2016-10-11 (Tue)

ミハイル・ネステロフ 『聖なるルーシ』
ミハイル・ヴァシリイェヴィチ・ネステロフ(またはネスチェロフ、Михаил Васильевич Нестеров, 1862年5月19日(グレゴリオ暦5月31日) ウファ - 1942年10月18日 モスクワ)は、19世紀末のロシア画壇における宗教的象徴主義の代表的指導者。
帝国美術アカデミーにてパヴェル・チスチャコフに師事した後、芸術家集団「移動派」に参加する。ラドネジのセルギイの回心を描いた絵画「若きヴァルフォロメイの聖なる光景」(1890年~1891年)は、しばしばロシア象徴主義運動の幕開けを告げる作品と見なされている。1890年から1910年までキエフやサンクトペテルブルクに暮らして、聖ウラジーミル大聖堂や血の上の救世主教会のそれぞれのフレスコ画制作に取り組んだ。1910年以降は、余生をモスクワで送り、マルフォ=マリインスキー女子修道院に仕えながら肖像画を描いた。

ミハイル・ネステロフ 『若きヴァルフォロメイの聖なる光景』(1890年)
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 佐藤親賢氏の著『プーチンとG8の終焉』(岩波新書)は、【日本のメディアにあふれる批判的なプーチン分析とはいささか趣を異にする】。従来のプーチン論にはない有益な情報が含まれ、次の国際情勢を読むうえで示唆的である。

同書によれば、プーチンはアメリカの威信低下を皮肉ってこう言う。
「突然手にした世界の支配権を賢く遣うことができず、さまざまなヘマをしでかした成金」
「言いなりにならない国には武力行使、経済的圧力、内政干渉を仕掛け、世界中の監視に巨額のカネを使っている」
オバマ大統領をここまで痛烈におちょくっているのである。

別の記者会見でプーチンは「わたしは悪いキリスト教徒だ」とも発言している。

「『右の頬を打たれたら左の頬を出せ』という心境にはまだなれない。平手打ちを食ったら対抗する。そうでなければ、われわれはいつまでも打たれ続けるだろう」(前掲書)
(そう、日本は戦後一貫して打たれ続けているにもかかわらず、それに反撃するどころか、みずからの自虐性すら認識できない立場にあるのに、欧米から執拗で嫌らしい経済制裁を受けてもびくともしない耐久性を秘めるロシアはたしかに強い)
【プーチン率いるロシアの強靱な精神力は騎士道的な迫力】もともなっている。いったい【プーチンの思想的、宗教的源泉】はどこから来ているのだろう。

プーチンに大きな影響を与えているのが、【1917年のボルシェビキ革命を批判した国家主義者で思想家のイワン・イリイン】である。

イワン・イリイン
ロシアを追われたイリインは亡命先のドイツなどで【ロシア革命を批判】し、『力による悪への抵抗』という本も上梓している。【イリインはロシアの文豪トルストイの無抵抗主義をセンチメンタルすぎると批判】した。

レフ・トルストイ
イリインに関してはアメリカの外交問題評議会が注目し、「フォーリン・アフェアーズ」が特集を組んだこともある。

イリインは、
「キリストは剣ではなく愛を説いたが、剣を非難したことは一度もない。剣を取る者は自らも剣の犠牲になるが、人をそのような自己犠牲に駆り立てるものこそ愛である」
と説き、
「その攻撃的思想は『復讐の宗教』『戦争の宗教』などと批判される一方、【赤軍と戦う白衛軍(反革命軍)の精神的支柱】となった」(前掲書『プーチンとG8の終焉』)

ミハイル・ネステロフ 『イワン・イリイン』
イワン・イリインはソ連時代に禁忌(きんき、タブー)とされ、人々は思想家の存在すら忘れかけていた。【プーチンはこのイリインの反革命的な精神性をもつ思想を復活させようと試みている】のだ。

国外にあったイリインの墓地はモスクワに移され、
「ドンスコイ修道院の墓地に再埋葬された。当初は粗末な木製の墓標が立っていたが、当時首相だったプーチンが写真を見て墓の整備を命じ、2009年に立派な墓地が置かれた。整備に私財を投じると申し出たプーチンは同年5月に墓地を訪れ、新しい墓碑に花を手向けている」(前掲書)。

ドンスコイ修道院



そうか。プーチンの謎を解く鍵は柔道の極意だけではなかったのだ。この行為は、靖国神社参拝を見送らざるをえなかった安倍首相が、2014年8月14日、故郷の山口県萩市の吉田松陰神社に参詣した行為と酷似していないか。』

いかがでしょうか?
プーチンの思想的、宗教的源泉ともいえる「イワン・イリイン」。
あの外交問題評議会、略称CFRも注目し、「フォーリン・アフェアーズ」が特集を組んだとありますが、その論文は2015年11月号に掲載されていました。
1冊2千円以上の「ぼったくり」雑誌ですが、世の中の左巻き連中の考え方が手に取るように分かる参考書みたいなものですので、定期購読をしています♥
日本語のHPを覗いて見てみますと・・・

「 イワン・イリインは歴史上の偉大な人物ではない。彼は古典的な意味での研究者や哲学者ではなく、扇動主義と陰謀理論を振りかざし、ファシズム志向をもつ国家主義者にすぎなかった。「ロシアのような巨大な国では民主主義ではなく、(権威主義的な)『国家独裁』だけが唯一可能な権力の在り方だ。地理的・民族的・文化的多様性を抱えるロシアは、強力な中央集権体制でなければ一つにまとめられない」。かつて、このような見方を示したイリインの著作が近年クレムリン内部で広く読まれている。2006年以降、プーチン自ら、国民向け演説でイリインの考えについて言及するようになった。その目的は明らかだ。権威主義的統治を正当化し、外からの脅威を煽り、ロシア正教の伝統的価値を重視することで、ロシア社会をまとめ、ロシアの精神の再生を試みることにある。・・・」
☆プーチンを支えるイワン・イリインの思想 反西洋の立場とロシア的価値の再生
・・・と、まあ、こんな調子で始まっています♥
で、最後は、こんな風に断定的に結論付けています。
「 かくも熱心にそのプロパガンダを利用しているとはいえ、プーチンとその側近はイリインの思想を心から信じているのだろうか。実のところ、これはそれほど重要な問題ではない。
これまでもそうだったように、クレムリンの広報担当者たちはプロパガンダ上の目的に合致するのなら、他人の著作を政府の見解としてうまく利用してきた。
モスクワはイリインの思想を利用することで、今日のロシアにふさわしいとみなすイデオロギーを発信している。それは、欧米に対する強い嫌悪感、ロシア文明におけるヨーロッパ的色彩の否定、独裁的統治の正当化と過激なナショナリズム、これに陰謀論を加えた強力なメッセージだ。
真実がいとも簡単に歪曲されてしまっているが、市民たちは、政府が提供する情報をそのまま受け入れている。例えば、2014年に起きたマレーシア航空17便撃墜事件にロシアあるいは(親ロ派の)ドネツク人民共和国が関わっていると考えるロシア市民の割合は、数多くの証拠が存在するにもかかわらず、わずか5%に留まっている。
ロシアの市民は長い間、モスクワが表明する有毒なプロパガンダに慣れ親しんできた。当然、プーチン体制がついに終焉を迎えたとしても、それまでの濃厚な刷り込みによって、ロシアが欧米の自由主義国家との関係修復に苦しむことは間違いないだろう。」
それでは、一体どうして、こんな風に批判しているのでしょうか?

そもそも、ロシア革命の主体は、誰でしたでしょうか♥
ニコライ2世を含むロマノフ王家を皆殺しにした「犯人」は、誰だったでしょう♥

ニコライ2世(1914年)
ロシア革命の主体は、「ユダヤ人社会主義者たち」でした♥

詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆日本史の最大のタブーって何? ~ 100年前のソ連の人気ツアー 「イパチェフ館 地下2階」
それでは、「外交問題評議会(CFR)」は誰が創ったのでしょうか♥

以下は、Wikipediaからの抜粋です。
「 外交問題評議会の起源は、ウッドロウ・ウィルソン大統領の外交ブレーンだったエドワード・マンデル・ハウス大佐が主宰した「大調査(Inquiry)」グループに求められる。同グループは1917年から1918年にかけて第一次世界大戦後の戦後国際秩序を検討するため、国務省とは別個に招集された知識人グループであり、ウォルター・リップマンが参加したことでも知られる。」

エドワード・マンデル・ハウス
「 ハウス大佐の来歴は不明な部分が少なくありません。ハウスの父親はイギリスからの移住者で、テキサス州で綿花栽培を行っていました。その後、ロンドンのロスチャイルド家の代理人として金融業にも携わるようになりました。かくして、息子のハウスもロスチャイルド家との関係ができたのです。
ハウス大佐はテキサス州のオースチンで、州や地方の選挙関連の仕事に従事していましたが、軍歴があったかどうかについては疑問視されています。ハウスはテキサス州知事の助言者として活動していました…
ハウス大佐は自ら表舞台に出るのではなく、有能な人物を通じて、あるいはその陰に隠れて何らかの政治工作をするのに長(た)けていた…
それと同時に、ウィルソン大統領のほうでも、“ハウス大佐を通じて”伝えられる自分を大統領に就かせてくれた勢力の意向に従って、具体的政策を行わなければならなかったのです。
このようなキングメーカーと大統領との関係が、フランクリン・ルーズベルト大統領の時代や、第二次世界大戦後においても基本的に継続していることに注意を払う必要があります。ハウス大佐は、キングメーカーと大統領との間の忠実な“橋渡し役”を演じていたのです。
もう一つ重要な点は、ハウス大佐は「社会主義者」であったということです。」
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆メディアがトランプ叩きをする理由 ~ ビルダーバーグ会議

ウォルター・リップマン
「 「ジャーナリストの鏡」とわが国でも持てはやされていたウォルター・リップマンは、ウィルソン大統領直属の広報委員会のメンバーとして、…バーネイズたちとともにアメリカ世論を「対独戦争賛成」に誘導する工作に携わりました。
イスラエルで発行された『ユダヤ人名辞典』によると、「リップマンは、最初は社会主義者であった、次にリベラルとなり最後はネオコンになった」ということです。そして、「彼は終生、国際主義的外交の支持者であった」とも書かれています。
ここからわかることは、「リップマンは主義主張を次々と変えていった」ということではありません。まったく逆で、「社会主義も、リベラルも、ネオコンも根っこは同じ」ということを示しているのです。」
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆中国は、もう死んでいる。。。
「 第二次大戦後に修正主義が拡がらなかったのは、ホロコーストと冷戦という第一次大戦後には存在しなかった要因だけによるわけではない。
ロックフェラー財団の1946年年次報告書には、米国外交に大きな影響力を持ち政財界の国際派が集うCFR(外交問題評議会)への助成が2件記されている。ひとつは、戦時中、政府と一体となって行われた部外秘の「戦争と平和研究」を衣替えして戦後に引き継がれたプロジェクトへの一般的助成であり、もうひとつが、第二次大戦史に関する特別助成である。
そこに見られるのは、二度と第一次大戦後のような孤立主義への回帰を許さないという、米国支配層の強い意志である。」
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆本当にあるんです。。。「秘密情報部」 ~ 歴史を「修正」されると困る人々
いかがでしょうか?
正体を隠し通したい連中が、イワン・イリインとプーチンを、殊更に批判しているようですね♥

続きは次回に♥
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