2016-12-28 (Wed)

ロビン・フッドとマリアン
ロビン・フッド (Robin Hood) は、中世イングランドの伝説上の人物である。まれに「ロビン・フード」と表記されることがある。
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 青山繁晴(博物館前の広場で)
ここハワイはかつて、あのカメハメハ大王から続く【ハワイ王国(当時)のカラカウア王が日本に連邦になろうと申し出ています】。残念ながら日本は断っています。もし、太平洋の真ん中のハワイが日本に拠点を与えていたなら、そもそも第二次世界大戦が太平洋については無かっただろうと思わせる。ハワイとはほんとうはそういう場所です。
こちらもご参照♥
↓
☆侵略されたハワイ女王が作った名曲 ~ アロハ・オエ
ぼくたち、独研(独立総合研究所)からの四人は先に二日間、みなさんのために下見をしてきました。
ぼく自身はこの陸軍博物館も含めて数えきれないほど何回もこのハワイの施設を見ていますが、みなさんに分かりにくいことがあるといけないので、四人で徹底的に下見をしてきました。
実はこの二日間はとても寒く、アロハではいられませんでしたが、今日は見事な日本晴れ、ハワイの日本晴れです。やっぱり日本はハワイと連邦になった方がよかった(笑)。朝10時からこの天気ですから、たぶん日中は暑くなると思います。
今回のIDCの催しは初めて生まれた海外で行うわけですけれど、ぼくと行く【新視点のハワイ真珠湾研修】ということで、【いままで日本にはまったくなかった視点で事実を見ていきます】。いまは、あえてまだ何も申しません。みなさんが実際に見てからです。
下見をしていた二日間は【現地に駐在している自衛隊の連絡将校がずっと同行】してくれました。ところが、実は陸海空の連絡将校の誰もが、ぼくの指差し、説明することに【全く気付いていませんでした】。ハワイで暮らしている、【国際社会では軍の高級将校】である彼らも、【これからみなさんが目の当たりにすることに初めて気づいてショックを受けていた】のです。
とはいえ別に難しい話ではありません。
このワイキキの浜から歩いて二分の、ここアメリカ陸軍博物館で見ていただくのは、真珠湾へ行く前の準備といえるものですが、【ここの展示だけで充分にショッキング】です。

たとえば中国が大虐殺があったと主張している【「南京」の戦いについて、まったく異なる視点の展示・記述もあります】。
そして、なによりも【当時の日本海軍の先進性について日本ではまるで語られていないこと】が、このアメリカ陸軍博物館、敵だった相手の公式な博物館で見ることができます。

みなさんにはまずここで【頭の切り替え】をしていただき、このあと戦車に乗って(笑いが起きる)――ここで笑ってくれた人は偉いです――バスの格好をした戦車に乗って、真珠湾に行きます。』

いかがでしょうか?
今回ご紹介させて頂きますこの書物、非常におススメです♥
著者が実際にガイドとして、今回安倍総理が慰霊に訪れるハワイ・真珠湾にあるアメリカ軍の博物館を、豊富な写真とともに案内をされる書物です♥

☆『THE TRUE SIZE OF ...』
読むまでは、本当に知らなかったのですが、アメリカ軍は、初戦で負けた自軍に批判的で、日本軍を絶賛しているんです♥

この書物を読み終えますと、ハワイ・真珠湾の博物館に足を運んでみたくなるほど、まさに「逆転」、「目からウロコ」の解説がなされています。

アメリカ海兵隊が建てた日本兵記念碑
(碑面には「日本機突入地点」として飯田大尉の所属が記されている)
☆安倍総理の真珠湾訪問では、ハワイにある特攻隊記念碑にもお参りをしてほしい【評論家・江崎道朗】
それでは、ここからは、昨日の続きになります。
連日にわたって、書かせて頂いておりますが、私たち日本の戦国時代の頃、ヨーロッパでは「宗教改革」を切っ掛けとしたキリスト教の分裂が始まっていました。

この時代は、西洋史でいうところの「近世」になります。
で、当時の状況を簡単に表しますと、こんな関係で御理解いただければ良いかと思います。

1547年時点でのハプスブルク家の領土
ここで、イングランド王国とフランス王国の関係を見ていく必要があるのですが、ポイントになる地域が「ノルマンディー」です。

ノルマンディー
詳しくはすでに書かせて頂いておりますので省略いたしますが、北方ゲルマン系のヴァイキングであるノルマン人が、侵入して支配したのが、このノルマンディーでした。

12世紀にノルマン人が征服した地を赤で示す
この地を治めたノルマンディー公は、フランス王の臣下でもあったのですが、後のウィリアム1世の時代にイングランドに攻め込み、征服し、ノルマン人の王朝であるノルマン朝を開き、現在に至るまで、その血筋が続くことになります。

ウィリアム1世

ノルマンディー公国の紋章
ノルマンディー公ギヨーム2世がイングランド王ウィリアム1世として開いたノルマン朝は、その紋章からも分かるとおり、ヴァイキングのノルマン人の王国です。

ノルマン朝の紋章
この時代、国王、貴族、教皇という、いわゆる支配階層が、政略結婚で複雑な婚姻関係を築き、権力の増大、領地の拡大、権威の強化を図っていた時代でした。
フランス国王の臣下であるノルマンディー公が、イングランド王を兼務するノルマン朝の後に続く王朝が、同じくフランス国王の臣下であるアンジュー伯及びノルマンディー公、そしてイングランド王を兼務するヘンリー2世(在位:1154年 - 1189年)のプランタジネット朝でした。

ヘンリー2世

プランタジネット朝の紋章
この流れは、現在のイギリスの国章からも分かる通り、いまも受け継がれています♥

現在のイギリスの国章
フランス王国の臣下でありながら、イングランド王も兼務する巨大なアンジュー帝国の誕生でした♥

1172年頃のアンジュー帝国の版図
ヘンリー2世の後継者となったのが、その生涯の大半を戦闘の中で過ごし、かつ、その勇猛さから『獅子心王』と称され、中世ヨーロッパにおいて騎士の模範と讃えられた、リチャード1世です。

リチャード1世
リチャード1世は、十字軍に参戦した最初のイングランド国王で、第3回十字軍(1189年 - 1192年)に参加しています。
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 即位するや、王庫の金やサラディン税、軍役代納金だけでは足りないため、城、所領、官職等を売却して十字軍遠征のための資金を集めた。父が得たスコットランドの臣従をスコットランド王ウィリアム1世に1万マルクで売り渡し、「もし適当な買い手があればロンドンでも売る」と言ったとされる。資金が集まると、イングランドにはほとんど滞在せず、1190年の夏に遠征に出発した。フランス王フィリップ2世や神聖ローマ皇帝(ドイツ王)フリードリヒ1世(バルバロッサ)もリチャードとともに十字軍を指揮した。」
中世の「金貸し」の重要性がご理解いただけるのではないでしょうか?戦争には「おカネ」が大量に必要なんです♥

「 第3回十字軍は、神聖ローマ帝国のフリードリヒ1世(赤髭王)、イングランド王国のリチャード1世、フランス王国のフィリップ2世という王侯同士がそろって参加した十字軍であったが、たがいに反目しあい、うまく連携することができなかった。現実主義者であるフィリップ2世は十字軍に情熱を持たず、リチャード1世とも対立し、アッコンを陥落させると間もなく病気を理由にフランスに帰国している。この際、途中で教皇の元を訪れ、十字軍から脱退して帰国した理由を釈明した。」

カペー朝の紋章
「 フランスに帰国したフィリップ2世は、神聖ローマ皇帝ハインリヒ6世やジョンと結託し、ジョンの王位簒奪を支援していた。リチャードはその陰謀を母から知らされており、帰路を急いだが、途中で船が遭難したため、変装して陸路をたどった。しかし、オーストリアを通過中に見破られ、アッコンでの屈辱を忘れていなかったレオポルト5世(フィリップ2世同様すでに帰国していた)に捕らえられ、デュルンシュタイン城に幽閉された。この時ジョンはリチャードが死んだとして王位に即こうとしたが、諸侯の支持を得られず断念した。
1193年にレオポルト5世からハインリヒ6世に引き渡されたが、イングランド側が15万マルクもの多額の身代金を支払うことで決着した。ジョンやフィリップ2世は、リチャードの解放を遅らせようとハインリヒ6世と交渉したが、身代金が支払われると、リチャードは1194年2月に解放された。この時、フィリップ2世は手紙でジョンに「気をつけろ、悪魔は解き放たれた」と知らせたといわれる。」
ここで、オーストリア公レオポルト5世が登場していますので、少し見てみましょう。

有徳公レオポルト5世
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 レオポルト5世(Leopold V, ? - 1194年)は、バーベンベルク家の第2代オーストリア公(在位:1177年 - 1194年)。有徳公(der Tugendhafte)と呼ばれた。ハインリヒ2世と妃テオドラ・コムネナの子。」
このバーベンベルク家は、976年から1248年の間、オーストリア公国を支配した一族で、のちに断絶し、ハプスブルク家に取って代わられますが、このバーベンベルク家は、フランス王家であるカペー家の祖でもあるローベル(ロベール家)を遠祖としています。

「 第3回十字軍に参加し、そのときに自身の功績を示すために自分の軍旗を掲げたが、その軍旗をイングランド王リチャード1世に引き摺り下ろされたため、リチャード1世に対して恨みを抱くようになった。
この十字軍参加の折、敵の返り血を浴びて全身赤く染まったが、ベルトの部分だけは白く残ったという伝説が、上から赤・白・赤のオーストリアの国旗のデザインになった。」

オーストリアの国旗
イングランドに戻ったリチャード1世は、弟のジョンを屈服させ、王位を回復します。
1199年、フランス王国との戦闘において、負傷したリチャード1世は、そのまま亡くなってしまいます。
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 自分を撃ったシャールース城の若い射手(名前はピエール・バジルあるいはベルトラン、John Sabrozとも)に理由を尋ねると、「陛下は私の父親と2人の兄弟を殺しました。どうぞ私も処刑なさってください、敵を討ったことを後悔はしていません」と答えた。話を聞き終わったリチャードは「おまえの命は助けてやる」と言い、正当な戦闘行為によるものだから、たとえ自分が死ぬことになっても、この男のことは許すようにと周りに命じ、報奨金まで与えて放免した。しかし、リチャードがジョンを後継者として亡くなると、この射手は捕らえられ皮剥ぎの刑に処された。」

「最後の審判」に描かれたバルトロマイ。剥がされた自身の皮を持っている。皮に描かれた顔は、ミケランジェロの自画像である
余談になりますが、中世のヨーロッパでは、死亡した王侯や高貴な人々の遺体から内臓を取り出すのが習慣になっていて、イングランド国王ヘンリー1世の遺体がお肉屋さんで処理された状況の記録なんかも残っています。詳しくはこちら(↓)の書物に載っていますので、ご参考にしてください。

さて、リチャード1世は、ヘンリー2世が採用したライオンの紋章を、1頭だったものから3頭に増やしていて、現在のイギリスの国章は、リチャード1世の定めたイングランドの紋章に、スコットランドやアイルランドの紋章が加わったものとなっています。また、サッカーイングランド代表チームが、「スリーライオンズの愛称」で呼ばれているのも、ここから由来しています。

現在のイギリスの国章

リチャード1世
で、このリチャード1世の後を継いだジョンですが、「欠地王」とか「失地王」と呼ばれる散々な王様でした♥

ジョン
ちなみに冒頭にご紹介しているロビン・フッドの物語の中にも取り入れられたのが、このジョンとリチャード1世のお話であり、16世紀以降、ロビン・フッドがリチャード1世時代の人物となり、リチャード1世が十字軍遠征に赴いている間にジョン王の暴政に反抗した人物として描かれるようになったんです。
どれほど嫌われ者なんでしょうか(笑)
続きは次回に♥
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