2016-10-22 (Sat)

赤 : 多重国籍を認めていない国家
多重国籍(たじゅうこくせき)とは二つ以上の国籍を持っている状態のこと。二重国籍、重国籍、ともいう。
多重国籍の場合、複数の国家から国民としての義務(兵役など)の履行を要求されたり、いずれの国家の外交的保護を認めるかという点で紛糾を生じる場合がある。このような不都合を避けるために1930年に「国籍の抵触についてのある種の問題に関する条約」(国籍抵触条約、重国籍条約、国籍法抵触条約)が締結されている。この国籍抵触条約によって、現代国際法では、「人は必ず唯一の国籍を持つべき」とする国籍単一の原則または国籍唯一の原則が基本原則である。

多重国籍を認めている国でも、政府要職に就任する人物が多重国籍である場合は国家の権力行使において問題視されることがあるため、多重国籍者の政府要職者就任禁止が規定されていることがあり、法の明文で禁止されていなくても多重国籍を公表した上で他国籍離脱の検討及び国家に対する忠誠に問題ないか厳しく問われる社会文化となっている。

日本では国籍単一の原則から1984年の国籍法改正で20歳に達する以前に日本国籍とは別の国籍を持つ資格がある多重国籍の状態になった場合は22歳に達するまで、20歳に達した後に多重国籍となった場合は多重国籍となった時から2年以内に国籍の選択をすべき期限とされている。
外交官等の外務公務員については多重国籍者を欠格事由としており、人事院は人事院規則において国家公務員の外務省専門職員採用試験の受験資格につき多重国籍者を欠格事由としている。

戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 五年ほど前のことです。
ある集会で知り合いの方に勧められて、A5サイズの一冊の本を購入しました。紫色の表紙に菊のご紋章があしらわれ、『天皇さまが泣いてござった』という不思議なタイトルがついています。著者については、「しらべ かんが著」とあります。これもちょっと謎めいた語感の、不思議なお名前です。

☆タイ国財団法人 慧燈(えとう)財団HP
本のうしろの奥付を見ると、著者のところに漢字で「調 寛雅」と書いてあります。著者は、調(しらべ)さんとおっしゃる方なのだろうと思いました。のちに、調さんは佐賀県にある姓だと知りました。
発行は平成九年(1997年)の十一月です。教育社という、東京の出版社と思われる発行所の名前はありますが、取り次ぎを経由した本ではありません。このような本は、普通、「私家版」などと呼ばれます。しかし、装丁は美しく、342ページの、堂々たる立派な書籍です。
その上、序文を元侍従長の入江相政(いりえすけまさ)氏と元掌典長の永積寅彦氏が書いています。【書名の天皇さまとは、もちろん昭和天皇のこと】です。

著者は佐賀県基山町にある【因通寺というお寺の住職】で、二〇〇七年に亡くなっています。

調寛雅
本書は、この本のうち、【「通州事件の惨劇――日本人皆殺しの地獄絵」というタイトルが付けられた一〇五ページから十五七ページまでの53ページ分を取り出して、一冊の本として刊行するもの】です。…



本書の底本となった【『天皇さまが泣いてござった』という本の、その書名の由来】から書いてみます。

戦後、【昭和天皇は全国をくまなく巡幸され、国民を励まされました】。昭和二十四年五月、九州巡幸にあたり、【昭和天皇はみずから佐賀県の因通寺にまっさきに行幸される意志を示されました】。因通寺が、戦前、昭和天皇のお后、香淳皇后の、応召軍人遺族の心中に思いをはせた御歌に感銘し、「百万人針」運動を起すなど、皇室と深いご縁があったことによりますが、もう一つ、【因通寺には洗心寮という名前の戦争罹災児救護教養所があり、昭和天皇はその施設を訪れることを希望された】のです。
やすらかに 眠れとぞ思う きみのため いのち捧げし ますらをのとも
なぐさめん ことのはもがな たたかいの にはを偲びて すぐすやからを
香淳皇后 御歌
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆タイ国財団法人 慧燈(えとう)財団 HP 「いつくしみの塔について」

☆佐賀新聞HP
五月二十二日、引き上げ孤児四十名を収容した洗心寮で、【昭和天皇は、一人の女の子が二つの位牌を胸に抱きしめているのに目をとめ、お尋ねになりました】。案の条、【二つの位牌は両親のもの】で、その子は、
「父はソ満国境で名誉の戦死をしました。母は引き上げの途中病のため亡くなりました。……私は寂しいことはありません。【私は仏の子どもです】」
と立派に答えました。
天皇陛下はその子の頭を何回もなでておられましたが、そのとき、【天皇陛下のお目からはハラハラと数滴の涙がお眼鏡を通して畳のうえに落ちていきました】。書名はこのエピソードからとられているのです。
『天皇さまが泣いてござった』という本の後半は、このような、昭和天皇と因通寺とのかかわりが主なテーマとなっています。』

いかがでしょうか?
支那人による日本人居留民の大虐殺で有名なあの「通州事件」に関して書かれた書物は、これまでにもいくつかご紹介させて頂きましたが、今回の書物の一番大切なポイントは、一部始終を現地で目撃していた日本人による証言だという点です♥
ですから、実際に「その時」に、「支那人がどういったやり方で虐殺を行ったのか」が、ハッキリとイメージできます。
日本人の妊婦、その妊婦のお腹の中の胎児、その他、老若男女を問わず、「支那人が大勢の日本人を虐殺した手口」を、是非、この本を通じて、知ってください。
さて、この書物の底本『天皇さまは泣いてござった』の書名の由来が、佐賀県に巡幸なされた際のある有名なエピソードから名付けられていることが判りました。
当時、敗戦で苦しむ私たち日本人を励まそうと、昭和天皇は、常識では考えられない行動をとったんです♥

「 終戦後間もない昭和21(1946)年2月から約8年間かけて、昭和天皇は国民を励ますために日本国中を巡幸された。
天皇を迎える日本国民の姿に、世界中のインテリが驚いた。「君主制は敗戦に耐えられない」のが世界の歴史と常識。敗戦国の君主は、国民に殺害されるか国外逃亡が当然だった。
天皇が巡幸を始められた当時、戦争が終わった直後で、銃などの武器はいたる所に残り、警備もほとんどない。敗北した国の治世者が、こんなにも危険な状況に身をさらした前例はない。
世界は、天皇は殴られ、刺され、銃で撃たれ、命を奪われるのは間違いないと確信していた。
ところがそこには、驚くべき日本国民の姿があった。

どこに行っても天皇は群衆に歓迎され、もみくちゃにされる。涙を流して、「天皇陛下、万歳!」と歓迎を受けるその姿に、世界中が驚いた。

それほどまでに日本国民は天皇を愛し、尊敬していた。

日本人と天皇との結びつきは神話の時代から脈々と続く。私自身も天皇を心から愛し、尊敬している。…

私が海外を飛び回っていて、日本の偉大さに大きな感動が自然と湧いてきたことがあった。それは天皇と国民のあり方。

権威としての天皇と権力者としての将軍。織田信長も豊臣秀吉も、徳川家康も絶対的な権力を握りながらも、決して天皇の権威を奪い、抹殺することはなかった。これこそが日本のすごさだと思った。

アメリカは、戦争に負けた昭和天皇は日本にいられなくなると判断し、ロンドンか北京に亡命させようと考えていた。ところが昭和天皇は亡命どころか、「国民のために自分の命は、どうなってもいい」と覚悟を決めていた。

その実践が全国巡幸だった。そして広島へと向かう。
原爆が落とされて2年後の昭和22年。当時は、誰も広島へは行きたがらなかった。「70年間は放射能の影響で草木も生えない」「広島県民と結婚すると子供もできない」と言われていた。
天皇が広島へと巡幸されたのは深い考えがあったと思われる。広島県民は涙を流して天皇をお迎えした。5万人もの大観衆が待っていた。「天皇陛下が来てくれた。もう広島は大丈夫だ。俺たちは結婚もできる」と力いっぱい手を握っていた。

混乱した時代に一兵の守りもなく巡幸されるのは、世界から見ると奇跡である。 徹底的に叩き潰された日本が復活したのは、「民を愛する天皇と、天皇を愛する国民」の深い絆があったのも大きな要因だったと私は思う。」
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆オバマ大統領の広島訪問で、知っておきたいこと ~ 世界中のインテリを驚かせた「日本の凄さ」
では、どうして私たち日本人は、天皇陛下と、このような関係を保てるのでしょうか?

「 保守思想の骨格を勉強するにはどうしてもヨーロッパの保守を知らなければいけないので勉強はしてみる。
すると、ヨーロッパにおいて王朝がずっと何をやってきたか、いろいろと傍若無人で横暴なことをやってきた。それに対して貴族階級が、「ちょっと王様、いい加減にしなさいよ」とたしなめ、文句をつける。マグナ・カルタ以来そういう形で王権、君主権を制限していく。君主権を制限するのが近代社会の在り方だという、これが基本としてあります。
ところがそれを、社会契約説に立つ思想家たちが純化したら、行き着く先は革命の肯定になっちゃった。そこで保守側としては、革命ではなくて、あくまで君権の制限にとどめて、王様に古来の約束を守らせる原点を守ろうとした。大雑把に言って、ヨーロッパの保守思想はそういう構造を持っている…
では日本はどうか。日本においては天皇家の在り方がヨーロッパとは根が違うのです。…もうまったく違います…

ヨーロッパは皇帝。だから天皇をエンペラーと訳しているのはまったくの間違いです。ツアーリ、キング。これも同じで、向こうは最高軍事司令官が国家のお祀りをする。

ツアーリという場合、国教、つまりロシア正教だけれども、この神の御稜威(みいつ)の下に統治するということで、神と一体のような支配をするわけです。今のロシアも、見ているとプーチンは必ずロシア正教の総主教を呼んで儀式をやっていますね。イギリスも、キリスト教がいつの間にやらイギリス国教会になっている。中国は神がいないけれど、今でも中国の皇帝様というのは天から降りてきた、つまり天子です。だから基本的にいい政治をするに決まっている。そのいい政治をする天子が間違ったことをするから、みんなでやっつけて天子様を交代させると、こういう発想ですね。
ところが、日本は全然そうじゃない。連綿と続いている存在。しかも軍事最高指揮官などというのは神武東征以来、後醍醐天皇は多少やったにしても、そもそも軍事力を自分では持っていなかった(笑)。だから軍事最高指揮官ではない。

神武だけがそうで、名前もそれを表している。だけども、皇統が安定した後は一度もない。いわゆる「しらす」の観念、軍事的支配とはおよそ違う境地を追求していくことになるわけです。それを一番象徴しているのが歴代天皇の御製です。…
その御製をゆっくり読み解いていくと、民を思い、身を削る祈りに溢れている。われわれは日本の君主伝統をヨーロッパ由来の政治学で処理しようとしますが、ヨーロッパの君主制とはあまりにも違う。ここをもっと徹底して違うんだとはっきりさせるところから組み立て直さないと、日本の保守というものは見えてこないと思う。」
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆エンペラーでも、キングでもありません
☆ヨーロッパ騎士道の胡散臭いところ
「 明治になっておかしな思想が入ってきますが、…特に戦後は、天皇や死というものとかけ離れた、ひたすら長生きしよう、生命は地球より重いという風潮が広がりました。これはもう戦前の価値観の倒錯です。それが今の日本を引っ張っています。

皇室とわれわれ臣民の関係を考えたとき、思い浮かぶのは『日本書紀』に出てくる山背大兄王(やましろのおおえのおう)の最後です。聖徳太子の長子です…
もちろんそれ以前にも仁徳天皇をはじめさまざまな仁政の伝統があるわけですが、山背大兄王の最後は中でも印象的です。聖徳太子が亡くなり、山背大兄王が蘇我入鹿(そがのいるか)に攻められる。その時に、周囲からは、「戦え。戦えばみんなついてくる」と言われたけれども、大兄王はそれを断るのです。自分が入鹿と戦えば確かに勝てるかもしれない。しかし大勢の民を巻き添えに殺すことになる。民草を犠牲にしないために自分はここで潔く死を受け入れる、と言って従容と死に就いた。これはシナやヨーロッパではほとんどあり得ないような話…

外国人には理解できない…

理解できない支那人
上にいる立場の者が保身ではなくて、本当に身を投げ出すというのは向こうでは考えられない。

自分の保身しか考えていない支那人
今上天皇について石清水八幡宮の田中恆清宮司がどこかに書いておられましたが、陛下の神事に侍候して、
「これほど激しい神への祈りがあるのか、自分が普段やっていた神事はいったい何だったのか」
と畏れ多くてならなかったそうです。それくらい陛下は全身全霊を傾けて身を投げ出すように祈っておられた。東日本大震災のときも、実はお忍びで天皇陛下は石清水八幡宮にお参りされていた…
66年ぶりの玉音放送で勅語(東北地方太平洋沖地震に関する天皇陛下のおことば)を出されました…
国家の最大の危機が起こると天皇は石清水にお参りされます。震災の時も、その祈願のために天皇陛下は完全に極秘で石清水に向かわれた。
まさに伝統の神儀を行うため。

民もいざとなれば命を投げ出すが、そもそも君こそが最後は命を投げ出すという黙契、これをわれわれは信じられるかというに、驚くべきことに信じられるわけです。

昭和天皇が命を投げ出されるとか、天皇陛下、皇后陛下が命を投げ出されるということを実に自然に感じられる。

ルイ14世やリチャード何世だかが自分たちのために身を投げ出してくれるとは誰も信じないし、期待もしていない。これを同じ君主制だと思って議論を組み立ててしまうから話が見えなくなる…

「人命は地球より重い」という言葉が流行ったことがあります。福田赳夫首相がハイジャック事件に際して言った言葉です…もちろん命は大事だし、誰だって死ぬのは惜しい。だけれども、その上で、命を投げ出すという暗黙の民族的な了解があるということが日本の本質にはある。それを、ここまで根底的に否定して、人命の尊さを言い募って恥じなかったのが、戦後日本でした。…
生命尊重を否定することは誰にもできない。しかし、そのことを無条件に言い募っていると、その命を使ってわれわれはどう生きるべきかという道徳の問題や生き方の問題が掻き消えてしまう…
道徳を曲げてしまう…
生命至上主義は道徳を封印してしまう。」
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆シナやヨーロッパでは、ほとんどあり得ないような話
私たち日本人と天皇陛下との関係が御理解いただけましたでしょうか♥
当然、何の根拠もなく自らを「日本人」と「偽称」している某村田さんなど、絶対に理解できない関係です♥
理解ができるというのならば、某村田さんと同じ民族が行った「日本人大虐殺の通州事件」を、ぜひ、詳(つまび)らかにして頂きたいですね♥ できるわけがないでしょうけど。。。 だから、私たち日本人には、某村田さんは「プーヤオ(不要)」なんです♥
続きは次回に♥
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