2017-03-28 (Tue)

神話(しんわ、英: Myth、Mythology)は、人類が認識する自然物や自然現象、または民族や文化・文明などさまざまな事象を、世界が始まった時代における神など超自然的・形而上的な存在や文化英雄などとむすびつけた一回限りの出来事として説明する物語であり、諸事象の起源や存在理由を語る説話でもある。このような性質から、神話が述べる出来事などは、不可侵であり規範として従わなければならないものとして意義づけられている。


戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 謎に満ちあふれた書、それが『古事記』です。

【『古事記』は「日本最古の歴史書」で千三百年以上前に書かれた(712年成立)】とされています。

平城京[710年(和銅3年)3月10日 (旧暦)に遷都]
しかし、その原本はなく、現在、『古事記』の最初とされるのは平安時代の写本です。こうしたことから、『古事記』の存在自体を疑う人もいるくらいです。
これまで、どれだけ多くの学者が『古事記』の謎を解明しようと試みてきたことか。
【江戸時代の本居宣長(もとおりのりなが)はその先陣をきった人】です。宣長なかりせば、今日の私たちが『古事記』を読めたかどうか、それさえも疑わしいところがあります。

本居宣長
宣長はその半生、【約35年の歳月をかけ、『古事記』の注釈書である『古事記伝』44巻を書きました】。なぜこれほどまでに【膨大な研究】が必要だったのか。ひとえに、『古事記』が難しすぎたのです。

複数の写本の比較や、文字や調法といった解読の基礎から始まって、古代世界の理念にまで至る宣長の研究は、それまでにない本格的なものでした。
それでも、謎が解明されたわけではありませんでした。
なぜ、『古事記』の謎はなかなか解明されないのか。

それは、【『古事記』が暗号で書かれているから】です。

『古事記』が暗号で書かれていることさえ、あまり知られてはいません。
【暗号解読の鍵は口伝(くでん)にあります】。

口伝とは、ときには【「奥義(おうぎ)」】などとも呼ばれ、【その道における非常に重要なことを、文字通り口で伝える方法】です。
【武芸、茶道、華道、香道、学問、技術など、さまざまな分野に口伝が存在】します。
『古事記』の内容そのものが口承伝承されてきました。長きにわたって口伝えに伝えられてきたことからだけでも、その内容がいかに重要なものであるかがわかります。』

いかがでしょうか?
今回ご紹介させて頂く書物の著者は、記紀に伝わる古代日本の人物で、第12代から第16代の天皇に仕えたという忠臣、武内宿禰(たけうちのすくね)を受け継ぐ、第73世武内宿禰となる方です。

『武内宿禰と神功皇后』歌川国貞

『武内宿禰と応神天皇』歌川国芳
この書物は非常におススメですが、まず先に、「古事記」についての基礎的な知識を持った上でお読みになられると、一層楽しく読めると思います。

さて、昨日のところでも書かせて頂きましたが、戦後日本の自称歴史学者たちは、文字史料のみを重視するという非常に偏った、間違った考え方をしていて、口承伝承などを軽視しています。

こちらもご参照♥
↓
☆日本の偉大なプリンス ~ 聖徳太子
そのような教育を受けると、どうなってしまうのでしょう?

答えは簡単で、教科書に「書いてあること」が絶対で、「書いてないこと」には無関心になってしまうわけです。
これが、さらに進むと、教科書に「書いてあること」が「正しいこと」であり、「正義(善)」であって、それ以外は「正しくないこと」となり、「悪」となり、ここに、ゾロアスター教の影響を受け変質したユダヤ教由来の「善悪二元論」という、単純パヨクの素を見ることが出来ます♥
幼稚園児でも、容易に理解しやすい、ですが決定的に誤った「論理」で、それを実践している「大人」がいるのですが、その代表例が、池上彰です。もう、典型的です(笑)

詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆池上彰の本を読んではいけない理由 ~ 教科書って、本当に正しいの?
ちなみに、『旧約聖書』とか『新約聖書』に書かれていることも、本来は口承伝承されていたもので、現存するのは「写本」だけです♥
そして、数ある口承伝承の中から、都合の良いものを残し、都合の悪いものを消し去ってきたのがキリスト教の「カトリック」です。このことは、また改めて書かせて頂きます。
さて、昨日からの続きになりますが、私たち日本人の祖先、つまり神話に語り継がれる神々が示す数多くの「氏族」が、世界中に飛び出していった可能性、これを考えているところです。
もちろん、そんなことは「文字で書かれた史料」には、記載されてはいませんが。。。
こちらも参照♥
↓
☆「月」と「暦」

昨日は「月氏」について書かせて頂きました。
で、本日は古代メソポタミアの「シュメール」についてです。
詳しくは、今回ご紹介させて頂いている本書もご参照いただきたいのですが、この「シュメール」という名前は、「すめらみこと」から来ています。つまり、「天皇」です。

以下は、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 「天皇」という表記の訓みは“スメラミコト”“スメロキ”が当てられている。“スメル”については「統べる」の転訛と見る説があったが、上代特殊仮名遣からこれは否定されて現在も判然としていない。万葉集には「天皇」の表記が12例知られ、このうち7例が“オオキミ”、5例が“スメロキ”と訓ませている。それぞれの文意の比較から“オオキミ”は今上天皇、“スメロキ”は過去の歴代天皇や皇祖神に対して用いられていることがわかっている。」
「シュメール」は、古代メソポタミア、現在で言いますと、イラク、イラン、クウェートといった地域で、チグリス川とユーフラテス川に育まれて発展を遂げた文明です。

「 メソポタミア文明…それはチグリス川とユーフラテス川によって育まれた文明であり、シュメール、バビロン、アッシリアなどの古代国家を生んできた。
いずれも今のイラク、イラン、クウェートあたりにあった国家として知っておきたいが、これら国家はいずれも、河川の洪水を止める努力と、そこで行われる灌漑によって文明を発達させた。
灌漑によって発達した農業により余剰の生産物が生まれ、そここら集団での生産体制、さらには国家の原型ができた。
まず生まれたのは「シュメール」だった。シュメールとは南部メソポタミアの古代名であり、今のイラク、クウェートあたりにあった都市文明をいう。いつの時点で文明を形成した移住者たちがこの地域に到達したかは定かではないが、紀元前3000年ごろには、先住民と様々な地域から多様な言語を持つ移住者たちによってシュメール人が構成されたといわれている。

シュメール人たちは、変化を続けるチグリス川やユーフラテス川の様々な条件に対応するため灌漑技術からさらに、天文学、文学などを発展させた。また彼らは、最初に筆記技術をコミュニケーション手段にした人々といわれている。筆記で記録を残すことによって複雑な農業技術を後世に伝えたのである。

楔形文字でギルガメシュ叙事詩の一部が刻まれた粘土板
また、シュメール人は宗教を持っていた。その宗教は、すべての事象は神のあらわれとする汎神論の立場をとり、政治的性格も帯びていた。有力な聖職者が土地の貸し借りから、農業や貿易、戦争の決定などをとり行い、ズィグラットと呼ばれる寺院から国家の重要事項について宗教的判断を下した。

ウルのジッグラトの復元図
ズィグラットは日干しレンガでできた山の形状をした建造物で、その頂きに祭壇があった。旧約聖書『創世記』に記される「バベルの塔」もこのズィグラットがモデルだといわれている。」
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆ハンムラビ法典 「目には目を…」の正しい意味 ~ 旧約聖書に書かれていること

ピーテル・ブリューゲル『バベルの塔』(1563年)
昨日のところで、当ブログでは、日本語、シュメール語、マヤ語に共通性がある点に注目をしていると書かせていただいておりますが、言語だけではない共通性を見ることが出来ます。
例えば、さきほどの「ズィグラット」ですが、古代マヤ文明にも同じようなモノがありました。

ティカル2号神殿
私たち日本でも。。。

出雲大社
それでは、あともう少しだけ、「移住者たち」であった「シュメール」について見てみましょう。
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 シュメール人は自らを「ウンサンギガ」(「混ぜ合わされた者」の意)と呼び、その土地を「キエンギ」(「君主たちの地」の意)と呼んでいた。
言語学においてより一般的に受け入れられている説では、シュメール語は孤立した言語であり、たとえばアッカド語がセム語族に属するような形での近縁関係にある言語をもっていない。
シュメールの言語、文化、また、おそらくは外見も周囲のセム系の民族とは異なっていた。・・・民族系統は未だ謎である。・・・創世記では洪水後シナル(シュメール地方)に住み着いたのは「東からやってきた人々」とされており、言語的容貌的観点からモンゴロイドである可能性もある。」
『旧約聖書』の『創世記』に描かれている「ノアの洪水」の原型となったと考えられているのが、「黒海大洪水」で、それは紀元前5600年頃の出来事です。

『箱舟を出た後のノアによる感謝の祈り』ドメニコ・モレッリ
それでは、本日の最後に「シュメール神話」について見てみましょう。
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 シュメールの神話はメソポタミア神話全体に大きく影響を与え、フルリ人、アッカド、バビロニア、アッシリアの神話、その他の文化に引き継がれた。
文字の発明までのシュメール神話は口承によって語り継がれてきた。
シュメール人は世界を閉じたドーム状で、その外には原初の海が広がっていると考えていた。ドームの基礎をなす地表の下には地下世界とアプスーと呼ばれる淡水の海が広がっていると考えていた。ドーム状の空を司る神はアン(An)、地上の神はキと呼ばれた。原初の海はナンムと呼ばれ、シュメール・ルネサンス(ウル第三王朝)の中でティアマトと呼ばれるようになった。」
で、「アン(An)」について。
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 アンはシュメールの神話で「太陽の頂き」あるいは「天」という意味の名前を持つ神である。アンはシュメール神話の神々の中では、大地の神エンリルや深淵の水の神エンキと並んで最も古い神である。エンリルが、シュメールとアッカドの事実上の最高神となるまでは、アンが最高神であった。アンはアッカド神話ではアヌと呼ばれる。」
いかがでしょうか?
まず最初に「海」(ナンム(Nammu)、シュメール神話の海の女神。天地を生んだ母、全ての神々を生んだ母なる祖先)があって、そこから「太陽の頂き」である「アン」が生じています。
エジプト神話の「ヌン」と太陽神「ラー」の関係と似ていますね♥

水の神ヌン

太陽神 ラー
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆オベリスク
海から渡って来たのは、一体、誰だったのでしょう?

天岩戸神話の天照大神(春斎年昌画、明治20年(1887年))
続きは次回に♥
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