2017-01-24 (Tue)

ロバート・アルフォンソ・タフト(Robert Alphonso Taft, 1889年9月8日 - 1953年7月31日)はアメリカの政治家、オハイオ州下院議員(1922年 - 1932年)、オハイオ州下院議長(1926年 - 1932年)、連邦上院議員(オハイオ州選出、1939年-1953年)。上院では多数党院内総務 (1953年) を務めた。所属政党は共和党。父は大統領、最高裁判所長官、陸軍長官を歴任したウィリアム・ハワード・タフト。
オハイオ州シンシナティで生まれる。父と同じくイェール大学を卒業し、ハーバード大学のロー・スクールを1913年に修了した。その後、彼の故郷であり、タフト家の本拠でもあるシンシナティに戻り、弁護士活動を開始する。第一次世界大戦中には、食品医薬品局の法務担当スタッフとして勤務した。この時の彼の上司が後に商務長官、大統領を務めるハーバート・フーヴァーであった。
1921年、タフトはオハイオ州下院議員に当選し、政界入りを果たす。 オハイオ州下院では議長まで上り詰め、1932年にはオハイオ州上院に活躍の場を移した。1938年には上院議員選挙に立候補し、当選を果たす。以後3回連続で当選を果たす。1944年には任期1期目であるにもかかわらず、上院共和党ナンバー3の上院共和党協議会議長に就任した。タフトは、その出自からミスター・リパブリカンの異名をとった。彼は共和党内の中西部派、旧保守派(paleoconservative)のリーダーもしくは代弁者と看做された。また他の中西部出身の議員と同じく、孤立主義者であった。第二次世界大戦においては中立政策の支持者であり、真珠湾攻撃までその立場を変えなかった。真珠湾攻撃後も、同じ中西部のミシガン州選出のアーサー・ヴァンデンバーグ上院議員が冷戦政策形成の立役者となったのとは対照的に、孤立主義的なスタンスを維持した。また、第二次世界大戦の戦後処理として、ナチス・ドイツの関係者を裁くべく行われたニュルンベルク裁判を、法の不遡及を犯す「勝者の裁きに他ならない」として批判した点は、当時の世情を考えると注目に値する。
タフトの死後、1955年7月にアメリカ議会はロバート・タフト記念碑の設置を決議した。記念碑設置の財源は寄付とされ、100万ドル以上の寄付が集まった。1959年3月12日に上院はタフトを含むヘンリー・クレイ、ダニエル・ウェブスター、ジョン・カルフーン、ロバート・M・ラフォレット・シニアの5人の上院議員を選び、偉大な上院議員としてその肖像を上院のレセプションに飾った。この5人は「フェイマス・ファイブ」と呼ばれる。ジョン・F・ケネディ上院議員は偉大な上院議員を選ぶための特別委員会に属し、またその著書「勇気ある人々」でもタフトを取り上げるなど、政治的立場を超えてタフトを尊敬していた。
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 国立図書館などを利用して【本格的な調査を始めると、驚くべきことばかり】であった。

【東京裁判史観を批判する外国の有識者たちが、多数存在していた】からだ。

東京裁判を批判した外国人として有名なのは、東京裁判で判事を務め、【『日本無罪論』を書いたインドのラダ・ビノッド・パール博士】だろう。靖国神社の境内には、その銅像が建てられている。…


ところが、【大東亜戦争で敵となり、東京裁判を主導したアメリカ】において、【東京裁判に批判的な政治家や学者たちがいた】ことを知ったときは、本当に驚いた。

最も目を惹いたのは、【ロバート・A・タフト上院議員】だ。

ロバート・タフト
彼は1940年、1948年、1952年と【3回にわたってアメリカ大統領予備選挙に出馬】するなど、【共和党を代表する政治家】だ。「ミスター共和党」と呼ばれ、アメリカ連邦議会には、【アメリカの生んだ偉大な上院議員として、その功績を讃える壮麗な記念碑が建てられている】ほどだ。

ロバート・タフトの記念碑
そのタフト上院議員が、東京裁判開始からわずか半年後の1946年10月5日、地元オハイオ州ケニヨン法科大学で開催された学会に出席して、【「アングロサクソンの伝統たる正義と自由」について講演】した。
この講演の最後の部分で、【彼はドイツの戦争犯罪を裁いたニュルンベルク裁判に言及】し、
「 【事後法による裁判】は将来の侵略戦争の発生をくい止める役に立たない 」
こと、また、
「 この裁判は正義の実現ではなくして【復讐心の発現】である 」
ことを力説し、
「 【勝者による敗者の裁判】は、どれほど司法的な体裁を整えてみても、【けっして公平なものではありえない】 」
と批判したのだ。

そして、
「 【ドイツ人戦犯12名の処刑は、アメリカの歴史の汚点】となるであろう 」
と断言し、
「 【同じ過ちが日本において繰り返されないことを切に祈る】。なぜならば【日本に対してはドイツと異なり、復讐という名目が立ちにくい】からだ 」
と説いた。

野党とはいえ、大統領候補になるほど著名で、実力のある政治家が、公(おおやけ)の席で、【正面から東京裁判を批判していた】のだ。これは本当に驚くべきことだ。

しかも、タフト上院議員には、『アメリカ人のための外交政策』(邦訳未刊)という著作もあり、まさに外交の専門家なのであった。

その発言はけっして思いつきではなかった。
というのも、【タフト上院議員は、一貫してルーズヴェルト民主党政権の反日・親ソの外交政策を批判してきた】からだ。』

いかがでしょうか?
本書は、「ヴェノナ文書」、「ソ連・コミンテルン」、「アメリカ共産党」といった大東亜戦争の「謎」を解く鍵が、ことごとく網羅されながら、コンパクトにまとめられている、非常に秀逸な一品です♥ この書物一冊を読むだけで、大東亜戦争の「謎」のかなりの部分が理解できると思います。

フランクリン・ルーズベルト
昨日も触れておりますが、本書では、ソ連・コミンテルンの関係者として、様々な人物が実名で登場してきます。いずれも、「ヴェノナ文書」(☆NSA VENONA公式サイト)でスパイであることが明らかになった連中ばかりです。たとえば、フランクリン・ルーズベルトの側近でもあったアルジャー・ヒス。彼もまた、ソ連のスパイとして働いていました♥

アルジャー・ヒス
それでは、昨日に引き続きまして、このアルジャー・ヒスから芋づる式に、ソ連のスパイどもを見てまいりましょう。
アルジャー・ヒスは、フランクリン・ルーズヴェルト大統領の側近として、ハリー・ホプキンズとともにヤルタ会談に出席していましたが、そのハリー・ホプキンズについて。
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 ハリー・ロイド・ホプキンス(Harry Lloyd Hopkins、1890年8月17日-1946年1月29日)は、フランクリン・ルーズベルト大統領の側近で、商務長官(1938-1940年)を務めた。ニューディール政策においては、公共事業促進局を拠点に失業者の救済プログラムの作成を行った。また第二次世界大戦中は、ルーズベルトの外交顧問としてレンドリース法の策定を初め、アメリカの戦時戦略の遂行に重要な役割を担った人物である。
第二次世界大戦が勃発すると、ホプキンスは、ルーズベルトの非公式な特使(その言動を議会や合衆国憲法に規制されない大統領直属の非合法工作員ともいうべき立場)として、カイロ会談、テヘラン会談、ヤルタ会談に同行し、チャーチルやスターリンら連合国首脳との調整役として活躍した。なお大戦中、ソビエト連邦要人と頻繁に接触していた(世界最大の資本主義国家の要人でありながら、些細なスパイ嫌疑で自国民をも大量虐殺するほど猜疑心の強いソビエト要人達から絶大な期待と信頼を寄せられるという不可解な立場にあった事を意味する)ため、ホプキンスに対し、いかなる経緯でこれほどまでにソ連側の信頼を得られたのか?という疑惑が向けられた上、彼がルーズベルト時代に推し進めた外交政策の多くがソ連による共産圏の維持と拡大への支援となっていたという事実に照らして実はソ連のスパイではなかったのか、あるいは世界を資本主義と共産主義に分割して冷戦を演出しようとしていた何者かの工作員だったのではと噂されるに至っており、アメリカ陸軍のジョージ・ジョーダン少佐から「アメリカの最高機密であった原爆情報をスターリンに届けていた」と著作(From Major Jordan's diaries)の中で告発されるなど、その背後事情や真偽に関して様々な論争がある。」

ハリー・ホプキンス
また、アルジャー・ヒスはGRU(ロシア連邦軍参謀本部情報総局)のエージェントだったことも判明していますが、それについても見ておきましょう。
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 ロシア連邦軍参謀本部情報総局(ロシアれんぽうぐんさんぼうほんぶじょうほうそうきょく、ロシア語: Главное разведывательное управление、英:Main Intelligence Directorate of the General Staff)は、ロシア連邦軍における情報機関。略してGRU(発音は英語でグルー、ロシア語の場合はゲーエルウー、ロシア語での略称は ГРУ)と呼ばれる。旧ソ連時代から存続している組織である。
組織上は、欧米列国と同様に参謀本部の一部署に過ぎないが、参謀系統を通した情報の収集のほか、スパイ活動・SIGINT・偵察衛星・特殊部隊スペツナズの運用も管轄しており、ソ連KGBに匹敵する巨大な情報機関である。第二次世界大戦中のスパイ、リヒャルト・ゾルゲは、GRUの管理下にあった。」

ソ連時代からの連邦軍参謀本部情報総局の紋章
はい、出ました♥ リヒャルト・ゾルゲの登場です。

リヒャルト・ゾルゲ
「ゾルゲ事件」については、当時の新聞でも大きく取り上げられていましたね♥

「 「ゾルゲ事件」は、支那事変を泥沼化させ、第二次世界大戦において日本軍が満州からソ連に進攻する「北進」の作戦を選ぶよりも、「南進」の作戦を取ることを選んだという重要な軍事情報を漏らし、近衛文麿内閣がそう決めるように情報工作をかけていたという重大スパイ事件です。
この日本史上最大の国際諜報戦争であった「尾崎・ゾルゲ事件」において、アメリカ共産党との重要なパイプになっていたと思われるのが野坂参三でした。

中国共産党幹部時代の野坂参三
この事件については1930年代からソ連のスパイのリヒャルト・ゾルゲを中心とする国際諜報団が、近衛文麿首相とそのブレーン集団である「昭和研究会」に入り込み、機密情報が筒抜けになったのみならず、内閣メンバーを通じて日本の軍事・外交政策の決定まで少なからぬ影響を与えていたという恐ろしい事件です。
具体的には、ゾルゲ最大の共犯者の尾崎秀実(おざきほつみ)は、朝日新聞記者時代から内閣嘱託を務め、後に南満州鉄道調査部嘱託として対満州・対中国政策に影響を与え、ジャーナリズムの上での日本の対中認識について世論誘導に大きな役割を果たしました。

尾崎秀実
尾崎は、朝日新聞や雑誌で徹底的に支那事変において、「中国国民党軍と戦うべし」と主張し、日本の軍事戦略を泥沼化させ、国民党と対立していた共産党の生き残り戦略の手助けをしようとさえしました。
国民党と日本軍が講和すれば、兵力的に劣勢だった中国共産党は壊滅してしまうからですが、後の取り調べで尾崎は、自分の持論は日本並びに世界の「共産主義化」であると供述し、「国際共産主義」によるスパイ団の一員となっていたことが明らかになります。
こうして近衛内閣は和平のために逆に「国民政府を相手とせず」という声明を出しますが、結局は国民党の蒋介石との不毛な戦いに日本軍の力は浪費させられることとなります。
ゾルゲ諜報団の主要メンバーの1人で、在米日本人としてアメリカ共産党に所属していた宮城与徳(みやぎよとく)という画家がいました。

宮城与徳
昭和6(1931)年アメリカ共産党に入党し、その頃からアメリカの警察に目をつけられていましたが、日本へ帰国後は、英語が堪能だったことと画家としての立場を上手く活用してゾルゲらと連絡を取りながら、共産主義工作活動を続けます。
ここで、ゾルゲと宮城のパイプ役を務めたのが、実は野坂だといわれています。
ただし、1930年代の野坂はアメリカや中国、さらにはソ連と世界中の至るところを移動しているので、真相を明らかにするのは簡単ではありませんが、私自身は平成4(1992)年に日本共産党中央委員会が野坂参三を除名する際、日本共産党は、野坂の過去のスパイ工作活動のあまりにも恐ろしい「闇の深さ」に驚いて、「除名」という処分だけで蓋を閉じてしまったのだと思っています。そうでなければこの野坂の行状は、絶対に決着できる問題ではないからです。」
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆ゾルゲ事件 ~ 日本史上最大のスパイ大戦争

で、この野坂という国賊。あの日本共産党の名誉議長という栄誉ある絶対的地位に就いていました♥

ちなみに、日本共産党は、もともとはソ連・コミンテルンという共産党組織の中で、ソ連が支援した中国共産党の日本営業所にしか過ぎません♥ ソ連の使い捨ての駒、中国共産党のパシリだったことが、すでに判明しています♥
次の写真をご覧いただければ、その関係性もご理解いただけるかと。。。

野坂参三と周恩来

野坂参三(中)と毛沢東(右)
こちらもご参照♥
↓
☆日本共産党 ~ 彼らは、なぜそこまで警戒されるのか
ちなみに、この国賊。

こいつも、身内が「ソ連のスパイ」なんです♥
こちらをご参照♥
↓
☆日本共産党のトンデモなこと ~ 志位和夫の伯父は、ソ連のスパイでした♥
続きは次回に♥
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