2016-09-23 (Fri)

ピーテル・パウル・ルーベンス 『天の川の誕生』
ヘーラー(古希:ΗΡΑ, Ἥρα, Hērā、イオニア方言:Ἥρη, Hērē ヘーレー)は、ギリシア神話に登場する最高位の女神である。長母音を省略してヘラ、ヘレとも表記される。その名は古典ギリシア語で「貴婦人、女主人」を意味し、結婚と母性、貞節を司る。

ヘレニズム時代の原物を摸したローマのヘーラー像
ヘーラーはオリュンポス十二神の一柱であるとともに、「神々の女王」でもあった。天界の女王として絶大な権力を握り、権威を象徴する王冠と王笏を持っている。虹の女神イーリスと季節の女神ホーラたちは、ヘーラーの腹心の使者や侍女の役目を務めた。また、アルゴス、スフィンクス、ヒュドラー、ピュートーン、ラードーンなどの怪物を使役する場面もある。世界の西の果てにある不死のリンゴの園・ヘスペリデスの園を支配していた。婚姻と女性を守護する女神であり、古代ギリシアでは一夫一婦制が重視されていた。嫉妬深い性格であり、ゼウスの浮気相手やその間の子供に苛烈な罰を科しては様々な悲劇を引き起こした。夫婦仲も良いとは言えず、ゼウスとよく口論になっている。毎年春になるとナウプリアのカナートスの聖なる泉で沐浴して苛立ちを全て洗い流し、処女性を取り戻し、アプロディーテーにも劣らず天界で最も美しくなる。この時期にはゼウスも他の女に目もくれずにヘーラーと愛し合うという。

アンニーバレ・カラッチ 『ゼウスとヘーラー』
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 一般には知られていないが、マケドニアと犬猿の仲にあるのは、ギリシャだけでなく東隣のブルガリアも同じだ。三カ国ともかつては【ビザンティン帝国、オスマン帝国】に支配された経験をもつが、マケドニアは最もひどい目にあわされてきた。

旧ユーゴスラビアの公用語は“セルボ・クロアチア語”で、セルビア・クロアチア・ボスニア・モンテネグロで使われているが、マケドニアはブルガリアとほとんど同じ言葉と文字を用いている。

旧ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の位置
バルカン半島にある“マケドニア地方”は、1912年の第一次バルカン同盟四カ国がオスマン帝国に勝利して手にした土地で、モンテネグロを除くギリシャ・セルビア・ブルガリアの三カ国で分割した。そのときセルビアが、現マケドニア共和国にあたる土地を獲得し、第一次大戦後はユーゴスラビアの一共和国を構成していた。

マケドニア。マケドニア共和国、ギリシャ、ブルガリア、アルバニア、セルビアにまたがっている。

1796年-2008年のバルカン
しかし、それ以前の13世紀は、この一帯はイヴァン・アセン二世が統治したブルガリア帝国領で、その後14世紀にはセルビア王国がブルガリア軍を破って領土とした。そのため、ブルガリアはその地域の人々は本来ブルガリアで、「もとよりマケドニア人もマケドニア語も存在しない」という立場をとっている。

イヴァン・アセン2世
マケドニア人が自らのアイデンティティーを古代マケドニアに求めるのは、このように周囲の国に翻弄されてきた歴史があるからだ。

だからマケドニアが旧ユーゴスラビアから独立したとき、新たに制定した旗には、【古代マケドニアのシンボル「ヴェルギナの星」】が赤地に燦然(さんぜん)と輝いていた。

ヴェルギナの太陽

1991年-1995年のマケドニアの国旗
当然、ギリシャは「マケドニア」の国名と同じく国旗にも猛抗議。

ギリシャにおける現代のマケドニア

古代マケドニア
確かに、ギリシャのマケドニア州の旗は紺地に「ヴェルギナの星」という色こそ違えど瓜二つで、歴史問題がなくても商標登録でクレームがつきそうだった。

ギリシャ領のマケドニアの旗
そこでマケドニアが次に考えた国旗は、黄色地の中心に赤い太陽を置き、8つの光を放つ図案だった。

マケドニア共和国の国旗
これは【大日本帝国時代の旭日旗そっくり】で、日本の旗は白地に16条の光を発していたが、マケドニアは黄色地に8条の光というものだ。【マケドニアの人々は日本の古い歴史や文化を敬愛している】うえ、両国の間には領土や民族問題もないので苦肉の策で拝借したようだ。

一般的な十六条の旭日旗の意匠
そういえば「衝突を避ける、温厚、自己主張しない」というマケドニア人の性格は、日本人とよく似ている。また夫が一家の柱で、女性が男性を立てるマケドニアの一般家庭のありようは、昭和の日本を彷彿させる。
亭主関白の知人の柔道家は
「日本もマケドニアも古い歴史がある国。人々は寛容で周囲の文化を受け入れて、独自の文化をつくっています」
「日本人は武士道の“魂”があり、周辺の大国に屈せずに、戦後、素晴らしい復興を遂げた世界の模範の国です」
と称賛する。』

いかがでしょうか?
古代カルタゴの名将ハンニバルが、
「史上もっとも偉大な指揮官は誰か」
と問われて、
「第1にアレクサンドロス大王、第2にエピロスのピュロス、そして第3に自分だ」
と答えたという逸話が残っていますが、そのアレクサンドロス大王もピュロス王も、古代マケドニアの王様でした♥

ハンニバル・バルカ
「 ざっくりとオリエントの歴史を見ると、オリエント全域を最初に支配したのは、アッシリアだった。いまのイラク北部に都をおく、このメソポタミア由来の王国は紀元前680~前670年ごろに一帯の勢力をおさえ、一大帝国を築き、紀元前600年頃には滅亡した。

アッシリアの版図の変遷
そのあとをアケメノス朝ペルシアが継いだ。

アケメネス朝の版図 紀元前500年時点
そしてそのアケメノス朝ペルシアは紀元前300年、ギリシア人のマケドニア王国、そのアレクサンダー大王の東方遠征によって追いやられ、代わってギリシア由来のヘレニズム諸国が分立した。

マケドニア王国(アレクサンドロス3世時代)の最大版図
もちろんこの周辺では同時並行でさまざまな国家、集団が現れては消えているが、ヘレニズム成立に至るまでの時代の一区画を一般的に「古代オリエント」と呼ぶ。」
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆古代イスラエルの「ダビデ王」の晩年 ~ そして、「東京の父」 鳥越俊太郎

アリストテレスの講義を受けるアレクサンドロス
全くの余談ですが、アレクサンドロス大王に講義をするほどのアリストテレスですが、実際には「奴隷制度を擁護した人物」でした♥

「 現在の我々は、民主主義と奴隷制度とは水と油のように相反する関係のように思いがちですが、両者は必ずしも対立するものではありません。古代ギリシアでは民主主義と奴隷制度とが両立していたのです。そして、民主主義の善さ、危険が十分に論じられていたのと同様に、奴隷制度の擁護論が展開されていたのです。奴隷制度を擁護した思想家として有名なのがアリストテレスです。アレクサンダー大王の家庭教師を務めたことで有名なアリストテレスは、『ニコマコス倫理学』等の優れた著述を遺した大哲学者です。そのアリストテレスが、堂々と奴隷制度を擁護していたのです。」
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆アリストテレスって誰? ~ 民主主義と奴隷制度とSEALDsと。。。
で、アレクサンドロス大王に続く名将がピュロス王です♥

ピュロス王
「 紀元前二七二年前後の話だが、その時期のローマは、ギリシアの勇将ピュロスに攻めこまれて苦戦していた。それも、二度までも敗北を喫したのだ。ローマの指導者たちもさすがに気が落ち込んだのか、元老院は、ピュロスの提案してきた講和の受諾に傾きはじめていた…
それを知って激怒したのが、老齢のために引退していたアッピウス・クラディウスである。アッピア街道を敷設させたことによって、政・戦略的意味をもつローマ街道建設の端緒を開いた男だ。…「財務官(ケンソル)アッピウス」とか、「盲目のアッピウス」とか呼ばれている。
ピュロス相手にローマが苦戦していた時期のアッピウスは、老齢のために目がほとんど見えなくなっていた。歩くことも不自由になっていたアッピウスは、人の肩にすがって久しぶりに元老院に登院した。そして、元老院議員たちを前に、演説するというよりも叱りつけた。ピュロスがイタリアから出ていくことが講和の前提条件であり、われわれの家の庭に踏みこんで居坐っている敵は、講和であろうが何であろうが交渉の相手にはなりえない、と言ったのである。これが、元老院の空気を変えた…
(このエピソードは)ローマ人にとっては、一時期の話では終わらなかったのである。敗北したときにはローマは講和を結ばず、ローマにとっての講和とは、勝利した後で敗者と結ぶものであるという、ローマ伝統の「一理塚」になったからであった。 大国カルタゴを向こうにまわして死闘をくり広げたポエニ戦役中でも、ローマは、ハンニバルが提案してきた講和を、歯をくいしばりながらも拒否している。」
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆ローマの伝統♥
そんな古代マケドニアは、「ヘーラクレースの血を引くギリシア人」の国でした♥
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 紀元前7世紀頃、ドリス系のギリシア人により建国された。マケドニアは都市国家を形成せず、王政で一夫多妻制を取るなど、古代ギリシアの他の地域とは違う制度を有していたため、ギリシア諸ポリスからは異民族と思われることもあった。しかし、言語と宗教は諸ポリスと同一であり、ペルシア戦争以前にアレクサンドロス1世が古代オリンピックに参加するなど、マケドニア王家は古くからヘーラクレースの血を引くギリシア人と認められていた。」
では、本日の最後に、ギリシア人がその血を引くという、英雄「ヘーラクレース」を見てみましょう♥
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 ヘーラクレース (古希: Ηρακλής, Hēraklēs) は、ギリシア神話の英雄。ギリシア神話に登場する多くの半神半人の英雄の中でも最大の存在である。のちにオリュンポスの神に連なったとされる。ペルセウスの子孫であり、ミュケーナイ王家の血を引く。幼名をアルケイデース(Ἀλκείδης, Alkeidēs)といい、祖父の名のままアルカイオス(Ἀλκαῖος, Alkaios)とも呼ばれていた。キュノサルゲス等、古代ギリシア各地で神として祀られ、古代ローマに於いても盛んに信仰された。その象徴は弓矢、棍棒、獅子の毛皮である。」

ヘーラクレース像
「 ヘーラクレースはゼウスとアルクメーネー(ペルセウスの孫に当たる)の子。アルクメーネーを見初めたゼウスは、様々に言い寄ったが、アルクメーネーはアムピトリュオーンとの結婚の約束を守り、決してなびかなかった。

そこでゼウスはアムピトリュオーンが戦いに出かけて不在のおり、アムピトリュオーンの姿をとって遠征から帰ったように見せかけ、ようやく思いを遂げ、1夜を3倍にして楽しんだ。

アルクメーネーは次の日に本当の夫を迎え、神の子ヘーラクレースと人の子イーピクレースの双子の母となった。

ヘーラクレースを産むアルクメーネー
アルクメーネーが産気づいたとき、ゼウスは「今日生まれる最初のペルセウスの子孫が全アルゴスの支配者となる」と宣言した。それを知ったゼウスの妻ヘーラーは、出産を司る女神エイレイテュイアを遣わして双子の誕生を遅らせ、もう一人のペルセウスの子孫でまだ7か月のエウリュステウスを先に世に出した。こうしてヘーラクレースは誕生以前からヘーラーの憎しみを買うことになった。
ヘーラクレースの誕生後、ゼウスはヘーラクレースに不死の力を与えようとして、眠っているヘーラーの乳を吸わせた。

ティントレット『天の川の起源』
ヘーラクレースが乳を吸う力が強く、痛みに目覚めたヘーラーは赤ん坊を突き放した。このとき飛び散った乳が天の川(galaxyは「乳のサイクル」Milky Wayは「乳の道」)になったという。
これを恨んだヘーラーは密かに二匹の蛇を双子が寝ている揺り籠に放ったが、赤ん坊のヘーラクレースは素手でこれを絞め殺した。」

ローマ・カピトリーノ美術館にあるヘーラクレースと二匹の蛇の像。
続きは次回に♥
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