2017-04-30 (Sun)

パルティアンショットのイメージ
パルティア(古典ギリシア語:Παρθία, 古典ラテン語:Parthia, 紀元前247年頃 - 228年)は、カスピ海南東部、イラン高原東北部に興った王国・遊牧国家である。パルニ氏族を中心とした遊牧民の長、アルサケスが建国した。
パルティアは遊牧民が政権中核を構成した国家であり、弓と馬の扱いに秀でていた。そのため軍隊の主力にも軽装騎兵を採用しており、機動力を生かした戦いを得意としていた。軽装騎兵は槍や剣ではなく弓で武装し、一定の距離を保ち矢を放って敵を苦しめた。軽装騎兵を効果的に活用するためパルティアは接近した白兵戦につながる会戦をできるだけ避け、戦闘になっても会戦で決着をつけようとはせずにすぐに退却した。退却するパルティア軍は追撃する敵に逃げながら矢を放ち、その損害に敵が浮き足立ったり高速移動に敵の戦列が対応できずに戦闘隊形が乱れると、取って返して再び攻撃した。こうした戦法は特にパルティア独自のものではなく、スキタイ、匈奴、モンゴル帝国といった遊牧国家の戦争に共通したものであるが、ヨーロッパに古典文明を伝えたローマ帝国が本格的に対峙した遊牧民勢力がパルティアだったため、ヨーロッパ人にとって遊牧民の戦法は、パルティア的なものとして記憶されるようになった。
このようなパルティアの戦い方から逃げながら馬上から振り返りざまに打つ矢のことを「パルティアンショット」(Parthian shot) と呼び、現代では転じて「捨てぜりふ」の意味になった。馬上の弓術は、パルティアの後継政権であるサーサーン朝の皇帝の狩猟図像などに記録されているものを、今日でも見ることができる。

戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 【パルティア】はセレウコス朝シリアから生まれてのし上がり、【西と東を繋ぐ大帝国になったイラン人の国】です。

紀元前50年頃のパルティアの位置
【紀元前248年にアルケサス1世が建国】しました。【アルケサス1世のことを『史記』が「安息」と記したので、そこからパルティアのことを安息の国とも言います】。パルティアが中国との接触をもっていたことの証と言えます。

西にはローマ、東には漢があって、東西を結ぶ絹の道・シルクロードがあったことはよく知られています。【しかしそれだけが東西を結ぶ道だったわけではありません】。

【シルクロードの北のほうには「草原の道」】と呼ばれるところがあり、【そこには騎馬民族】がいました。

【草原の道のほうが、じつはギリシャ・ローマ、あるいは漢などより中心文明だった】のではないかとする研究があります。【しかしそんなことは、東洋史も西洋史も認めません】。

紀元前2世紀、匈奴の最大版図とその周辺国。
【東洋史というのは「中華帝国万歳」の歴史観】で凝り固まった人たちが圧倒的に多く、【漢文だけを史料として大学の教授になった人たちが、チャイナが書いて残したものだけを東洋史と呼んでいるだけ】です。

【西洋史のほうもイギリス史、フランス史、ドイツ史の人たちが"連立政権"を組んで、アメリカやロシアすらマイナー扱いしてしまう状況】です。

【日本ではそんな東洋史と西洋史がさらに“野合”したのが「世界史」とされています】。

そんな【偏向も甚だしいものを「世界史」と思い込んでいる】ので、【日本人の世界史観はいきなき歪んでしまうわけ】です。

中国と、イギリス、フランス、ドイツのご先祖様のギリシャ・ローマとが最初から【人類の中心地だったという錯覚】に陥ります。

【チャイナやローマは辺境の、それも端にしかすぎません】。

【ユーラシア大陸の真ん中のほうが強いのです】。』

いかがでしょうか?
今回ご紹介させて頂く書物は、タイトルにも書かれているとおり、8世紀頃までの古代の世界史について概観されていて、とてもお勧めの良書です。

昨日のところで、私たち日本人の祖先の誕生が如何に古いものであるのか、また、現代にまで語り継がれている世界各地の「神話」に見られる多くの主題やモチーフ、そのなかで共通するすべての主題があるのが、アメリカとインドネシアと、そして私たちの日本であって、この三地域にしか認められ無いものが存在し、尚且つ、この三地域の神話は細部に至るまで一致しているということを書かせて頂きました。
この世界各地に語りるがれる「神話」、それが「宗教」へと繋がっていくことになるのですが、アメリカ・インドネシア・日本が世界各地の「神話」の起点となっている可能性があります。
そして、東アジアへ到達した「ヒト」の集団から、私たち日本人の祖先は分離して独自の発展を遂げていたこと、また、アジアからベーリング海峡を渡ったのは、もっと後の時代ですので、アメリカ・インドネシア・日本の中で、もっとも古いのが私たちの日本であり、日本こそが世界各地の「神話」の起点となっている可能性があるということです♥
このお話は、また別の機会に書かせて頂くとしまして、今回ご紹介させて頂いた本文中からも明らかなように、高校生が学校で教え込まれている「世界史」というのは、下図の色付け部分、つまりユーラシア大陸の両端の地域の歴史を教えているだけであって、それらの「オマケ」として、その周辺地域の歴史が教えられます。

でも、本当は、ユーラシア大陸の真ん中の地域こそが、世界史の主役の地域だったんです♥

ユーラシア大陸の真ん中の地域は、交通の要衝を占め、かつ強力な軍事力を持つ国家が支配していました。

秦が支那を統一した時点でも、周囲の遊牧民族の方が遥かに強国だったわけで、遊牧民族の侵略を恐れたからこそ、万里の長城と呼ばれる「壁」を造ったんです♥ そして、ほとんどが遊牧民族にやられっ放しだったために、そんな歴史があったことを「教えたくない」わけです♥

秦に続く時代も同じです。

ここで、上図の中央に「月氏」という遊牧民族の国があります。紀元前3世紀から1世紀ごろに栄えた国です。
以前にも書かせて頂いていますが、この「月氏」が月読命(ツクヨミノミコト)と関係していて、古代マヤ文明と日本文明だけが加工技術を保持していた「翡翠(ひすい)」とも関係しています。
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆世界に飛び立つ古代日本人 ~ 「月氏」
この「月氏」が、紀元前2世紀に匈奴に敗れ、中央アジアに移動、そこで「大月氏」を建国します。

その「大月氏」は、本文中にあった「パルティア」と隣接する国家だったことが、下図から見てとれます。

匈奴を逃れて「大月氏」を建国した地域が「バクトリア」と呼ばれる交通の要衝でした。

バクトリアの範囲
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 バクトリア(Bactria)は、バクトリアーナ(バクトリアナ)、トハーリスターン(トハリスタン)とも呼ばれ、ヒンドゥークシュ山脈とアム(オクサス)川の間に位置する中央アジアの歴史的な領域の古名。現在はイランの北東の一部、アフガニスタン、タジキスタン、ウズベキスタン、および、トルクメニスタンの一部にあたる。かつてその領域にはグレコ・バクトリア王国などが栄えた。

バクトリアの位置(紀元前320年)
バクトリアはヘラート、メルヴ、サマルカンドなどとともに中央アジアにおけるイラン系民族によって建設された最古のオアシス都市のひとつである。
ペルシア文明に大きな影響を与えたゾロアスター教の開祖であるゾロアスターは、古くからバクトリアの人だという伝説がある。この点については諸説あって不明だが、少なくともアケメネス朝時代にはバクトラがゾロアスター教の中心地の一つであったことは明らかである。また、ゾロアスターの年代についても諸説あるが、古いペルシアの伝説では、ゾロアスターはアレクサンドロスの侵入より258年前の人だとされている。彼は70歳で死んだといわれているので、もしこの伝説をとるならば、紀元前6世紀ごろの人物であるといえ、この時代はちょうどアケメネス朝の初期にあたる。」
このゾロアスター教の聖地とも言える「バクトリア」を、紀元前518年ごろ、アケメネス朝ペルシアのキュロス2世が征服します。バビロン捕囚で国を滅ぼされたユダヤ人たちが助けられた、現代のイラン人から「イラン建国者」として讃えられている、あのアケメネス朝初代国王のキュロス2世の時代です♥
その後、紀元前328年にマケドニア王国のアレクサンドロス大王が征服します。

「アレクサンドロス帝国」の最大領域
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆ユダヤ人を救ったイラン人の救世主 ~ 一神教が生み出された理由
ここから時代を経て、現代の西洋人が持つ西洋中心的な考え方に繋がる土壌が形成されます。
「 世界を二つの勢力の争い、つまり「善と悪」「天使と悪魔」の対立構造として見るというこの思想は、もともとはキリスト教というよりもゾロアスター教にあった考え方でした。
ゾロアスターはいつ生まれていつ死んだのかもわからない、非常に古い時代の人です。ゾロアスター教はペルシアの宗教ですが、それがペルシア帝国の支配下にあったユダヤ人の宗教に入り、ユダヤ人として生まれたキリストの中に入り、やがてヨーロッパに伝わるという複雑な形をたどりました。」
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆古代ペルシアからハリウッドに伝えられたもの
一方、北方の遊牧民族たちの信仰はどういうものだったのでしょうか?

それが「テングリ崇拝」で、現在でも東はカムチャツカ半島から、西はトルコのマルマラ海に至るまで、遊牧民の間で信仰として残っているものでアジア北方の遊牧民族に共通する信仰です。
「テングリ」は、「天上世界」もしくは「天上神」、「運命神」、「創造神」を意味する概念で、「匈奴」の時代にはすでに存在していたことが文献からも確認されています。

モンゴルの宇宙三界説
遊牧民族の「テングリ」には、2つの意味があって、1つが「天上世界」の意味で、澄みきった青空のことであると考えられていて、支那の「天」とは概念が全く異なっています。
「単于天降(ぜんうてんこう)」という言葉が書き残されているのですが、「単于(ぜんう)」は、匈奴を初めとした北アジア遊牧国家の初期の君主号で、単于が天(テングリ)より降ってきたという意味です。つまり、天上世界から降りてきたのが遊牧民族の王様だということです。
「テングリ」のもう1一つの意味が、「神」です。「天所立匈奴大単于」という言葉が書き残されていて、これは「天(テングリ)が単于を立てた」と言う意味で、神である「テングリ」が王を立てたということになります。
現在でも、モンゴル人は、社会的に尊敬される人物が亡くなると、「テングリ」に昇った、つまり天上界に昇ったと言ったり、或いは「テングリ」になった、つまり神になったと言ったりします。
お気付きでしょうか?
私たちの日本神話の「高天原(たかあまはら)」を「テングリ」、「葦原中国(あしはらのなかつくに)」を「地上世界」、「根之堅州國(ねのかたすくに)」・「底根國(そこつねのくに)」或いは「黄泉國(よみのくに)」を「地下世界(エルリク)」と言っているのです。
但し、違っている点があります。「テングリ」を「善」、「エルリク」を「悪」として捉えているところです。
私たちの日本神話では、「絶対悪の悪神」は存在しません。また、「神々が善」という考え方もなされません。失敗する神もいれば、暴れまわる神もいる、裸で踊る神もいて、そんな神々は、私たち人間と同じように働いている、それが日本神話です。
ここが決定的に重要なところで、私たち日本人が「対立を避け和合を求める」のに対して、西洋人に見られるような「善悪二元論」的な単純思考が相容れない関係である所以になります。

続きは次回に♥
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