2016-11-21 (Mon)

アルブレヒト・デューラー『男子入浴図』
憂鬱(ゆううつ、メランコリー、英:melancolia、melancholy、伊:malinconia)とは、日常的な用法では、はればれしない落ち込んだ気分のこと。英語の「メランコリー」はギリシア語の「μελαγχολία」(melagcholia)に由来する。七つの大罪の前身となった八つの枢要罪の一つ。
現代の精神医学の用法では、「メランコリーの特徴を有する」うつ病という、うつ病の細分類であり、重症のものという意味合いが強い。
「メランコリア」という語は古代医学の学説・四体液説に由来する。人体を構成する血液・粘液・黄胆汁・黒胆汁の4つの体液のバランスが崩れて病気になるとするこの説では、人間の性格(気質)もこの4体液のバランスから決まるとしている。4体液のうち、「黒胆汁」が過剰な人は「憂鬱質」(メランコリア)という気質になるとされたため、「黒い」を意味する古代ギリシア語の「μέλας」(melas)と「胆汁」を意味する「χολή」(kholé)を合成した「メランコリア」(憂鬱質)という語が生まれた。
紀元前5世紀から4世紀にかけての医学者ヒポクラテスは『金言』(箴言、Aphorisms)の中で憂鬱質を、黒胆汁の過剰により引き起こされる、精神および身体にある種の症状を起こす「病気」であると記述した。「恐怖感と落胆が、長く続く場合」を、彼は憂鬱質の症状であるとした。

戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 まず【この国の異常を認識する必要がある】のですが、テレビを見て新聞で確認している程度の認識では、麻酔が効きっぱなし。
その麻酔は、【日本国民としての痛みを感じさせないもの】で、その成分は「広告料」「スポンサー」「報道人脈」「海外進出企業」等、様々な要素が配合されているのです。

具体的に言うなら、【NHK以外の民放テレビ局は広告収入で成り立っています】が、広告、つまりCMを放映してもらうためにスポンサー企業各社は巨額の資金をテレビ局に支払っています。

テレビ局はこれがあって初めて、出演者に高額のギャラを支払ったり、有名人を確保したり、取材したり、スクープ情報を買い取ったり、局で働くスタッフの給料を出せるわけですが、逆に言うと、この【スポンサー企業のご機嫌を損ねるような放送をするとCM放映の依頼が来なくなる】のです。全く来なくなると、局だけでなく、局が外注している番組制作会社に仕事が回らなくなり、潰れますので、【収録放送する内容には、自然と制限が生まれます】。

最新情報はこちらです♥
↓
☆平成28年10月30日に送付した公開質問状に関する追跡調査結果】 11月18日

スポンサー企業のほとんどは、海外、特に世界最大市場と言われる中国に生産拠点を置き、中国での市場を確保し、あるいは市場を争っていますので、情報が瞬時に伝わってしまう国際情報社会と言われる現在、【日本国内であっても中国政府や中国人民が不買運動を起こしかねない放送内容のスポンサーになるわけにはいかない】のです。
また、【芸能界には戦後多くの朝鮮民族が様々な形で関わり】、その事実に触れたばかりに仕事を干された日本人俳優や歌手も実在します。そのため、【本書でお伝えする「在日問題」に関しては、これまで私が9冊の拙著でお伝えしてきた中国問題同様、テレビ・新聞・ラジオでさえほとんど伝えられていません】。…

こちらもご参照♥
↓
☆テレビ業界の未来
では、【NHKはどうなのか?】

NHKは「日本放送協会」という【公共放送局】です。【国営放送ではありません】から、ご存知のとおり【政府の規制を受けることはないどころか、反日国の国是に従ったかのような放送が目に余り、実際に問題視されていて】、受信料の不払いや放送内容に関する裁判沙汰、国際問題にまでなっているのです。


NHKの住所は「東京都渋谷区神南2ー2ー1」ですが、【同じ番地にCCTV、つまり中国国営放送である中国中央テレビ(中国語では「中国中央電視台」)日本支局が入っています】。

日本における中国に関する報道は、このCCTVからの情報がほとんど。そして【中国がメディアを使って情報統制をし、世論を操作していることは、今やバカでもわかる世界の常識】。しかしながらここを無視した放送をすれば、相手は国営放送だけに、NHKは中国への取材などでの出入国に制限を受ける可能性や、情報を遮断される可能性もありますから、迂闊(うかつ)に中国に不利な情報なんて流せません。台湾発の中国関連情報なんて、まずムリです。

だから、【中国が核兵器を開発してからこれまで、内陸部のシルクロードを含めた新疆ウイグル自治区やその他の場所で、住民に知らせずに43回もの核実験を行い多くの村が被ばくしたことなど全く報じられない】のです。
こちらもご参照♥
↓
☆中国によるジェノサイド(genocide) ~ なぜか「パヨク」が知らん顔? 「ウイグル人権侵害」
まあ、ちょうど【その当時NHKは「シルクロード」ブーム】でしたから、太古のロマンに憧れた【日本人観光客を誘い出し、被曝させた】可能性がある以上、【同局としても私が何を書こうが絶対に触れたくない話】。こんなことを書いても私が無事でいるその意味を考えてみてください。』

いかがでしょうか?
今回ご紹介させて頂きます本書ですが、読んでいる途中で、本当に怒り心頭、危うく引き裂いてしまいそうになるぐらい「驚愕の真実」が、綿密なデータに基づいて記載されていて、いわゆる「在日特権」が可視化されているという、必読必見のおススメの書物です♥
在日朝鮮民族に「のみ」認められている、いわゆる「在日特権」は現実に多数存在しています♥
もし、「在日特権」が存在していないのであれば、「特別永住者」であり続ける必要はないんです♥

著者も書かれているとおり、簡単な話で、在日朝鮮人は、特別永住者という「外国人のままで日本に滞在することに、旨味(うまみ)がある」からこそ、そのままでいるんです♥ ここを間違ってはいけないんです♥ 在日朝鮮人は「確信犯」でやっているんです♥

この書物を読めば、その実態がありありと描かれていますので、ぜひ御覧なさってください♥

それでは、本日も、この(↓)「在日朝鮮人」のお話の続きです♥

姜尚中(きょうしょうちゅう)
繰り返し書かせて頂きますが、こいつ(↑)が書いた、とある問題の本があって、その中で「トンデモナイ間違い」をやらかしちゃっているんです。

もう一度、確認のために引用してみますと。。。
「 第一章で詳しく触れますが、わたしがドイツ・ルネサンスを代表する画家であるアルブレヒト・デューラー(1471-1528)の自画像と出会ったのは、まさしく希望も将来もない途方に暮れていたドイツ留学のころでした。
わたしは、「在日」という自分の出自だけでなく、そもそも生きることの意味や自分がどうして生まれてきたのか、なぜ生きるのか、この時代はどうして自分の問いに答えてくれないのか、そうしたもろもろの問いによって堂々巡りを繰り返し、悩んでいたのです。
しかし、デューラーの自画像と出会い、わたしは自分の中から憂鬱(ゆううつ)な鉛色の空が晴れていくような感じがしました。
『わたしはここにいる、おまえはどこに立っているのだ』
絵の中のデューラーはそう語りかけているように思え、わたしは身震いするような感動を覚えたのです。大仰な言い方ですが、それは、500年の時空を超えた「啓示」のように思えてなりませんでした。
『そうだ、自分はどこにいるのか、どんな時代に生きているのか、そして自分とは何者なのか、それを探求していけばいいんだ。ただ、どこからか与えられる意味や帰属先を待ち続けるのではなく、自分から進んで探求していけばいいんだ』
そう決めると、何だか生きる力が湧いてきたのです。」

アルブレヒト・デューラー 『自画像』1500年
このデューラーの自画像が書かれた「ルネサンス」の時代は、もともと異民族・異教徒であった現在の西欧に繋がる祖先の人々が、イスラム世界との交流を通じて、古代ギリシャ・ローマ風の文化を新しく生み出した時代でした。そして、そこにキリスト教の影響が加わって、本来の古代ギリシャ・ローマの文化とは別ものの、現代に繋がる新しい西欧文化が生まれた時代だったんです。

また、この「ルネサンス」の時代は、「ヘルメス主義」という一種の神秘主義が台頭してきた時代だというのは、ルネサンス期を語る上での「常識」となっています♥
つまり、紀元後3世紀頃までにエジプトで成立したと考えられている「ヘルメス文書」に基づく主義・思想が台頭してきた「ルネサンスの時代」は、「一者」から万物が流出するというネオプラトニズム(新プラトン主義)的な考え方や、神を認識することが救いであるといったグノーシス主義的な考え方が、どんどん受け入れられていく過程の時代だったんです♥
それらの主義・思想の根源となるヘルメス文書は、11世紀頃までに東ローマ帝国で17冊の文書に編集されていましたが、西ヨーロッパでは知られていなくて、まさに、このルネサンス期にギリシア語からラテン語に翻訳され、一気に拡がり始めるんです。
その翻訳を行っていたのが、マルシリオ・フィチーノです。

マルシリオ・フィチーノ
フィチーノによって翻訳されたプラトン全集は、昨日書かせて頂きましたルネサンス期の新プラトン主義(ネオプラトニズム)隆盛の元になっています。
そして、このルネサンス期に影響を与えた、もう一つのものが、哲学者であり医者でもあったマルシリオ・フィチーノが著した『三重の生』でした。
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 『三重の生について』(さんじゅうのせいについて、De triplici vita)または『生命論』全三巻 (De vita libri tres) は、イタリアのプラトン主義哲学者マルシリオ・フィチーノの著書で、1480年から1489年の間に執筆された。まず手稿本の形で配布され、ついで1489年に出版された。それから17世紀中頃まで絶えず印刷された。
哲学と医学と“自然魔術”と占星術の不可思議な混合物で、もしかすると教養人の健康とその特有の問題について著された初めての書物かもしれない。不滅と神の源と魂の本質を説明する美しい道筋に沿って、占星術上の図表と治療法、互いに議論しているさまざまなギリシアの神々の茶目っ気のある演説、哲学的な余談、種々の病気に対する身の毛もよだつような中世の処方箋、プロティノスのネオプラトニズムをキリスト教の聖書の言葉と一致させる試み、そして魔術的な治療法と護符が記されている。
フィチーノはイタリア・ルネサンスの主要な哲学者であるとともに、医者でありまた医者の息子だった。『三重の生について』は初期ルネサンスの医学思想の一つの例で、ガレノス、ヒポクラテスと四体液説、それに付随するアリストテレスの四質(熱冷湿乾)の理論に満ちていて、またそれのみならず、その見解と異教の神々の典型的な意味の感覚とを結びつけ始めてもいる。この書は、西洋におけるプラトンの対話篇とヘルメス文書との数世紀の間での初の出会いから得られた(フィチーノはプラトンをラテン語に訳した初めての翻訳者である)。」
ここで、古代ギリシャ以来の伝統的な「四体液説」について、見ておきましょう。
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 古代ギリシアの医学は、ヒポクラテスの死後100年ほどたってから、ヒポクラテス(紀元前460年ごろ - 紀元前370年ごろ)の名のもとに『ヒポクラテス全集』にまとめられた。そこでは、人間の身体の構成要素として、臨床経験から2~4種類の体液が挙げられている。ローマのガレノス(129年頃 - 199年)は、ヒポクラテス医学をベースに当時の医学をまとめ、人間の体液は血液を基本に「血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁」の4つから成り、そのバランスが崩れると病気になるとする四体液説を継承し発展させた。ガレノス以後、体液病理説(四体液説)は、西洋文化圏で行われたギリシャ・アラビア医学の基本をなしており、19世紀の病理解剖学の誕生まで支持されていた。

ヒポクラテス
ヒポクラテスなどの古代ギリシャの医師たちは、患者の体から出てくる液体を観察し、人間の体内には、栄養摂取による物質代謝の産物であるいくつかの体液があると考えた。
血液(Gk. haima)は、体内の熱が適当で、食べ物が完全に調理(消化)された時に生成され、生命維持にとって重要であるとされた。一方、粘液と胆汁は悪い体液と考えられた。体内の熱の過少によって生じる粘液(Gk. phlegma)は、ギリシャ語のphlego(燃える)という動詞からきている。古代ギリシャでは、体の中で燃えるのは「炎症」または「消化」であると考えられたことから、冬に起こる炎症の産物が粘液と呼ばれた。 また、脳は粘液による保護が必要で、脳に達して適度な冷えと潤いを与える。脳からあふれた粘液は、鼻汁となって出てくる。体内の熱の過剰によって胆汁が生じるが、数合わせのために黒胆汁が加えられ、黄胆汁(Gk. chole)・黒胆汁(Gk. melan chole)となったという。黄胆汁は血液の泡状のもので、軽く熱い。黒胆汁は、鬱状態の人の排泄物の色から名付けられたと言われる。黒胆汁には酸味があり、体を腐食させるとされた。
体液の種類は、最初から4種類で統一されていたわけではない。『ヒポクラテス全集』に収録された論文「人間の自然性について」の中では、四大元素説の影響を受けて、人間は血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁の4つからできていると述べられており、これが主流の分類である。しかし「疾病について」の中では、血液、粘液、胆汁、水、また「疾患について」で、病気はすべて胆汁と粘液の作用であるとしており、定まっていない。どちらを採用するかは学派によって異なり、ヒポクラテスのコス派は血液・粘液・黄胆汁・黒胆汁の四体液説で、クニドス派は胆汁・粘液説であった。ローマのガレノスが、四体液説を継承しギリシャ医学をまとめ上げたため、後世に残ったのは四体液説だった。」
いかがでしょうか?
この「四体液説」が、今から200年ほど前までの、西洋医学のベースだったんです♥ アリストテレスの4気質や占星術と融合した、当時の世界観は、こんな(↓)感じになっていました♥


人間はその体内に、血液、粘液、黄および黒の胆汁を持っていて、それらのバランスが崩れると、「多血質」、「胆汁質」、「粘液質」、「憂鬱質」という気質のいずれかに決定され、黒胆汁が過剰となったときに生じる「憂鬱質」が嵩じて病気になった場合、「メランコリー(憂鬱)」となるって考えられていたんです。
で、この「メランコリー」をもたらす「憂鬱質」は、中世キリスト教世界において、もっとも悪い気質とされていました♥
当時、四体液すべてのバランスが完全に調和され、四気質のいずれでもない「人間の理想的な存在」は、現実には存在しないもの、堕落する前の「アダム」と「エヴァ」以外には考えられないとされていました。

アルブレヒト・デューラー『Adam and Eve』 1504
ですので、現実には、「多血質」が人間本来の調和のとれた条件とされ、もっとも「望ましい」気質だと考えられていました。

アルブレヒト・デューラー 『アダムとエヴァ』1507年
そして、その対極として、もっとも忌み嫌われた気質が「憂鬱質」、つまり「メランコリー」だったんです♥ この気質の人間は冷酷な「守銭奴」であり、何ら生産的な仕事をしない「怠け者」であり、さきほどもありましたように、「病気」だと考えられていました。
また、「憂鬱質」は、ローマ神話の農耕神「サートゥルヌス」の司る惑星の「土星」と結びつけられていました。
「サートゥルヌス」の星の下に生まれたものは、跛(ちんば/びっこ)、乞食、罪人、汚穢屋(おわいや)、墓掘り人夫のように、人間のうちでももっとも悲惨で絶望的な身分に類別されていました。
ちなみに、「サートゥルヌス」は、英語で「サターン (Saturn)」と呼ばれますが、「悪魔」のサタン (Satan)とは別の言葉になります。
ですが、将来、自分の子に殺されるという預言に恐れを抱き5人の子を次々に呑み込んでいったという伝承があるほどですから、気持ち悪い存在ですね♥

ルーベンス『我が子を食らうサトゥルヌス』
そして、ここで再び、マルシリオ・フィチーノの登場です。

マルシリオ・フィチーノ
このマルシリオ・フィチーノも「土星の星の下」に生まれ、虚弱体質であり、憂鬱質の性向を持ち合わせていました。
そんなマルシリオ・フィチーノが、この「ルネサンス」の時代に、価値の一大転換をもたらしたんです♥
つまり、「憂鬱質」=「メランコリー」を、「もっとも高貴な気質」として捉え直したんです。

「哲学であれ、政治であれ、詩であれ、或いはまた技術であれ、とにかくこれらの領域において並はずれたところを示した人間はすべて、明らかに憂鬱症であり、しかもそのうちの或るものに至っては、黒い胆汁が原因の病気にとりつかれるほどのひどさである・・・」
このマルシリオ・フィチーノの唱えた思想、すなわち「憂鬱質」が哲学者や芸術家にとって欠くことのできない条件と見做され、四性のなかで「もっとも高貴な気質」と考える思想に影響を受けていたのが、アルブレヒト・デューラーでした♥
その上で、アルブレヒト・デューラーが自身を描いた、この絵が存在するんです♥

アルブレヒト・デューラー 『自画像』1500年
ここに描かれている自画像は、「哲学」や「芸術」などあらゆる「創造的精神」は、「絶対者」である「神」から生じているのであり、そのような精神を担う「創造的天才」である「憂鬱質の芸術家」が、「神」や「キリスト」にも等しい存在なんだという考え方を、まさに自分自身を描くことで表現しているということです。

アルブレヒト・デューラー『メランコリア I』1514年
「 マルクス主義の経済・社会史の進歩史観しかもっていないものが、文化を論じはじめると、その矛盾(古典文化は現代・近代文化よりはるかに高い)に気づかず、おかしな論議をすることになる。
たとえば、社会学者の東大教授、姜尚中(キョウショウチュウ 在日朝鮮人)氏がいる。最近『あなたは誰?私はここにいる』を出版して芸術を論じている。題名から社会のなかの自己を語るエッセイかと思ったら美術談義である。私はその専門なのでどんな内容かと思って購入したが、最初のデューラー(ルネサンス期のドイツ画家)のところを読んで、げんなりした。現代ではこうした素人談義が、あたかも権威主義批判の先鋒のように大手をふるっている風潮がある。むろんこれも左翼によってつくられたものである。

氏はNHKに頼まれて日曜日の美術番組の司会者となったとき、「どうして私に」と思いながら喜んで引き受けたという。左翼がNHKにもいたのである。私は氏が司会をするようになってその番組を聞かなくなったが、氏自身は美術を相当知っているつもりでいるらしい。この本は最初にデューラーの『自画像』のことを思い入れたっぷりに書いている。自分が在日の朝鮮人としてふさぎこんで生きていたときに、留学先のドイツでこの絵に出会って感激したという。…
この絵が十五世紀に描かれ、これが近代と異なっている時代に描かれ、その感激したこと自体が、近現代の否定、つまりこの像がキリストの顔としてデューラーが描いたその宗教というものの復権が問題にされなくてはならないし、また氏がキリスト教徒でなければ、日本に住んでいる朝鮮人という国籍を問題にする近現代人というものの批判でなければならなかったはずである。
このデューラーの像は、ちょうどキリスト教暦でいえば1500年という終末を前にして、終末が近いことを自覚していたのである。この時代が《数々の戦乱や飢饉、疾病や殺戮が繰り広げられ》たなどと、一般的な左翼の暗黒時代の中世史観を漠然と述べるのではなく(一体、デューラーの周りにどの戦争があったのか?農民戦争はもっと後である)、もっとこの画家に即していわなければ説得力はない。この『自画像』自身が「メランコリー」の性格として、哲学や芸術を造り出す創造的精神を示しており、当時のフィレンツェの哲学者フィチーノの『三重生論』と深い関係がある。
氏の本の「おわりに」で『メレンコリア・1』について述べている。まず数字の1ではなく、ラテン語のⅠと書かれねばならないし、これを論ずるのであれば、1500年の『自画像』が、これと密接に関係していることを指摘するのが当然である。つまり、この『自画像』はメランコリーの像でもあったのだが、こうした記述はここにはない。素人としても勉強不足という以外ない。この『自画像』を知っていたから、NHKの美術番組の司会を引き受けたというにしては、その無知ぶりはその理由に値しない。」
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆テレビに出てくる在日朝鮮人の「無知ぶり」
いかがでしょうか?
在日朝鮮人の、この男(↓)。

姜尚中(きょうしょうちゅう)
テキトーに書いたとしか思えないその本の中で、こう言っています。
「 しかし、デューラーの自画像と出会い、わたしは自分の中から憂鬱(ゆううつ)な鉛色の空が晴れていくような感じがしました。」
憂鬱が晴れると・・・言っていますね♥
奇妙ですね? デューラーの『自画像』は、まさに、その「メランコリー」=「憂鬱」を描いた像なんですけれど♥ 憂鬱が晴れてどうするんですか(笑)
これで、東大教授が務まるなんて、いったい東京大学って何なんでしょうかwww
もっと詳しくお知りになりたい方は、こちらもどうぞ。
↓
☆北方ルネサンス美術におけるネオ・プラトニズム ~アルブレヒト・デューラーをめぐって~ 宮田嘉久
続きは次回に♥
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