2016-12-27 (Tue)

イーヴリン・ド・モーガン 『アリエノール・ダキテーヌとフェア・ロザムンド』 1905年
イーヴリン・ド・モーガン(Evelyn De Morgan, 1855年8月30日 – 1919年5月2日)は、イギリスのラファエル前派の画家。
旧姓はイーヴリン・ピカリング(Evelyn Pickering)。両親ともに上位中流階級の出で、父パーシヴァル・ピカリングQC(勅選弁護士)はポンテフラクト(en:Pontefract)の刑事法院臨時裁判官。母アンナ・マリア・ウィルヘルミナ・スペンサー・スタンホープは美術家ジョン・ロダム・スペンサー・スタンホープ(en:John Roddam Spencer Stanhope)の姉妹で、ノーフォークのレスター伯トーマス・コークの子孫にあたる。
15歳の時、ホームスクーリングでスケッチのレッスンを受けはじめた。17歳の誕生日の朝、イーヴリンは日記にこう記している。「芸術は永遠、でも人生は短い……」。「今それを埋め合わせしよう。私には無駄な時間はない」。イーヴリンは美術学校に行かせてもらえるよう、両親を説得しだした。両親は最初それを拒んだが、1873年、ようやく許しを得て、イーヴリンはスレイド美術学校に入学することができた。

イーヴリン・ド・モーガン

イーヴリン・ド・モーガン 『ナクソス島のアリアドネ』1877年

イーヴリン・ド・モーガン『カドモスとハルモニアー』1877年
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 より自由に地球を歩けるようになってから、ぼくらの祖国と世界をめぐって【日本の学校で教えられ、みずからも勤めたマスメディアで繰り返し刷り込まれ、ぼくの頭にも染み込んだことどもがことごとく逆転していく】のを経験しました。

先ほど申した幼い頃に考えた将来の仕事のうち、憧れるとか、なりたいと思うとかそれ以前にもう、やるに決まっていた仕事が物書きです。…いわば、ぼくの社会人生活は、まず物書きがあり、それに加えて幾つかの仕事をすると決まっていたようなものです。
今、その物書きとして、【世界の「逆転」をどうやって伝えるのか】。…
【逆転ガイドとは、そういう本です】。ぼくが歩いてきた世界と日本の最前線の現場を、みんなと一緒に辿るために、ささやかなりにガイドをさせてください。
第二次世界大戦から長い月日が過ぎ、最大の戦勝国アメリカが退いていき、実は大戦から四年経って初めて生まれた中華人民共和国が「戦勝国の権利」を声高に主張してアジアの諸国と海を圧迫し、自分たちを統合してアメリカから自立しようとしたヨーロッパがギリシャ危機を契機に混乱し、かつてヨーロッパ人に侵されたラテン・アメリカとアフリカは、腰を上げて立とうとしているところへ中国が触手を伸ばしています。
変わる世界のために一新する【日本の歴史を、わたしたちはこれからこそ創る】。
終戦から何年経ったという話ではもはやなく、【敗戦そのものの超克】です。

そのための真っさらな船をみんなと一緒に漕ぎ出していきたい。時には舳先に静かに立ちます。【みんなが自分の頭で考える】、その助けになる場所を指差して、すこしだけ話したい。
そして、【最初の場所はバールハーバー、真珠湾】です。

この第一巻は、【かつてわたしたちの先輩たちが攻撃をかけたハワイの真珠湾をめぐる逆転ガイド】です。』

いかがでしょうか?
今回ご紹介させて頂きますこの書物、非常におススメです♥
著者が実際にガイドとして、今回安倍総理が慰霊に訪れるハワイ・真珠湾にあるアメリカ軍の博物館を、豊富な写真とともに案内をされる書物です♥

☆『THE TRUE SIZE OF ...』
読むまでは、本当に知らなかったのですが、アメリカ軍は、初戦で負けた自軍に批判的で、日本軍を絶賛しているんです♥

この書物を読み終えますと、ハワイ・真珠湾の博物館に足を運んでみたくなるほど、まさに「逆転」、「目からウロコ」の解説がなされています。

アメリカ海兵隊が建てた日本兵記念碑
(碑面には「日本機突入地点」として飯田大尉の所属が記されている)
☆安倍総理の真珠湾訪問では、ハワイにある特攻隊記念碑にもお参りをしてほしい【評論家・江崎道朗】
先日のプーチン訪日も、安倍総理のトランプ宅訪問も、一連の大きな流れで捉える必要がありますが、その「核心」は、どこからどう見ても「支那包囲網の形成」です♥

☆[リサーチTODAY]緊急リポート : プーチン大統領訪日
なぜか、日本のメディアは、その明白な事実が理解できないようですが、たとえば、これ(↓)。

とある提案を行っているはず、なのですが、日本のメディアは、理解していないようで・・・
チョン正義と、シャープを買収した、これ(↓)の関係は有名ですけど・・・


アメリカの企業の製品である、これ(↓)を、いま支那の工場で造っているのですが、それをアメリカ本土でやれば、どうなるでしょうか?

すでに、「用地選定」に入っているようで。。。
で、当然、台湾のその企業を、支那から保護しなければいけないわけで・・・

だからこそ、「一つの中国」にこだわらない、と支那を脅したんです♥

こちらもご参照♥
↓
☆世界の流れは、ABCDEFG ~ ターゲットは、もちろん「C」
それでは、ここからは、昨日の続きになります。
連日にわたって、書かせて頂いておりますが、私たち日本の戦国時代の頃、ヨーロッパでは「宗教改革」を切っ掛けとしたキリスト教の分裂が始まっていました。

この時代は、西洋史でいうところの「近世」になります。
で、当時の状況を簡単に表しますと、こんな関係で御理解いただければ良いかと思います。

1547年時点でのハプスブルク家の領土
ここで、イングランド王国とフランス王国の関係を見ていく必要があるのですが、ポイントになる地域が「ノルマンディー」です。

ノルマンディー
詳しくはすでに書かせて頂いておりますので省略いたしますが、北方ゲルマン系のヴァイキングであるノルマン人が、侵入して支配したのが、このノルマンディーでした。

12世紀にノルマン人が征服した地を赤で示す
この地を治めたノルマンディー公は、フランス王の臣下でもあったのですが、後のウィリアム1世の時代にイングランドに攻め込み、征服し、ノルマン人の王朝であるノルマン朝を開き、現在に至るまで、その血筋が続くことになります。

ウィリアム1世

ノルマンディー公国の紋章
ノルマンディー公ギヨーム2世がイングランド王ウィリアム1世として開いたノルマン朝は、その紋章からも分かるとおり、ヴァイキングのノルマン人の王国です。

ノルマン朝の紋章
この時代、国王、貴族、教皇という、いわゆる支配階層が、政略結婚で複雑な婚姻関係を築き、権力の増大、領地の拡大、権威の強化を図っていた時代でした。
フランス国王の臣下であるノルマンディー公が、イングランド王を兼務するノルマン朝の後に続く王朝が、同じくフランス国王の臣下であるアンジュー伯及びノルマンディー公、そしてイングランド王を兼務するヘンリー2世(在位:1154年 - 1189年)のプランタジネット朝でした。

ヘンリー2世

プランタジネット朝の紋章
この流れは、現在のイギリスの国章からも分かる通り、いまも受け継がれています♥

現在のイギリスの国章
フランス王国の臣下でありながら、イングランド王も兼務する巨大なアンジュー帝国の誕生でした♥

1172年頃のアンジュー帝国の版図
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 プランタジネット家の前身はガティネ家といい、北フランスのガティネの伯爵家であったが、11世紀に一族のフルク4世 がアンジュー伯となり、その家系は以後アンジュー家とも呼ばれるようになった。
「プランタジネット」とはマメ科の植物エニシダの木(planta genesta:日本名は「金雀枝」)のことで、ジョフロワ4世がエニシダを紋章としていたことから、後に家名となった。」

アンジューの旗
プランタジネット朝の開祖であるヘンリー2世には、ウィリアム(ギヨーム)、若ヘンリー(アンリ)、リチャード(リシャール)、ジェフリー(ジョフロワ)、ジョン(ジャン)と5人の男子がいましたが、長男のウィリアムはわずか3歳で亡くなります。
このヘンリー2世の妃がアリエノール・ダキテーヌ(アキテーヌ公ギヨーム10世の娘でアキテーヌ女公)で、カスティーリャ王国に嫁いだ娘エレノアも多産だったため、当時のヨーロッパ諸国に、政略結婚によりアリエノールの血筋が広がったため、のちに「ヨーロッパの祖母」と呼ばれる人物で、中世盛期のヨーロッパにおける最強・最富な女性の一人です♥

アキテーヌ公の紋章

アキテーヌ地方
このアリエノール・ダキテーヌは、わずか15歳のときに、最初の結婚(1137年)をしているのですが、その相手フランス王国・カペー朝のルイ7世でした。1152年、2人の間に離婚が成立し、その2ヵ月後にヘンリー2世と結婚しています。

ルイ7世

カペー朝の紋章
ヘンリー2世がイングランド王位に就くと、当然の結果ですが、フランス国土の半分以上がイングランド領になってしまったわけです♥
ところが、やがてヘンリー2世に愛妾(あいしょう)のフェア・ロザムンドができると、1168年に、アリエノール・ダキテーヌはアキテーヌへと戻って別居してしまいます。

イーヴリン・ド・モーガン 『アリエノール・ダキテーヌとフェア・ロザムンド』 1905年
フランス王国の国土の半分以上を継承する血筋であるアリエノール・ダキテーヌが、怒ってフランス王国内に戻ったわけですから、イングランド王国としては、困ったことになります♥

しかし、すでに手は打たれていて、ルイ7世の2番目の妃との間にできた娘マルグリット・ド・フランスを、ヘンリー2世の次男の若ヘンリーの妃とすることが、1160年に婚約されていたんです♥

そして・・・
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 1169年、ヘンリー2世はフランス王ルイ7世の提案により、14歳になる若ヘンリーを後継者と定めてアンジューとメーヌの地を、12歳のリチャードにはアキテーヌ、11歳のジェフリーにブルターニュを分配し、フランス王に臣従礼をとらせることで大陸側の所領を確認させた。わずか2歳だったために領地を与えられなかった末子のジョンは、ヘンリー2世に“領地のないやつ(Lack Land)”とあだ名をつけられ、逆に不憫がられ溺愛されるようになる(後にアイルランドを分配されるが、支配できずに逃げ帰っている)。
1169年のフランスとの協約に従い、ルイ7世の娘婿でもある若ヘンリーは1170年に共同王として戴冠するが実権はなく、父に対して不満を抱いていた。特に自身の教育係だったトマス・ベケット暗殺事件で父に対する不信感はさらに強まり、加えて父のジョンへの偏愛にも怒っていた。当時30代だったヘンリー2世は息子への領地の分配を単に名目上のものと考えていたが、実際は息子たちがルイ7世に臣従したことにより、大陸側の領土の宗主はフランス王であるという事態が生じてしまった。1173年、若ヘンリーは敬愛したベケット同様、父の支配を逃れるべくルイ7世のもとへと走り、ヘンリー2世と不仲になった母アリエノールやリチャード、ジェフリーと組んで父の独裁に対して反乱を起こす。戦いは序盤以降はヘンリー2世が優勢で、翌1174年には両者は和解した。しかし、彼らの母アリエノールだけは以後十数年間、反逆の罪でイングランドでの監禁生活を強いられることになった。」

シノン城聖ラドゴンド礼拝堂の壁画に描かれた騎乗姿のアリエノール・ダキテーヌ
そして、続きですが・・・
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 ヘンリー2世は若ヘンリーらを許し、両者のあいだで和解が成立したが、その後も若ヘンリーに君主としての実権がない状況に変化はなかった。フランス王ルイ7世は1180年に死去し、1182年にヘンリー2世はようやく若ヘンリーに君主としての権限を与えるべく、アキテーヌ公リチャードとブルターニュ公ジェフリーに対し、若ヘンリーへの臣従礼をとらせようとした。ところが、ジェフリーは最終的には従ったが、リチャードは若ヘンリーへの臣従を拒み、アキテーヌに戻って反抗した。そのため若ヘンリーとジェフリーがリチャードを攻撃する騒ぎになった。1183年に若ヘンリーは病死し、リチャードがヘンリー2世の後継者となった。」
このリチャードが、のちにリチャード1世としてイングランド王国に君臨する王となるのですが、その生涯の大半を戦闘の中で過ごし、かつ、その勇猛さから『獅子心王』と称され、中世ヨーロッパにおいて騎士の模範と讃えられたイングランド国王となる人物です♥

リチャード1世
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 リチャードは、母アリエノールの気質を最も濃厚に受け継いだ人物といわれ、ヘンリー2世死後にイングランド王となってからは戦争に明け暮れ、「獅子心王」とあだ名される勇敢な戦士であった。リチャードは、父からアキテーヌ公位を末弟のジョンに譲るように命じられると、これを拒絶した。一方、ジェフリーは父ヘンリー2世から離れ、ルイ7世の後を継いだフランス王フィリップ2世(尊厳王)のもとへ身を寄せ、1186年、パリでフィリップ2世が開催した馬上槍試合での怪我がもとで急死した。」

『King Renés Tournament Book』の挿絵
まあ、ヨーロッパの騎士なんかよりも、遥かに、私たち日本のサムライの方が「格好良い」ですけれども♥
続きは次回に♥
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