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    親子チョコ💗(500冊以上の良質な書籍のご紹介)

    子どもたちの教育のため、また、その親である私たち自身が学ぶための、読まれるべき良質な書籍のみをご紹介させていただきます。

     >  ユダヤ >  赤いユダヤとスパルタクス団

    赤いユダヤとスパルタクス団

    ベルリン市内で武装したスパルタクス団員(1919年)
    ベルリン市内で武装したスパルタクス団員(1919年)

    スパルタクス団(スパルタクスだん、ドイツ語: Spartakusbund)は、1915年から1918年まで存在したドイツの急進主義的なマルクス主義者らによる政治団体ドイツ社会民主党の分派として誕生し、ドイツ共産党の前身となった。名称は共和政ローマのスパルタクスより。

    ローザ・ルクセンブルクスパルタクス団唯一の政治理論家であり、戦時中に「ユニウス」というペンネームで著したパンフレットの中で、プロレタリアートの権力獲得を目的とした労働者による祖国防衛というプログラムを展開していた。しかし一方ブルジョア国家の起こした戦争はどんなものであれ支持することはできない、とも考えていた。帝国主義の時代では全ての戦争が大資本の競争から起こるのであり、ドイツが勝とうが負けようが労働者にとっては有害である。労働者は民族戦争を拒否し、革命により権力を握ることによってのみ救われる、と彼女は主張した。

    権力奪取の方法革命後の組織についてローザはなにも明確なことは書いていない。1918年11月のドイツ革命勃発で解放されたスパルタクス団の指導者には、何の準備もなかったということになる。




    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 急速な局面の展開があった後、1918年初期から今日まで続いている状況に落ち着いた。【街では、自由に選ばれた議会が不当だと拒否】された。そして【「プロレタリアートの独裁」が宣言】された。これからの【職場は「評議会」(ロシア語で「ソヴィエッツ」という)によって運営】されることになった。農村では【同じ組織が農業を統制】することになった。しかし農村では、農民たちがすでに土地を差し押さえ、解散した軍隊から人々が故郷へぞろぞろと戻ってきていた。

     もちろん、実際問題として、【樹立されたのはプロレタリアートの政府などではなかった】

    ポイント 女性

    プロレタリアートの「独裁」というには、政府という以上におこがましい、ありえない代物(しろもの)だったし言葉としても矛盾するものだった

    ポイント 女性

    それは「労働者と農民の共和国」と呼ばれていた。しかし実際は、【そのような類いのものではまるでなかった】。それは【一派閥による純粋な専制国家】であり、【その指導者も、ロシアの軍事力が復活する芽を摘むため、ドイツの指導下で、ロシアへ特別に送り込まれた者たち】だった。

    ポイント 女性

     そして【この指導者たちは、すべて例外なく、ユダヤ人か、あるいは、ユダヤ人が国内での人間関係を通して押さえていた連中】だった。

    ポイント 女性

    その後に起こったことは、【ことごとくユダヤ人の直接の命令】の下で行われた

    レフ・ダヴィードヴィチ・トロツキー
    レフ・ダヴィードヴィチ・トロツキー

    その中【最重要人物がブラウンシュタインという人物で、トロツキーと名前を変え、身元を隠していた男】である。』

    日の丸

    いかがでしょうか?

    「ユダヤ人」に関して書かれている本書は、よくある劣悪な「ユダヤ陰謀説」の類の本ではなく、歴史の中でユダヤ人の置かれていた状況や、その時々の時代背景、ユダヤ人とキリスト教徒との摩擦が生じる原因など、キチンと論理的に解説がなされている非常に秀逸な書物です♥

    初版は、今から100年ほど前に、イギリスで出版されています。当時のヨーロッパの世相が、非常にリアルに描写されています。

    さて、今から100年ほど前ロシア帝国が崩壊に至るわけですが、その中心にいたのも「左翼ユダヤ人」でした♥

    ポイント 女性

    まず、ロシア帝国崩壊に至る過程で、2度の革命が勃発しています。

    最初の発端が、1905年「血の日曜日事件」でした。この時、ロシア帝国と戦争をしていたのが、私たちの日本であり、「日露戦争」の真っただ中で生じた出来事でした。

    以下は、Wikipediaからの抜粋です。

    「 血の日曜日事件(ちのにちようびじけん)とは、1905年1月9日(ユリウス暦。グレゴリオ暦では1月22日)、ロシア帝国の当時の首都サンクトペテルブルクで行われた労働者による皇宮への平和的な請願行進に対し、政府当局に動員された軍隊が発砲し、多数の死傷者を出した事件

    行進する群集

    1905年1月9日は日曜日で、請願行進ガポン神父に主導された。ガポンはロシア正教会の司祭であると同時に、国家秘密警察の給与を受ける工作員であったともいわれている


    ゲオルギー・ガポン
    ゲオルギー・ガポン

    請願の内容は、労働者の法的保護、当時日本に対し完全に劣勢となっていた日露戦争の中止、憲法の制定、基本的人権の確立などで、搾取・貧困・戦争に喘いでいた当時のロシア民衆の素朴な要求を代弁したものだった。

    当時のロシア民衆は、ロシア正教会の影響の下、皇帝崇拝の観念をもっていた。これは、皇帝の権力は王権神授によるものであり、またロシア皇帝は東ローマ帝国を受け継ぐキリスト教(正教会)の守護者であるという思想である。このため民衆は皇帝ニコライ2世への直訴によって情勢が改善されると信じていた。

    行進に先立って挙行されたストライキへの参加者は、サンクトペテルブルクの全労働者18万人中11万人に及んだと言われ、行進参加者は6万人に達した。

    当局は軍隊を動員してデモ隊を中心街へ入れない方針であったが、余りの人数の多さに成功せず、軍隊は各地で非武装のデモ隊に発砲した。

    事件の話はモスクワ市内に速やかに広まり、市内各所で暴動と略奪が行われた

    ガポンが事件以前から組織していた労働者の集会は即日解散させられ、ガポン直ちにロシアを離れた。ガポンは同年10月に帰国したが、翌1906年4月社会革命党によって暗殺された。

    この事件の結果、皇帝崇拝の幻想は打ち砕かれ、後にロシア第一革命と呼ばれた全国規模の反政府運動がこの年勃発したとみなされている。この時に始まったロシアの共産主義運動は、1917年のロシア革命(二月革命、十月革命)の原動力に成長してゆく。」


    この当時、ロシア帝国から見て、敵である私たち日本の戦費調達に協力していたのは、ユダヤ人のジェイコブ・シフです♥

    ジェイコブ・シフ
    ジェイコブ・シフ

    「 ジェイコブ・ヘンリー・シフ(英語:Jacob Henry Schiff、1847年1月10日 - 1920年9月25日)は、ドイツ生まれのアメリカの銀行家、慈善家。ヤコブ・ヘンリー・シフとも。生まれた時の名前(即ちドイツ名)は、ヤーコプ・ヒルシュ・シフ(Jacob Hirsch Schiff)。高橋是清の求めに応じて日露戦争の際には日本の戦時国債を購入した。

     フランクフルトの古いユダヤ教徒の家庭に生まれる代々ラビの家系で、父は銀行員だった。1370年からフランクフルトのゲットーで、初代マイアー・アムシェル・ロスチャイルド時代「グリューネシルト(緑の盾)」(de:Haus zum Grünen Schild)と呼ばれる建物にロスチャイルド家とともに住んでいた


    グリューネシルト(緑の盾)
    グリューネシルト(緑の盾)

     シフ常にユダヤ人社会への強い絆を感じ続け、慈善という形で同胞のために貢献した。たとえばロシアでポグロムに苦しむユダヤ人を解放するために尽力し、ヘブライ・ユニオン・カレッジの創立と発展を助け、ニューヨーク公共図書館にユダヤ・セクションを作った。シオニズム運動アメリカ赤十字コロンビア大学ハーバード大学などが寄付をうける。

     政治的・世俗的なシオニズムには反対だったが、ユダヤ人のパレスチナ入植には多額の寄付をおこない、ハイファ工科大学の設立をも援助した。

     シフは2億ドルの融資を通じて日本を強力に資金援助したことで、日本勝利と帝政ロシア崩壊のきっかけを作った。以後日本は3回にわたって7,200万ポンドの公債を募集、シフはドイツのユダヤ系銀行やリーマン・ブラザーズなどに呼びかけ、これも実現する。結果として日本は勝利を収め、シフは一部の人間から「ユダヤの世界支配論」を地で行く存在と見なされるようになった。またこれ以後、高橋との親交を結んだ。

     のちにシフが高橋に語ったところによれば、融資の理由ロシアでの反ユダヤ主義(ポグロム)に対する報復だったと言われている。1881年、また1903年4月にはロシアで大規模なポグロムが起こっていた。「ロシア帝国に対してたちあがった日本は神の杖である」とのち回想録に記している。

     シフの帝政ロシア打倒工作は徹底しており、第一次世界大戦の前後を通じて世界のほとんどの国々に融資を拡大したにも拘らず、帝政ロシアへの資金提供は妨害した。1917年レーニン、トロツキーに対してそれぞれ2,000万ドルの資金を提供してロシア革命を支援した。

    ポイント 女性

     経営者一族がシフの縁戚となっていたファースト・ナショナル銀行ニューヨークは、ロックフェラーのチェース・マンハッタンJ・P・モルガン・アンド・カンパニーと協調して、ソビエトに対する融資を継続していた。」


    こちらもご参照♥

    坂本竜馬とユダヤ人



    日露戦争で私たちの日本に負けたロシアでは、続く、1917年「2月革命」が勃発します。この結果、ニコライ2世が退位ロマノフ王朝が崩壊します。

    以下は、Wikipediaからの抜粋です。

    「 サラエヴォ事件をきっかけに1914年に勃発した第一次世界大戦は、ヨーロッパの大国を巻き込み各国の総力戦へと突入していた。ロシア帝国はセルビアとの相互条約によりオーストリアとドイツに宣戦布告し、オーストリア方面での緒戦に勝利したものの、対ドイツ戦では1914年のタンネンベルクの戦いおよび翌年のゴルリッツの戦いを始めとして敗北が続き、国内では長く苦しい戦時生活に対する不満の念が高まっていた。ツァーリに対する農民の尊敬は変わることがなかったが、ラスプーチンが影響力を保持するドイツ出身のアレクサンドラ皇后へは表立った中傷が行なわれるなど、国内の不安定要因が見え隠れしていた。」

    グリゴリー・ラスプーチン
    グリゴリー・ラスプーチン

    余談ですが、お隣の朝鮮で、グダグダになっている国がありますが、そもそもの原因も、朴槿恵と韓国版ラスプーチンの淫靡な関係に由来しているようで。。。気持ち悪いですね♥

    左より朴正煕、朴槿恵、崔太敏
    左より朴正煕、朴槿恵、崔太敏

    詳しくはこちらをご参照♥

    【チェスンシル・ゲート】ある女性の回顧によると、朴槿恵とチェ・スンシル父親が絡み合った翌日の朝、寝室には各種避妊器具、変態的性玩具が散らばり吐き気がする程だったという

    まあ、私たち日本人にとってはどうでもいい話ですけど(笑)

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    さて、その「2月革命」が勃発した日は、「国際女性デー」(英: IWD; International Women's Day)だったのですが、これも社会主義者が作ったもので、その発端は、ユダヤ人都市のニューヨークでした♥

    以下は、Wikipediaからの抜粋です。

    「 1904年3月8日にアメリカ合衆国のニューヨークで、女性労働者が婦人参政権を要求してデモを起こした。これを受けドイツの社会主義者・クララ・ツェトキンが、1910年にコペンハーゲンで行なわれた国際社会主義者会議「女性の政治的自由と平等のためにたたかう」記念の日とするよう提唱したことから始まった。」

    クララ・ツェトキン
    クララ・ツェトキン

    このクララ・ツェトキンについても、見ておきましょう。

    以下は、Wikipediaからの抜粋です。

    「 クララ・ツェトキン(Clara Zetkin、1857年7月5日 - 1933年6月20日) は、ドイツの政治家・フェミニスト社会主義の立場による女性解放運動を主導し、女性解放運動の母と呼ばれる。

     ドレスデン近郊の村に生まれ、教師になるために勉強する傍ら女性解放運動や労働運動に興味を持つ。1878年にドイツ社会主義労働者党に加入、 この党は1890年にドイツ社会民主党になる。この間ビスマルクの弾圧を逃れて、チューリッヒからパリへ亡命第二インターナショナルの活動に従事する傍ら、ロシアの革命家オシップ・ツェトキンと結婚するが死別する(その後画家のゲオルグ・フリードリッヒ・ツンデルと再婚)。

     第一次世界大戦が勃発すると、社民党首脳部の戦争協力姿勢に反対。ローザ・ルクセンブルクカール・リープクネヒトと共に1916年スパルタクス団を結成した。その後独立社会民主党を経て、ドイツ革命後の1920年にドイツ共産党の結成に参加。帝国議会議員として活動しながら、党中央委員・コミンテルン代表委員を歴任した。

     1933年アドルフ・ヒトラー率いるナチスが政権を掌握。国会議事堂放火事件で共産党が非合法化されると、ソビエト連邦に亡命した。同年にモスクワで客死し、遺骸はクレムリンの壁に葬られた。」


    ローザ・ルクセンブルク
    ローザ・ルクセンブルク

    続いて、ローザ・ルクセンブルクについて。

    以下は、Wikipediaからの抜粋です。

    「 ローザ・ルクセンブルク(ドイツ語: Rosa Luxemburg, ポーランド語:Róża Luksemburg, ルジャ・ルクセンブルク、1871年3月5日 - 1919年1月15日)は、ポーランドに生まれドイツで活動したマルクス主義の政治理論家、哲学者、革命家

     彼女はポーランド王国社会民主党の理論家であり、のちにドイツ社会民主党、ドイツ独立社会民主党(ドイツ社会民主党左派)に関わるようになった。機関紙『Die Rote Fahne(赤旗)』を発刊し、革命組織スパルタクス団を母体としてドイツ共産党を創設1919年1月にはベルリンでドイツ革命に続いて1月蜂起を指導するが、国防軍の残党やフライコール(義勇軍、Freicorps)との衝突の中で数百人の仲間とともに逮捕、虐殺される。死後、多くのマルクス主義者や社会主義者のあいだでは、同じく虐殺された盟友のカール・リープクネヒトとともに、革命の象徴的存在とされている。後にその思想はルクセンブルク主義とも呼ばれる。

     ローザ・ルクセンブルクは1870年もしくは1871年3月5日、事実上ロシア帝国の属国であったポーランド立憲王国の都市ルブリン近郊のザモシチに住むユダヤ人の木材商人エリアス・ルクセンブルク3世とその妻リーネ(旧姓レーヴェンシュタイン)の5番目の子供として生まれた。出生時の名前はロザリアである。」


    と、このように、「マルクス主義」+「ユダヤ人」ということで、革命が大好物血に飢えた「左翼ユダヤ人」です♥

    ポイント 女性

    ローザ・ルクセンブルクらが結成したのが冒頭にご紹介しています「スパルタクス団」という、のちにドイツ共産党へと繋がっていく極左暴力集団でしたが、その記念碑こちら(↓)になります。もう、お気付きですね♥

    スパルタクス団蜂起の記念碑
    スパルタクス団蜂起の記念碑

    「 《 ユダヤ人ロシアの革命を準備し、之を仕組んだ、ユダヤ人は真の無産階級、萬国主義者で国家を持たない。トロッキーを吾々の師とし君として立てることはロシアの無産階級の義務であって又最も安全な途である。如何なる程度まで過激主義とユダヤ主義とが一致するかを示す手段のために、過激派は赤色の星を採用した。此の星はユダヤの徽章(きしょう)であって又シオンの徽章である。勇敢なユダヤ人は社会主義の前衛である。資本家は無産階級に頭を下げ、ユダヤ人の涙は血の汗となって彼らの身体から流れるであろう 》
    (1919年4月12日『デル・コミュニスム』ロシア、ハリコフ市発行)。…」


    詳しくはこちらをご参照♥

    ユダヤ人はロシアで革命を起こし、ドイツ革命も狙っていたんです



    共産主義 ★
    赤い星(レッドスター、英語: five-pointed red star)

    ダビデの星
    ダビデの星

    ユダヤ



    続きは次回に♥




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