2016-09-16 (Fri)

ポーランド共和国(ポーランドきょうわこく、ポーランド語: Rzeczpospolita Polska)、通称ポーランドは、中央ヨーロッパに位置する共和制国家。欧州連合 (EU) 、北大西洋条約機構 (NATO) の加盟国。通貨はズウォティ。首都はワルシャワ。
北はバルト海に面し、北東はロシアの飛地カリーニングラード州とリトアニア、東はベラルーシとウクライナ、南はチェコとスロバキア、西はドイツと国境を接する。
10世紀に国家として認知され、16世紀から17世紀にかけヨーロッパで広大な国の1つであったポーランド・リトアニア共和国を形成。18世紀、4度にわたり国土が隣国によって分割され消滅。
第一次世界大戦後、1918年に独立したが、第二次世界大戦時、ナチス・ドイツとソビエト連邦からの事前交渉を拒否し両国に侵略され、再び国土が分割された。戦後1952年、ポーランド人民共和国として国家主権を復活、1989年、民主化により共和国となった。冷戦時代は、ソ連の影響下に傀儡政権の共産主義国とし最大で最も重要なソ連の衛星国の一国となり、政治的にも東側諸国の一員となった。国内及び東側諸国の民主化とソ連の崩壊と東欧革命を経て、中欧または中欧のうち過去に東欧であった地域の中東欧として再び分類されるようになっている。
全世界のコウノトリの4分の1がポーランド国内で繁殖する。


戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 【ヨーロッパ一の親日国ポーランド】。いや【ポーランドは世界一の親日国】かもしれない。

なにしろ地理的に日本とは遠く離れていても、心の距離は「ロシアをはさんだ隣国」であり、「日いずる国」「桜の咲く国」と憧れ、「来世は日本人に生まれたい」「日本人になりたい」と願うポーランド人は結構な数にのぼる。…

ポーランド共和国国旗
ポーランドが大の親日国になったのは、なにも昨日今日にはじまったことではない。その親日の歴史は、大正時代にさかのぼる。

長い間、帝政ロシアに支配されていたポーランドは、第一次大戦後の1918年になってようやく独立の機会に恵まれた。それ以前にロシアから独立を企てて失敗したポーランド人革命家は、政治犯としてシベリアに流されていた。当時、ロシア革命の混乱のなかでそういった政治犯とその家族や難民など、10数万人がシベリアに取り残されて、寒さと飢えと疫病に苦しんでいた。

シベリア出兵を伝える日本の画報(救露討独遠征軍画報)
そんな危機的な状況を憂えたポーランド新政府は、せめて子どもたちだけでも救出して祖国に送り届けられないものかと欧米政府に頼んだが、どこも態度は冷ややかだった。

最後に駄目元でシベリアに近い日本に援助を求めたところ、当時まだ【正式な国交がなかったうえ、一民間組織に過ぎないポーランド救済委員会からの願いを日本政府は聞き入れた】。

1918年、ブラゴヴェシチェンスクに入城する日本軍と日の丸を振って出迎える市民などを描いた作品。
日本赤十字社の協力で、【決定から早くも二週間後に帝国陸軍の輸送船に載せられたシベリアのポーランド人孤児が到着】。

大日本帝国陸軍御国旗
輸送船は何度か往復し、合計765人の子どもたちが送り届けられた。日本では医師や看護師の手厚い看病に、栄養のある食事やお菓子も振る舞われたほか、歯の治療や散髪など、実に至れり尽くせりだった。
また、新聞のニュースで孤児のことを知った人々から、寄付金や贈り物が届けられたり、直接、施設を慰問する人々も後を絶たなかった。訪問者のなかには、孤児の粗末な衣服を見て、自分の着ている服や髪に飾ったリボンや櫛をプレゼントする日本の子どももいたらしい。
やがて健康を回復してすっかり元気になった孤児たちは、新調してもらった服を着て日本を後にした。別れを惜しむ子どもたち、泣きながらお世話になった人たちの首にしがみついていつまでも離れようとしなかったという。その後【シベリア孤児の話は、現在に至るまでポーランド本国ではもちろん、アメリカで暮らすポーランド移民の間でも語り継がれている】。
後日、極東委員会のヤクブケビッチ副会長は、礼状のなかで次のように述べた。
「日本人はポーランドとは、まったく縁の薄い異なる民族です。日本はポーランドとは、まったく異なる地球の反対側にある国です。しかしながら、不運なるポーランドの子どもたちにかくも深い同情を寄せ、心からの憐憫(れんびん)の情をしめしてくれた以上、我々ポーランド国民は日本に対し、最も深い尊敬、最も深い感銘、最も深い感謝と報恩、最も温かき友情と愛情をもっていることをお伝えしたい」
と綴られていた。

その言葉通り、かつての恩に報いるため、【阪神淡路大震災で被災した日本の児童合計60人がポーランドに招かれた】。三週間ポーランドに滞在した子どもたちは、異国の人々の温かな心に触れて深い心の傷を癒した。
帰国前のパーティーには、シベリア孤児の4人が
「75年前の自分たちのような可哀想な日本の子どもたちがポーランドに来たからには、ぜひ当時の話を聞かせたい」
と不自由な体に鞭打ってやって来た。最後に老人たちは、日本の被災児童一人ひとりにバラの花を一輪ずつ手渡すと、
「これで恩返しができた」
と涙をこぼしたという。
2002年、【ポーランドを公式訪問された天皇皇后両陛下にシベリア孤児の生存者のアントニーナ・リロさんが謁見した】。当時3歳の彼女は85歳になっていた。彼女は阪神淡路大震災後にポーランドに招待された被災児童が10年後に再びポーランドを訪ねた際にも、立派に成長した子どもたちを出迎えた。また【リロさんは、第二次大戦中にポーランドのユダヤ人をナチスから救い、イスラエル政府から表彰された】こともある。その際、【「日本人に助けられたので、今度は私がユダヤ人を助けて恩返しした」】と語っていたという。
そして2006年、最後のシベリア孤児となったリロさんは、【「日本は天国のようなところだった」】という言葉を遺し、安らかに90歳の生涯を終えた。』

いかがでしょうか?
このお話は、とても有名で、ネット上でもたくさんの方々が記事を書かれていますし、YouTubeでも大量にアップされていますので、ぜひ御覧になってみてください♥
シベリアのポーランド孤児にまつわるエピソードは、まだまだたくさんあって、どれも感動させられますよ♥
例えば、看護婦だった松澤フミさんのお話や、イエジ・ストシャウコフスキさんと井上益太郎さんのお話など。。。
以前ご紹介させて頂きました、こちらの書物にも書かれていますので、ぜひ御覧になってみてください♥
↓

☆白駒妃登美 子どもの心に光を灯す日本の偉人の物語 (親子で受けたい歴史の授業)
で、孤児たちを受け入れる日本の入り口となったところが、福井県の「敦賀港」でした。その敦賀にある「敦賀ムゼウム」にも、シベリアのポーランド孤児に関する資料が展示されています。

敦賀ムゼウム
「ムゼウム」とは、ポーランド語で「資料館」のことです。
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆人道の港 敦賀ムゼウムHP
ところで、この「敦賀ムゼウム」には、ユダヤ人難民を救ったとして杉原千畝(すぎはら ちうね)という「単なる官僚」の資料も展示されています♥

杉原千畝
杉原千畝という「単なる官僚」にまつわるお話は、次のようなもので、映画にもなったりして、日本のメディアが「喧伝(けんでん/世間に言いはやし伝えること。盛んに言いふらすこと。)」しています。

「NHK なんでw」
実は、これ、単なる作り話なんです♥

あたかも、杉原千畝という「単なる官僚」が独断で、しかも、たった一人で、「6000人のユダヤ人を救った」かのように、戦後に作り上げられた「フィクション」です♥

だって、そんなことが「出来るはずが無い」んです♥

杉原千畝の作り話は、こんな感じになっています。
1940年の第二次大戦中、リトアニアのカウナス日本領事代理だった杉原が、
①日本政府の命令に背いて日本通過ビザを発給したおかげで、六千人のユダヤ人が生き延びることができたが、
②杉原は訓令違反により終戦直後、外務省を解雇された・・・
当初、ユダヤ人たちは通過ビザ発給の条件を満たしてはいませんでした。しかし、最終的に日本政府はビザを発給しました。
どこが大嘘なのかと言いますと、「杉原千畝が本国の命令に逆らって発給した」というところです。

仮に杉原が命令に背いて発給したとしても、本国が認めていなければ、必ず本国は入国を認めません。
ですから、そんなものは全くの無意味な代物で、あり得ない作り話なのです。
通過ビザは、日本政府が認めたからこそ、発給されたのです。

続いて、杉原が解雇されたのは戦後占領下で外交事務が激減したのに伴う人員整理の一環であって、1947年に退職し、退職金もその後の年金も、「たっぷりと支払われている」ようです。

もし、訓令に背いた解雇であれば、退職金も年金も、日本政府は支払ったりはしていなかったでしょう。

つまり、杉原千畝は、ただ単に、外交官の仕事を忠実にしていただけで、ビザ発給によるユダヤ人保護は日本政府の意思であったことが分かりますね♥
同盟国ナチスドイツの意向を無視してでも、人道上ユダヤ人を保護するという信念を貫いた、これが大日本帝国の姿だったんです♥
「 多くの日本人も世界の人々も知らないことがある。それは日本人がユダヤ人を救った話だ。…まず樋口中将と安江大佐である。

樋口季一郎中将
二人の名前は「ゴールデン・ブック」に掲載され、顕彰されている。ゴールデン・ブックは、ユダヤ民族に貢献した外国人の名が記されている。…だが、本当に「ゴールデン・ブック」に記載されるべき人物が東條英機であったことを、知る人は少なかろう。

東條英機
1930年代末に、2万人ものユダヤ人難民がナチスの迫害を逃れ、シベリア鉄道で満州国境へやってきていた。当時、関東軍ハルビン特務機関長だった樋口少将が、新京に司令部を置く関東軍参謀長に、ユダヤ人難民の入国の許可を求めた。当時の参謀長が、東條英機中将だった。入国を許可しなければ、ソ連がドイツに送り返すところだった。
東條は「民族協和と八紘一宇の精神」に従って、2万人のユダヤ人の入国に許可を与えた。
ドイツ外務省が日本政府に対して、強硬な抗議を行ったが、東條は「当然な人道上の配慮」だとして一蹴した。
…東條は東京裁判で「A級戦犯」として、処刑された。
ヒトラーと同列であるかのようにして、言われ無き不当な扱いを受けた。」
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆「ゴールデン・ブック」の日本人♥
ユダヤ人だけを特別扱いしたわけではなく、シベリアのポーランド孤児のように、あらゆる民族・人種を分け隔てなく、人道的に扱っていたのが、私たちの大日本帝国だったんです♥

続きは次回に♥
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