2017-01-21 (Sat)

ウィリアム・アドルフ・ブグロー 『ブルトン人の姉弟』
カルナック列石(Carnac stones、Alignements de Carnac)は、フランス北西部、ブルターニュ地方のカルナックにある巨石遺構。1996年9月に世界遺産暫定リストに登録されている。

ケルマリオ列石群
カルナック列石は、ブルターニュ地方最大の巨石遺構で、巨大なメンヒルが総延長およそ4kmにわたり数列に並んでいる三つの列石群からなる。紀元前5000年あるいは、紀元前3000年から紀元前2000年頃に造られたとされる。

ケルレスカン列石群の俯瞰模型

カルナック列石中最大のメンヒル
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 汚染は水と空気に留まらず、【中国人が暮らす大地そのものも年々蝕まれており、その代表例が「水土流出」という現象】です。

中国の多くの地域では、【地表を覆う森林など植被層が破壊され、保水能力が低下】した結果、傾斜面の土地では雨水が地表近くに留まることができず、どんどん流れていきます。同時に、【土壌も雨水と一緒に地表から流れ出してしまい、泥水となって河川に集まり、最終的には海へと注いでしまう】。つまり、【大地から水と土という二つの大事な資源がいっぺんに失われることを「水土流出」という】わけです。

たとえば黄土(こうど)高原では現在、全体で【毎年1㎝の表土が流出し続けています】。

研究者の推算では、【自然な状態で1㎝の厚さの表土を形成するには120~400年が必要】とされていますが、【それがわずか1年で失われる】わけです。

「水土流出」が進むと土壌がますます痩せてしまい、【植物や動物などの命を育むことができなくなってしまいます】。その先に待っているのは【土地の荒廃、荒れ地化】です。現在、【中国全土で水土流出が進んでいる土地の面積は356万平方キロメートルで、国土の何と38%を占めています】。

それに追い打ちをかけているのが、【国土の砂漠化】です。中国国家林業局の発表によると、2014年時点で【荒れ地化したのは261万平方キロメートルで、国土面積の27%、4分の1以上】ですが、【砂漠化した土地は172万平方キロメートルに達し(日本の総面積の4・6倍)、国土面積の18%、6分の1以上が砂漠化した】というのです。現在も進む国土の荒廃で、4億人以上の生活に影響が出ているといわれます。

すでに2001年3月の段階で、中国経済界で評価の高い「新経済」という専門誌が、国土荒廃問題について専門家の論文を掲載しています。論文はこの時点で、次のような分析をしています。
「2000年現在、中国全土では、砂漠・ゴビ・山岳地帯などからなる『荒漠(こうばく)地帯』、すなわち【人間の生息に基本的に適さない土地の面積は300万平方キロを上回り、国土総面積の3分の1を占める】。そして、水土流出などによって『荒漠化途中』の土地は【約360万平方キロで、国土総面積の38%に相当】する。最後に、いまだに荒廃していない、より良質の土地面積は300万平方キロ足らずで、国土の29%にすぎないのである」

これはいまから15年も前の国土事情ですが、現在も状況は改善していません。むしろ悪くなる一方ですし、しかも【注目すべきは、中国の国土の3分の1は、実は人の生息に適しない「荒漠地帯」だという指摘】です。これが【衝撃的】なのは、事実に即して考えてみるとわかります。

たとえば、中国の西部地域で「荒漠地帯」の代表格である新疆ウイグル自治区、チベット自治区、青海省の3つの行政区を取り上げてみますと、3つの地域の総面積は358万平方キロメートルでほぼ国土の3分の1にあたりますが、総人口は2700万人で、全人口の2%にすぎません。
すると、【総人口の98%が暮らしているのはそれ以外の3分の2の土地】ですが、【その半分はまた「水土流出で荒漠化が進んでいる最中」の土地】です。結局、このまま荒廃が進めば、14億人の中国人民にとっての「生息に適する良質の土地」、つまり国民に必要な「生存空間」は全国土の3割未満になってしまいます。

しかも、【その3割に属するはずの数多くの都市が水不足に苦しみ、地下水と地上水の大半が汚染されていて、至るところ汚れた大気に覆われているのが実情】です。』

いかがでしょうか?
これが、世界最大の発展途上国と呼ばれる支那の本当の姿です♥ まさに、地獄以外の何物でもありませんね♥

さて、そんな支那のことは放っておいて、昨日のお話の続きになります。

エドワード1世
引き続き、エドワード1世の治世を見てまいりたいと思います。
このエドワード1世の治世は1307年まで、およそ40年の長きに渡っていて、数々の歴史上のポイントとなることが起きています。

昨日は、内政面でのポイント(ユダヤ人追放、フューダリズムの変容)を書かせて頂きましたが、本日は外交面のポイントになります。
エドワード1世の時代に、イングランド王国はウェールズに侵攻し、支配権を確立しました。ウェールズは石炭を代表とする豊富な地下資源を有していたこともあり、のちのイギリスの産業革命に多大な影響を与えることとなります。

ウェールズ
それまでにも何度もウェールズに侵略を試みてきたイングランド王国ですが、その都度、撥ね返して独立を守ってきたのが、ウェールズのブリトン系住民でした。
ブリトン人というのは、ケルト系民族で、ケルト人というのは、本来、ヨーロッパに古くから住んでいた民族でした。

ケルト人の分布(ヨーロッパ中心部が紀元前1500年から紀元前1000年、それ以外の部分が紀元前400年)
イエス・キリストが生まれる遥か昔から、ヨーロッパに住んでいたのがケルト人で、中央アジアの草原から馬と車輪付きの乗り物(戦車、馬車)を持ってヨーロッパに渡来したインド・ヨーロッパ語族ケルト語派の民族です♥
以前にも書かせて頂きましたとおり、太陽十字がケルト十字のもとになり、

単純な太陽十字

ケルト十字
その太陽十字から、「卐」が派生。洋の東西を問わず、幸運のシンボルであったのが非常に長い歴史を持つ図柄である「卐」・「卍」(まんじ)でした♥

切れ目のある十字の円
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆『マニフェスト・デスティニー』と、『ドナルド・トランプ』と、『「卍」・「卐」(まんじ)』
このヨーロッパに、その後、ローマ帝国が支配領域を広げ、

ローマ帝国の領土(茶色がブリタニアの領域)
イギリス・ブリテン諸島のコーンウォールと呼ばれる地域から、

コーンウォール
5世紀の終わりにフランスのブルターニュへと移住してきたケルト系民族を、

ブルターニュ
「ブルトン人」と呼びます♥
以下は、Wikipediaからの抜粋です♥
↓
「 ブルトン人 (フランス語: Bretons、ブルトン語: BreizhizまたはBretoned)は、フランス、ブルターニュ地方に主として暮らすケルト系民族のこと。彼らの先祖は4世紀から6世紀にかけてグレートブリテン島南西部から移住してきたブリトン人である。ブルターニュという地名は彼らにちなんでおり、一部の人々は今もケルト語系のブルトン語(最近はブレイス語と呼ばれる)を話している。フランス国外、カナダ(主としてケベック州)、アメリカ合衆国、イギリス、アイルランドにもブルトン人のコミュニティーがある。」
余談ですが、ブルターニュといえば、冒頭にご紹介させて頂いておりますカルナックの謎の巨石群が有名ですね♥

それでは、お話をエドワード1世によるウェールズ侵攻に戻します。
以下は、Wikipediaからの抜粋です♥
↓
「 エドワード1世が即位した頃のウェールズの統治者はウェールズ大公(プリンス・オブ・ウェールズ)ルウェリン・アプ・グリフィズだった。エドワード1世はルウェリンに対して二度招集をかけて臣下の礼をとるよう求めたが、ルウェリンは招集に応じなかった。エドワードは1272年にルウェリンを大逆者と宣告した。

ルウェリン・アプ・グリフィズ
この宣告を受けてルウェリンに領土を奪取されていたイングランドのウェールズ辺境伯たちがウェールズ侵攻を展開するようになった。またグウィネズ地方(ルウェリンの直接統治下)以外のウェールズ人領主の取り込みも図り、ルウェリンをウェールズ内で孤立に追いやった。そのうえで1277年7月にチェスターから1万5000人の軍勢を率いてウェールズ侵攻を開始した。

グウィネズ地方
これに対してルウェリンはゲリラ戦で抵抗するも、結局同年秋にはイングランドへの全面屈服のアベルコンウィ条約を締結することを余儀なくされた。この条約によりルウェリンは他のウェールズ人領主への宗主権を失い、グウィネズの統治権も兄弟で分け合い、ウェールズ内のエドワード1世の王領も大幅に拡大されることになった。さらにもしルウェリンが子供のないまま死去したらその所領はエドワードに没収されることも盛り込まれた。
この条約でウェールズのほぼ全土を手中にしたエドワード1世は、イングランドの法を押し付けて、ケルトの法やウェールズ人の感受性を無視した統治を行った。特に巡回裁判制度を持ち込んだのはエドワード1世の統治力を著しく高めた。しかしその過酷な統治はウェールズ人の反乱を誘発し、やがてルウェリンもそれに参加した。これを受けてエドワード1世は1282年から1284年にかけて再度ウェールズ侵攻を行った。この戦いの際にルウェリンは敗死し、ウェールズ大公の地位は弟ダフィズ・アプ・グリフィズが継承したが、彼も1283年9月30日に捕らえられて大逆罪で死刑宣告され、10月3日に過酷な首吊り・内臓抉り・四つ裂きの刑で処刑された。こうしてウェールズの独立をかけた最後の戦いは失敗に終わり、以降ウェールズが政治的独立を手にすることは二度となかった。
1301年になってエドワード1世は皇太子エドワード(後のエドワード2世)にウェールズ大公の称号を与えた。ウェールズの称号を残すことでウェールズ人の反感を和らげる目的だったという。以降イングランド・イギリス王室の皇太子はこの称号を名乗るのが慣例となり、その伝統は現在に至るまで続いている。またウェールズの征服でイングランド軍にウェールズの長弓の用法が入り、エドワード1世は歩兵の特殊兵器としてスコットランド侵攻でこれを活用する。」
イングランド・イギリス王室の皇太子が、ウェールズ大公の称号、「プリンス・オブ・ウェールズ」を名乗るのが慣例になったとありますが、現在のチャールズ皇太子が、それに当たります。

ウェールズ公チャールズ
ちなみに、チャールズ王太子の紋章が、これ。

チャールズ王太子の紋章
現在のイギリスの国章と少し違っていますね♥

現在のイギリスの国章
チャールズ王太子の紋章の中央部分にあるのが、グウィネズ王国の紋章です。

グウィネズ王国の紋章
右下にあるのがウェールズの国旗で、1959年に公式に認定されてもいます。

ウェールズ国旗
左下がプリンス・オブ・ウェールズの羽根が描かれた紋章になります。

プリンス・オブ・ウェールズの紋章
それでは、本日の最後に、もうひとつ。
かつてウェールズ一帯を支配したグウィネズ王国の首都が、アバフロウでした。

アバフロウ
このアバフロウを発祥とする、800年以上の歴史を持つ「ビスケット」が「Aberffraw cakes (アバフロウ・ケーキ) 」です♥ 美味しそうですね♥

詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆第81話 Aberffraw cakes ~アバフローケーキ~
続きは次回に♥
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