2017-03-25 (Sat)

ルーヴル美術館は、パリにあるフランスの国立美術館。世界最大級の美術館(博物館)であるとともに世界最大級の史跡のひとつで、パリ中心部1区のセーヌ川の右岸に位置する。収蔵品380,000点以上。先史時代から19世紀までの様々な美術品35,000点近くが、総面積60,600平方メートルの展示場所で公開されている。世界で最も入場者数の多い美術館で、毎年800万人を超える入場者が訪れている。フランスの世界遺産であるパリのセーヌ河岸にも包括登録されている。
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 上下両院が左右に配置された議事堂の中央には、【ロタンダと呼ばれる円形大広間】があり、その上をすっぽり覆うように高さ288フィート(88メートル)、直径96フィート(29メートル)の【巨大なドーム】がある。

アメリカ合衆国議会議事堂
ドームの天井部分には、建国の父ジョージ・ワシントンを神格化したフレスコ画が描かれ、まるで連邦議会全体を睥睨(へいげい)しているようだ。

ジョージ・ワシントンを神格化した天井画

そしてその真上、すなわち【ドームの天極の位置に全高19・5フィート(6メートル)の、フリーダムと名づけられたブロンズ製の女神像】が・・・議事堂西側に立ち並ぶ【数々の中央官庁の建物を見下ろしている】。

【建国の父と自主独立を象徴する女神像が連邦議会の最も高い場所に設置】され、それ以上高い建築物を建てることは許さない。このルール一つ見ても、国家と首都の設計段階で、【立法府である連邦議会を最も崇高な意思決定機関と位置づけたことは明らか】である。建造物の高さをめぐる規制はその後少し緩和されたが、現在でも【ワシントンDCの住居表示の基準となる東西南北はこの議事堂を基準】として割り振られ、東京における皇居のような、【圧倒的な存在感を維持している】。

そして、議事堂の西側に広がる【ナショナル・モールと呼ばれる広大な長方形の緑地帯】を1800メートルほど進むと、【ワシントン記念塔】がある。

1848年にジョージ・ワシントンの功績を讃える目的で建設が始まった【この尖塔の高さは555フィート余り(169・2メートル)で、石造りの建造物としては全米一の高さを誇る】。

【ドームの議事堂を女神の象徴とし(だから天辺には女神像がある)、モールを挟んで向かい合う位置に男性の象徴であるオベリスクを配置】したこの様式は、ワシントン本人もメンバーだった【フリーメイソンの世界観が反映されたもの】といわれている。


フリーメイソンリーが用いるシンボルの一つ、プロビデンスの目
フリーメイソンについてはこちらもご参照♥
↓
☆アメリカの『ホワイト・ギルト』という自虐史観・・・報道されない「ポリティカル・コレクトネス」
この対置は【バチカンのサン・ピエトロ広場が有名】だが、石積み建築の粋を集めた【ドームとオベリスクは、石工に起源を持つフリーメイソンによる街造りの根幹をなすもの】で、その都市において【最も崇高な機能を持つ場所に置かれた】。


フリーメイソンリーのシンボルマークの一つ
フリーメイソンについてはこちらもご参照♥
↓
☆洗礼者ヨハネとサロメ
その証拠に、議事堂と記念塔を結んで並行に走る二本の幹線道路は、【「インディペンデンス(独立)通り」「コンスティチューション(憲法)通り」と、独立国アメリカ合衆国を象徴する名前】が与えられている。

二つのシンボルと二本の大通りが形作るこの地域に、アメリカ建国の精神を具現化する権力の中枢が集められた。【連邦議会と最高裁判所という国権三権のうちの二つ、立法・司法の最上位組織と、行政をつかさどる政府の主要な建物がずらりと配置】されている。

ところが【ここに大統領の居場所はない】。【ホワイトハウスはモールの記念塔側の北、少し離れた丘の上に建てられている】。』

いかがでしょうか?
昨日も触れさせて頂いておりますが、以前書かせて頂いた「ロンドン」と同様、アメリカの首都である「ワシントンD.C.」も特異な都市で、私たちの日本の首都である「東京都」と同じように考えてしまうのは良くありません。
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆イギリスの首都はどこ? ~ 知っているつもりで、実はゼンゼン知らないこと
本文中には、フリーメイソンに関する記述があり、ネット上でも陰謀論的なお話がたくさん書かれてもいますが、その起源も諸説あって、真偽不明な部分も多いため、当ブログではあまり取り上げるつもりはありません。
ただし、ロンドンにおけるギルドの発展にも見られるように、石工を起源とするというのもあり得ない話ではないと考えます。この辺りはまた、別の機会に書かせて頂きます。
ところで、ワシントンにあるオベリスクのワシントン記念塔ですが、これと同じようなものが、バチカンのサン・ピエトロ広場にあると書かれていましたが、実は、これ、あっちこっちにあります♥

写真中央が連邦議会議事堂、左下が連邦最高裁判所。右上の細長い白い塔はワシントン記念塔。
そもそも、オベリスクというのは、何なのでしょうか?
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
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「 オベリスクは、古代エジプト(特に新王国時代)期に製作され、神殿などに立てられた記念碑(モニュメント)の一種。近代および現代においては、エジプトに拠らず欧米の主要都市の中央広場などにも建設され、その地域を象徴する記念碑である。その意味でメンヒルに類似する。
オベリスクの名称は後世のギリシャ人がobeliskos(串)と呼んだのが起源で、当時のエジプトでは「テケン(保護・防御)」と呼ばれていた。」
メンヒルというのは、古代ケルト系ブルトン人が立てた巨石のことで、ブルトン語の「長い石」を意味する単語に由来しています。フランスのカルナック列石などが有名ですね♥

カルナック列石中最大のメンヒル
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆ブリトン人と800年の歴史を誇るビスケット
このメンヒルが、どのような意味を持っていたのかは現在でも明らかになっていませんが、近年の調査では、その起源が6000年前から7000年前に遡るのではないかと考えられています。さらに、ヨーロッパでのメンヒルの分布状況が、ハプログループR1b (Y染色体)の高頻度域と一致しているため、このグループに属す人々がメンヒルを建てたものと考えらえられています。
そのハプログループR1b (Y染色体)のグループは、1万8500年前(紀元前1万6500年)以降に西アジアで発祥したものと考えられていて、新石器時代にアナトリアからヨーロッパに農耕をもたらした非欧州系集団とされています。バスク人やケルト系民族に80%以上の高頻度に見られ、またモンゴロイドをベースとするバシキール人にも86%の高頻度に見られます。
バスク人についてはこちらをご参照♥
↓
☆ラプ=ラプ と 安倍総理

ハプログループR1bの分布図 (丸がアナトリア半島)
ハプログループR1bは、元々はオリエントに居住する農耕民で、それがある時期、ヨーロッパへ移住を開始したと考えられています。その引き金として考えられる一つの原因が、『旧約聖書』の『創世記』に描かれている「ノアの洪水」の原型となったと考えられている「黒海大洪水」(紀元前5600年頃)です。これによって農耕地であった黒海平野が水没、新たな耕作地を求めて欧州へ旅立ったものとも考えられています。

『箱舟を出た後のノアによる感謝の祈り』ドメニコ・モレッリ
では、再び、オベリスクについて見てみましょう。
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 ほとんどは四角形の断面をもち、上方に向かって徐々に狭まった、高く長い直立の石柱である。大きいものではその重量が数百トンにも及ぶ。
先端部はピラミッド状の四角錐(ピラミディオン)になっており、創建当時はここが金や銅の薄板で装飾され、太陽神のシンボルとして光を反射して輝くようにされていたとされる。また、その影を利用して日時計としての役割も果たした。
古代オベリスクの起源は、太陽信仰のヘリオポリスのベンベンを模式化したものと考えられている。側面には王の名や神への讃辞がヒエログリフで刻まれ、太陽神と共に王の威を示す象徴とされた。」
ここで、「太陽神」とか「太陽信仰」という言葉が出てきました♥

私たち日本人は、太陽を司る天照大神(あまてらすおおみかみ)を讃える民族です♥

天岩戸神話の天照大神(春斎年昌画、明治20年(1887年))
私たち日本の国旗も、太陽を表す「日の丸」ですね♥

こちらもご参照♥
↓
☆日本の国旗が太陽であるワケ♥
古代エジプトというと、とても古い感じが致しますが、私たち日本人と比べると、どうなのでしょうか?

エジプトで人々が定住し農耕を開始したのは、およそ紀元前5000年頃と考えられていて、紀元前3500年頃には2つの統一国家が成立、紀元前3300年頃には文字体系の確立、太陽暦(シリウス・ナイル歴)が普及しています。また、紀元前3150年頃には、ナルメル王が2つを統一し、エジプト第1王朝が開かれたと考えられています。

ナルメルのパレット
私たち日本人の祖先は、縄文時代、およそ6000年前から7000年前には、すでに中部高地や西関東という東日本で「ダイズ」の農耕を行っていました。しかも、これよりも古い時代にまで起源が遡れる可能性があります。
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆コクゾウムシが打ち破る「常識」 ~ 縄文時代の「農耕」の証明
エジプトの太陽暦(シリウス・ナイル歴)を少し確認しておきますと。。。
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 古代エジプトの暦では、古くは、1ヶ月を30日(1週間は10日。1ヶ月は3週間)が、1年を12ヶ月(1年を12ヶ月に分ける方法は、月の満ち欠けの周期(1ヶ月)を12.37回繰り返すと1年経つことに由来する)とする、1年=360日とする変則的な太陰暦であることから、古代エジプトでも記録に残る以前の時代には、他の地域(文明)と同じく、太陰暦を使っていたと考えられている。
古代エジプトでは紀元前5600年頃に農業が始まり、紀元前3500年頃には灌漑が始まったと考えられている。古代エジプトの農業は、主にナイル川に依存していたため、その氾濫の時期を正確に知る必要があった。
紀元前3000~2000年頃になると、伝統的な「30日×12ヶ月=360日」に、1年のどの月(暦日)とも関係のない「5日」(360日の70分の1の端数切り捨て)を加えた「365日」からなる、国定の民間暦(民衆暦、シビル暦)が創出された。これは神話ではラーとトート(ヘジュウル)神から与えられたものとして、神聖視され、代々の国王は即位時にこれを遵守することを神々に誓った。」
「暦」が神聖なもので、王が代々誓約するほど重要なものであったことが理解できますね。
エジプトの神々の名前が出てきていますが、エジプト神話の原始の神は「ヌン」で、その「ヌン」から太陽神である「ラー」が生じることになります。

水の神ヌン

太陽神 ラー
現在のカイロ近郊にかつて存在した古代エジプトの都市に「ヘリオポリス」、ギリシャ語で「ヘリオスの町=太陽の町」という意味の街がありました。古代エジプトの創世神話の中心地として有名な街です。
その「ヘリオポリス」にある「ベンベン」と呼ばれる「丘」があり、その「丘」が原初の水「ヌン」から最初に顔を出し、そして太陽神「ラー」が不死の霊鳥「ベンヌ」の姿で最初に降り立ったとされていて、これが世界の始まりの地であるとも伝えられています。

ベンヌ
この「ベンベン」という丘を象(かたど)ったものが「ベンベン石」(Benben stone)と呼ばれるもので、ピラミッドやオベリスクの原型とも言われています。また、この石は、実際にピラミッドやオベリスクの頂上に置かれていました。ピラミッドの頂上におかれたキャップストーンを「ベンベネト」と呼びます。

エジプト第12王朝のアメンエムハト3世のピラミッドのキャップストーン
これで、オベリスクの形の理由が理解できると思います。先端に載せて、高く祀り上げているのでしょうね♥
気になっているのが、「ヌン」と「ラー」の関係で、「海」からやって来た「太陽の子」がいたのではないかと。。。まあ、これは別の機会にさせて頂きます。
さて、ワシントンD.C.にあるようなオベリスクが、あっちこっちにありますと書かせて頂きましたが、本物の古代オベリスクは30本現存していて、内13本がローマに、7本がエジプトにあります。
有名なのがエジプトのルクソール神殿入口にあるオベリスクです。

ルクソール神殿
見ると、1本足りません。もう1本は、現在、フランスにあります。

パリ・コンコルド広場のオベリスク
このパリのオベリスクと、ロンドンとニューヨークにあるオベリスクの3本の古代エジプトの本物のオベリスクを「クレオパトラの針」と呼びます。ロンドンとニューヨークのものは対になっています♥
今回は、パリのオベリスクのお話で、本日を締めくくりたいと思います♥
まず、コンコルド広場の場所を確認いたしましょう。

オベリスクが立てられた広場が、以前の名前で「革命広場」と呼ばれる場所で、フランス革命中、ルイ16世やマリー・アントワネットへの処刑が行われた刑場でした。

ルイ16世の処刑
ここで、ワシントンD.C.の地図を再確認して頂きたいのですが、配置が非常に似ています。比較のために並べてみましょう。


パリの「エリゼ宮殿」は、現在のフランス共和国大統領官邸(大統領官邸として使用されたのは、1873年から)です。
国会議事堂は川を挟んだ向かい側に、そして正面にはルーブル美術館があります♥
また、ルーブル美術館の北側の「パレ・ロワイヤル」の中には「国務院」と呼ばれる行政訴訟における最高裁判所としての役割を持つ政府機関が入っています。ちなみに、国務院の長官はフランスの首相が兼務します♥
「三権分立」って何って感じですね(笑)
さて、パリのオベリスクは、ルーブル美術館とセットになっているはずですが、その理由は何なのでしょうか?
ルーブル美術館はもともとは「要塞」で、それが何度も増改築されて、現在のようになっているわけですが、美術館として利用されることになったのはフランス革命の時でした。
それはさておき、実は、1983年の改築まで、このルーブル美術館の建物の中にあったのが「フランス財務省」でした。

お話をオベリスクに戻しますと、コンコルド広場に立てよと命じたのが、ルイ・フィリップ1世(在位:1830年~1848年)で、1814年にナポレオン1世が失脚し、1815年の王政復古でブルボン朝が復活、そして1830年7月に、ウィーン体制無視の「フランス7月革命」において、ラ・ファイエットら自由主義者や大資本家、銀行家をはじめとするブルジョワジーに擁立されて国王になった人物です♥

ルイ・フィリップ1世
この7月革命のイメージを描いたものが、ウジェーヌ・ドラクロワの『民衆を導く自由の女神』です。もちろん、ルーブル美術館所蔵です。

『民衆を導く自由の女神』(1830年、ウジェーヌ・ドラクロワ画)
さきほど「ラ・ファイエットら」とありましたが、フランスの侯爵で、軍人、政治家で、アメリカ独立革命とフランス革命の双方における活躍によって「両大陸の英雄」(The Hero of the Two Worlds、le héros des deux mondes)と讃えられる人物です。

ラ・ファイエット
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 1757年、ラファイエットは、代々、軍人で戦死が多い裕福な貴族(侯爵)の子として、オーヴェルニュ地方のシャヴァニアック城(現在のシャヴァニアック=ラファイエット)で生まれた。父は彼が2歳の時、七年戦争に従軍して、先祖たちと同様に、戦死した。彼は14歳で軍隊に入隊し、16歳で、2歳年下の貴族(公爵)の娘と結婚。1776年、アメリカ独立戦争が勃発すると、支援を求めて来仏したベンジャミン・フランクリンに会ってその考えに共鳴し、周囲の反対を押し切って自費を投じて船を購入し、義勇兵としてアメリカへ渡った。19歳の時のことである。1779年にはフリーメイソンへ加入。参入儀式をジョージ・ワシントンが執り行った。いったん帰国後、1780年、帆船「エルミオンヌ号」に乗って、再度アメリカに渡った。アメリカの独立を決定的にした1781年のヨークタウンの戦いに、彼は重要な役割を果たした。翌年フランスに帰国すると「新大陸の英雄」と称えられ、一躍名声を得た。」
「 1789年、ラファイエットは三部会の第2身分(貴族)代表として選出された。しかし、アメリカ独立戦争(1775-1783)を戦った彼は、フランスの絶対王政を立憲君主制に変革すべきだという構想を持ち、第2身分でありながら第3身分の側に立って、議会政治の実現に向けて行動した。ラファイエットは、7月14日のバスティーユ襲撃の翌日に新設された国民衛兵の総司令官に任命されるとともに、フランス人権宣言の起草に着手した。国民議会で採択された人権宣言は、第1条で「人は、自由かつ権利において平等なものとして出生し、かつ生存する」という人間平等を、第2条で天賦の人権、第3条で人民主権、第11条で思想の自由・言論の自由、第17条で所有権の不可侵をうたっており、近代民主主義発展史上に記念碑的な位置を占めるものであった。」
「 しかしその後のラファイエットは、国民衛兵司令官として動乱期に入ったパリの治安維持という難問に取り組むなかで度々不手際を犯し、その名声と権力は急速に衰えていく。10月5日、女性を中心としたパリの大群衆がルイ16世をヴェルサイユ宮殿からパリへ連行したヴェルサイユ行進においては、彼と国民衛兵は群衆による近衛兵の殺害や、宮殿に対する破壊、略奪を傍観するのみであった。」
ルイ・フィリップ1世やラ・ファイエットは、単なる表面上に見えている「駒」です。その背後に、とある勢力がいる、そのことに気が付かなければいけませんね♥
続きは次回に♥
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