2017-02-02 (Thu)

ゆとり教育(ゆとりきょういく)とは、日本において、1980年度以降2010年代初期まで実施されていたゆとりある学校を目指した教育のことである。
実施以前から学力低下の危惧があるとして和田秀樹、日能研などに批判された。国際学力テストでにおいて順位が下がったことなどにより、学力低下を招いたという批判もある。個性尊重が重視されたため、その考えを教えた世代にさまざまな人格的影響を与えたという批判もある。
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 トランプ氏を大統領に押し上げたアメリカ社会の動きには、【2つの流れ】があります。

それは、【ポリティカル・コレクトネス(弱者擁護、差別禁止の政治的動き)と、企業のゆきすぎた拝金主義】です。

この【2つの潮流による問題は、ベトナム戦争の終わり頃から顕著になってきました】。
私の兵役は、ベトナム戦争がちょうど終わった頃、日本で海兵隊員として始まりました。2回の計4年に及ぶアメリカでの任務の他は、日本に滞在していました。
従って、私は、【トランプを大統領選での勝者に導いたアメリカ社会の過程を目撃】した、と言っていいと思います。…

いまのアメリカ人は、【忍耐心がなく、とても高慢】です。
私が高校生だったころ、耳にした言葉をいまも覚えています。当時はベトナム戦争真っ盛りでした。町にはデモをする人々が溢れていました。人々は戦争賛成派と戦争反対派に二分されていました。
いまでも覚えているその言葉とは、
「私はあなたの言うことに賛成しないかもしれない。だが、【あなたがそれを言う権利を守るために、死ぬまで戦う】」
というものです。
当時は、【人々の間に深い意見の対立はあったものの、それでも人々は同じアメリカ人として、お互いにつながることができました】。

しかし、いまは、そんな感覚もなくなりました。【意見の違う人々は、いなくなればいいと多くの人が思っています】。【別の見方に対して、忍耐心がありません】。私は、これがすぐに【殺し合いにエスカレートしていく】のではないかと危惧しています。

この原稿を書き始めたのは、トランプ氏が当選した大統領選挙から4日後のことですが、いまも【暴動】は続いています。…

【左翼のアメリカ人はデモを行い、4日間、物を壊したり燃やしたりの暴動】が起こっています。
【左翼は、敗北や拒否されたことを一切受け入れられない甘ったれ】です。

これは、【ポリティカル・コレクトネス(弱者擁護、差別禁止)の教育システムが原因】です。

弱肉強食の競争を勝ち抜いていかなければならない【現実社会に、正面から向き合うことをしてこなかった】からです。

【左翼のこれらの暴動に対して、田舎のアメリカ人が、反撃するぞと脅している】、という話も聞きます。もちろん、愛とキスで、という意味ではありません。【暴力で、という意味】です。

【アメリカの右翼】は、実は【非常に強い武装集団を持っており、連邦政府に対するゲリラ軍ともなりうる】のです。』

いかがでしょうか?
今回ご紹介する書物は、一般的な私たち日本人が知らないような、そして日本のメディアが全く触れないような、実物大のアメリカが描かれています。当ブログでは触れませんが、かなり衝撃的なことも書かれていて、色々と考えさせられます。

本文にも書かれていましたが、左翼のアメリカ人というのは、自分たちが敗北したという事実や、自分たちの考え方が拒否された事実を、一切受け入れられない甘ったれで、ポリティカル・コレクトネス(弱者擁護、差別禁止)の教育システムが、その原因であり、左翼のアメリカ人は、現実社会に正面から向き合うことをしてこなかったため、とても「ヘタレ」なんです♥
これ、私たちの日本でも目にする「パヨク」と、まったく同じ生物です♥ 私たち日本の場合は、日教組が主導した、1980年代から30年近く行われていた「ゆとり教育」で飼育された連中に多く見られます。ハッキリ申し上げますと、「人生の負け組」ですね♥ ですので、「貧乏人」に多いです♥ 普段は劣悪な環境で奴隷のように働いているためか、自身の不甲斐無さを、まるで社会全体や、国家あるいは政権のトップが悪いかのように罵り或いは嘘を吐き、決して「それが自分の、これまでの行いの結果である」という厳然たる事実を認めることができない「哀れな存在」に成り下がっているんです♥


そして、そんな「お馬鹿」は、最新の科学が証明しているように、「家畜人生に甘んじた親」からその子へと「遺伝」していく、つまり「お馬鹿」の再生産が行われるということなんです♥

☆「知能が遺伝する」という事実に、私たちはどう向き合うべきか?
「お馬鹿」が遺伝するというのは、すでにご紹介させて頂いておりますこの書物(バカ売れしているようですが)に、詳しく書かれていますので、ぜひご覧ください。

詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆橘 玲 言ってはいけない 残酷すぎる真実
さて、ここからは一昨日の続きになります。
日本におけるキリシタン弾圧ですが、当時の事情を無視した、何とも一方的な偏見で述べられたり、教えられたりしていて、私たち日本人は、正しい歴史が判らずにいます。

今から500年ほど前の私たち日本は、「戦国時代」と呼ばれる時代で、その頃、西欧キリスト教諸国で起こっていた事が、「宗教改革」と呼ばれる「キリスト教内における一種の革命運動」です。この結果、「カトリック」とそれに抵抗する「プロテスタント」へと、大きく2つの派閥へと分裂していきます。
この「宗教改革」の動きに対抗しようと、カトリック内での改革を目指す動きを「カウンター・レフォーム(反動宗教改革)」と言いますが、宗教改革以前にすでに改革が始まっていたこともあり、「カトリック改革」とも呼ばれるようになってきています。
この新しく生まれてきた「プロテスタント」に対抗して、従来の「カトリック」がどうしたのかと言いますと、これまでにない新しい世界へと「カトリック・キリスト教」を布教していこうとしたわけです♥

1534年、バスク人のイグナチオ・デ・ロヨラらによって、「イエズス会」が設立されます。初代総長が、イグナチオ・デ・ロヨラです。

イエズス会の紋章

イグナチオ・デ・ロヨラ
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆イエズス会ってなに? ~ 大航海時代の隠れた主役 ユダヤ人
ここに世界の植民地化が本格的にスタートします。※南米のインカ帝国は、1533年に皇帝が殺され、スペインに征服されています。

世界の植民地化の流れ
1543年、私たち日本の種子島に、ポルトガル人が「鉄砲」を持ってやって来ます。
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆日本にポルトガル人が最初にやってきた理由 ~ トルデシリャス条約
さらに、1549年、イエズス会の創設者の一人でもあった、バスク人のフランシスコ・ザビエルが、私たちの日本に「カトリック・キリスト教」を布教しにやって来ます。

フランシスコ・ザビエル
彼は、日本での布教は失敗し、目線を支那に向けます。

続いて、1563年、イエズス会宣教師のルイス・フロイスが私たちの日本へとやって来て、1569年、織田信長に謁見、畿内での布教を許可を獲得します。
このルイス・フロイスが遺した書物によると、織田信長の一大構想、すなわち信長が毛利を平定し、全国を統一した暁には、なんと支那へ攻め込み、それを征服する、こういった考え方があったことが記されています。

では、なぜ、織田信長が、こんな構想を持っていたのかと言いますと、「カトリック・キリスト教」の国々が、間近まで侵略してきていることを「認識」していたからです♥
1570年、「スルタン国マニラ王国」が、スペイン人によって征服されます。そして、スペインの植民地の主都がマニラとされ、その国名は、征服民であるスペインの皇太子フェリペ(のちのフェリペ2世)に由来する「フィリピン」です。
このスペインによる「スルタン国マニラ王国」の征服以降、私たちの日本は、急速に統一へと向かって動き出します。
織田信長・徳川家康連合軍と武田勝頼軍との間で戦われた「長篠の戦い」は、1575年の出来事です。

長篠合戦図屏風(徳川美術館蔵)
こちらもご参照♥
↓
☆日の丸の色は「赤」ではなく「・・・・」なんです ~ 日本の常識・世界の非常識
イエズス会東インド管区の巡察師アレッサンドロ・ヴァリニャーノが、1579年、私たちの日本にやって来ます。

アレッサンドロ・ヴァリニャーノ
1581年、織田信長に謁見したアレッサンドロ・ヴァリニャーノは、安土城を描いた屏風(狩野永徳作とされる)を贈られ、その屏風は教皇グレゴリウス13世に献上されたとされていますが、行方不明になったまま確認ができていない状況です。
このアレッサンドロ・ヴァリニャーノがフィリピン総督に対して送った手紙には、次のような内容が記されています。
「 これら東洋に於ける征服事業により、現在色々な地域に於いて、陛下に対し、多くのそして大きな門戸が開かれており、主への奉仕および多数の人々の改宗に役立つところ大である。・・・これらの征服事業は、霊的な面ばかりでなく、それに劣らず陛下の王国の世俗的な伸展にとって益する。そしてそれらの征服事業の内、最大のものの一つは、この中国を征服することである」
「 日本の国は貧しい。そして同時に、軍事的な意味で非常に団結している」
後日、改めてご紹介させて頂きますが、こちらの書物に書かれています。
↓

当時のイエズス会宣教師たちが、布教の裏側で何を考えていたのかが、よく理解できると思います。
このアレッサンドロ・ヴァリニャーノのお話で、有名なのが「弥助」のお話です。
アレッサンドロ・ヴァリニャーノが、従者として連れていた黒人奴隷を、なんと織田信長が召抱えたいと所望したんです♥

で、アレッサンドロ・ヴァリニャーノが献上した黒人奴隷に、「弥助」と名付け、織田信長は彼を直臣にしています。「本能寺の変」でも登場する黒人奴隷が、この「弥助」です♥
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 弥助(やすけ、生没年不詳)は、戦国時代の日本に渡来した黒人奴隷で、戦国大名・織田信長への献上品とされたが、信長に気に入られ、その家臣に召し抱えられた。
弥助の出自については、フランソワ・ソリエが1627年に記した『日本教会史』第一巻に記述がある。イエズス会のイタリア人巡察師(伴天連)アレッサンドロ・ヴァリニャーノが来日した際、インドから連れてきた召使で、出身地はポルトガル領東アフリカ(現モザンビーク)であると記されている。
天正9年2月23日(1581年3月27日)に、ヴァリニャーノが信長に謁見した際に奴隷として引き連れていた。『信長公記』には「切支丹国より、黒坊主参り候」と記述され、年齢は26歳~27歳ほどで、「十人力の剛力」、「牛のように黒き身体」と描写されている。
初めて黒人を見た信長は、肌に墨を塗っているのではないかとなかなか信用せず、着物を脱がせて体を洗わせたところ、彼の肌は白くなるどころかより一層黒く光ったという。

織田信長
本当に彼の肌が黒いことに納得した信長はこの黒人に大いに関心を示し、ヴァリニャーノに交渉して譲ってもらい、「弥助」と名付けて正式な武士の身分に取り立て、身近に置くことにしたと、イエズス会日本年報にあり、信長は弥助を気に入って、ゆくゆくは殿(城主)にしようとしていたという。また、金子拓によると、『信長公記』の筆者である太田牛一末裔の加賀大田家に伝わった自筆本の写しと推測される写本(尊経閣文庫所蔵)には、この黒人・弥助が私宅と腰刀を与えられ、時には道具持ちをしていたという記述がある。
『家忠日記』の天正10年4月19日(1582年5月11日)付けの記述には「上様御ふち候、大うす(デウス)進上申候、くろ男御つれ候、身ハすみノコトク、タケハ六尺二分、名ハ弥助ト云(信長様が、扶持を与えたという、宣教師から進呈されたという、黒人を連れておられた。身は墨のようで、身長は約1.82メートル、名は弥助と云うそうだ)」とその容貌が記述されている。これは弥助も従軍していた甲州征伐からの帰還途上に、信長が徳川領を通った時に家康の家臣である松平家忠が目撃したものであるが、日記の記述に弥助は下人や年季奉公人のような隷民ではなく扶持もちの士分であったとはっきり書かれている。
天正10年6月2日(1582年6月21日)の本能寺の変の際には弥助も本能寺に宿泊しており、明智光秀の襲撃に遭遇すると、二条新御所に行って異変を知らせ、明智軍と戦った末に投降して捕縛された。『イエズス会日本年報』によると、「ビジタドール(巡察師)が信長に贈った黒奴が、信長の死後世子の邸に赴き、相当長い間戦ってゐたところ、明智の家臣が彼に近づいて、恐るることなくその刀を差出せと言ったのでこれを渡した」という。
家臣にどう処分するか聞かれた光秀は「黒奴は動物で何も知らず、また日本人でもない故、これを殺さず」として処刑せず、「インドのパードレの聖堂に置け」と言ったので、南蛮寺に送られることになって、一命を取り留めた。藤田みどりは弥助を殺すことを忍びないと思った方便であろうとの好意的な解釈を主張している。
その後の弥助の消息については、史料に現れないために全く分かっていない。」
いかがでしょうか?
「弥助」をどのように処遇したのか、イエズス会宣教師たちと、私たち日本の「武士」たちとの明確な違いが理解できると思います。
もちろん、私たち日本の一般人も「武士」たちと同じ考え方で、だから、口先だけで綺麗事を言いながら、やってることが無慈悲な「キリスト教」を、私たち日本人は一向に信用することができないんです♥
「 江戸時代にポルトガル人の書いた日本報告には「日本人はわれわれのことを見下す」とある。ポルトガルのほうが大きな船は作るし、大きな大砲は作る、はるばるここまでやってきている。「なのに日本人はまったく感心しないし、われわれのことを尊敬しない」と、不思議がるのである。だが、その後にこんな記述が出てくる。
「この間、やっとわけがわかった。老婆に『なぜ尊敬しないのか』と聞いたら『あんたたちは奴隷を使うからね。人を奴隷にするような連中は人ではない。日本人はそんなことをしません』という答えが返ってきた」
一発食らったと正直に書いている。たしかに「人間を奴隷にしてもいい」とはキリスト教でも認めていない。」
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆ポルトガル人を見下した日本人のおばあちゃん♥
続きは次回に♥
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