2017-03-20 (Mon)

彼岸(ひがん)は雑節の一つで、春分・秋分を中日とし、前後各3日を合わせた各7日間(1年で計14日間)である。この期間に行う仏事を彼岸会(ひがんえ)と呼ぶ。
最初の日を「彼岸の入り」、最後の日を「彼岸明け」(あるいは地方によっては「はしりくち」)と呼ぶ。
俗に、中日に先祖に感謝し、残る6日は、悟りの境地に達するのに必要な6つの徳目「六波羅蜜」を1日に1つずつ修める日とされている。
日本で彼岸に供え物として作られる「ぼたもち」と「おはぎ」は同じもので、炊いた米を軽くついてまとめ、分厚く餡で包んだ10cm弱の菓子として作られるのが一般的である。これらの名は、彼岸の頃に咲く牡丹(春)と萩(秋)に由来すると言われる。

戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 昔の日本人は、たとえ【敵と味方に分かれてきても、どちらも日本のことを考えていた】。

幕末の日本人は決して愚かではなかった。幕閣たちはあらゆる情報を集め、あらん限りの知恵を絞り、命懸けで外国の脅威と国内からの突き上げに立ち向かっていた。…

だが、もはや江戸幕府の構造上の欠陥は明らかだった。…
旧き【官僚制の弊害】は大きく、結局は【事なかれ主義的な官僚】が現実主義をふりかざし、抜本的な改革は何一つできなかった。幕末の江戸幕府は【アヘン戦争で衝撃】を受けて以来、天保の改革、安政の改革、文久の改革、慶応の改革と、【そのすべてに失敗】している。

もちろん、急速に徳川将軍家の軍隊は近代化した。【現状の制度的枠組みでは最善の手法を積み重ねた】といえよう。だが、【それで西洋の"文明国"に勝てるかと言えば、とても届かない】。…
人心は幕府を見限っていくが、さりとて圧倒的な軍事力と巨大な官僚機構を誇る徳川将軍家にとって代われる勢力はいない。…

高杉晋作
高杉自信は北九州に亡命し仲間を募ったが、まったくうまくいかなかった。しかし、俗論派政府が長州藩保有の軍艦をすべて幕府に引き渡そうとしていると聞き、密かに長州へ舞い戻る。
そして、山縣ら仲間に決起を呼びかけるが、【誰も応じない】。当然だろう。【俗論派政府は三千人の正規軍を有している】。…どこに勝ち目があるのか。…

陸軍大輔時代の山縣有朋(明治5年)
そして、【高杉はたった一人になってしまった】。

功山寺 仏殿(国宝) ( 功山寺HP )
それでも【「十二月十四日に功山寺で決起する」と宣言】する。なぜ十二月十四日か。【赤穂浪士の討ち入りが十二月十四日だから】だ。当然、誰も来ない。もう一日待った。

吉良邸討ち入り。二代目山崎年信画、1886年
足軽に等しい下級武士出身の【伊藤俊輔(のちの博文)がやってきた】。長州藩の運命に何の責任もないのに。

志士時代の伊藤博文
伊藤は、力士隊の総督である。伊藤は相撲取りで構成される力士隊三十人に声をかけた。…こんな無謀な決起に、果たして何人が集まるか。
三十人全員が、躊躇(ためら)うことなく来た。
伊藤は、遊撃隊五十人を率いる石川小五郎にも声をかけた。…石川も遊撃隊五十人を引き連れ、全員がやってきた。
しかし、【これでも八十四名】。
八十対三千。【明らかに自殺行為】だ。…

高杉晋作(中央)と伊藤博文(右)
【高杉は赤鎧で決別の挨拶】をし、【「是より長州男子の胆気を瀏覧(りゅうらん)に供せん」と言い放ち、白馬で駆け出した】。今でもその光景は功山寺に残る。

高杉晋作挙兵像
その日は雪で、満月を背に駆け出す高杉の心境はいかばかりだろう。』

いかがでしょうか?
今回ご紹介させて頂きますこの書物は、「憲法」がどれほど命懸けの経緯を経て成立したか、またそこには、どれほどの人々の想いが込められているか、について感動的な幕末・明治の時代が描かれた書物です♥
もちろん、当ブログお勧めの書物です♥

さて、本文中に著者が、「昔の日本人は、たとえ敵と味方に分かれてきても、どちらも日本のことを考えていた」 と書かれていましたが、まさに、その通りですね♥
鎌倉幕府の樹立に至る「源平の戦い」にしろ、戦国時代の「長篠の戦い」にしろ、私たち日本人は敵味方関係なく「日の丸」を掲げて戦っていました。すべては、この日本という国を考えてのことです。

長篠合戦図屏風(徳川美術館蔵)

左上角の拡大図
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆日の丸の色は「赤」ではなく「・・・・」なんです ~ 日本の常識・世界の非常識
この日の丸と同様に、私たち日本で古来より使用されてきたのが旭日旗に代表される図柄です。

『福神江の嶋もうて』(芳幾、1869年)。恵比寿と大黒が千両箱を背負った馬をつれて江の島を訪れる。周りには小判、江の島後景からは旭日が昇る「目出度さ」を表す構図。
「 現在の日本人はわが国の国旗である日章旗と、太陽から光線が輝く「旭日旗(きょくじつき)」の違いが分からない人が多い。…
太陽から出る光線が四方八方に広がるのは「ハレ」を表現、そして、日本伝統色の紅白が用いられ、「めでたい」「景気が良い」なども表す。古来、縁起物としてこの図柄は使われていた。・・・
昔から日本で使われる美しいデザインの旭日旗は、海上自衛隊のシンボルであり、大漁を祝う漁船の旗でもある。」

詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆日本で古来より伝わる縁起物の図柄 ~ SEALDsの背後にいるのって誰?
こちらもご参照♥
↓
☆旭日旗を模したデザインを国旗にする国 ~ ギリシャ神話にみる天の川の起源
折角なので、触れさせて頂きますが、「君が代」も私たち日本人にとっては、とても歴史のあるものです♥

「 わが国の国歌は「君が代」である。ところが、これに反対する日本人が一部いらっしゃる。その理由が、天皇陛下を讃える歌だからだという。唖然呆然で呆れてしまうというのが私の思い。
我が故郷の沖縄県では、残念ながら40代から下の世代はほとんどの人々が「君が代」を唱えない。国歌という概念もないかもしれない。・・・
「君が代」の歌詞は、【今から1100年以上前に編纂された『古今和歌集』の短歌のひとつで、祝いの席やめでたいときに唄われる「賀歌(がのうた)」として古くから日本人に愛されてきた】。」
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆「君」って何でしょう? ~ 1100年以上も前の歌
こちらもご参照♥
↓
☆国歌、国旗を教えない都道府県
あの、日本人ではない代表を党首にしている民進党も、どうやら「君が代」が嫌いなようで、私たち日本人からすると、甚だ違和感を感じますね♥

☆【悲報】民進党の党大会、「国歌斉唱」無し!w 昨年も炎上したのに頑なに「君が代」歌わず
☆民進党大会で国歌斉唱なし!昨年も炎上したが、頑なに君が代を拒否・森本学園叩きで支持率更に低下
ところで、今日は祝日になっていますが、何の日でしょうか?

以下は、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 皇霊祭(こうれいさい)は、歴代の天皇・皇后・皇親の霊を祭る儀式で、宮中祭祀のひとつ。大祭。
毎年2回、春分日に春季皇霊祭(しゅんきこうれいさい)、秋分日に秋季皇霊祭(しゅうきこうれいさい)が斎行される。
元々この日はお彼岸であって、先祖を祭る日であった。またお彼岸に最も近い戊の日は、社日として氏子が氏神たる神社に参詣し、春は五穀豊穣を祈り、秋は実りある収穫に感謝する習わしがあった。
1878年(明治11年)にそれまでの歴代天皇や主たる皇族の忌日を春と秋に纏め奉祀した。1908年(明治41年)9月19日制定の「皇室祭祀令」では春季皇霊祭・秋季皇霊祭ともに大祭に指定。同法は1947年(昭和22年)5月2日に廃止されたが、1948年(昭和23年)以降も宮中では従来通りの春季皇霊祭・秋季皇霊祭が行われている。
また、「年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム」および「休日ニ関スル件」により、春季皇霊祭は1879年(明治12年)から1948年(昭和23年)まで、秋季皇霊祭は1878年(明治11年)から1947年(昭和22年)まで同名の祝祭日(休日)であった。以降も「国民の祝日に関する法律」により、それぞれ春分の日・秋分の日と改称されて国民の祝日となっている。」

つまり、天皇陛下以下、私たち日本人にとって、ご先祖様を御祭りする日になります。

こちらもご参照♥
↓
☆日本の11の祝日がすべて変更されました ~ SEALDsと北朝鮮を結ぶ線
春分の日は、毎年の3月21日頃ですが、この日は太陽が真東から昇り、真西に沈む日です。ですので、昼と夜の長さがほぼ同じになる日ということになります。
また、立春(2月4日頃)から立夏(5月6日頃)の前日まで、これを暦の上で「春」とされますが、春分の日はその「春」の中間点になり、この日を挟んだ前後3日間が「春の彼岸」になります。「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉がありますように、季節の変わり目を実感できる時期となります。
ぜひ、ご先祖様に、手を合わせて感謝なさってみてください。あと、日の丸の掲揚も、忘れずになさってください♥

牡丹餅
それでは、本日の最後に、あともう少しだけ。
この「春分の日」を過ぎますと、いよいよ本格的な春を迎えるわけですが、世の中は、入園式や入学式、あるいは入社式などなど、新しい年(年度)がスタートします。

私たち日本人の感覚からすると、この4月に新しく始まるというのは、とても「しっくり」としますね♥
ところが、現在は「年度」を「4月~3月」としている日本ですが、明治元年までは旧暦で「1月~12月」を「年度」としていました。いつ頃からかと申しますと、聖徳太子が亡くなられた西暦622年から数十年後の7世紀末頃からとなります。ちょうど、その頃、全国的な戸籍がつくられたり、伊勢神宮の式年遷宮の第1回目が行われていました。
今でも、世界中を見渡しますと、「7月~6月」の国々もあれば、「10月~9月」の国々もあったりしますね♥
明日は、この辺りのことを書かせて頂きたいと思います。
続きは次回に♥
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