2017-01-05 (Thu)

ディアスポラ(διασπορά、英:Diaspora, diaspora、ヘブライ語: גלות)とは、(植物の種などの)「撒き散らされたもの」という意味のギリシャ語に由来する言葉で、元の国家や民族の居住地を離れて暮らす国民や民族の集団ないしコミュニティ、またはそのように離散すること自体を指す。難民とディアスポラの違いは、前者が元の居住地に帰還する可能性を含んでいるのに対し、後者は離散先での永住と定着を示唆している点にある。歴史的な由来から、英単語としては、民族等を指定せず大文字から単に Diaspora と書く場合は特にイスラエル・パレスチナの外で離散して暮らすユダヤ人集団のことを指し、小文字から diaspora と書く場合は他の国民や民族を含めた一般の離散定住集団を意味する。
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 西ヨーロッパ人がはっきりと歴史上に再登場するのは、【11世紀の十字軍】である。それも、【一方的に侵略された東方世界の記録によって】である。
こちらもご参照♥
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☆【驚愕】イスラム教徒の方たちは、「任侠」が理解できるんです♥
第1回対エルサレム十字軍が行われた1096年、ヨーロッパから見て「東方」を支配していたのは、【セルジューク・トルコ朝】である。

セルジューク帝国の最大版図(1092年)
ローマ教皇が「聖地エルサレムの奪還」を掲げて十字軍を宣言すると、現在の英独仏にあたる国々の国王や騎士たちは馳せ参じた。
こちらもご参照♥
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☆史上初のホロコースト♥
欧米世界において十字軍は、いまでも【正義の戦いとしての「正戦」】、あるいは【キリスト教的に正しい戦いとしての「聖戦」】の意味を持っている。しかし、【被害者のイスラム教からすれば、単なる一方的な侵略】にすぎない。

こちらもご参照♥
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☆古代ペルシアからハリウッドに伝えられたもの
また、【十字軍は多くの大規模な虐殺を行っている】が、常に【「景気づけ」で殺されるのがユダヤ人】であった。

エルサレム奪還の十字軍が行われたのは8度と言われるが、【最終的にこの目論見は失敗】した。西欧諸国が束になってかかっても、【東方の帝国にはかなわなかった】のだ。最後は後背地のエジプトを衝こうと攻め込むが、これも失敗して終了する。

こちらもご参照♥
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☆【真実】世界中で戦争の火種をまき散らかしてきたキリスト教♥
結局、ヨーロッパが束になってかかってもかなわない。トルコに脅威を感じた西洋諸国は、トルコの背後に【モンゴル帝国が出現】した際、【彼らを十字軍として認定しようという、何のための十字軍か、目的を見失う】ようなところもあった。』

いかがでしょうか?
欧米キリスト教世界が「正義の戦い」と言い張り続ける十字軍ですが、この一連の侵略行為と「反ユダヤ主義」との結びつきも、重要なポイントになります。
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
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「 十字軍運動の盛り上がりは、反ユダヤ主義の高まりという側面をもたらすことにもなった。ヨーロッパでは古代以来、反ユダヤ人感情が存在していたが、十字軍運動が起こった時期には頻繁にユダヤ人共同体に対する組織的な暴力行為が行われた。十字軍の熱狂が始まったばかりの1096年の夏、ゴットシャルク、フォルクマーなどといった説教師に率いられた1万人のドイツ人たちは、ライン川周辺のヴォルムスやマインツでユダヤ人の殺害を行った。
この1096年の事件を逃れたドイツのユダヤ人は、宗教に寛容なポーランド王国へ逃げ込んだ。当時のポーランドの君主ヴワディスワフ1世ヘルマンとその子ボレスワフ3世クシヴォウスティは彼らを暖かく迎え入れた。ポーランドにもそれ以前から多くのユダヤ人が各地に住んでいたが、キリスト教徒との間で特筆すべきほど大きな軋轢はなかった。」

亡命ユダヤ人たちを暖かく迎え入れるポーランドの君主ヴワディスワフ1世公と息子ボレスワフ そして、これを喜び公と神に感謝するユダヤ人たち(1096年)

1097年の中央ヨーロッパ、黄色がポーランド王国
「 十字軍運動に参加した人々は、ユダヤ人とイスラム教徒はみなキリストの敵であるといい、敵はキリスト教に改宗させるか、剣を取って戦うかしなければならないと訴えた。聴衆にとって「戦う」というのは、相手を死に至らしめることと同義であった。カトリック教徒対異教徒という構図が出来上がると、一部の人々の目に身近な異教徒であるユダヤ人の存在が映った。なぜ異教徒を倒すためにわざわざ遠方に赴かなければならないのか、ここに異教徒がいるではないか、しかもキリストを十字架につけたユダヤ人たちが、というのが彼らの考えであった。
ユダヤ人を求めてドイツ人たちはライン川をさかのぼり、大きなユダヤ人共同体のあったケルンを目指した。そこでユダヤ人たちにキリスト教に改宗するか、ユダヤ教徒のまま死ぬかの二者択一を迫った。逃げ遅れたユダヤ人の多くは死んだ。群集がユダヤ人共同体に近づくと、恐怖のあまり自ら死を選ぶものもあった。彼らはユダヤ人をキリスト教徒に改宗させる目的の他に、ユダヤ人の持っている金銭を狙っていた。したがって多額の金銭をキリスト教徒に支払うことで身の安全を確保できたユダヤ人もいた。
1096年にポーランドが亡命ユダヤ人を迎え入れたことは西ヨーロッパの各地のユダヤ人共同体に伝わり、西欧から数多くのユダヤ人がポーランドへと移住した。宗教的寛容を是としたポーランドとその為政者たちは十字軍運動の熱狂には無関心であった。
ポーランドは1264年にカリシュ市で「カリシュの法令」と呼ばれる法律を発布、ユダヤ人の権利と安全を制度的に保障した。これらの歴史的経緯によりポーランドは中世から第二次世界大戦の時代まで、ヨーロッパで最大のユダヤ人人口を抱える国(地域)であった。」

ポーランド カリシュ
ポーランド最古の都市カリシュについても見てみましょう。
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
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「 ユダヤ人も、1139年頃からカリシュへ定住した。1264年には、ユダヤ人の自由と安全を保障する「カリシュの法令」が発布された。当初はカリシュを含めた大ポーランド公国の法律であったが、まもなくこれはポーランド王国全体の法律に昇格した。これによりポーランド王国の社会はユダヤ人にとって住みよいものとなり、ドイツなどといった当時のヨーロッパ各社会でペスト禍をめぐる集団ヒステリーによりひどく迫害されていたユダヤ人たちは安住の地を求めて大挙してポーランドへ移住してきた。また、他国とは生活習慣が異なり都市でも密集居住や不衛生な環境を嫌うポーランドでは、大規模なペスト流行が起きなかったため、ペストをめぐる奇妙な反ユダヤ主義的迷信も広がらなかった。これによってポーランドはヨーロッパで最大のユダヤ教徒人口を抱える国となっていく。」

中世ヨーロッパにおけるペストの伝播 生活習慣や都市構造に関する嗜好が独特なポーランドはペスト禍を免れ、国全体がまるでオアシスのようになっている
ユダヤ人が各地で追放され、散らばっていく様子を示したのが、下記の図になります。

1100年から1600年にかけてのヨーロッパにおけるユダヤ人の追放による民族移動を示す地図
イベリア半島に由来するユダヤ人を「セファルディム」(黄色の円)、ドイツ語圏に由来するユダヤ人を「アシュケナジム」(紫色の円)と区別してとらえられていますが、「セファルディム」の行き着いた先は、北アフリカやトルコを中心とする地域(黄色の星)で、もう一方の「アシュケナジム」の行き着いた先が、先程のポーランド(紫色の星)であり、さらに時代を経て、カリシュに続く2番目のユダヤ都市となる「アムステルダム(オランダ)」(紫色の星)でした♥

こちらもご参照♥
↓
☆ふたつのユダヤ人
そのアムステルダムを起点として、やがて、ハンブルク、デンマーク、イギリスにもユダヤ人は拡散していくわけですが、そこには「宗教改革」という大きな要素が不可欠なものでした♥


さて、さらに時代を経て、ユダヤ人が大量に移民する都市、つまり3番目のユダヤ都市があるのですが、それは、どこでしょうか?

およそ100年前には、急激なユダヤ人の流入によって、その都市の人口の3分の1がユダヤ人だったとも言われています♥
ヒントは、フランス革命にあります♥
フランス革命は、「市民」という言葉が、革命の主体として用いられます。あくまでも「国民」とは別の「何か」です♥

この「市民」というのは、元々の言葉としては「ブルジョワジー」になります。
「ブルジョワジー」には、ユダヤ人富裕層が当然含まれています♥
フランス革命の重要な側面の一つは、キリスト教ヨーロッパ諸国のど真ん中において、史上初めて、「ユダヤ人の権利」を、暴力革命で、夥しい数の無垢の人々の生命を巻き込みながら、手に入れた「流血革命」だったということです♥
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 1790年8月3日、政府はユダヤ人の権利を全面的に認めた。1792年5月から1794年10月まで、キリスト教は徹底的に弾圧された。当時カトリック教会の聖職者は特権階級に属していた。革命勃発以来、聖職者追放と教会への略奪・破壊がなされ、1793年11月には全国レベルでミサの禁止と教会の閉鎖が実施され、祭具類がことごとく没収されて造幣局に集められ、溶かされた。」
この「フランス革命」は、リベラリズムの原点であり、ユダヤ人の権利獲得と重なっているんです。

で、そのユダヤ人の特徴ですが、たまたまそのとき住み着いている国、都市、或いは地域があったとしても、決して、その国家の「国民」とは考えもしていないんです♥ 当たり前の話ですが、ユダヤ人自身は、すでに滅亡し、この世から消滅している「イスラエル国民」だとしか考えていないんです♥
だからこそ、国王の傍若無人に対する「国民」による「革命」ではなくって、所属不明、得体のしれない「市民」による「革命」とされているんです♥

たまたま、とある国に寄留しているユダヤ人の「母国」の捉え方は、まさに、これ(↓)と同じです♥

だから、「国民」ではなく“意味不明”な「市民」という言葉を乱用するんです♥

こちらもご参照♥
↓
☆国民である前に、「市民」なんでしょうか? ~ 「市民」⇒敗戦後・占領後に造られた「コトバ」

ですから、こんな馬鹿げた、決して日本人ではないヒトを、党のトップに掲げている「民進党」は、どんどん自滅していく運命にあります♥




さて、本題に戻りますが、ユダヤ人が大量に移民する都市、つまり3番目のユダヤ都市、それは、どこでしょうか?

フランス革命で獲得された「市民の自由」「ユダヤ人の自由」を象徴するのが、「自由の女神」です♥

パリの自由の女神像
それと同じものが、革命後のフランスから送られた「都市」は、どこでしょうか?
もちろん、「ニューヨーク」ですね♥

次期アメリカ大統領のトランプが本拠地とする「ニューヨーク」です♥

こちらもご参照♥
↓
☆安倍総理がトランプと会談したことの価値 ~ 安倍総理、GJ♥

こちらもご参照♥
↓
☆「ヨーロッパの祖母」と「獅子心王」
続きは次回に♥
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No title * by 4711
貧困にあえいでいたパリ住民が、何日も家を空け(労働をせず)、旅費や食費のかかるフランス革命を成し遂げたのは、ユダヤ人が資金を出していたのでしょうか?
Re: No title * by みっちゃん
4711さん、こんばんは^^
貧困にあえいでいたパリ住民 ⇒ 当時ヨーロッパに存在していた「農奴」は、土地も持てず、搾取されるだけの「奴隷」でしたが、「フランス革命」は、この最下層の人たちの革命ではありません♥ 現在でもフランスは、首都パリの裕福な住民と、その他の「貧乏な田舎者」とに、ハッキリと区別される社会を形成していますが、「フランス革命」は新興富裕層らが主導する革命であって、「農奴でも貧困層でもない、でも貴族ではない裕福な人々」、つまりブルジョワジーが主導した革命だからこそ、「市民革命」と呼ばれるんです。「市民」って何のこと?って思われませんでしょうか♥
ユダヤ人が資金を出していた ⇒ というよりも、裕福なユダヤ人らが、そのブルジョワジーに含まれていた、革命の主体であった「市民(→これがブルジョワジー)」に含まれていた、ということですね♥
「フランス革命」によって、何が行われようとしたのか、そこから答えが導き出せます。
> が、何日も家を空け(労働をせず)、旅費や食費のかかるフランス革命を成し遂げたのは、ユダヤ人が資金を出していたのでしょうか?
貧困にあえいでいたパリ住民 ⇒ 当時ヨーロッパに存在していた「農奴」は、土地も持てず、搾取されるだけの「奴隷」でしたが、「フランス革命」は、この最下層の人たちの革命ではありません♥ 現在でもフランスは、首都パリの裕福な住民と、その他の「貧乏な田舎者」とに、ハッキリと区別される社会を形成していますが、「フランス革命」は新興富裕層らが主導する革命であって、「農奴でも貧困層でもない、でも貴族ではない裕福な人々」、つまりブルジョワジーが主導した革命だからこそ、「市民革命」と呼ばれるんです。「市民」って何のこと?って思われませんでしょうか♥
ユダヤ人が資金を出していた ⇒ というよりも、裕福なユダヤ人らが、そのブルジョワジーに含まれていた、革命の主体であった「市民(→これがブルジョワジー)」に含まれていた、ということですね♥
「フランス革命」によって、何が行われようとしたのか、そこから答えが導き出せます。
> が、何日も家を空け(労働をせず)、旅費や食費のかかるフランス革命を成し遂げたのは、ユダヤ人が資金を出していたのでしょうか?