2017-04-20 (Thu)

弾丸列車(だんがんれっしゃ)は、日本で1939年(昭和14年)に始まった、通称「弾丸列車計画」で計画されていた列車である。
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 はじめに――【東京五輪で男子400mリレーは“日本化”する】

2016年のリオ五輪は【日本人が大活躍した大会】となった。何と言っても、男子400mリレーに感動した。

【日本は他国のように突出した記録を持つ選手はいなかった】。次の各選手の自己ベストを見れば分かるように、日本には100mを10秒切って走る選手は1人もいない。
ジャマイカ (金メダル)
パウエル 9秒72 / ブレーク 9秒69 / アシュミード 9秒90 / ボルト 9秒58
日本 (銀メダル)
山県 10秒05 / 飯塚 10秒22 / 桐生 10秒01 / ケンブリッジ 10秒10
アメリカ (3着→その後バトンパス時にリレーゾーンを越えたとして失格)
ロジャーズ 9秒85 / ガトリン 9秒74 / ゲイ 9秒69 / ブロメル 9秒84
にもかかわらず、9秒台を走る選手を4人揃えたアメリカに勝ってしまった。まさかあのアメリカを破って(アメリカはレース後失格になったが)、銀メダルを取るとは、【世界中の誰も予想していなかった】だろう。

【バトンの受け渡し、これに徹底的に時間と手間をかけ】て、どの国よりも確実で、着実で、迅速なバトンパスが可能になるように、【技術を磨いていった】。
そして、【おそらく400mリレーは、2020年の東京五輪で“日本化”するだろう】。

今までの世界の価値基準は、いかに9秒台で走る選手を4人揃えるか、というところにあったはずだ。だが、「いや、10秒台しか走れない選手を4人揃えた日本が銀メダルを取ったじゃないか」と、【日本の勝利は世界の常識を打ち破った】。

そうであるならば、「一人ひとりの速さじゃないんだ、チームワークなんだ」、というところに目が向いてくる。突出した実力の選手がいなくても、早く、正確に、的確にバトンパスすることができれば、メダルを取れるかもしれない。
突出したランナーがいない国々は、日本のバトンパス方式を徹底的に模倣してくるであろう。どうやってバトンをつなぐのか、下から上にどの位置でどれくらいの角度で渡すのか、「ハイ」と声をかけるのか、「ホイ」と声をかけるのか、どんな練習をしたのか、徹底的に真似てくるであろう。
おそらく、その中で成果を出すチームは、【日本のチームが「ホイ」と言うなら、俺たちも「ホイ」だ、とやるチーム】であろう。【何かを学ぼうとしたら、徹頭徹尾、真似すること】である。
そのしぐさの中に何か意味があるはずだ、と考えた国のリレーチームならば、日本と同じような成果に近づけるかもしれない。
そしてこの現象は、【世界の400mリレーという競技が“日本化”することを示している】。

日本チームがバトンパスの練習をオリンピックの半年前から頻繁に練習していたことを知ったジャマイカのボルト選手は驚き、
「僕たちは2、3回だからすごい練習量だよ。日本はチームメートが信頼し合っていた。チームワークだ。」
と称賛した。
【一つのことを徹底的に磨き抜くという日本人の国民性】があってこそ、あの400mリレーでメダル獲得が可能になったのである。まさに【「努力に勝る天才なし」ということを、日本のリレーチームは証明してくれた】と強く思う。』

いかがでしょうか?
今回ご紹介させて頂く書物は、世界の国々が私たちの「日本」を見習うようになる、そして世界の国々が、やがて「日本化する」ということが書かれている書物で、読んでいて「なるほど!」って驚かされることが多くあり、皆さんにお勧めの良書です♥

実は、この世界の国々が私たちの「日本」を見習うようになるっていうのは、今に始まったことではありません♥

「 20年くらい前のことです。タイの成功者ともいえるご老人が、
「敗戦直後の日本人は惨(みじ)めじゃった。私は彼らを蔑(さげす)んだ目で見ていたほどだ」
と正直に語ってくれました。それがあれよあれよという間に世界に冠たる経済大国になり、驚きと賞賛の思いだったと言っていました。
どの国へ行っても日本製品が溢れ、日本車が走り回る。アジアの人々の日本製品に対する評価は非常に高く、戦後、日本が誠実にものづくりに励み、いかに頑張ってきたか、日本人の私が感動しています。
私が1990年代の後半にカンボジアに行った時、街は日本製の車やバイクで埋め尽くされていました。
「日本はすごい国だな。もし日本人がいなければ、車、家電製品などの工業製品は白人国家だけが作っていたかもしれない」
と、その時の私は不思議なことを考えていました。
帰国後、次の渡航先マレーシアについて勉強していると、まったく同じ思いを持つアジアの偉人がいるのを知り、ビックリしました。マレーシアのマハティール元首相です。

マハティール・ビン・モハマド
彼が香港で演説した言葉の中に、こんな一節があったのです。
「日本の存在しない世界を想像してみたらいい。もし“日本なかりせば”ヨーロッパとアメリカが世界の工業を支配していただろう。欧米が基準と価格を決め、欧米だけにしか作れない製品を買うために、世界の国々はその価格を押し付けられていただろう」 (欧州・東アジア経済フォーラム、香港、1992年10月14日)

日本人のこまやかさ、誠実さ、追求心の深さは、世界に誇るべき姿です。「ジャップ、イエローモンキー」と侮蔑の言葉を浴びながらも、悔しさを押し殺し、必死になって闘ってきた戦後の先人たちに感謝のみです。白人たちを凌駕(りょうが)する「ものづくり日本」が世界を変えたのです。」
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆日本が最初に攻撃をしたのは、真珠湾ではありません ~ ルック・イーストの中心・日本
敗戦直後の惨めだった私たち日本人は、そこから、たったの20年足らずで、世界最速の高速鉄道を開業させてしまいました♥

新幹線誕生(1964年)
この発想は、日本人のオリジナルなものです♥ この日本の新幹線の影響を受けて、世界中が「日本化」した結果、それまでの「自動車」偏重思考から抜け出すようになったんです。
その新幹線を、世界で初めて開業に至らせた理由は、戦時中にすでに有していた「高い技術力(特に軍事技術)」と、長年にわたる試行錯誤の結果だと言えます。

私たちの日本は、明治元年(1868年)には鉄道施設を始め、明治5年(1872年)には、新橋~横浜間で開業しています。

開業当時(1874年)の横浜駅(3代目歌川広重画)
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆そうだったんだ♥ 日本の世界遺産
1891年、ロシアがシベリア横断鉄道の建設を開始、これに警戒した日本とイギリスの利害が一致し、明治35年(1902年)に「日英同盟」が結ばれます。

シベリア鉄道路線地図(1897年当時、ドイツで発行)
何故か日本の教科書では教えることが無いのですが、当時、世界の覇権争いをしていたのがロシアとイギリスであり、「グレート・ゲーム」として知られる世界の常識ですが、ロシアに警戒した私たち日本は、ロシアの敵であるイギリスと組む選択をしたわけです。
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆The Great Game
そして、明治37年(1904年)、日本政府はロシアに対し最後通牒を発し、ここに日露の国交は断絶、日露戦争の火蓋が切られます。
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆司馬遼太郎の偏見独断 ~ 永久要塞の「旅順要塞」を、たったの半年で攻略した名将・乃木希典

世界に誇る名将 乃木希典
で、この頃、すでに私たちの日本では、新幹線構想の原型が出来上がっていたんです♥
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 日本電気鉄道(にほんでんきてつどう)とは、明治末期から昭和初期にかけて計画された、東京 - 大阪間を電車で結ぶ新線を実現しようという、幻の私鉄である。
1907年に当時安田財閥の総帥だった安田善次郎が発起人となり、雨宮敬次郎らと共同で東京 - 大阪間を6時間で結ぶ標準軌の電車路線を敷設するものとして免許申請を行ったのが最初といわれる。しかし「私鉄は一地方の交通を目的とすべき」との逓信省の考えや、当時軍事輸送の強化を目的に幹線を中心とした鉄道の国有化を進めていた政府の方針に反することから、この申請はあっさりと却下される。予定では、東京(渋谷) - 大阪(野田、現在の京橋駅付近)間を、松田・静岡・名古屋・亀山に途中駅を設置し、当時としては速達の最高80 km/h で走る電車によって、10時間を切ることを目標にしたという。
ところが1920年代に入ると、当時鉄道省が運営していた東海道線の輸送能力が蒸気機関車ベースでの輸送のため逼迫しつつあったことから、この計画が再浮上する。そこで当時東武鉄道の経営に参画していた根津嘉一郎らは鉄道省に対し免許申請を行い、1924年(大正13年)には当時の清浦内閣によって免許の可能性が検討されるところまで話が進んだ。
ただしこの計画は、後の弾丸列車計画や東海道新幹線計画の基礎となったとも言われており、その意味では現在の新幹線はこの計画があってこそ生まれたと言うこともできるだろう。」
日露戦争に勝利した私たちの日本は、明治38年(1905年)のポーツマス条約の結果、ロシア帝国から譲渡された租借地をもとに、一大事業に取り組み始めます。それが、「南満洲鉄道」、略称「満鉄」です。

満鉄のシンボル、特急あじあ
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 1934年(昭和9年)11月、大連 - 新京間に満鉄最初の特急「あじあ」が設定された。最高速度は130km/h、表定速度は82.5km/hで、日本国鉄の特急「つばめ」の平均速度66.8km/hを上回った。」
こちらもご参照♥
↓
☆『史上初』⇒『マッサン』と『この国』の共通点♥

1945年8月時点の満州国の鉄道路線図(赤-社線、緑-北鮮線、青-国線)
また、明治43年(1910年)、私たち心優しい日本人が、あの朝鮮人を世界の一流国の仲間入りをさせてあげるために、わざわざ大日本帝国に併合してさしあげました♥ 私たちの大日本帝国からすれば、単なる一地方でしかなかったんですが(笑)

大日本帝国 最大行政統治・軍事勢力圏
その朝鮮人の世論調査の結果が、次のようなものとなります。

『 朝鮮人の日本政府に対する意識調査 1936年 』
○朝鮮の独立に関する意識
・独立すべし 8.1%
・朝鮮にとって有利な時期に独立すべし 11.0%
・独立を断念 32.6%
・どちらでも構わない 48.3%
○日本政府に対する姿勢
・反日的 11.1%
・改革を求める 14.9%
・満足している 37.7%
・関心がない(=不満は無い) 36.1%
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆朝鮮人から圧倒的に支持されていた「大日本帝国」♥
そして、私たち日本と朝鮮、満州、支那とを結ぶ計画として、まじめに検討されていたのが冒頭の「弾丸列車計画」でした。

以下は、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 1932年(昭和7年)ごろ、日本から朝鮮半島・中国大陸へ向かう輸送需要は年々急増していた。その前年(1931年:昭和6年)には関東軍が満州事変に遭遇しはじめており、その1932年(昭和7年)には満州国も成立したためであった。東京・大阪からそれらの地方へ向かう当時の最速ルートは、まず東海道本線・山陽本線で下関まで行き、関釜連絡船で玄界灘を渡って釜山に上陸後、さらに朝鮮総督府鉄道(鮮鉄)・南満州鉄道(満鉄)を利用するというルートであった。

鉄道省の用語では、広軌による幹線として「広軌幹線」という言葉でこの計画を呼んでいたが、新聞など世間一般では弾丸のように速い列車であるという形容として「弾丸列車」という語が使われた。戦後の新幹線計画への影響は大きいが直接の関係は無いものの、新しい幹線という意味で「新幹線」という語の使用も当時の公式資料中に見られる。
なお構想として、将来は対馬海峡に海底トンネルを掘削し、満州国の首都新京(現:長春)や中華民国の北京までの直通列車を走らせるというものもあった。大東亜戦争によって日本軍がシンガポール(昭南)を獲得すると、そこまでの延長も画策されたという。「大東亜共栄圏」構想に基いて日本が東アジア・東南アジアでの覇権を確立し、日本を中心として東アジア・東南アジアの植民地を解放した新しい体制を創ろうとしたことからこれらの計画は生まれたといわれ、他にもインド・ラオス等への鉄道敷設が構想としては存在し、シベリア鉄道に代わるアジアからヨーロッパまでの鉄道敷設を目指した「中央アジア横断鉄道計画」(新規建設区間は包頭・西安 - 甘州(現、張掖) - 哈密 - カシュガル - カーブル - テヘラン - バグダード、他の区間は既設線活用)なるものも立案された。」

如何に、私たち日本人の発想がトンデモないかが、お分かりいただけたのではないでしょうか♥
ちなみに、弾丸列車を英語で言うと「bullet train」となりますが、私たち日本の新幹線のニックネームとしてこう呼ばれています。
また、鉄道の「レール」だって大切な要素なんですが、実はこれも、私たち日本が世界一なんですよ♥
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆日本の鉄鋼業が凄いわけ
続きは次回に♥
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No title * by 4711
東京オリンピックのエンブレム、創価学会のマークを基にしたものらしいですね。黒と白で縁起もよくなさそう。ここにも在日や左翼が関わっていますよね。
Re: No title * by みっちゃん
4711さん、こんにちは^^
正しい御認識だと思います!本当に、困ったものですね~ そもそも出来レースでしたから。。
そろそろオカシナ連中は、一掃していかないといけませんね。
その一つの手段として、犠牲が出ることを承知の上で申し上げますと、北朝鮮に首都圏へのミサイル攻撃をさせちゃうっていうのも、有効だと思いますよ。平和で安全な暮らしを維持したいのであれば、有権者が国家に対して「国民を守らせる、国防を重視させる」ように、「選挙を通じてコントロールするものだ」ということを理解するためにも必要なんじゃないかと。。。
そこで、できるだけ被害が少ないように、大型連休で首都圏の人口が減る頃に合わせて、数発は撃たせる。。。
さて、どうなるのでしょうね♥
これからも、宜しくお願い致しま~す☆彡
正しい御認識だと思います!本当に、困ったものですね~ そもそも出来レースでしたから。。
そろそろオカシナ連中は、一掃していかないといけませんね。
その一つの手段として、犠牲が出ることを承知の上で申し上げますと、北朝鮮に首都圏へのミサイル攻撃をさせちゃうっていうのも、有効だと思いますよ。平和で安全な暮らしを維持したいのであれば、有権者が国家に対して「国民を守らせる、国防を重視させる」ように、「選挙を通じてコントロールするものだ」ということを理解するためにも必要なんじゃないかと。。。
そこで、できるだけ被害が少ないように、大型連休で首都圏の人口が減る頃に合わせて、数発は撃たせる。。。
さて、どうなるのでしょうね♥
これからも、宜しくお願い致しま~す☆彡