2017-01-13 (Fri)

ピーテル・パウル・ルーベンス『幼児虐殺』
幼児虐殺(ようじぎゃくさつ)は新約聖書の『マタイによる福音書』2章16節~18節にあらわれるエピソードで、新しい王(イエス・キリストのこと)がベツレヘム(ベトレヘム)に生まれたと聞いて怯えたユダヤの支配者ヘロデ大王がベツレヘムで2歳以下の男児を全て殺害させたとされる出来事。
フラウィウス・ヨセフスなどの一般の歴史家の記述はおろか、他の福音書にすらこの幼児虐殺のエピソードは記されていない為、マタイ福音書の記述は事実ではなく、イエスの生涯を旧約聖書の預言の実現として描こうとするマタイの意図によって創作されたエピソードであるとする説もある。
たとえ事実であったとしても当時のベツレヘムは本当の寒村であったため、ごく小さな規模の事件であったと考えられる。ある学者は、当時のベツレヘムの人口はせいぜい300人程度、聖書学者レイモンド・ブラウンは1,000人程度であったと推定する。これらの説に従うなら、実際に殺された幼児の数はどんなに多く見積もっても20~30人程度であったのではないかと推測される。もともと、当時の専制君主はこれを超える規模の非道な虐殺行為をしばしば行っていたため、ヨセフスや他の歴史家からもわざわざ記録するほどの事件とは見なされなかったと解釈することもできる。
キリスト教伝承において、この幼子殉教者たちの数はしばしば誇大化して扱われた。正教会の伝承では14,000人とし、シリア教会での聖人伝には64,000人と記されていた。現代の研究者はこのような数字は過度の誇張であると考えている。
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 決まって同じような段階を踏む一連の周期というものがある。

【ユダヤ人がよそ者社会にやってくる】。
最初は少人数だ。
そこで【ユダヤ人は繁栄する】。
この段階で、その存在が周囲の憤慨を引き起こすことはない。どちらかと言えば、友人として扱われる。しかし、スタイルの顕著な違い(私が「摩擦」と呼んだもの)からなのか、あるいはユダヤ人の数が増加したからか、【ユダヤ人のいることで、周囲の悪意がだんだんと膨(ふく)らんでしまう】(あるいは膨らんでいるのがわかるようになる)。

【ユダヤ人はそれに憤慨する】。
そして受け入れ側に【反発する】。
受け入れ側は、自分たちこそ、この家の主人だと主張する。
【ユダヤ人はその主張に抵抗する】。
そして【暴力沙汰になる】。
【いつも同じ悲惨なサイクルの繰り返し】なのである。

最初は歓迎。次に不安が増大し、それを半ば意識しはじめ、不安が高まり絶頂に達する。最後は、悲劇的結末を迎え、大惨事が起こり、凌辱(りょうじょく)、迫害、大虐殺まで発生する。
その結果ユダヤ人は、迫害された場所から、ユダヤ人についてほとんど何も知られていない場所へ亡命する。そこはユダヤ人問題が皆無であるか、あっても忘れ去られている新天地だ。再び、最大限の歓迎を受ける。ここでもまた、一定期間にわたり友好的に交じり合った後、やがて周囲の不安が増大し、半ば意識されるようになる。次にそれが激しくなり、新たなる爆発へと至る。そしてまた致命的な過程が繰り返される。』

いかがでしょうか?
「ユダヤ人」に関して書かれている本書は、よくある劣悪な「ユダヤ陰謀説」の類の本ではなく、歴史の中でユダヤ人の置かれていた状況や、その時々の時代背景、ユダヤ人とキリスト教徒との摩擦が生じる原因など、キチンと論理的に解説がなされている非常に秀逸な書物です♥
よくある劣悪な「ユダヤ陰謀説」の類の本は、何でもかんでも「ユダヤ人」のせいにしていたり、あたかも「秘密組織」が古より存在しているかのように書かれていたり、はたまた「古代にユダヤ人が日本に渡って来て・・・」とかトンデモ妄想が書かれていたり・・・
まあ、「池上彰の本」のように、読むだけ時間の無駄な本が、たまに目に付きますが、「読まなくてもいい本」を先に知っておくことも大事ですので、こちら(↓)の書物などはおススメです♥
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆橘 玲 「読まなくてもいい本」の読書案内 知の最前線を5日間で探検する

さて、ここからは前々回の続きになります♥
「イエス・キリストはキリスト教の創始者ではない」
これを理解するためには、「ユダヤ教の分裂」の歴史を知っておく必要がります。そもそも、ユダヤ人であるイエスは、あくまでもユダヤ教徒でしかあり得ないんです♥
紀元前140年、ハスモン朝がシリアから独立します。

ハスモン朝
このハスモン朝は、ユダ王国が滅ぼされ(紀元前586年)てから、400年以上を経て復活したユダヤ人国家です♥

ここで、問題が生じます。
この王朝を開いたハスモン家は、イスラエル王であったダビデの血筋に属していないため、イスラエルの統治者としては相応しくないという考え方が生じてきたんです。
このハスモン家の正当性をめぐって、ユダヤ教の内部で、「サドカイ派」と「ファリサイ派」、この二派への「分離」が鮮明になってきます。
エルサレム神殿による祭司たちから構成されて権力側に密着したサドカイ派と、民衆の中にあって宗教者としての指導力を発揮しながらも政治的指導者とは距離をとったファリサイ派という構図です。ファリサイ派は、律法への忠実さを特色としています。
のちに、ファリサイ派から発生しながらも、ファリサイ派と一線を画しているエッセネ派が生まれ、このエッセネ派はキリスト教の発生に影響を与え、神殿崩壊後のユダヤ教を支える思想的な基礎となるものでもあったのですが、三つ巴の派閥抗争を制したのは、ファリサイ派でした。

もう一つ重要な点は、新約聖書には、ファリサイ派とサドカイ派は記述されているのですが、なぜか、当時の主要なグループであったエッセネ派が一切登場しない点です♥

グリゴリー ・ ガガーリン 『キリストの洗礼』
ハスモン朝の女王、サロメ・アレクサンドラの後継をめぐって、二人の息子、すなわち気弱で意思薄弱な兄・ヨハネ・ヒルカノス2世と、野心家で大胆な弟・アリストブロス2世が対立し、ローマ帝国の介入を招くことになりました。

サロメ・アレクサンドラ

ヨハネ・ヒルカノス2世

アリストブロス2世
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 (ヨハネ・ヒルカノス2世は)紀元前76年、母サロメにより大祭司に任命された。温和な性格だったが、政治家としての資質に欠けていた。反対に弟のアリストブロスは大胆で野心家であり、母が危篤となると挙兵して権力奪取を狙った。紀元前67年の母の死後(ヨハネ・ヒルカノス2世は)王位を継承するが直後に反乱を起こしたアリストブロスに敗北し、翌紀元前66年に退位することとなった。

グナエウス・ポンペイウス
しかし、ヒルカノス2世の友人でイドマヤ人アンティパトロスはアリストブロス2世から権力を奪回するよう勧め、ナバテア人アレタス3世の支援を得て反撃に出た。次いでアンティパトロスは、ローマの将軍グナエウス・ポンペイウスに調停を求め、アリストブロス2世がポンペイウスに反抗的だったこともあってポンペイウスの支持を取り付けることに成功した。紀元前63年、ポンペイウスはエルサレムを占領しアリストブロス2世を捕らえ、ヒルカノス2世は大祭司に復帰した(エルサレム攻囲戦)。ポンペイウスはハスモン朝の領土を分割し、ヒルカノス2世はローマとアンティパトロスの傀儡として支配することになった。」

ジャン・フーケ 『エルサレム攻囲戦』
このように、王位継承をめぐる兄弟喧嘩によって、ユダヤ人ではなく、隣国のイドマヤ人(エドム人)であるアンティパトロス、そして異国であるローマ帝国に実権を奪われ、ヒルカノス2世は単なる傀儡となり果ててしまいました♥ちなみに、イドマヤ人(エドム人)は改宗してユダヤ教徒になっています。

以下は、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 (エルサレム攻囲戦では)およそ12,000人のユダヤ人が殺害されたが、ローマ軍の死者はわずかであった。ポンペイウスおよびその部下たちは、大祭司のみが入る事を許されていたエルサレム神殿の至聖所に入った。ポンペイウスは少しの金も財宝も奪わず、翌日には神殿を清めさせて彼らの日々の儀式の再開を許可した。ポンペイウスはその後、凱旋パレードのためにアリストブロスを連れてローマへと帰還した。
このエルサレムの包囲と征服はハスモン朝にとって災難だった。ポンペイウスはヒルカノス2世を大祭司として復帰させたが王位は剥奪された。ユダヤは自治権は有していたものの、シリアのローマ総督への朝貢と従属が義務付けられ、実質的なローマの属国となった。また、ハスモン朝が領有していた地中海沿岸の平野部はシリア属州に組み込まれたため、ユダヤは地中海へのアクセスを失った。さらに、ユダヤとガリラヤの間に位置するサマリアの領有をも失ったため、ユダヤの領域は南北に二分されることになった。
戦後、ヒルカノス2世の大祭司としての権勢は名目だけのものとなり、実際にはイドマヤ人のアンティパトロスが裏から権力を振るった。ヒルカノス2世は紀元前57年に起こった一揆によって政治的地位を失うことになるが、その後もアンティパトロスは権力を保持し続けた。紀元前49年に起こったローマ内戦でユダヤはポンペイウスと敵対するガイウス・ユリウス・カエサルの側につき、それに感謝する形でカエサルは紀元前47年にアンティパトロスにローマ市民権と免税特権を与えた。

ピエトロ・ダ・コルトーナ 『クレオパトラをエジプト女王へ据えるカエサル』1637年
紀元前43年にアンティパトロスは暗殺されるが、彼の2人の息子であるファサエロスとヘロデはそれぞれエルサレムとガリラヤの知事となり、ヘロデは後にヘロデ朝ユダヤの王となった。」

ヘロデ大王時代のヘロデ朝の支配地
ハスモン朝からヘロデ朝へと王朝が遷る過程も見てみましょう♥
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 アンティパトロスはポンペイウス、次いでガイウス・ユリウス・カエサルに取り入って行政・軍事面で手腕を発揮し地位を固め、長男ファサエロスはエルサレムとその周辺地区の知事、次男ヘロデはガリラヤの行政をゆだねられた。ヘロデは有能であったが、独断専行も目立ったため訴えられた。ヒルカノス2世はシリア総督セクストゥス・カエサルの圧力もあってヘロデを放免したが、この時ヘロデは武装して赴くなど尊大な態度に終始した。紀元前43年、アンティパトロスは政敵に毒殺されるが、ファサエロス・ヘロデ兄弟の権力はますます高まり、ヘロデはヒルカノス2世の姪孫マリアムネ1世(アリストブロス2世の息子アレクサンドロスの娘)と結婚し、地位を固めた。

マリアムネ1世
紀元前40年、アリストブロス2世の子アンティゴノスがパルティアの将軍パコロス、太守バルザフラネスらの支持を得て侵攻してくると、ファサエロスらはこれを迎え撃った。しかし、ファサエロスとヒルカノス2世はパコロスに騙され、バルザフラネスのもとへ赴いたが捕虜とされた。アンティゴノスはヒルカノス2世の両耳を切り落とし、大祭司に復帰できないようにした(大祭司は五体満足でなければ就任できない)。ヒルカノス2世は捕虜としてパルティアへ送られ、アンティゴノスが即位した。

アンティゴノス
「 アンティゴノスに対して、ローマでユダヤ王に任命されたヘロデが反撃し、紀元前37年にアンティゴノスを倒して王となり、ハスモン朝は終焉を迎え新たにヘロデ朝が成立した。ヒルカノス2世は紀元前36年にパルティアから帰国したが、紀元前30年にナバテア人と組んでヘロデに対する陰謀を企んでいるとして処刑された。このことはヘロデとマリアムネの信頼関係を崩壊させ、翌年のマリアムネ処刑につながった。」

ヘロデ大王
で、冒頭にご紹介しております、あの有名な「捏造話」について・・・
「 ローマ人によるエルサレム占領後の農村部の秩序回復の役割を果たすことになったのが、イドマヤ出身のヘロデという名の狡猾な若いユダヤ人貴族だった。ヘロデの父アンティパトロスは、ポンペイウスとカエサルの内輪もめで勝ち目のある方について幸運をつかんだ。カエサルはアンティパトロスの忠誠心の見返りに、紀元前48年、彼にローマの市民権を与え、ローマ政府に代わってユダヤ全土の行政管理権を与えた。
アンティパトロスは、その数年後に死去するまでに、自分の息子のファサエロスとヘロデを、それぞれエルサレムとガリラヤの知事に任命することによってユダヤ人の間に自分の地位を揺るぎないものにした。ヘロデはおそらく当時はまだ15歳そこそこだったはずだが、直ちに有能なリーダーとして頭角を現し、精力的なローマの支持者として、民衆を煽動する反徒集団に容赦のない撲滅作戦を開始した。…ヘロデは、一時的にではあるが、暴徒による脅威にとどめを刺した。」
「 新約聖書『マタイによる福音書』には、ヘロデ王が新たな王(つまりイエス・キリスト)の誕生を恐れて二歳以下の幼児を虐殺させたという記述がある。 そして、その難から逃れ、イエスの一家がエジプトへ脱出したと…
ところが、ローマ帝国全土に最も名の知れ渡ったユダヤ人(しかもユダヤ人の王)であるヘロデ大王について書かれた数々の年代記や物語があるにもかかわらず、ユダヤ教徒、キリスト教徒、ローマ人のいずれの年代記や歴史にも、この出来事を裏付ける証拠は一片もない。」

フランソワ・ジョゼフ・ナヴェズ 『幼児虐殺』
で、そのヘロデ大王の子についてですが・・・
「 ローマ帝国のもとユダヤ人の王となった悪名高きヘロデ大王が死んだ紀元前4年から、ローマがユダヤの支配権を取得(直轄領とした)紀元6年の間のある時に、ガリラヤの丘陵地帯の名もない村で、のちにヘロデの権威を継ぐユダヤの王を名乗ることになる子供が産まれた…
ローマによって十字架刑に処され、その苦しみもだえるイエスの頭の上に掲げられていた札には、ユダヤ人の王と書かれていた…
これらが同一人物を示すのであれば、イエスはヘロデ大王の子であることとなる…」

アンドレア・マンテーニャ 『磔刑図』1459年
詳しくはこちらをご参照♥
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続きは次回に♥
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