2017-04-17 (Mon)

銀行(ぎんこう、伊: banco)とは、概ね、預金の受入れと資金の貸出しを併せて行う業者として、各国において「銀行」として規制に服する金融機関を指すが、その範囲は国によって大きく異なる。為替取引を行うことができ、銀行券の発行を行うこともある。
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 いま、【銀行のあり方が世界で問われている】。

2017年1月4日、麻生太郎金融担当大臣は、【「金貸しが金を貸さないで、どう商売をするのか」「目利きはいなくなったのではないか」「手数料ではなく、リスクを取ることに銀行の目が向かないと企業はうまくいかない」】と、全国銀行協会の賀詞交換会で日本全国の銀行幹部を前にして挨拶した。

これは【日本の金融当局の銀行に対する強い不満の表れ】であり、【今後の金融の指導方針と銀行との対決姿勢を明確にしたもの】である。

少子高齢化社会と過疎地域の増大予測、そして、世界の金融競争を生き抜くには【銀行が多すぎる】のだ。また、インターネットバンキングやクレジットカード決済、コンビニATMの拡大により、【銀行の役割と必要性が、すでに大きく変質している】のである。【銀行のための銀行があるのではなく、日本のためになくてはならない】わけである。…

銀行は、さまざまな人からお金を【集めた預金を貸し出すことで利益を得ている】わけだが、預貸率(よたいりつ)が下がるということは【余剰資金が発生している】ことを意味する。預金として集めた資金が融資されないようであれば、【銀行が銀行として成立するはずもない】。

そのため、本来の機能や役割を果たすことをやめた銀行を、より望ましいかたちで再起動させないかぎり、日本経済の復活は望むべくもないし、逆に【日本経済全体を停滞させる要因】にもなりかねない。だからこそいま、【旧態依然とした銀行のあり方にメスが入ろうとしている】のである。』

いかがでしょうか?
今回ご紹介させて頂く書物は、「銀行」というものの存在意義がどこにあるのか、そしてその役割が果たされているのか、また、私たち日本の役に立っていないのであれば「速やかに潰れてくださいね!」、あるいは、生き残りたければ私たち日本の役に立つように「こうすべきでしょ!」っていうことが、簡易に書かれている良書です。

当ブログでは、様々な書物を通じて、私たちの日本、私たち日本人、それが何であるのかということを、「歴史」、「おカネ」、「宗教(≒イデオロギー)」の視点で確認していきたい、ということを最大のテーマとさせて頂いています。
どのように考え、どのような意見を持っていても、まったく気にしてもいませんし、そんなのは「人それぞれ」ですので、批判・肯定いずれも歓迎させて頂いております。そうやって、みんなで考えていくことこそ、みんなのためになる、と考えています。
ところで、「銀行」って何なのでしょうか?

「銀行」という言葉は、一見してわかる通り、和語(やまとことば)ではなく、漢語(もろこしのことば)である「銀」と「行」を使って、あとから生み出された「現代日本語」になります。
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆和語(やまとことば)と漢語(もろこしのことば)
日本銀行のホームページにも、このように書かれています。

「 「銀行」という名前の由来は、明治 5(1872)年制定の「国立銀行条例」の典拠となった米国の国立銀行法(「National Bank Act」)の「Bank」を「銀行」と翻訳したことに始まります。翻訳に当たり、高名な学者達が協議を重ね、お金(金銀)を扱う店との発想から中国語で「店」を意味する「行」を用い、「金行」あるいは「銀行」という案が有力になりましたが、結局語呂のよい「銀行」の採用が決まったといわれています。この他に、渋沢栄一が考案したとする説、などいくつかの説があります。
「Bank」の語源は、12世紀頃、当時世界の貿易、文化の中心地であった北イタリアに生まれた両替商(銀行の原型といわれている)が、両替のために使用した「BANCO」(長机、腰掛)とする説があります。」
☆Q 銀行はなぜ「銀行」というのですか?また、「Bank」の語源は何ですか?
ここで、私たち日本の「国立銀行条例」のもとになったアメリカの「国立銀行法(「National Bank Act」)」と出てきておりますが、この「国立」というのは、「国の法律に基づいて設立された」という意味で、「国が設立した国営の・・・」という意味ではないことに注意が必要です。つまり、「民間」なんです♥

ここは重要なポイントですので、日本とアメリカの違いを確認しておきましょう。
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 日本の法令上、銀行とは、銀行法上の銀行(普通銀行)を意味し、外国銀行支店を含むときと含まないときがある。また、長期信用銀行は長期信用銀行法以外の法律の適用においては銀行とみなされる。日本銀行や特殊銀行、協同組織金融機関および株式会社商工組合中央金庫は含まない。普通銀行も長期信用銀行も、会社法に基づいて設立される株式会社形態である。
他方、米国においては、「銀行」(bank)には、国法銀行(national bank)と州法銀行(state bank)があり、それぞれ連邦および各州の銀行法に基づき設立される営利目的の法人(body corporate)である。連邦準備銀行、貯蓄貸付組合(saving and loan association)や信用組合(credit union)、産業融資会社(industrial loan company)などとは区別されるが、広義にはこれらを含む。」
このように、「日本の銀行」=「営利を目的とする民間の普通銀行」≠「日本銀行」ですが、
一方、「アメリカの銀行」=「営利を目的とする民間の国法銀行(national bank)・州法銀行(state bank)」=「全米で12の連邦準備銀行(Federal Reserve Bank, FRB)」となっています。
日本の通貨「円」を発行するのは、営利を目的とする民間の普通銀行ではない「日本銀行」ですが、アメリカの通貨「ドル」を発行するのは、営利を目的とする民間の普通銀行である「全米で12の連邦準備銀行」となっているんです♥

現在、私たち日本人が普段、目にしている「銀行」は、営利を目的とする民間の国法銀行(national bank)に倣ってできたものですが、「日本銀行」はそれとは別のものであるということがご理解いただけると思います。
それでは、明治5(1872)年に「国立銀行条例」が制定される以前は、どうだったのでしょう?

みなさんも、「小判」をご存じだと思いますが、「江戸時代最後の小判」が「万延小判(まんえんこばん)」(1860年発行)でした。

万延小判
「 万延小判(まんえんこばん)…万延元年(1860年)に発行された江戸時代最後の小判であり、それ以前に世に出た小判と比べて半分程度の大きさで、それだけ金の含有量も少なかった。
この劣悪な小判の発行は当時幕府が財政悪化に直面していたという事情に加えて、安政の開港以来、良質の小判が狡猾な外国商人によって海外に大量に持ち出されていたことに苦慮した幕府官僚が考え出した苦肉の策であった。
小型で金の含有量が少ない小判なら、海外に持ち出して銀貨に交換しようとしてもかつてのような儲けが出ない。この小判の発行でようやく日本からの小判の流出は収まった。
万延小判の鋳造が終わったのは、慶応3年(1867年)、まさに幕府の倒壊寸前の時であり、坂本龍馬や桂小五郎もあまりに小さいこの小判に驚きながら、日常の費用や討幕のための軍資金として、触れていたことだろう…」
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆東の金貨、西の銀貨♥
上のリンク先にも書かれていますが、当時の日本では、形も値打ちも違う多種多様な金貨や銀貨、それに銅銭や鉄銭などが流通していて、江戸や東国では「両」という名の「金貨」が主に使われる一方で、大坂を中心とした西国では「銀何貫目」という目方で価値を示す「銀貨」が使われていました。
さて、万延小判は、それまでの半分程度の大きさで金の含有量も少なかった小判ですが、幕府官僚、つまり「武士」が考え出した苦肉の策と書かれています。
よく知られる言葉に、「悪貨は良貨を駆逐する」というのがありますが、これは「グレシャムの法則」と呼ばれる法則で、貨幣の額面価値と実質価値に乖離が生じた場合には、より実質価値の高い貨幣が流通過程から駆逐されてしまい、より実質価値の低い貨幣が流通するというものになります。
当時の江戸幕府の官僚、すなわち武士たちは、なぜ金の含有量を少なくする必要があったのでしょうか?

これは、外国の商人が、当時の銀と金の交換レートの内外価格差を利用して、日本の小判を大量に持ち出して不当な利益を得ていたことに対処をしたものでした。
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 日米修好通商条約の原案では、日本通貨の輸出は禁じられており、従って原案通りであれば金の流出は起こり得なかった。しかし、外貨と邦貨の交換を嫌った幕府は、国内における外貨の通用を許し、その代わり貨幣交換条件を削除することを申し出た。これに対してハリスは、いきなり外貨を通用させることは難しいと回答したが、幕府は通貨交換を1年間に限り、代わりに邦貨の輸出を認める再提案を行い、結局これが最終合意となった。
このため、外国人商人が1ドル銀貨をまず一分銀3枚に交換し、両替商に持ち込んで4枚を小判に両替して、国外に持ち出し地金として売却すれば莫大な利益が得られることとなった。地金としての1両は4ドルに相当する。従って、1ドル(メキシコドル)→3分(一分銀)→0.75両(天保小判)→3ドル(20ドル金貨)と、両替を行うだけで利益を上げることができた。実際には、開港直前の1859年6月25日(安政6年5月25日)の触書の中で、その当時小判として最も多く流通していた天保小判は一分銀5枚の増歩通用とされ、さらに市場においては小判1枚との交換に対し一分銀6枚と増歩を要求される状況で、さらに9月ごろには8枚から9枚と跳ね上がった。それでも一年間にこのような両替を5~6サイクル程繰り返し、利益を上げることが可能であったという。結果、大量の金(小判)が海外に流出することになる。ハリス自身もこの両替によって私財を増やしたことを、日記に記している。」

貨幣の額面価値と実質価値に乖離が生じていたことから、このような事態になったということですね。
ところで、ここからもお分かりのように、そもそも貨幣には、「実質価値」が存在しています。
それでは、現在私たちが目にしている、この「紙幣」の山の「実質価値」はいくらぐらいなんでしょうか?

ちなみに製造原価で考えますと、1万円札1枚当たり約20円です。
☆1万円の製造コストは20円? 額面以上の通貨は「◯円」
また、「貨幣」は、誰が発行してきたのでしょうか?
「おカネ」の正体を考えていくためにも、この辺りを、もう少し見ていきましょう。
本日の最後に、「おカネ」というものを考えるときに、参考になる動画を貼っておきます。
生きる上で一番大切なものを「空気」だと言った、「空気の読めない」、「空気よりも軽い知性」の「ド阿呆」がいましたが、

その「ド阿呆」の訳の分からない質問に対して、「おカネ」というものを考える上で非常に大切なことを麻生大臣がお話になっています。同じ「太郎」でも、ここまでの違いがあるって、凄いですね♥
(17:00から)
そして、もう一つがこちら♥
続きは次回に♥
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