケサス1世が建国したイラン人の国「パルティア」、そのお隣のゾロアスター教の中心地の一つでもあった「バクトリア」と呼ばれる交通の要衝に、「匈奴」に追いやられた「月氏」が建国した「大月氏」のお話を書かせて頂きました。
この「大月氏」が「クシャーナ朝」へと繋がっていきます。
クシャーナ朝は、仏教を手厚く保護したカニシカ王が有名ですが、そのカニシカ王について、チベットの伝説や漢訳仏典にホータン出身であることが伝えられています。
カニシカ1世の金貨
以前にも書かせて頂いていますが、「ホータン」は、古代マヤ文明と日本文明だけが加工技術を保持していた「翡翠(ひすい)」とも関係しています。
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆世界に飛び立つ古代日本人 ~ 「月氏」
さて、紀元前209年~93年頃まで遊牧国家として繁栄した「匈奴」(民族としては紀元前4世紀頃~5世紀)ですが、
紀元前2世紀、匈奴とその周辺国。
やがて、東に存在していた「鮮卑」が台頭してくることによって、西方へと追いやられます。
2世紀頃、鮮卑(檀石槐政権)とその周辺国。
その動きが、東ユーラシアの諸民族を圧迫します。「ゲルマン民族の大移動」です。
☆大きさや形の歪みをおさえた正確な地球の全体像を示す四角い世界地図 世界地図図法 [オーサグラフ世界地図]
俗に言われる「フン族」が「匈奴」であるかどうかは不明ですが、玉突き状態で、各民族が西へ西へと追いやられたであろうことは、鉄砲が生まれてくる以前の時代に、世界最強だったのが「遊牧騎馬民族」だという事実を認識していれば、容易に想像することが出来ます。
フン族の西方への移動の推定図
東方から押し寄せる強力な軍事力を持った「フン族」に対して、当時の西欧在住の各民族の連合軍が戦ったのが、「カタラウヌムの戦い」あるいは「シャロンの戦い」(フランス語読み)です。
カタラウヌムの戦いでのフン族(緑)と西欧諸民族連合軍(赤)の進路
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 カタラウヌムの戦い(カタラウヌムのたたかい、フランス語読みでシャロンの戦いとも、英: Battle of Chalons)は、ゲルマン民族の大移動の時代に、フン族と西欧諸民族連合軍の間で行われた会戦である。両軍合せ約5万名が参戦し、うち1万名が戦死するという大激戦となった。
フン族を描いた19世紀の歴史画(ヨーハン・ネーポムク・ガイガー画)
451年、アッティラの率いるフン族はライン川を渡り、ガリアに侵攻し、オルレアンを包囲した。
アッティラ 16世紀製作のレリーフ
『アッティラの饗宴』タン・モル
西ローマ帝国の将軍アエティウスはゲルマン諸族の軍と共にこれを討ちカタラウヌムの野(今の北フランス、シャロン=アン=シャンパーニュ付近)で決戦した。激戦の末、アッティラは大打撃を受けて本拠のハンガリー平原に退き、西欧はフン族の征服を免れることができたが、フン族の勢力は維持された。
カタラウヌムの戦い(アルフォンス・ドヌー画)
ローマ軍側も追撃不可能なほどの被害を受けたことで、西ローマの勢力は弱まり、ガリアへのフランク族の侵入が始まることとなった。
この決戦は世界史上の東西両民族の大衝突の一つとしても名高い。」
このように、何とか戦いをやり過ごした西欧在住の各民族の連合軍ですが、その結果何が起きたのかと言いますと、西ローマ帝国の崩壊です♥
現在のキリスト教・カトリックの「敗北」です♥
続きは次回に♥
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