2017-01-16 (Mon)

テオドール・シャセリオー 『エステルの化粧』
モルデカイ(ヘブライ語: מָרְדֳּכַי, ラテン文字転写: Mordecai, Mordechai)は、旧約聖書の登場人物。
1:バビロンから流刑後、エルサレムに帰還した人(エズラ記2:1、2)。
2:以下、全て参照聖句は『エステル記』による。『エステル記』に登場する、ベニヤミン人(2:5)。エステルのいとこで、養育者(2:7)。聖書によれば、クセルクセス王が新しい王妃を選ぶためエステルも招かれた時、モルデカイは彼女に自分の民族の事は話さないように勧告した(2:8、2:10、20)。

ジョヴァンニ・アンドレア・シラーニ 『アハシュエロスの前に立つエステル』
モルデカイはエステルの安否を気にかけ、宮殿の前を行き来していた(2:11)。モルデカイが王宮の門に座っている時、彼は宦官ビグタンとテレシュが王を殺そうと企てているのを知り、エステルを通して王に告げた(2:21-23)。ハマンが高い地位に就き、王はハマンに敬礼するよう命じていたが、ユダヤ人のモルデカイはそうしなかった(3:1-4)。それにハマンは激怒し、国中にいるモルデカイの民族ユダヤ人を絶滅させようとした(3:5-6)。それを知ったモルデカイは深く嘆き、エステルに王と交渉してユダヤ人が滅ぼされないよう懇願するよう指示した(4:1、4:8)。それは危険な行為だったが、モルデカイはエステルを説得した(4:9-14)。

アールト・デ・ヘルデル 『エステルとモルデカイ』
クセルクセス王はある日、宮廷日誌を調べ、モルデカイが過去に王を殺そうと企てた宦官たちの悪事を報告した事に関して、まだ褒美をしていない事に気付き、彼にどのような栄誉を与えるべきかハマンに相談した。ハマンは自分が栄誉を受けるものと思い、王服を着させ馬に乗せて人々の前で栄誉を与えるよう提案した。それで、モルデカイはそのような栄誉を受けたが、ハマンは悔しい思いをした(6章)。その後、エステルによってハマンの悪事は暴露され、モルデカイを処刑するために用意されていた杭にハマンは掛けられ処刑された(7章)。モルデカイはハマンに代わって高い地位に就き(8:2)、王の権威を行使しユダヤ人が自衛する権限を与えた(9:10、11)。こうして、ユダヤ人は滅びに至る事なく済み、敵から勝利した日を祝うようになった。モルデカイも記念日とするよう布告した(9:17-22)。この日はユダヤ人の間でプリムと呼ばれ祝われるようになった(9:26-32)。

エドウィン・ロング 『エステル王妃』
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 ユダヤ人が大量に集まった国といえば、中世後期の迫害の時代に堂々とユダヤ人を援助した【ポーランド】という国が挙げられる。

【ポーランドは、自国を、同国への移住を望むすべてのユダヤ人の保護施設とした】のである。プロイセンによる分割を被った後も、【現在、世界のユダヤ人の約半分の母国になっている】。どの階級のロシア人も、ユダヤ人には憎悪を抱いたことと、その分割以来、ユダヤ人の数がもっとも多いポーランドの地域をロシアが支配したこちから、【ロシア領となった旧ポーランドのユダヤ人は迫害を受け、新しく国外退去が始まった】。
こちらもご参照♥
↓
☆コウノトリの国 ~ 世界一の親日国
その動きは西方へ向かうことになり、【主な行き先はアメリカ合衆国】だった。同時に、【イギリスの工業都市、特にロンドンでは巨大なゲットーが新たに発展】した。ニューヨークは、過去のロンドンやパリのようなユダヤ人住民のいない都市から、【三分の一を優に超える住人が完全なユダヤ人か一部ユダヤ人という都市へと、ゆっくりと変貌】を遂げていた。


この大量移民は、大戦勃発の直後にたけなわとなった。発端はパリのゲットーだったが、西洋全土にまで影響が及んだ。さらに、もう一つの【もっとも大切な要因】が加わったのである。

ユダヤ人たちは近代資本主義から多大な恩恵を受けたが、ユダヤ人の名がそこに刻まれているにしても、近代資本主義を始めたわけではなかった。【その資本主義と対になる反動としての「社会主義運動」があった】。これもまたユダヤ人が始めたものではなく、最初に指導したのでもなかった。

こちらもご参照♥
↓
☆科学的社会主義って何? ~ マルクス自身も否定する「マルクス主義」

しかし、【社会主義運動は急速にユダヤ人の支配下に置かれるようになっていった】。

【モルデカイの一族(マルクスという名前を用いた)】からは、あの理論を力強く唱導した【カールという人物】が、世に出た。彼は非ユダヤ人の指導者(特にルイ・ブラン、フランス系スコットランド人の秀才)を模倣し、追随したにすぎないが、社会主義の完全な理論を、経済的、社会的、そして【暗に宗教的に】完全な形で示して見せたのである。というのも【マルクスは物質主義を前提とした】からである。

ルイ・ブラン
こちらもご参照♥
↓
☆マルクス主義は、キリスト教の鬼っ子

カール・マルクス
【カール・マルクスの後に続いたのが、一群の同胞】だった。彼らは資本主義者の増大する権力に【反旗を翻す産業プロレタリアートを先導し、断固とした反乱活動を組織】しはじめた。

大戦の前なら、【社会主義運動全体が、その構成員と方向性に関する限り、ユダヤ的特徴を備えたもの】だと言えるだろう。

そして西洋では、その運動がこのような純粋に経済的な形を取ったわけだが、【東側(ロシア帝国)では、政治的な形態をも取った】。【同帝国で勢いを増す革命勢力は、方針でも原動力でも、同じくユダヤ的特徴を持ったものだった】。

以上が、大戦前夜の状況だった。【ユダヤ人問題とは何を意味するのかということに、人々が完全に気づき始めた】のである。旧来の安心感は永遠に消え去ってしまった。現在では多数派になっているが、当時は少数派だけがその問題に対処し、それを公に論ずる用意が整っていた。公のもの、【特に新聞界は、多大な影響力を持ちながらも、どの部局もそれまでのところ、その現状を注視しようとはしなかった】。【ユダヤ人問題を公に言うことを禁じる慣習は、依然として非常に根強かった】のである。…
【ユダヤ人は、どこでも優位な立場に立っていた】。ユダヤ人たちはヨーロッパ全土の【大学で教えていた】。【どの新聞社にもユダヤ人がいた】。【政府の最高位の場所】でも、彼らの姿を見つけることができた。キリスト教国の【大法官庁裁判所】では、誰も疑問を挟めないような【支配力を手にしていた】。 』

いかがでしょうか?
「ユダヤ人」に関して書かれている本書は、よくある劣悪な「ユダヤ陰謀説」の類の本ではなく、歴史の中でユダヤ人の置かれていた状況や、その時々の時代背景、ユダヤ人とキリスト教徒との摩擦が生じる原因など、キチンと論理的に解説がなされている非常に秀逸な書物です♥
初版は、今から100年ほど前に、イギリスで出版されています。当時のヨーロッパの世相が、非常にリアルに描写されています。
本文中に書かれていましたが、大学、新聞社、官僚、裁判所・・・こういった所に、ユダヤ人は多く姿を見せます。これは、現代でも同じです♥ そして、困ったことに、「左巻き」のユダヤ人が存在していること、これが様々な諸悪の根源になっています♥
戦争が起きたのも、現在の中東で紛争が続いているのも、この「左翼ユダヤ人」のせいです♥

オバマやヒラリーに思想的影響を与えたのが、ソウル・アリンスキーというユダヤ人の極左活動家でした♥

ソウル・アリンスキー
こちらもご参照♥
↓
☆オバマと、アメリカ共産党と、ユダヤ人

余談ですが、トランプ新大統領にとって、最初の勝負どころが、欠員が出ている連邦最高裁判事を、好ましい人物にできるかどうかです♥
アメリカにおいて、もっとも権力を握っているのが連邦最高裁ですので、ここは重要なポイントになります。
日本のメディアは、こんなことも知らずに、論点のずれた報道ばかりしているから、海外メディアからも馬鹿にされ続けるんですよ(笑)
こちらをご参照♥
↓
☆三権分立ってなに? ~ アメリカ大統領は、世界最弱の権力者なんです
さて、ここからは前回の続きになります♥
「イエス・キリストはキリスト教の創始者ではない」
これを理解するためには、「ユダヤ教の分裂」の歴史を知っておく必要がります。そもそも、ユダヤ人であるイエスは、あくまでもユダヤ教徒でしかあり得ないんです♥
紀元前140年、シリアから独立したハスモン朝は、ユダ王国が滅ぼされ(紀元前586年)てから、400年以上を経て復活したユダヤ人国家でしたが、この王朝を開いたハスモン家は、イスラエル王であったダビデの血筋に属していないため、イスラエルの統治者としては相応しくないという考え方が生じてきます。
このハスモン家の正当性をめぐって、ユダヤ教の内部で、「サドカイ派」と「ファリサイ派」、この二派への「分離」が鮮明になってきます。
エルサレム神殿による祭司たちから構成されて権力側に密着したサドカイ派と、民衆の中にあって宗教者としての指導力を発揮しながらも政治的指導者とは距離をとったファリサイ派という構図です。ファリサイ派は、律法への忠実さを特色としています。
のちに、ファリサイ派から発生しながらも、ファリサイ派と一線を画しているエッセネ派が生まれ、このエッセネ派はキリスト教の発生に影響を与え、神殿崩壊後のユダヤ教を支える思想的な基礎となるものでもあったのですが、三つ巴の派閥抗争を制したのは、ファリサイ派でした。
もう一つ重要な点は、新約聖書には、ファリサイ派とサドカイ派は記述されているのですが、なぜか、当時の主要なグループであったエッセネ派が一切登場しない点です♥

グリゴリー ・ ガガーリン 『キリストの洗礼』
王位継承をめぐって内戦が起こり、ローマ帝国の介入を招き、事実上のローマ帝国の属領となったイスラエルで、新しく王朝を開いたのが、ヘロデ大王でした。

ヘロデ大王
イエスの父親である可能性があるのが、このヘロデ大王です♥

イスラエル北部のガリラヤ地方にあった小さな村「ナザレ」の出身であった「ナザレのイエス」は、「洗礼者ヨハネ」によって、西暦28年ころ、当時30代前半だったと思われますが、洗礼を授かります♥

ヴォイチェフ・ゲルソン 『イエスと洗礼者ヨハネ』
洗礼者ヨハネが人々に説いていたことを、もう一度確認しておきますと・・・
以下、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 西暦28年ころにはナザレのイエスにも洗礼を授けた。イエスはこののち、ヨハネによって創始された荒野での洗礼活動に入っている。なお、ヨハネが求めた「悔い改め」とは道徳的な改心ではなく、むしろ、従来の当時のユダヤにおける人間の生活上の価値基準を180度転換すること、文字通りの「回心」であった。ヨハネは、ファリサイ派など当時のユダヤの主流派が、過去において律法を守って倫理的な生活を送ってきたことを誇り、それを基準として律法を守らない人びと、あるいは、貧困などによって守りたくても守ることのできない人びとを差別し、穢(けが)らわしいものとして蔑む心のありようを「罪」と考えたのである。
なお、『ヨハネによる福音書』1:35では、他の福音書でもイエスの最初の弟子とされるシモン・ペトロとアンデレが、以前はヨハネの弟子であったとしている」
御覧のように、「ナザレのイエス」自身も、洗礼を授かった後、「洗礼者ヨハネ」とともに洗礼活動を行っています。実は、この二人の母親は姉妹であり、「ナザレのイエス」と「洗礼者ヨハネ」は従兄弟の関係になります♥

洗礼者ヨハネは、ファリサイ派など当時のユダヤの主流派に対して批判的だったわけですが、「ナザレのイエス」もこれを受け継ぎます。
そのことは、昨日のお話でも触れましたように、当時のガラリアの領主、ヘロデ大王の子の一人のヘロデ・アンティパスも、こう言っています。
以下、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 そのころ、領主ヘロデはイエスのうわさを聞いて、家来に言った、「あれはバプテスマ(洗礼者)のヨハネだ。死人の中からよみがえったのだ。それで、あのような力が彼のうちに働いているのだ」。というのは、ヘロデは先に、自分の兄弟ピリポの妻ヘロデヤのことでヨハネを捕らえて縛り、獄に入れていた。」

アルブレヒト・デューラー 『ヘロデ・アンティパスとイエス』1509年
西暦28年頃に洗礼を受けた「ナザレのイエス」は、各地で説教を続けていきます。

カール・ハインリッヒ・ブロッホ 『山上の垂訓 』
そして、従兄弟の洗礼者ヨハネが、捕えられて、首を撥ねられます。

カラヴァッジオ 『ヨハネの首を持つサロメ』
さて、「ナザレのイエス」の身は、安全といえるでしょうか?「洗礼者ヨハネ」とは異なり、捕えられない、処刑されない、といえるでしょうか?

「洗礼者ヨハネ」の意志を継いでいる「ナザレのイエス」も、当然、捕えられるべき危険人物であり、処刑されるべき危険人物です。
そのことは、「ナザレのイエス」自身が良く解っていたのではないでしょうか?
だから、最後の行動に出ます。
「 紀元30年、イエスはロバに乗り、両脇に「ああ救いたまえ!」と興奮して叫ぶ大勢の群衆を従えてエルサレムに入ってきた。…これは聖都の住民に、待望のメシア、本物の「ユダヤの王」がイスラエルをその軛(くびき)から解放するためにやってきたことを告げる紛れもないメッセージだった。
この行為は、ゼカリヤの預言を成就させるために、イエスとその信奉者によって演出されたものだった。ゼカリヤの預言とは、「エルサレムにユダヤの王が雌ロバの子に乗ってやってくる」というもの。まさに、預言通りに演じたイエス。」

「 エルサレムにやってきたイエスに対して、ある者が尋ねた。
「ローマ皇帝に税金を納めるのは(ユダヤ教の)律法に適っているでしょうか?」
イエスはローマの硬貨を指しながら、
「ディナリオン銀貨を見せなさい。…これは誰の肖像と銘か?」
と訊ねた。
ある者は「皇帝のものです」と答えた。するとイエスは、
「では、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」
と言った。
ここでイエスが言っているのは、ローマ人が奪った神の土地を神に返せ(すなわちユダヤ人に返せ!)、ローマ皇帝とその土地は何ら関係がない、と言っている。これは、革命家の最も素朴で、最も簡潔な形の論理である。」
「 洗礼者ヨハネの処刑から二、三年後、イエスという名のナザレ出身の土工が弟子たちの一団を連れてエルサレムへ意気揚々と乗り込み、神殿になだれ込んで、両替商のテーブルをひっくり返したり、生け贄用の檻を開け放して中の動物を逃がしたりした。
彼もまた、逮捕されて、ピラトに死刑を宣告された。」

ジェームズ・ティソ 『イエスの神殿への奉献』
「 エルサレムで反徒・革命的行為をやらかしたイエスは、捕らえられる可能性を自覚していた。だから、最後の晩餐のあとすぐに弟子たちに、こう指示した…
「剣のない者は、服を売ってそれを買いなさい」
捕らえに来るであろう兵士たちと戦う武器を用意しなさいと…」
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆イエス・キリストは実在したのか? ♥ レザー アスラン

レオナルド・ダ・ヴィンチ『最後の晩餐』1495-1498
その後の「ナザレのイエス」を見ておきましょう。
以下、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 ルカの福音書の記述によると、イエスは普段からゲツセマネの園で祈ることを好んでいたと思われる。 マタイとマルコの両福音書にのみゲツセマネの園の名前が登場する。イエスはペテロたち3人の弟子たちを伴いエルサレム神殿の東のケデロンの谷を渡り、オリーブ山のふもとに行った。
イエスは悲しみもだえて、ゲツセマネの園で十字架刑を受けることの苦悩を祈る。十字架での死を「杯」と呼んで、できれば回避したいと祈りながら、神の御旨を求めている。」

カール・ハインリッヒ・ブロッホ 『Gethsemane』
以下、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 自分が捕らえられて十字架にかけられることを知っていたイエスは、ゲツセマネの園で祈っていた。三度祈って確信を得たイエスは自ら捕らえられるために進んでいった。
その時、イエスを捕らえるために祭司長と長老たちと神殿の番兵(神殿警察)とさらに、ローマ兵も加わっていた。彼らは、イエスを逮捕するために裏切ったイスカリオテのユダの先導によって集団で訪れた。
暗い中でもイエスを捕縛できるように、口付けをするという合図が決められていた。
先にイエスが「だれを捜すのか」と尋ねたが、「ナザレ人イエスを」と彼らは答えた。それに対して、「それは、わたしです」と答えた。この言葉を聞いて彼らは後ずさりして、地に倒れた。ユダが集団の中から出て、イエスの元に行き、挨拶して合図の口付けをした。そのユダに「友よ何のために来たのか」と尋ねた(マタイによる福音書26章50節)。
イエスが語っている間に、弟子たちは逃げ出した。そして、イエスは自らを明け渡して、裁判を受けるために、連行されていった。」

ジョット・ディ・ボンドーネ 『ユダの接吻』
この「ユダの接吻」ですが、イタリアン・マフィアが裏切り者を処刑する際の風習になっていて、映画のシーンにも出てきます♥



さて、こうして磔刑に処せられることになる「ナザレのイエス」ですが、すでにお解りいただけるとおり、ファリサイ派など当時のユダヤの主流派に対して批判的な「ユダヤ教の改革派」でしかなかったんです♥
新約聖書には、ファリサイ派とサドカイ派は記述されていますが、なぜか、当時の主要なグループであったエッセネ派が一切登場しません。「ナザレのイエス」が説いている内容からすれば、ファリサイ派やサドカイ派ではないことが明らかです♥
新約聖書は、あとから創作されたものです♥ つまり、「ナザレのイエス」の周囲の誰かが、「イエス」を「キリスト」に仕立て上げていったんです♥
ですから、「イエス・キリストはキリスト教の創始者ではない」んです♥

もう一つ、磔刑のイエスの頭の上に掲げられた罪状を示す文字「INRI」。
ラテン語の「IESUS NAZARENUS REX IUDAEORUM」の頭字語で、意味は「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」です。

アンドレア・マンテーニャ 『磔刑図』1459年
それでは、どうして「ナザレのイエス」が「ユダヤ人の王」なのでしょうか?

もし、「ナザレのイエス」の父親が「ヘロデ大王」であれば、その王位継承者になり得ます。

ヘロデ大王
そして、新約聖書では全く触れられていない、「ナザレのイエス」の空白の20代の時代。
この時代に、イエスが結婚をして、子供もいて、その子孫がいるのならば・・・
ここが、とても興味深いところです♥

『洞窟のマグダラのマリア』 ジュール・ジョゼフ・ルフェーブル
続きは次回に♥
ランキング参加中で~す^^ ポチっとお願いします♥
↓↓↓↓↓↓↓

にほんブログ村

人気ブログランキングへ

- 関連記事
-
- 蛮族ゲルマン人の「フランク王国」 VS ローマ人の高度文明「ローマ帝国」 (2018/09/13)
- 古代ローマと北朝鮮の共通点は「レイプ」です (2018/09/12)
- 中国人の体、顔をした「ユダヤ人」 (2017/11/17)
- 靖国神社にお参りするユダヤ人 (2017/11/16)
- ベーグルは、ユダヤ人独特のパンです (2017/11/15)
- 赤いユダヤとスパルタクス団 (2017/01/18)
- 御破算で願いましては・・・ (2017/01/17)
- モルデカイとエステル (2017/01/16)
- 洗礼者ヨハネとサロメ (2017/01/15)
- 聖母マリアの処女受胎 (2017/01/14)
- 「幼児虐殺」のヘロデ大王、そしてヘロデの子「イエス」 (2017/01/13)
- 人口爆発とユダヤ人爆発 (2017/01/12)
- 100年前の「ハイ・ファイナンス」と現代グローバリズム (2017/01/11)
- ヒトラーが気付いたユダヤの秘密♥ (2014/11/29)
- 偉人? 宗教改革のルター♥ (2014/11/29)